著者
李 建志
出版者
広島芸術学会
雑誌
藝術研究 (ISSN:09149872)
巻号頁・発行日
no.23, pp.59-73, 2010

日本のテレビドラマでは、在日朝鮮人がどのように描かれてきたのだろうか。本稿では在日朝鮮人と呼ばれるエスニック・グループに出自をもつ松田優作の主演ドラマ「探偵物語」で、多くのマイノリティが登場しながらも日本最大のマイノリティとでもいうべき朝鮮人が描かれなかったことから、在日朝鮮人の隠蔽という問題を考える。これは、アメリカ発の世界的テレビドラマといっていい「刑事コロンボ」における黒人表象と重なるものだといえる。すなわち、イタリアン(ホワイト・マイノリティ)であるコロンボが、WASPの犯人を追いつめるというドラマの影に、本当の民族問題としての黒人やプエルトリカン(あるいはユダヤ系)は描かれないという構図をもっており、これが「探偵物語」の朝鮮人隠蔽と相似形であると考えるからだ。また、その「探偵物語」に先行するドラマとして渥美清主演「泣いてたまるか!」のなかの「豚とマラソン」を取りあげ、日本のテレビドラマで朝鮮人がいかに描かれていったのか、そして在日朝鮮人の描き方として「人格者」としてしか描けない、すなわち隠蔽のコードに埋もれてしまうまでの筋道を論じる。
著者
李 建志
出版者
学校法人 関西学院大学先端社会研究所
雑誌
関西学院大学先端社会研究所紀要 (ISSN:18837042)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.33-48, 2013 (Released:2021-05-15)

1930年代の日本と朝鮮は、戦争直前という時代背景のなか、さまざまな猟奇事件が流行っていた。しかし、これを受け入れる市民は、朝鮮と日本でずいぶんと大きな隔たりがあったように思う。ここに、金来成という作家がいる。彼は、戦前に江戸川乱歩の弟子として推理小説を書いていたが、戦後には推理小説を書かなくなった、いわゆる大衆作家である。彼は1930年代に朝鮮でデビューしたが、彼に続いて推理小説を書くものはいなかった。では、なぜ朝鮮文学の世界で彼だけが推理小説を背負ったのだろうか。これを、筆者は、金来成の二流性=時代の変化に飛びつくことはよくするが、その時代の変化の意味を悟ることができなかった作家としての特性によるものだと考える。本稿では、まず当時の朝鮮文壇の状況を、当時のことを描いた小説「九人会をつくる頃」を参考にうつしだし、さらに当時の日本の推理小説界と、日本の社会状況をそれと比較させることで、日本と朝鮮の「空気」の違いをうきぼりにすることを目指す。
著者
橋本 順光 山中 由里子 西原 大輔 須藤 直人 李 建志 鈴木 禎宏 大東 和重 児島 由理
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

座標軸として和辻哲郎の『風土』(1935)を旅行記として注目することで、漫遊記を多く生み出した欧州航路、旅行者と移民の双方を運んだ南洋航路、そして主に労働者を「内地」へ供給した朝鮮航路と、性格の異なる三つの航路の記録を対比し、戦間期日本の心象地図の一側面を明らかにすることができた。和辻の『風土』が展開した文明論は、戦間期の旅行記という文脈に置くことで、心象地図という抽象化と類型化に大きく棹さした可能性が明らかになった。
著者
李 建志
出版者
学校法人 関西学院大学先端社会研究所
雑誌
関西学院大学先端社会研究所紀要 (ISSN:18837042)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.27-46, 2014 (Released:2021-05-15)

「兵隊やくざ」は、1960年代に大映で制作された娯楽映画だ。その原作は、有馬頼義によって書かれた「貴三郎一代」であるが、原作小説と映画は並行してつくられており、日本陸軍の内務班について描かれているのが特徴といっていい。この軍隊内の生活を描く小説は、1952年に野間宏によって発表された「真空地帯」以降、1960年から80年にかけて書き継がれた大西巨人の「神聖喜劇」など、いくつかあげられる。この文脈の中に「貴三郎一代」および「兵隊やくざ」を位置づけると、内務班という非民主的な社会を打破するヒーローとして、「貴三郎一代」および「兵隊やくざ」の主人公である大宮貴三郎の存在の意味が見えてくる。また、「兵隊やくざ」と「貴三郎一代」に登場する歌も分析する。当時軍隊で好んで歌われていたのは軍歌ではなく、「満期操典」や「軍隊数え唄」といったものであった。このような兵隊の唄を知ることで、当時の日本軍の生活を知ることができるようになることだろう。また、「貴三郎一代」では、大宮と「私」は朝鮮人女性を連れてきてP屋(慰安所)を経営するのだが、日本の敗戦で彼女たちと別れるとき、「私」は朝鮮人女性から「アリラン」と「蛍の光」を歌ってもらい、感動しているという場面がある。しかし、当時の朝鮮では韓国の国歌である「愛国家」にはまだメロディがなく、「蛍の光」のメロディで歌われていたことを考えると、彼女たちが「私」に歌ったのは別れの歌ではなく、朝鮮独立の歌としての国家だったと考えられる。このような認識のギャップは、現在までも続いているのではないかと考えるのだ。
著者
李 建志
出版者
学校法人 関西学院大学先端社会研究所
雑誌
関西学院大学先端社会研究所紀要 (ISSN:18837042)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.27-46, 2014

「兵隊やくざ」は、1960年代に大映で制作された娯楽映画だ。その原作は、有馬頼義によって書かれた「貴三郎一代」であるが、原作小説と映画は並行してつくられており、日本陸軍の内務班について描かれているのが特徴といっていい。この軍隊内の生活を描く小説は、1952年に野間宏によって発表された「真空地帯」以降、1960年から80年にかけて書き継がれた大西巨人の「神聖喜劇」など、いくつかあげられる。この文脈の中に「貴三郎一代」および「兵隊やくざ」を位置づけると、内務班という非民主的な社会を打破するヒーローとして、「貴三郎一代」および「兵隊やくざ」の主人公である大宮貴三郎の存在の意味が見えてくる。また、「兵隊やくざ」と「貴三郎一代」に登場する歌も分析する。当時軍隊で好んで歌われていたのは軍歌ではなく、「満期操典」や「軍隊数え唄」といったものであった。このような兵隊の唄を知ることで、当時の日本軍の生活を知ることができるようになることだろう。また、「貴三郎一代」では、大宮と「私」は朝鮮人女性を連れてきてP屋(慰安所)を経営するのだが、日本の敗戦で彼女たちと別れるとき、「私」は朝鮮人女性から「アリラン」と「蛍の光」を歌ってもらい、感動しているという場面がある。しかし、当時の朝鮮では韓国の国歌である「愛国家」にはまだメロディがなく、「蛍の光」のメロディで歌われていたことを考えると、彼女たちが「私」に歌ったのは別れの歌ではなく、朝鮮独立の歌としての国家だったと考えられる。このような認識のギャップは、現在までも続いているのではないかと考えるのだ。
著者
李 建志
出版者
京都大学地域研究統合情報センター
雑誌
地域研究 (ISSN:13495038)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.238-243, 2013

第III部: 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
著者
李 建志 島村 恭則 上水流 久彦 齋藤 由紀
出版者
関西学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

研究代表者は、先住民に対する行政の問題と、日本陸海軍の将校たちの思想が、支配者の立場と支配される立場というかたちで交差することに気づき、朝鮮半島出身の陸軍幹部であった李垠などを中心に、この時代について分析することへと傾斜していった。その際、島村氏、上水流氏、齋藤氏との意見交換や研究会などでの密接な問題意識の共有と、その成果発表としての論文発表などが、相互にとってきわめて有効に働いたことはいうまでもない。研究代表者の成果に限っていうと近い将来に単行本として刊行される原稿を書きためていた。その分量は400字詰め原稿用紙にして1000枚にのぼっている。これは必ず出版する。