著者
森 勇一
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.43-61, 2020-04-01 (Released:2020-04-25)
参考文献数
56

本研究は,遺跡から発見された昆虫化石を用いて先史~歴史時代の人々がどのような環境下でどのように生活していたか,また遺跡から見つかった昆虫から古代の人々が何を食べ,どんな仕事を行っていたか考察したものである.縄文時代中期の埼玉県デーノタメ遺跡では,ヒトが植栽した果樹や畑作物などを加害する食植性昆虫を多産した.当時の人々が自然植生を作り変え,集落の周りに有用植物を植栽していたと考えられる.中世の愛知県清洲城下町遺跡からコクゾウムシ・ノコギリヒラタムシなど貯穀性昆虫を多産する遺構が確認され,その周辺に穀物貯蔵施設が存在したことが示された.岐阜県宮ノ前遺跡における晩氷期の昆虫群集を調べ,植物化石で推定された古環境と昆虫化石で得られた古環境にタイムラグがあることを明らかにした.平安時代の山形県馳上遺跡からウルシに絡めとられた昆虫が見つかり,これが厳冬期にのみ成虫が現れるニッポンガガンボダマシと同定された.この結果,当時の人々が冬季に漆塗り作業を行っていたことが示された.縄文時代中・後期の青森県最花遺跡および同県富ノ沢(2)遺跡の土器片から2点の幼虫圧痕が検出され,1点がキマワリ,もう1点がカミキリムシの仲間と同定された.両者とも土器製作現場に生息することがないため,ヒトが食材など何らかの目的をもって採集したものであるとした.青森県三内丸山遺跡(縄文時代前期)のニワトコ種子集積層から見つかったサナギがショウジョウバエと同定されたことから,この種子集積層は酒造りに利用されたものと推定した.天明3(1783)年の浅間泥流に襲われた群馬県町遺跡より穀物にまぎれたゴミムシダマシが確認され,ゴミムシダマシが貯穀害虫であったことが示された.
著者
森 勇一
出版者
都市有害生物管理学会
雑誌
家屋害虫 (ISSN:0912974X)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.23-40, 2001-07-30
被引用文献数
1

文明の進展に伴って人が集中居住するようになり,都市が生まれた.都市には,人の生活や生産に関わる生活ゴミや汚物・産業廃棄物が集積され,これらはやがて自然界に大量廃棄されることとなった.昆虫の中のいくつかは,こうした人為度の高い環境に適応するため,食性やライフスタイルを変化させるものが現れた.いわゆる都市型昆虫である.今から約5,000年前の縄文時代前期の頃,青森県三内丸山遺跡では,汚物や生活ゴミに集まるハエ類や食糞性昆虫を多産した.この結果,日本における都市型昆虫のルーツは縄文時代にまで遡ることが明らかになった.本遺跡では,果実酒造りに利用されたと考えられる種子集積層が確認され,この中からショウジョウバエDrosophilidaeのサナギが多量に見いだされた.発酵物に群がる食品害虫の前身は,縄文時代前期の三内丸山遺跡に求めることができる.いっぽう,中国湖南省の城頭山遺跡では,約5,000年前にはすでに城壁と大環濠に囲まれた都城が建造され,この中に多くの人々が居住していた.環濠に堆積した地層中から見つかった多くの都市型昆虫の出現から,その繁栄ぶりが窺われる.時代が下り,弥生時代中期(約2,000年前)の愛知県朝日遺跡,奈良時代の静岡県川合遺跡では,人の集中居住やこれに伴う環境汚染を物語る食糞性昆虫や食屍性昆虫を多産した.また,中世後期の愛知県清洲城下町遺跡からは,コクゾウSitophilus zeamaisやノコギリヒラタムシOryzaephilus surinamensisなどの貯穀性害虫が見いだされ,穀物の貯蔵施設に関する情報が得られている.
著者
森 勇一 宇佐美 徹 齋藤 めぐみ
出版者
日本珪藻学会
雑誌
Diatom (ISSN:09119310)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.75-85, 2014-06-06 (Released:2014-05-10)
参考文献数
46

Diatom assemblages in the Kameyama Formation of the Mid-Pliocene Tokai Group and distributed in Tsu City, Mie Prefecture, central Japan are investigated. They consist of 109 taxa in 49 genera, and are characterized by an mixture of both freshwater and marine diatoms. Among them, freshwater planktonic species Aulacoseira praeislandica (including A. praeislandica f. curvata) is predominant, and the marine species Schuettia annulata is subordinate. The mixed flora may suggest that the Kameyama Formation was deposited in a lake-like condition, which was invaded intermittently by seawater in the Mid-Pliocene. This marine invasion may be caused by both local and global settings: this area was located at the southernmost end of the Tokai Group sedimentary basin, and the global climate at this time was warm and the sea level was high.
著者
安田 喜憲 笠谷 和比古 平尾 良光 宇野 隆夫 竹村 恵二 福澤 仁之 林田 明 斉藤 めぐみ 山田 和芳 外山 秀一 松下 孝幸 藤木 利之 那須 浩郎 森 勇一 篠塚 良司 五反田 克也 赤山 容造 野嶋 洋子 宮塚 翔 LI Xun VOEUM Vuthy PHOEURN Chuch
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2006

年縞の解析による高精度の気候変動の復元によって、モンスーンアジアの稲作漁撈文明の興亡が、気候変動からいかなる影響を受けたかを解明した。とりわけメコン文明の一つであるカンボジアのクメール文明の興亡については、プンスナイ遺跡の発掘調査を実施し、水の祭壇をはじめ、数々の新事実の発見を行った。稲作漁撈文明は水の文明でありアンコールワットの文明崩壊にも、気候変動が大きな役割を果たしていたことを明らかにした。