- 著者
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松下 孝昭
- 出版者
- 公益財団法人 史学会
- 雑誌
- 史学雑誌 (ISSN:00182478)
- 巻号頁・発行日
- vol.130, no.3, pp.1-31, 2021 (Released:2022-03-20)
本稿は、近年盛んになりつつある「軍隊と地域」研究の一環として、日露戦争後の軍拡期に第十三師団が立地した新潟県中頸城郡高田町(現上越市)を対象とし、地方都市が地域振興のために敷地を献納してまで軍隊を誘致し、軍隊と共存しうる市街地の改造に努めつつも、様々な負担の重圧から政治的・財政的混乱を引き起こしてしまう経緯を解明することを目的とする。
前半では、高田町がすべての敷地の献納を公約して師団の立地を得たものの、敷地買収のための公借金が過重であることに加え、政友会との政治的な対立の中に投じられ、師団誘致を進めてきた非政友系町長の辞職を余儀なくされるなどの混乱を引き起こしてしてしまう経緯を追った。また、高田町の負担額は陸軍省によっていくぶん軽減されたものの、新たに小学校の増改築にも迫られ、長期債への借り換えによってかろうじて財政破綻は回避された。しかし、その償還費が以後の町財政を圧迫して新規事業に着手できなくなったほか、償還財源は戸別割や所得税割の重課に依存せざるを得ないため、低所得層住民や転入してきた将校らにも負担が転嫁されていく経緯について明らかにした。
後半では、こうした財政難の中でも、停車場拡張や将校住宅の建設、屠獣場の新設など、師団と共存するための市街地の改造に迫られる諸相について見ていく。とりわけ、行軍に必要な道路の開削や拡張の負担については、師団側と町当局の間であつれきが生じ、結局町道に編入して維持管理が高田町に負わされることとなった。市街地中心部にあった遊廓は師団立地を機に郊外に移転されたが、一方では市内に私娼窟を存置させる結果ともなった。また、師団・町当局の双方が求める最大の都市インフラである水道の敷設は、敷地献納費に来由する長期債の償還が市財政を圧迫している間は着手できず、一九二〇年代を待たなければならなかったのである。