著者
李 偉 尾方 隆幸 山田 奨治
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告人文科学とコンピュータ(CH) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.4, pp.1-8, 2009-01-16
参考文献数
11

京都盆地北部に現存する164の日本庭園のリストを作成し,GISを用いて地図化した。庭園築造数を歴史的にみると,江戸時代と大正時代にそのピークが認められる。土木技術が発達した江戸時代には大規模な庭園が数多く築造されたが,池などの地表水を欠く庭園の多くが扇状地扇央に分布しているのに対し,地表水のある庭園は湧水のみられる東山丘陵の山麓に集中している。明治~大正時代に建設された庭園のほとんどは1890年に完成した琵琶湖疏水沿いに位置しており,池・流れ・滝などの水景が重視されている。これらのデータは,京都盆地に分布する庭園が自然的にも人為的にも水文条件の影響を強く受けていることを示している。This study listed 164 Japanese gardens situated in the Kyoto basin, consisting mainly of the Kamogawa alluvial fan and the Katsuragawa flood plain. The listed gardens were mapped with Geographic Information System (GIS). During the Edo era, civil engineering improvements promoted construction of large scale gardens. Gardens lacking surface water are mainly distributed in the center of the Kamogawa alluvial fan with relatively deep groundwater. Gardens with surface water, in contrast, are concentrated along the foot of the Higashiyama hills where hydrological recharge zones produce rich springs. During the Taisho era, Biwako-sosui (canals from the Biwa Lake to the Kyoto basin) contributed to construction of gardens with surface water, such as artificial ponds, flows and falls. Both physically and artificially, hydrological conditions controlled the geographic distribution of Japanese gardens.
著者
加藤 哲男 李 偉国 川上 洋司 本多 義明
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木計画学研究・論文集 (ISSN:09134034)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.899-906, 2000
被引用文献数
1

本研究は実際に顕在化した事故のみならず潜在的な事故 (ニアミス) のデータを収集し分析することにより, 近年増加傾向にある高齢者事故の減少に役立てられることを明らかにすることを目的とする. 福井県を対象地域として調査分析を行った結果, 顕在事故と潜在事故との間に関連性が認められたこと (基準連関妥当性), 運転者の意識と解読者の判定との相違点が事故分析に有効であること (構成概念妥当性) が検証された. 高齢者事故の典型ケースとして, 顕在・潜在いずれの事故データからも無信号交差点での出合頭事故が抽出された. 高齢者事故の減少には, 安全意識の向上策のみならず, 運転者がヒューマン・エラーを犯し難い交通環境の整備改善も必要である.
著者
李 偉国 川上 洋司 本多 義明
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.811-816, 1998-10-25 (Released:2018-04-01)
参考文献数
8

This study aims to clarify urban environmental problems accompanied with rapid economic development, in Hangzhou City on coastal area of China, based on three aspect's analysis of environmental feature, environmental policy system and resident's awareness. The conclusions are as follows: 1) Urban environmental problems are becoming more complex than before, so now traffic, industry and building activity are being main pollution sources that affect whole area of the city. 2) Though local environmental policy system is being set up by each local government, there are still less sufficiency in correspondence with activities of traffic, urban development, and resident living throughout the city. Finally, 3) the study points out the issues of urban environmental administration from the viewpoint of government and resident' roles.
著者
李 偉 リ イ Wei Li
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2008-03-19

江戸時代前期の大名庭園に関しては、後の時代に比べて必ずしも必要十分な史料がない<br />場合が多く、庭園史研究を十全に行う上で史料的制約があることは否めない。ゆえに、大<br />名庭園に関して歴史的にも空間的にも不明瞭な点が多いことから、未だに歴史的、造園史<br />的な価値や評価が定まっていないのが現状である。<br /> 日本庭園研究における空間構成の解釈に目を向けると、従来の日本庭園の空間様式に関<br />する研究は、庭園内部の景観と利用の面に論点が集中してきたといえる。それゆえ、園景<br />の細部まで詳細な分析がなされたものの、庭園の景観構成に含まれる藩主の理想といった<br />個人性の影響や、さらには庭園内外の景観を調和するために工夫されたということについ<br />てはそれほど注目されてこなかった。つまり、大名庭園の空間構成を「眺望」という視点<br />から評価する研究はほとんどなかったといえる。<br />本論文では、大名庭園の空間様式をそれに伴う自然や建築空間、人間の心理的空間にま<br />で広げて総合的な考察を試みた。従来もっぱら庭園内部の景観に向けられていた研究の視<br />点を、外部空間へと転換させ、大名庭園の眺望景観に注目し、大名庭園における眺望景観<br />の特徴および変遷を検討することによって、それを導いた社会的、文化的要因にまで考察<br />を進めた。<br /> まず江戸時代における眺望の特質を浮き彫りにするために、庭園の眺望に関する研究史<br />をたどってみた。その結果、各時代の建築様式や、庭園空間の利用法の違いにしたがって、<br />庭園と外部空間とのつながりの姿勢も変貌を遂げていたことが判明できた。庭園の眺望は<br />常に変化発展する過程として認識すべきだと考える。<br />大名庭園における眺望を歴史的に位置付けるために本論文では、庭園の眺望を以下のよ<br />うな3つのカテゴリーに分けて考察を進めることとした。<br /><br />&#9312;たんなる眺望一園外景観を観賞の対象として認識しない、背景である。<br />&#9313;意識的な眺望一園外景観を観賞の対象として認識する。<br />&#9314;借景一園外景観と園内景観を調和させ、一体化した園景として表現する。<br /><br /> そして、江戸時代の大名庭園における「眺望」の特徴を代表的大名庭園の景観構成の考<br />察によって検証を試みた。<br /> 草創期の大名庭園の「眺望」に関しては、江戸初期の代表的造園家である小堀遠州の造<br />園思想を考察した。その結果、今まで指摘された江戸中後期から盛んになってゆく眺望の<br />手法は、すでに江戸初期の遠州の造園主張にその成立の基盤ができていたことがわかった。<br />遠州好みの眺望景観は高い楼からの眺めではなく、木々の間を通して見る眺望、「見え隠<br />れの眺望」の手法が好んで行われたと見られる。<br /> 大名庭園の空間構成は、前時代の庭園様式を受け継ぎながらも、新たな特徴を創造した。<br />江戸で代表的な大名庭園の空間構成について、水戸藩の小石川後楽園、紀伊藩の西園、尾<br />張藩の戸山荘を選出して考察を行った結果、いくつかの特色ある眺望への姿勢が見出だせ<br />る。<br /> 小石川後楽園については、初代藩主頼房との親交が厚かった儒者たちによる漢文史料に<br />注目し、その解読によって初期の景観復元を試みたところ、眺望に関する意外に多くの記<br />述が見られた。初期の後楽園は閉鎖的空間構成に加えて、周囲の景観の眺望も造園上に重<br />要な役割を果たしたことが指摘できる。そして、第一の眺望地点が小廬山であったことが<br />文献より推定された。江戸中期以後、眺望行為が強く現れるのは既往研究の解釈である。<br />だが中期を待たずに初期後楽園に眺望景観を意識的に愛でる意図がすでにあったことを指<br />摘した。後楽園の眺望は園内から直接遠景を観賞するのではなく、松の葉を通して、「見<br />え隠れの眺望」が好んで用いられたことが指摘できる。<br /> 西園の空間構成にも「眺望」の意匠が強く込められていたことが明らかになった。「眺<br />望」行為が園内の複数の地点で行なわれ、特に「望嶽亭」からの富士山の遠望は西園を特<br />徴付ける景観であった。額縁のような表現を用いる人工の「窓」を通しての眺望手法は<br />「窓含西嶺千秋雪」という、いにしえの中国の詩の意境を反映する一方、窓という「額<br />縁」を通して富士山を観賞することは、富士山を突出させる表現である。後楽園の松の葉<br />を通して眺める富士山より一層明白に眺望を意識した景観操作といえよう。西園からの眺<br />望は大名の日常生活に溶け込んで、彼らの豊かな庭園の理想像の一端を反映していたと考<br />えられる。<br /> 尾張藩の戸山荘では、建設された当初から眺望の要素が備わっていたと見られる。戸山<br />荘の中心的建物である餘慶堂に焦点を絞り、そこからの眺望景観の特徴を考察した。その<br />結果・餘慶堂が建てられる当初から富士遠望が庭園の構成要素として考慮されたことが明<br />らかになった。餘慶堂からの遠望特徴は、富士山を観賞するために、ちょうど富士山の見<br />える部分だけ、樹の上を平らに刈り揃え、いわば緑の額縁で富士山を絡めとった形にして<br />いる手法である。しかもその人為性を隠そうとはしていない。むしろそのような作為がお<br />もしろいと見られていたのである。<br /> 園内景観の松の形へのこだわりは、園外の対象物である富士山と同質的に、園内の松を<br />観賞するという、庭園内外景観の一体化が図られていたことの表れである。戸山荘での眺<br />望は後楽園における「見え隠れの眺望」や、西園における「いにしえの意境」への追及よ<br />り、庭園内外景観の一体化が一層明白になったものといえる。眺望が庭園の景観構成の欠<br />かせない一環として認識され、借景に成り立っていたことを検証した。<br /><br /> 大名庭園における眺望景観の形成に関しては、造園の当初からすでに意識されはじめ、<br />徐々に手法が固められていったというプロセスを読みとることができる。江戸の大名庭園<br />において眺望は無視できない要素であり、形式が異なることにせよ、意識的な眺望行為が<br />江戸の前期からすでに発生していたと見るべきである。<br />初期の大名庭園に強く見られたのは漢詩文などを通した中国文化へのあこがれであり、<br />そこから生まれる「眺望」は、見たことがない観念的景観、象徴的景観、心の中の風景と<br />言うべきものであった。しかし、大名庭園全体としては、主に象徴的景観・観念的風景の<br />中から実際の庭園享受を通して現実の景観、園外に広がる風景への眺望がより一層意識化<br />されるようになってきた。<br /> 従来、その空間構成に眺望を見出そうという考えが極めて乏しかった大名庭園の各所に<br />「眺望」が見出された。しかもそれは江戸の時代が進むにつれて、遠方の眺望までも園内<br />に取り込もうとする高度な操作性も含む手法にまで成長していたのである。このような操<br />作された園景の見せ方こそ大名庭園の眺望の特徴であり、園外景観の発見につながる重要<br />な手段である。江戸時代の眺望は徐々に絵画的構成や象徴的景観から外部の自然にも目を<br />向けるようになった。内向きに洗練されてきたといえる日本庭園の伝統的様式に新たな外<br />向きの特色が加えられたといえよう。<br />