著者
山中 由里子
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
no.8, pp.55-87, 1993-03-31

アレクサンドロス大王(前356年-前323年)の華やかで短い生涯は,古今東西の歴史家や文学者たちによって様々に描かれてきた。特に,史実にこだわらない民衆の自由な想像力の中で育った「アレクサンドロス物語」は,北アフリカ,ヨーロッパ,中近東,そして東南アジアにも伝わり,文字の形で残っているものだけでも,二十四ヶ国語,八十種以上の翻訳本,異本があるといわれている。イスラム世界においてアレクサンドロスはイスカングルと呼ばれ,また,コーランの「洞窟の章」に登場し,ゴグとマゴグの野蛮な民族を退治する英雄,ズ・ル・カルナイン(2本の角の人)としてよく知られている。アラブのアレクサンドロス伝説については,前嶋信次氏や蔀勇造氏の優れた研究があるが,ここでは同じ中東世界の中でもアラブとはまた少し違った展開をみせた,イランにおけるアレクサンドロス像の変遷について考察する。当時新進国家であったマケドニアの王子アレクサンドロスは二十歳で,父王フィリッポスの死の直後に即位し,紀元前334年に「報復戦争」と称して東方遠征に進発した。この遠征は紀元前330年,ペルセポリス破壊において一つの頂点を迎える。そして若い王はペルシア帝国全土を平定した上でさらにインダス河流域まで進むが,祖国への帰路,バビロンにて病死する。アレクサンドロスによって王朝を滅ぼされ,その精神的首都を破壊されたペルシア人,特にゾロアスター教徒たちは,アレクサンドロスの死後も彼に対する恨みを何世紀も抱き続けた。世界秩序を乱した西方からの侵略者に対するこの憎しみの感情は,ギリシア支配への反発やローマとの抗争と複雑に絡み合い,決して薄れることはなかった。ササン朝起源のゾロアスター教伝承を見ると,アレクサンドロスは悪の象徴アフリマンの使い,破壊者,そしてイラン人の仇敵として登場する。彼は,イランに災いをもたらす「悪」を代表する強力な一員として,完全にゾロアスター教の二元論的な世界の中に取り込まれている。しかし,いわゆる「アレクサンドロス・ロマンス」が西方からイランに伝わり,またイランのイスラム化が進むに従って,アレクサンドロスは次第に英雄として描かれるようになる。このイメージの変化の第一段階では,あの憎い敵であったはずのアレクサンドロスが,ペルシア王の息子であり,ダーラー(ダレイオス3世)の異母兄弟であり,ペルシアの王朝の正当な継承者であると見做されるようになる。現存する文献の中では,ディーナワリー(895/6没)の『長史』がこの話を最も早くに取り上げている。この説は,この頃には中東各地にすでに流布していた「アレクサンドロス物語」の主人公の出生に関するエピソードにヒントを得ている。アレクサンドリアで編纂されたというこの物語によるとアレクサンドロスは,エジプトの王ネクタネボスとアレクサンドロスの母オリンピアスの間に生まれた息子ということになっている。これをもとにペルシア人たちは,フィリッポスの娘がペルンア王に嫁いだが体臭のために嫌われ,身ごもったまま追い返された,という逸話を作り出し,偉大な世界征服者として知られるアレクサンドロスを自分達の祖先の一人にしてしまった。これは,イスラム化によってゾロアスター教の影が薄れ,かつてのゾロアスター教徒たちが抱いていたようなアレクサンドロスに対する恨みが忘れられていったために可能になったことであった。また,支配者の正統性を重んじるイランの「シーア派的」傾向の表れであるのかもしれない。フィルドウスィーの『シャー・ナーメ(王書)』(980-1010頃)の中にも同じ話が含まれている。アレクサンドロスは伝説的なカーヤーニー朝のダーラーブ,ダーラーに続く公正な王として描かれており,否定的なイメージはないようにみえる。しかし,フィルドウスィーの王書において,アレクサンドロスはルーム(ギリシア,ローマを指す)出身のキリスト教徒であるとされている。そしてこの作品の中では,富みを連想させるルームと,臆病者あるいは卑怯者の宗教とされるキリスト教は,敵視ないしは蔑視されている。またさらに,ホスロウ・パルヴィーズがルームのカイサルに送る手紙の中では,イランとルームの二つの王国の和解を妨げる「古い憎しみ」と「新しい憎しみ」は,アレクサンドロスが一部その責めを負うべきものであると書かれている。このような点を考慮すると,『シャー・ナーメ』においてアレクサンドロスが,国民的ヒーローとして完全に受け入れられているわけではないことがわかる。一見すると英雄伝説の主人公としての特徴を全て備え持っているが,過去の王朝の栄華を讃えるためにその王朝を滅ぼした張本人を導入するという根本的な矛盾が,その描写の中に見え隠れしている。アレクサンドロスのイメージは,12世紀の大詩人ニザーミーの『イスカングルナーメ(アレクサンドロスの書)』においてさらに一転している。1200年頃に書かれたこの作品は二部に分かれており,第一部『シャラフナーメ(栄誉の書)』はアレクサンドロスを偉大な王としてまた戦士として描いたものであり,第二部『イクバールナーメ(幸運の書)』は彼を賢人としてまた予言者の一人として讃えたものである。特に『シャラフナーメ』において彼は,神の命を受け「アブラハムの教え」の布教に努める戦士とされており,彼はイラン中の拝火教徒に聖戦を挑み,彼らの拝火殿を残らず破壊してしまう。彼による拝火殿の破壊は,全く正当な行為であるどころか,その偉業のひとつとされている。ニザーミーのアレクサンドロスはペルシアの王の息子ではなくフィリッポスの息子であり,さらに彼にはアブラハムまで逆上る家系が与えられている。彼のイラン支配の「正統性」を裏付けるのはペルンア王の血ではなく,宗教そのものであり,神である。ニザーミーはアレクサンドロスの遠征の物語を借りて,究極のイスラム共同体-「他民族国家を一人のカリフが一つのシャリーアのもとに統治するというウンマの理想的形態」(「ウンマ」『イスラム事典』中村広治郎)-を描こうとしたのではなかろうか。このようにイランの宗教書,歴史書,文学作品などの中に表れたアレクサンドロスのイメージというものは,時代の流れと共に大きく変容してきた。ササン朝から13世紀初めのモンゴル族征服の直前にいたるまでの千年の間に,イランにおけるアレクサンドロス像は,邪悪な破壊者から,イラン人の血を引いた正統な王の一人となり,さらにはイスラム的英雄となっていった。逆に言えば,イランの文学の中に表れるアレクサンドロス像の変化は,イランの各時代の宗教意識や民族意識の変化を反映しているともいえよう。まさに,「世界を映すアレクサンドロスの鏡」のように。
著者
山中 由里子
出版者
千里文化財団
雑誌
季刊民族学 (ISSN:03890333)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.72-78, 2021-10
著者
山中 由里子
出版者
日本比較文学会
雑誌
比較文学 (ISSN:04408039)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.117-128, 1993-03-31 (Released:2017-06-17)

In 1879 in St. Petersburg, Nâser al-Din Shāh of Persia, on his way home from Europe, received the Japanese Ambassador Plenipotentiary to Russia, Enomoto Takeaki, in audience and expressed his intention of entering into diplomatic and commercial relations with Japan. Upon his return to Japan, Enomoto suggested the dispatch of a mission, and a small delegation headed by Yoshida Masaharu of the Ministry of Foreign Affairs accompanied by Noriyoshi Furukawa of the General Staff Office, Yokoyama Magoichiro and Tuchida Masajiro of Okura and Co., and four other merchants was sent to Iran in 1880. This delegation was entrusted with only commercial research on the Persian trade. Travel books published by both Yoshida and Furukawa record their hard journey through Iran, introduce the Iranian culture, history, and religion (which was virtually unknown to the Japanese at that time), as well as give valuable information on the domestic situation in Qajar Persia. In this paper I shall compare the experience of the Iwakura delegation, who visited Europe and the United States, to that of Yoshida, who visited Iran which was, like Meiji Japan, still in the process of modernization. Unlike the Iwakura delegation, Yoshida’s mission did not bring back any practical information for the modernization of Japan. However, in Iran, Yoshida had a chance to actually witness serious problems which resulted from the superficial imitation of western culture, and he realized the dangers that his own country could face, of losing its own identity in the process of modernization. Historically, Asia has long been a menace to Australia, a white nation isolated in the Asiatic quarter of the world. Porter could be said to have expressed this typical feeling, whereas Herbert seeks rather for the means to unite his home with Asia, in the search for a new Australian identity.
著者
橋本 順光 山中 由里子 西原 大輔 須藤 直人 李 建志 鈴木 禎宏 大東 和重 児島 由理
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

座標軸として和辻哲郎の『風土』(1935)を旅行記として注目することで、漫遊記を多く生み出した欧州航路、旅行者と移民の双方を運んだ南洋航路、そして主に労働者を「内地」へ供給した朝鮮航路と、性格の異なる三つの航路の記録を対比し、戦間期日本の心象地図の一側面を明らかにすることができた。和辻の『風土』が展開した文明論は、戦間期の旅行記という文脈に置くことで、心象地図という抽象化と類型化に大きく棹さした可能性が明らかになった。
著者
山中 由里子 Yuriko Yamanaka
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.27, no.3, pp.395-481, 2003-03-24

西アジアに伝わるアレクサンドロス大王に関する言説は,イスラームという信仰と不可分な関係にある。アラブ・ペルシア文学におけるアレクサンドロスは,宗教書においてのみならず,歴史書や叙事詩においても敬虔な信徒,神に特別な権威を与えられた真の教えの布教者,聖戦の闘士,そして預言者として描かれている。 本論文ではまず,アレクサンドロスが中世イスラーム世界においてこのように神聖視されるにいたった背景を明らかにするため,『コーラン』第18章「洞窟」に登場する二本角とアレクサンドロス伝説との関連を指摘し,また,イスラームに先行する一神教であるユダヤ・キリスト教がその宗教説話の中にアレクサンドロスを取り入れた経緯を辿る。 さらに,コーラン注釈書,預言者伝集,歴史書,韻文アレクサンドロス物語など,様々な分野のアラビア語・ペルシア語作品から具体的なテキストを採り上げ,それらを分析し,より象徴的・寓意的な存在である二本角と歴史的コンテキストの中のアレクサンドロスの微妙で密接な相関関係について考察する。 最後に,中国や日本の文献にまで伝わった二本角伝承にも触れる。
著者
石井 辰典 中分 遥 柳澤 田実 五十里 翔吾 藤井 修平 山中 由里子
出版者
公益社団法人 日本心理学会
雑誌
日本心理学会大会発表論文集 日本心理学会第85回大会 (ISSN:24337609)
巻号頁・発行日
pp.SS-017, 2021 (Released:2022-03-30)

宗教は,人類史において私たちと切り離せないものであったと言える。宗教に関する学問は様々あるが,近年西洋圏で急速に発展してきたのが宗教認知科学,すなわち認知科学・進化科学の観点から,なぜ宗教が人間社会に普遍的に見られるのか,また世代を超えて受け継がれるのかを解明しようとする学際的分野である。ただその理論・仮説の文化普遍性は必ずしも検証が十分とは言えない。主に一神教世界の研究者たちが構築してきた理論を,非一神教世界の理解のために無批判に適用してよいのだろうか? そこには一神教的な自然観を前提とした文化的バイアスがかかっていないだろうか? これを問うために本シンポジウムでは,まず日本で宗教認知科学研究を進めてきた研究者に自身の研究を紹介してもらい知見を蓄積する。そして指定討論者には「超常認識」や「想像界の生きもの」の比較文化プロジェクトに携わり「人はなぜモンスターを想像するのか」について多くの論考をお持ちの山中由里子(専門:比較文学比較文化)を迎え,コメントをいただく。この異分野間の対話を通じて,宗教認知科学で問われる宗教的概念・信念の文化的相違点について議論を深めたい。
著者
大沼 由布 山中 由里子 黒川 正剛
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

本研究では、博物誌・百科事典の本文を比較・分析することにより、動物・植物・鉱物等についての博物学的記述が、古代ギリシア・ローマから、イングランドを初め、フランスやドイツ等のヨーロッパ中世に、どのように受け継がれていったかを分析する。さらに、ヨーロッパ中世の博物学的知識が、どのように中世イスラーム世界からの影響を受けたか、また、どのように近世ヨーロッパへとつながっていったかをあわせて考察する。そして、それらを通し、時代や地域を限定した局地的な知のあり方ではなく、古代から中近世ヨーロッパという時代的な広がりや、ヨーロッパと中東という地域的広がりをカバーし、当時の知識のあり方を総合的に浮かび上がらせることを目的とする。本年度は、西洋の古代中世近世、イスラーム中世の百科事典や博物誌の分類と枠組みとを確認し、今後の具体例検討の共通基盤とした。西洋古代及び中世を大沼、西洋近世を黒川、イスラーム中世を山中が担当し、それぞれの担当する地域と時代における代表的な資料を数例取り上げて分析した。編纂意図としては、大きく分けて、自然界を知ることと、神への理解を深めることの二つが見られ、時代や地域によってそれらの比重の変化が見られた。また、典拠の扱いや記述の方法についても同様である。分類と枠組みに関しては、個々の作品による差が予想より大きかった一方、時代を超えた意外な共通点もあり、年度末に行った打ち合わせの結果、分類に関する新たな発見数点を、年度をまたいで、さらなる分析の対象とすることにした。
著者
山中 由里子
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

イスラーム世界の拡大とともに、統治や旅行のために必要な情報が9世紀後半頃からアラビア語の地理書・旅行記にまとめられ、さらに中央アジア、インド、中国、東南アジア、あるいはアフリカといった周縁の地に対する好奇心や知識欲も増大し、「驚異譚」の類も現れた。これらの書の中でアレクサンドロスが、既知の世界と未知の世界を結び、異境の地に関する情報をもたらした偉人という重要なトポスとして繰り返し登場することを明らかにした。
著者
山中 由里子 池上 俊一 大沼 由布 杉田 英明 見市 雅俊 守川 知子 橋本 隆夫 金沢 百枝 亀谷 学 黒川 正剛 小宮 正安 菅瀬 晶子 鈴木 英明 武田 雅哉 二宮 文子 林 則仁 松田 隆美 宮下 遼 小倉 智史 小林 一枝 辻 明日香 家島 彦一
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

中世ヨーロッパでは、辺境・異界・太古の怪異な事物、生き物、あるいは現象はラテン語でミラビリアと呼ばれた。一方、中世イスラーム世界においては、未知の世界の摩訶不思議は、アラビア語・ペルシア語でアジャーイブと呼ばれ、旅行記や博物誌などに記録された。いずれも「驚異、驚異的なもの」を意味するミラビリアとアジャーイブは、似た語源を持つだけでなく、内容にも類似する点が多い。本研究では、古代世界から継承された自然科学・地理学・博物学の知識、ユーラシアに広く流布した物語群、一神教的世界観といった、双方が共有する基盤を明らかにし、複雑に絡み合うヨーロッパと中東の精神史を相対的かつ大局的に捉えた。
著者
藤元 優子 藤井 守男 山岸 智子 ターヘリー ザフラー 佐々木 あや乃 竹原 新 アーベディーシャール カームヤール 佐々木 あや乃 鈴木 珠里 竹原 新 タンハー ザフラー ターヘリー 藤井 守男 前田 君江 山岸 智子 山中 由里子
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究はイランにおける多様な文学的言説を、ジェンダーを分析的に用いて総合的に検証することで、文化的周縁に置かれ、常に歪められてきたイラン女性の実像を明らかにし、ひいてはイスラーム世界に対する認識の刷新を図ろうとした。古典から現代までの文学作品のみならず、民間歌謡、民話、祭祀や宗教儀礼をも対象とした多様なテクストの分析を通して、複数の時代・階層・ジェンダーにまたがる女性の文学的言説の豊潤な蓄積を立証することができた。