著者
安田 喜憲
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.171-211, 1990-03-10

和辻哲郎によって先鞭がつけられた日本文化風土論は、第二次世界大戦の敗戦を契機として、挫折した。形成期から発展期へ至る道が、敗戦で頓挫した。しかし、和辻以来の伝統は、環境論を重視する戦後日本の地理学者の中に、細々としてではあるが受け継がれてきた。戦後四〇年、国際化時代の到来で、再び日本文化風土論は、地球時代の文明論を牽引する有力な文化論として注目を浴びはじめた。とりわけ東洋的自然観・生命観に立脚した風土論の展開が、この混迷した地球環境と文明の未来を救済するために、待望されている。
著者
安田 喜憲
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.205-272, 1989-05-21

インダス文明は、四五〇〇年前、突然といってよいほどに、インダス川の中・下流域に出現する。そして、三五〇〇年前頃、この文明は崩壊する。こうしたインダス文明の劇的な盛衰をもたらした自然史的背景に、ヒマラヤの気候変動が、深く関わっていることが、明らかとなった。西ネパールのララ湖の花粉分析の結果は、約四七〇〇年前以降、ヒマラヤの気候が冷涼化し、冬の積雪量が増加したことを、明らかにした。一方、冷涼化によって、南西モンスーンは弱化し夏雨は減少した。冬作物中心の原始的な灌漑農業は、インダス文明発展の基盤を形成していた。積雪量の増加は、冬作物にとって必要な春先の灌漑水を、安定的に供給し、インダス文明発展の契機をもたらした。夏雨の減少は、人々をインダス川のほとりに集中させた。こうしたインダス川沿いへの人口の集中は、文明発展の重要な契機となった。インダス文明は、三八〇〇年前以降、衰退期にはいる。日本を含めたユーラシア大陸の花粉分析の結果は、約四〇〇〇年前以降の気候の温暖化を指摘している。この温暖化は、ヒマラヤの積雪量を減少させ、春先の流出量の減少をもたらした。このヒマラヤから流出する河川の春先の流量の減少が、冬作物中心の農業に生産の基盤を置いたインダス文明に、壊滅的打撃を与えた。日本の縄文時代中期の文化も、五〇〇〇年前に始まる気候悪化を契機として、発展した。日本列島の気候は、五〇〇〇年前以降、冷涼・湿潤化した。とりわけ、海面の低下と沖積上部砂層の発達により、内湾の環境が悪化した。縄文人は内陸の資源を求めて、中部山岳などに移動集中した。この人口の集中が、縄文中期内陸文化の発展をもたらす契機となった。インダス文明と縄文中期文化の盛衰には、五〇〇〇-四〇〇〇年前の気候変動が、深い影を落としている。
著者
宮本 真二 安田 喜憲 北川 浩之
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.104, no.6, pp.865-873, 1995-12-10 (Released:2009-11-12)
参考文献数
13
被引用文献数
1 2

A continuous long core of peaty sediments bored from the Naka-Ikemi Moor Central Japan (lat. 35°39' N., long. 136°5' E.), contains records of paleoenvironmental changes during the Last Glacial and Holocene periods. The Naka-Ikemi Moor stretches about 1.3 km from the west to east. This peculiar shapes and crustal movements had been pointed out by purely from a topographical point of view. And this moor is regarded as a waste-filled valley created by sort of tectonic depression at the eastern part of the Tsuruga Plain. From the stratigraphical examination, some volcanic ashes were detected as follows : Kikai-Akahoya Tephra (K-Ah : 6.3 ka), Aira-Tn Tephra (AT : 24 ka), Daisen Kurayoshi Tephra (DKP : ca. 50 ka). Values of bulk density measurements and radiocarbon dates of core samples indicate that the Naka-Ikemi core samples contain continuous records for the past 50 ka. The average sedimentation rate of Naka-Ikemi Moor was increased after the fall of AT volcanic ash had occurred. The sedimen tation process of Naka-Ikemi Moor has also been clarified by sedimentary facies and value of loss on ignition of core samples. Value of loss on ignition began to increase since the end of Last Glacial, suggesting the increase of organic material caused by environmental changes.
著者
安田 喜憲
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.101-123, 1997-09-30

ギルガメシュ叙事詩は四六〇〇年前にメソポタミヤ南部で書かれた人類最古の叙事詩である。この叙事詩のメインテーマはウルクの王ギルガメシュと友人エンキドゥが、森の神フンババを殺す物語である。フンババはメソポタミヤの神エンリルに命ぜられてレバノンスギの森を数千年の間守ってきた。そこに青銅の斧をもったギルガメシュとエンキドゥがやってきた。フンババは怒り狂い口から炎を出して襲いかかった。しかしギルガメシュたちは強く、とうとうフンババは殺されてしまった。フンババの森の神を殺したことによって、ギルガメシュはレバノンスギを自由に手に入れることができた。人類が最初に書いた物語は森林破壊の物語だった。フンババの殺害を知ったエンリルは激怒し、大地を炎にかえ、食べ物を焼き尽くすという。すでにギルガメシュ叙事詩の作者は森林破壊の恐ろしさを知っていたのである。フンババが殺されてから三〇〇〇年後、日本では八世紀に日本書紀が編纂された。その日本書紀のなかにスサノオノミコトとイタケルノミコトの物語が書かれている。二人は新羅国より日本にやってきて、スサノオノミコトは髭からスギを胸毛からヒノキを産みだし、イタケルは持ってきた木の種を九州からはじめて日本全土に播いた。この功績で紀ノ国に神としてまつられた。この二つの神話にかたられる神の行動はあまりにも相違している。ギルガメシュはフンババを殺しレバノンスギの森を破壊した。スサノオノミコトとイタケルノミコトは木を作りだし木を植えた。この神話の相違は花粉分析の結果から復元した両地域の森林の変遷にみごとに反映されていた。フンババの森の神を殺したメソポタミヤや地中海沿岸では森はすでに八六〇〇年前から大規模に破壊され、五〇〇〇年前にはアスサリエ山などのメソポタミヤ低地に面した山の斜面からはほとんど森が消滅していた。そして森は二度と回復することはなかった。これにたいし、日本でもたしかに森は破壊された。しかし、八―一〇世紀の段階で、すでに植林活動が始まっていた。このためいったん破壊された後地にふたたび森が回復してきた。日本では今日においても国土の六七パーセントもが森に覆われている。二つの神話はそののちの二つの地域がたどる森の歴史をみごとに予言していた。フンババの森の神を殺したメソポタミヤでは森という森はことごとく消滅し文明も崩壊した。これにたいしスサノオノミコトとイタケルノミコトが森を植えた日本は、今日においても深い森におおわれ繁栄を享受しているのである。
著者
奥田 昌明 安田 喜憲 瀬戸口 烈司
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.287-295, 1999-08-01

ギリシャ南島部コパイ湖の最終氷期に多産するキク亜科化石花粉について詳細な研究を行った結果,おもに<i>Matricaria</i>型および<i>Centaurea</i>から構成されていることが明らかとなった.この組成は,トルコのアナトリア高原南西部から報告されている後氷期の花粉組成ときわめてよく似ている.このことは,トルコの高原地帯における完新世の植生が,ギリシャ南部海岸低地における最終氷期植生の相似型となりうる可能性を示している.
著者
安田 喜憲
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.94, no.7, pp.586-594, 1986-01-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
59
被引用文献数
1 1
著者
安田 喜憲
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.21, no.3, pp.255-271, 1982-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
43
被引用文献数
30 36

Pollen analytical examination is carried out using the 32.2m core taken from a bottom of the Lake Mikata which is located in Fukui Prefecture (35°33′32″N.L.. 135°53′40″ E.L.). From the result of pollen analysis, 10 local pollen zones can be distinguished that is from lower upward MG (I, II, III), FG (I, II, III, IV, V), L and R. Each local pollen zone is sub-divided into several sub-zones.MG I and II zones (ca. 50, 000-41, 000B.P. years) are characterized by stabilized high values of Cryptomeria and Alnus suggesting cool and damper climate. This period is correlated with Port Talbot Interstadial in North America.MG III zone (ca. 41, 000-35, 000B.P. years) starts with short cold epoch which is defined by temporal increase of Tsuga. After this temporal cold epoch, frequency values of Cryptomeria shows unstability decreasing upward, on the other hand, Tsuga increases upward. This period is a transitional period from Interstadial to Pleniglacial.FG zone (ca. 35, 000-15, 000B.P. years) is marked by a decline of Cryptomeria with increase of Tsuga, Abies, Picea, Pinus Haploxylon and grass pollen like Artemisia, Thalictrum, Polygonum and Compositae indicating cold and dry climate. This zone is roughly subdivided into three characteristic periods.FG I zone (ca. 35, 000-31, 000B.P. years) is characterized by high values of Tsuga and other sub-alpine coniferous trees suggesting cold and dry climate.FG II zone (ca. 31, 000-24, 000B.P. years) is defined by increase of pioneer trees like Betula, Salix and Alnus replacing Tsuga. This zone occupies a relatively warm epoch and correlates with Plum Point Interstadial in North America.FG III, IV, V zones (ca. 24, 000-15, 000B.P. years) are dominated by Tsuga, Picea, Abies and Pinus Haploxylon indicating cold and dry climate. But the climate at FG IV zone (ca. 20, 000-18, 000B.P. years) shows wetter condition than those of FG III (ca. 24, 000-20, 000B.P. years) and FG V (ca. 18, 000-15, 000B.P. years) zones.L zone is defined by the decrease of Tsuga, Picea, Abies and Pinus Haploxylon with increase of Quercus and Alnus suggesting a climatic ameriolation. The opening of this zone is dated at 15, 000B.P. years.R zone is characterized by the sudden decrease of Tsuga, Picea, Abies and Pinus Haploxylon with the sudden increase of temperate trees like Fagus, Quercus, Juglans and Carpinus. Grass pollen also decreases suggesting the development of dense temperate broad-leaved forest under warm and moist climatic condition. The opening of this R zone is dated in 10, 000B.P. years.
著者
安田 喜憲
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.491-525, 2007-05
被引用文献数
1

食物の獲得は気候に左右される。ある人々の集団が何を食物とするかは、その人々が居住する土地の気候により決まる。例えば、アジアのモンスーン地域では、年間平均二〇〇〇ミリを超える降雨量は夏季に集中する。このような気候に適する穀物は米である。また豊かな水量は、河川での漁業を盛んにし、流域の人々にタンパク源を供給することを意味する。こうしてアジア・モンスーン地域の稲作漁撈民は、米と魚を食料とする生活様式を確立してきたのである。しかしこうした生活様式は、年間平均雨量が少なく、主に冬季に降雨が集中する西アジアの住民には受け入れられない。この型の気候では、小麦が主たる穀物となるのである。しかも河川での漁獲量は少なく、人々は羊、ヤギを飼育して、その肉をもってタンパク源とする畑作牧畜民のライフスタイルをとらざるをえない。この美しい地球上で、人類は気候に適した穀物の収穫を増大させることにより、豊かな生活が送れるように努力を重ねてきた。しかしこうした努力は、異なる文明間で、明らかに対照的な結果を生み出してしまったのだ。ある文明は、森林に対して回復し難い破壊をもたらした一方、またある文明は、森林や水循環系を持続可能の状態に維持することに成功している。イスラエルからメソポタミアにかけてのベルト地帯は、文明発祥の地とされている。その文明は、小麦の栽培と牧畜により維持された畑作牧畜民の文明であった。この地帯は、今から一万年前ごろまでは深い森林に覆われていたが、間断なく、広範囲にわたる破壊を受けて、今から五〇〇〇年前までに、ほとんどが消滅した。主に家畜たちが森林を食い尽してしまった。ギリシア文明最盛期の頃、ギリシアも深い森林に覆われていた。有名なデルフォイの神殿は建設当時森の中にあったのだ。しかし森林環境の破壊は、河川から海に流入する栄養素の枯渇の原因となり、プランクトンの減少により魚は餌を奪われ、地中海は"死の海"と化したのである。一二世紀以後、文明の中心はヨーロッパに移動し、中世の大規模な土地開墾が始まって、多くの森林は急速に耕地化されてしまった。一七世紀までに、イングランド、ドイツ、そしてスイスにおける森林の破壊は七〇%以上に達した。今日、ヨーロッパに見られる森林のほとんどは、一八世紀以後の植林事業の所産である。この森林破壊に加えて、一七世紀に生じた小氷河期の寒冷気候とともにペストが大流行し、ヨーロッパは食糧危機に陥った。人々はアメリカへの移住を余儀なくされ、続く三〇年の間に、アメリカの森林の八〇%が失われた。一八四〇年代、ヨーロッパ人はニュージーランドに達し、ここでも森林は急速に姿を消した。一八八〇年から一九〇〇年のわずか二〇年の短期間にニュージーランドの森林の四〇%が破壊されたのである。同じような状況は、畑作牧畜民が居住する中国北東部(満州平野)でも見られる。明朝の時代(一三六八~一六四四年)、満州平野は森林に覆われていたが、清朝(一六四四~一九一二年)発足後、北東中国平原の急激な開発とともに森林は全く姿を消してしまった。これに対し稲作漁撈民は、これまで常に慈悲の心をもって永きにわたり、生きとし生ける物すべてに思いやりの心、善隣の気持ちを示してきたのである。私はこの稲作漁撈文明のエートスでる慈悲の精神こそが、将来にわたってこの地球を救うことになると本稿で指摘する。
著者
安田 喜憲
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.113-119, 1987
被引用文献数
1

A comparative study of the Japanese pollen records to the oxgen and carbon-isotope/pollen records from the Arabian Sea, Bengal Bay and Andaman Sea suggests the following summer monsoon fluctuations since the last glacial age in Japan. Ca. 120,000-70,000 years B.P.; Monsoon is active. 70, OO0-50, OOO years B.P.; Monsoon is not active. 50,000-33,000 years B.P.; Monsoon is rather active. 33,000-12,000 years B.P.; Monsoon is not active. But from 28,000 to 25,000 years B.P. is slightly active. 12,000-10,000 years B.P.; Monsoon is to move active. after 10,000 years B.P.; Monsoon is active.
著者
福沢 仁之 FUKUSAWA Hitoshi 加藤 めぐみ KATO Megumi 山田 和芳 YAMADA Kazuyoshi 藤原 治 FUJIWARA Osamu 安田 喜憲 YASUDA Yoshinori
出版者
名古屋大学年代測定資料研究センター 天然放射性元素測定小委員会
雑誌
名古屋大学加速器質量分析計業績報告書
巻号頁・発行日
vol.9, pp.5-17, 1998-03 (Released:2010-05-18)

第10回名古屋大学タンデトロン加速器質量分析計シンポジウム(平成9 (1997)年度)報告 「最新型タンデトロン加速器質量分析計(加速器年代測定システム)による高精度・高分解能14C年代測定の利用分野・方法の開拓(II)」
著者
谷口 宏充 栗谷 豪 宮本 毅 長瀬 敏郎 菅野 均志 後藤 章夫 中川 光弘 伴 雅雄 成澤 勝 中川 光弘 奥野 充 伴 雅雄 前野 深 嶋野 岳人 板谷 徹丸 安田 喜憲 植木 貞人 古畑 徹 小嶋 芳孝
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2005

頭山およびそれを包括する蓋馬溶岩台地に関して、現地調査、衛星データー解析、採集した資料の化学分析・年代分析、国内の関連地層の調査・年代分析などの手法を用いて、白頭山10世紀巨大噴火の概要、白頭山及び蓋馬溶岩台地の火山学的な実態を明らかにしようとした。開始してから1年後に北朝鮮のミサイル問題・核開発問題などの諸問題が発生し、現地での調査や研究者との交流などの実施が徐々に困難になっていった。そのため、すでに収集していた試料の分析、衛星データーの解析及び国内での調査に研究の主力を移し、可能な限りの成果を得ようとした。その結果、近年発生している白頭山における地震多発とマグマ活動との関係、存在は知られているが分布や内容が全く未知である蓋馬溶岩台地の概要が明らかになり、更に、地下におけるマグマの成因についても一定の結論を得た。混乱状態にある白頭山10世紀噴火の年代問題をふくめ、また、北朝鮮からの論文を含め、研究成果は12編の論文として論文集にまとめられつつある。
著者
福澤 仁之 安田 喜憲 町田 洋 岩田 修二
出版者
東京都立大学
雑誌
重点領域研究
巻号頁・発行日
1995

すでに入手済みの福井県三方五湖水月湖における過去15万年間の年稿堆積物コアおよび鳥取県東郷池における過去5万年間の年稿堆積物の観察および記載を行った.その結果、1年毎に形成される年稿葉理(ラミナ)と、地震による津波や乱泥流によって形成される厚い葉理を分離し識別することが可能となった.地震による葉理はその前後の年稿に比べて、層厚が厚く粒子比重が大きいことが特徴であり、分級化構造も認められる.また、水月湖の場合には、氷期の葉理は1年に2枚の暗灰色葉理が認められることがあり、この暗灰色薄層は夏期と冬期の菱鉄鉱濃集層である.すなわち、氷期における水月湖は冬期に氷結して垂直循環が停止した可能性がある.一方、東郷池にはこのような冬期の暗灰色葉理が認められず、冬期に氷結しなかった可能性が高い.これらの事実は、湖沼の年稿堆積物を用いて編年を行なう際の留意点を示しており、今後、放射性炭素年代の測定を行なって、これらの仮定を裏付ることが是非必要である.一方、これらの年稿堆積物に含まれる風成塵鉱物の同定および定量を行って、次のことが明らかになった.1)中国大陸起源の風成塵鉱物の一つであるイライト(雲母鉱物の一種)の結晶度は、最終氷期の最寒期(ステージ2およびステージ4)において最も良好になるが、最終間氷期(エ-ミアンすなわちステージ5)においては最も不良になる.ただし、エ-ミアンの中ではほとんど結晶度の変動は認められなかった.2)イライト堆積量の変動についてみると、氷期には多いが間氷期には少ない.しかも、年稿との対比から、その変動は数年単位で急激に変動していることが明らかになった.これらの事実は、氷期から間氷期へあるいはその反対の移行期に、中国大陸へ湿潤な空気をもたらすモンスーンと、日本列島周辺に風成塵をもたらす偏西風の強度が数年間で急激に変動したことを示しており、その変動現象は注目される.
著者
安田 喜憲
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.16, pp.101-123, 1997-09-30

ギルガメシュ叙事詩は四六〇〇年前にメソポタミヤ南部で書かれた人類最古の叙事詩である。この叙事詩のメインテーマはウルクの王ギルガメシュと友人エンキドゥが、森の神フンババを殺す物語である。フンババはメソポタミヤの神エンリルに命ぜられてレバノンスギの森を数千年の間守ってきた。そこに青銅の斧をもったギルガメシュとエンキドゥがやってきた。フンババは怒り狂い口から炎を出して襲いかかった。しかしギルガメシュたちは強く、とうとうフンババは殺されてしまった。フンババの森の神を殺したことによって、ギルガメシュはレバノンスギを自由に手に入れることができた。人類が最初に書いた物語は森林破壊の物語だった。フンババの殺害を知ったエンリルは激怒し、大地を炎にかえ、食べ物を焼き尽くすという。すでにギルガメシュ叙事詩の作者は森林破壊の恐ろしさを知っていたのである。フンババが殺されてから三〇〇〇年後、日本では八世紀に日本書紀が編纂された。その日本書紀のなかにスサノオノミコトとイタケルノミコトの物語が書かれている。二人は新羅国より日本にやってきて、スサノオノミコトは髭からスギを胸毛からヒノキを産みだし、イタケルは持ってきた木の種を九州からはじめて日本全土に播いた。この功績で紀ノ国に神としてまつられた。この二つの神話にかたられる神の行動はあまりにも相違している。ギルガメシュはフンババを殺しレバノンスギの森を破壊した。スサノオノミコトとイタケルノミコトは木を作りだし木を植えた。この神話の相違は花粉分析の結果から復元した両地域の森林の変遷にみごとに反映されていた。フンババの森の神を殺したメソポタミヤや地中海沿岸では森はすでに八六〇〇年前から大規模に破壊され、五〇〇〇年前にはアスサリエ山などのメソポタミヤ低地に面した山の斜面からはほとんど森が消滅していた。そして森は二度と回復することはなかった。これにたいし、日本でもたしかに森は破壊された。しかし、八―一〇世紀の段階で、すでに植林活動が始まっていた。このためいったん破壊された後地にふたたび森が回復してきた。日本では今日においても国土の六七パーセントもが森に覆われている。二つの神話はそののちの二つの地域がたどる森の歴史をみごとに予言していた。フンババの森の神を殺したメソポタミヤでは森という森はことごとく消滅し文明も崩壊した。これにたいしスサノオノミコトとイタケルノミコトが森を植えた日本は、今日においても深い森におおわれ繁栄を享受しているのである。
著者
安田 喜憲 BOTTEMA S. VAN Zeist W. 大村 幸弘 ZEIST W. Van
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1988

1988年から1990年の3カ年のオランダ・グロ-ニンゲン大学との共同研究の結果は、以下のような特筆すべきいくつかの研究成果をえることがてきた。1)巨大な氷河時代の多雨湖の発見:トルコ最大の塩湖トゥ-ズ湖の湖岸から1989年に採取したボ-リングコアのCー14年代測定値は、地表下460ー500cmが23440±270年前、940ー970cmが32300+600ー550年前、1570ー1600cmが35850+1150ー1000年前であった。花粉と珪藻分析の結果,20000年前以前のトゥ-ズ湖周辺はアカザ科やヨモギ属の広大な草原であり、当時の湖は淡水でかつ水位も現在より数メト-ル高位にあったことがわかった。これまで湖岸段丘の分布から氷河時代にはアナトリア高原に巨大な多雨湖が存在したという地形学者らの推定を立証した。2)5000年前の都市文明を誕生させた気候変動の発見:ギリシアのホトウサ湿原、コロネ湿原、カトウナ湿原のCー14年代測定、花粉分析の結果から、、都市文明誕生期の5000年前が気候変動期に相当していることを解明した。5000年前以降の気候の寒冷化にともない、ギリシアやアナトリア高原は湿潤化した。これに反して、メソポタミア低地やナイル川低地は乾燥化した。この乾燥化が人々を大河沿いに集中させ、都市文明誕生の契機を作った。またアナトリア高原の湿潤化はユ-フラテス川下流域に大洪水をもたらした可能性が指摘できた。3)アレキサンダ-大王の侵略を容易にした気候変動の発見:カマンカレホユック遺跡の北西井戸より採取した泥土のCー14年代測定結果と花粉分析の結果はCー14年代2160±50年前の層準を境として、周辺の環境が著しく乾燥化することを明かにした。ミダス王墓がつくられたフリギア時代のアナトリア高原は現在よりも湿った湿潤な気候が支配していた。ところが約2200年前のヘレニズム時代以降、アナトリアは乾燥化した。同じ傾向はシリアやエジプトでもみられた。アレキサンダ-大王がなぜかくも短期間にかつ広大な面積を征服できたかは、人類史の一つの謎であるが、この気候の乾燥化がトルコや小アジアの人々の生活を困窮させアレキサンダ-大王が侵略する以前にすでに小アジアからインダス地域の人々は疲弊していた可能性がたかい。それゆえに征服も容易であったのではないかと言う点が指摘できた。4)消えた森林の発見:アナトリア高原やギリシアには、かってナラ類やマツ類を中心とする立派な森が存在したことが、ギリシア・トルコの花粉分析の結果明白となった。またシリアのエルル-ジュ湿原の花粉分析結果はレバノンスギの森が3000年前まで存在したことを解明した。これらの森は全て人間の森林破壊の結果消滅した。5)研究成果の報告会:1991年2月22ー24日、中近東文化センタ-カマンカレホユック遺跡の調査成果報告会を実施した。公開報告会には200名を超える一般参加者があり、大村はカマンカレホユック遺跡の考古学的発掘成果について、安田はアナトリア高原の古環境復元の試みについて発表した。1991年2月27日には国際日本文化研究センタ-での「Environment and Civilizations in the Middle East」と題した公開シンポジウムを実施した。シンポジウムには北海道から九州まで52名の研究者の参加があり、ZEISTは“Origin and development of plant cultivation in the Near East",BOTTEMAは“Vegetation and environmentin the prehistoricーearly historic period in the Eastern Mediterranean"の発表をおこない安田が総括した。6)単行本の刊行:研究成果をいくつかの論文に発表するとともに、研究成果を広く一般に普及するため単行本を刊行した。安田は5冊、大村,ZEIST,BOTTEMAはそれぞれ各一冊刊行した。なを公開シンポジウムの報告はJapan Reviewに特集として英文で報告の予定である。
著者
安田 喜憲 笠谷 和比古 平尾 良光 宇野 隆夫 竹村 恵二 福澤 仁之 林田 明 斉藤 めぐみ 山田 和芳 外山 秀一 松下 孝幸 藤木 利之 那須 浩郎 森 勇一 篠塚 良司 五反田 克也 赤山 容造 野嶋 洋子 宮塚 翔 LI Xun VOEUM Vuthy PHOEURN Chuch
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2006

年縞の解析による高精度の気候変動の復元によって、モンスーンアジアの稲作漁撈文明の興亡が、気候変動からいかなる影響を受けたかを解明した。とりわけメコン文明の一つであるカンボジアのクメール文明の興亡については、プンスナイ遺跡の発掘調査を実施し、水の祭壇をはじめ、数々の新事実の発見を行った。稲作漁撈文明は水の文明でありアンコールワットの文明崩壊にも、気候変動が大きな役割を果たしていたことを明らかにした。