著者
井村 隆介
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.161-168, 2016-08-01 (Released:2016-10-07)
参考文献数
14
被引用文献数
1

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震以降,日本各地で地域防災計画や防災教育の見直しが行われている.防災教育は,普段の学校の教育システムの中で無理なく行われることが望ましい.その実施のためには,専門家だけでなく,教員や保護者,さらには地域社会の協力が必要不可欠である.子供たちには,災害への直接的な対処法ではなく,自然現象に対する正確な知識と,各人がそれに基づいて意思決定をできるように教育することが大切である.子供たちが自然の仕組みを理解することは,災害時の対応だけでなく,将来の研究者を育てることにもつながる.
著者
桒畑 光博
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.111-125, 2013-08-01 (Released:2013-09-28)
参考文献数
80
被引用文献数
3 3

鬼界アカホヤ噴火が人類に与えた影響に関する研究は,日本列島における第四紀学上の重要なテーマの一つである.この研究の基礎的な作業として,鬼界アカホヤテフラ(K-Ah)の年代に関する理化学的アプローチによる到達点を確認し,縄文土器編年との対応関係に関する研究の現状を把握した.さらに,九州縄文時代早期末~前期前半の土器型式の編年を再確認した上で,土器付着炭化物の放射性炭素(14C)年代測定値の較正暦年代を参考にして,K-Ahの年代(ca. 5,300 cal BC)を九州の縄文土器編年に対応させた.その結果,K-Ahの年代は,縄文時代早期末~前期初頭の一連の条痕文系土器群(轟A式土器および西之薗式土器)の年代幅(5,600~5,100 cal BC)に位置づけられた.
著者
森 勇一
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.43-61, 2020-04-01 (Released:2020-04-25)
参考文献数
56

本研究は,遺跡から発見された昆虫化石を用いて先史~歴史時代の人々がどのような環境下でどのように生活していたか,また遺跡から見つかった昆虫から古代の人々が何を食べ,どんな仕事を行っていたか考察したものである.縄文時代中期の埼玉県デーノタメ遺跡では,ヒトが植栽した果樹や畑作物などを加害する食植性昆虫を多産した.当時の人々が自然植生を作り変え,集落の周りに有用植物を植栽していたと考えられる.中世の愛知県清洲城下町遺跡からコクゾウムシ・ノコギリヒラタムシなど貯穀性昆虫を多産する遺構が確認され,その周辺に穀物貯蔵施設が存在したことが示された.岐阜県宮ノ前遺跡における晩氷期の昆虫群集を調べ,植物化石で推定された古環境と昆虫化石で得られた古環境にタイムラグがあることを明らかにした.平安時代の山形県馳上遺跡からウルシに絡めとられた昆虫が見つかり,これが厳冬期にのみ成虫が現れるニッポンガガンボダマシと同定された.この結果,当時の人々が冬季に漆塗り作業を行っていたことが示された.縄文時代中・後期の青森県最花遺跡および同県富ノ沢(2)遺跡の土器片から2点の幼虫圧痕が検出され,1点がキマワリ,もう1点がカミキリムシの仲間と同定された.両者とも土器製作現場に生息することがないため,ヒトが食材など何らかの目的をもって採集したものであるとした.青森県三内丸山遺跡(縄文時代前期)のニワトコ種子集積層から見つかったサナギがショウジョウバエと同定されたことから,この種子集積層は酒造りに利用されたものと推定した.天明3(1783)年の浅間泥流に襲われた群馬県町遺跡より穀物にまぎれたゴミムシダマシが確認され,ゴミムシダマシが貯穀害虫であったことが示された.
著者
小林 淳
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.327-343, 1999-08-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
41
被引用文献数
5 8

箱根火山周辺域に分布する箱根火山起源テフラ(降下軽石,火砕流堆積物)と富士火山起源テフラ,および広域テフラの層序関係を確立し,箱根火山中央火口丘の噴火活動史・火山体形成史を明らかにした.中央火口丘期の噴火活動は,新期カルデラ内に先神山(pre-Kamiyama)が形成されることにより始まった(約50ka).先神山の噴火活動は,最初,噴煙柱を形成しながら軽石を噴出していたが,徐々に軽石よりも類質岩片を多く噴出するようになり,最終的には先神山の一部が崩壊した(早川泥流CC2:約37,38ka).先神山崩壊後は,粘性の高い溶岩の大規模な流出に伴って,火砕流(block and ash flow)を頻繁に流下させながら溶岩ドームを形成する噴火様式に変化し,神山を中心とした中央火口丘群が次々と形成された.これらの結果から得られた噴出量階段図より,最近11万年間のマグマ噴出率は7.6×1011kg/kyと求められる.しかし,詳細に見ると,この噴出率は段階的に減少傾向を示していることが明らかになった.

19 0 0 0 OA 活断層

著者
松田 時彦 岡田 篤正
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.188-199, 1968-12-20 (Released:2009-08-21)
参考文献数
79
被引用文献数
12 6 13

The term “active fault (Katsu-danso)” appeared in the 1920's in papers of some geomorphologists in Japan. It has been used for faults active in Quaternary or late Quaternary, although the usage of the word “active” and its age-limit are different by authors. At any rate, the active fault is significant in geology in that the evidence of fault movements is recorded in the topography on the fault trace which enables detail analysis of the faulting, and in that the faulting might be detectable by means of geophysical methods, and it might be closely related to the occurrence of an earthquake. Recent studies in Japan showed that an active fault moves under a regionally-stressed condition of the crust, which has persisted during recent geologic time. If so, an “active fault” could be defined as a fault which is active under the present-day stress system. Then, the origin, orientation, and variation in time and space, of the “present” stress system are to be an important and fruitful research subject on the Tertiary to Quaternary tectonic history of the Japanese Islands. Some of the recent investigation on the active fault began to focus on this line.Studies of active faults in Japan have started from two points: the geological studies of the earthquake faults by geologists and the studies of the fault topography by geomorphologists.The geological studies of the earthquake fault was commenced by Koto, B. (1894) who had observed the surface break of the Mino-Owari earthquake of 1891 along the Neo Valley fault. Since then, geologists have investigated and described more than ten earthquake faults from Japan and Formosa. Particularly through the experiences of 1927- and 1930-earthquakes, it became clear that the mode of displacement along the earthquake fault during the earthquake is the same in the sense of displacement as the mode of the long-term displacement through the geologic periods. For example, Kuno, H. (1936) found that the Tanna fault which moved a few meters left-laterally during 1930 earthquake, has accumulated left-lateral displacement ca. 1000m since the middle Pleistocene.Almost independently of the geologists'works, geomorphologists had investigated the fault topography of Japan. By these studies, it had become clear before the War II that there are many fault scarps and fault valleys in this country, which have been produced probably by Quaternary faulting. Tsujimura, T. (1932) published a distribution map of topographically-recognized faults, in which 413 fault systems were registered.Recently, the geological and geomorphological studies have been jointly performed and the movement-history of some active faults in Quaternary time are clarified quantitatively (Table 1). It is also shown that many active faults hitherto considered to have only vertical displacement are strike-slip faults accompanied by lesser dip-slip components. The Atera fault (Sugimura & Matsuda, 1965), the Atotsugawa fault (Matsuda, 1966), and the Median Tectonic line (Kaneko, S., 1966; Okada, A., 1968), which was described recently, are examples.Some features of the active strike-slip faults described from Japan may be summerized as follows:A number of active faults or fault zones are present particularly in central Japan (the Chubu, Kinki, and Shikoku districts). They are, however, less than one hundred kilometers in length and a few kilometers in total displacement of the basement rocks, except for the Median Tectonic line (and probably the Itoigawa-Shizuoka Tectonic line).There is a marked regularity in the fault systems of the central Japan between the trend of faults and the sense of the displacement: the NW-trending faults are left-lateral, whereas the NE-trending faults are right-lateral. This implies that the earth's crust of the region is under the same stress system having the maximum (compressional) principal axis of approximate east-west.
著者
宮地 直道 鈴木 茂
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.25, no.3, pp.225-233, 1986-12-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
20
被引用文献数
2 3

Tephrostratigraphical and palynological studies have been done for the Ohnuma-aisawa lake deposits, distributed at the eastern foot of Fuji Volcano. The Ohnuma-aisawa lake deposits lie over the Gotemba mud flow deposits, filling in their hollow places, and consist mainly of a lower half of sand and gravel beds and an upper half of silt and peat beds. Nearly twenty tephra beds, dating after about 2200y.B.P, were found in the upper half. The stratigraphy and characteristics of the tephra are described.The condition of the ground in the area of Ohnuma-aisawa Lake became worse after the fallout of Yu-2 tephra about 2200y.B.P. The Cryptomeria forests were dominant until the 9th century in this area. However, the destruction of the forests by human activities began with the increase of Pinus after that time.
著者
林 成多
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.25-35, 2016-04-01 (Released:2017-05-12)
参考文献数
47
被引用文献数
1

日本列島の昆虫相の変遷を解明するため,鮮新世以降の昆虫化石の調査を各地で行った.その結果,鮮新世〜前期更新世には絶滅種と現生種の昆虫が共存していたことが判明した.絶滅種のほとんどは,前期更新世末〜中期更新世初頭には絶滅したと考えられる.特に化石記録の豊富なネクイハムシ亜科(コウチュウ目ハムシ科)について研究を行った結果,現生種の化石記録には,鮮新世〜前期更新世まで遡る「古い現生種」と中期更新世に出現する「新しい現生種」の存在が明らかになった.絶滅種の記録も含め,ネクイハムシ相の変遷を時代ごとに区分した.現在のネクイハムシ相がほぼ完成した時期は中期更新世以降である.また,現生種の化石記録を基に,分子系統樹の時間軸を設定し,分化年代を推定した.
著者
細野 衛 佐瀬 隆
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.323-339, 2015-10-01 (Released:2015-12-19)
参考文献数
91
被引用文献数
5

黒ボク土層はテフラ物質を主体とした無機質素材を母材として,湿潤かつ冷温・温暖な気候と草原的植生下で生成してきた土壌である.酸素同位体ステージ(MIS)3以降の黒ボク土層の生成史には人為生態系の観点から2つの画期が認められる.最初の画期(黒ボク土層画期I)はMIS 3後半,後期旧石器時代初頭における“突発的な遺跡の増加期”に連動し,後の画期(黒ボク土層画期II)はMIS1初頭の急激な湿潤温暖化により人類活動が活性化した縄文時代の始まりと連動する.いずれの画期も草原的植生の出現拡大にヒトが深く関わったと考えられるので,黒ボク土層は人為生態系のもとで分布を拡大してきたといえる.
著者
平峰 玲緒奈 青木 かおり 石村 大輔
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
pp.62.2204, (Released:2023-04-20)
参考文献数
36

青森県むつ市関根浜に露出する完新世堆積物から多数の軽石(SKN-1~6)を見出した.このうち2層の軽石濃集層(SKN-2とSKN-3)は,それぞれ鬱陵島U-2テフラ(U-2)と十和田中掫テフラ(To-Cu)の軽石で構成されていた.SKN-2とSKN-3は層相と層序,軽石の粒径・形状から,海域での漂流を経て堆積した漂着軽石と考えられる.また,SKN-2とSKN-3は,有機質シルト・泥炭層中に存在することと約6 kaの海水準や地形を考慮すると,海と繋がる小河川を経て潟湖に漂着したものと推測される.加えて,水平方向に連続的に堆積する様相は堆積当時の汀線付近に多数の軽石が分布していたことを示唆する.
著者
鴨井 幸彦 田中 里志 安井 賢
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.67-80, 2006 (Released:2007-07-27)
参考文献数
30
被引用文献数
8 12

砂丘の形成年代は, 砂丘砂層や砂丘間凹地の腐植土, および砂丘の基盤層中に含まれる有機物の年代から決めることができる. 新しい年代値とともに, これまでの多くの年代測定値をまとめて整理し, 越後平野における砂丘の形成年代と形成過程を明らかにした. 約8,000年前に縄文海進とともに海水面が上昇すると, 越後平野の内陸部でラグーンを伴ったバリア島システムが成立した. 約6,000年前の海水準高頂期後, 海水準が安定するか, やや低下すると, 信濃川などの流入河川によって堆積物が豊富に供給され, 沖積平野は急速に拡大した. 海岸砂丘の発達は, 海岸線の前進と停止に呼応して断続的に進み, 10列の砂丘が形成された. 砂丘の形成年代は, 新砂丘I-1が約6,000年前, 新砂丘I-2が6,000~5,500年前, 新砂丘I-3が5,000年前, 新砂丘I-4が約4,500年前, 新砂丘II-1が約4,000年前, 新砂丘II-2が約3,500年前, 新砂丘II-3約3,000年前, 新砂丘II-4が2,000~1,700年前, 新砂丘III-1が1,700~1,100年前, 新砂丘III-2が約1,100年前である.
著者
小野 有五
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.71-91, 2016-06-01 (Released:2016-08-03)
参考文献数
114

1990年,日本のなかでもっとも生存が脅かされている絶滅危機種,シマフクロウとの出会いを契機に,第四紀学の純粋な科学者であった研究者が研究者=活動者に変化していった過程を述べ,政策決定など社会との関係において科学者を区分したPielkeの四類型に基づいてそれを分析した.その結果,政策決定には関わろうとしない“純粋な科学者”や“科学の仲介者”から,自らをステイクホルダーとして政策決定に参与しようとする“論点主張者”,さらには“複数の政策の誠実な周旋者”に筆者自身の立ち位置が変化していったことが,千歳川放水路問題,二酸化炭素濃度の増加問題,高レベル放射性廃棄物の地層処分問題,原発問題の4つの環境問題において明らかとなった.原発問題については,特にその安全性に直接関わる活断層研究との関連を調べた結果,日本第四紀学会の複数の会員が,原発を規制する政府の委員会において,原発周辺の活断層の評価だけでなく,活断層の定義にも決定的な役割を演じていたことが明らかになった.このような事実は,とりわけ,2011年3月11日の福島第一原発の過酷事故以来,現在の日本社会における日本第四紀学会の重要性と責任の大きさを強く示唆している.日本第四紀学会は,3.11以前からの長年にわたる学会員と活断層評価との関わりについても明らかにするとともに,原発の安全性に関わる活断層やそのほかの自然のハザードについて,広くまた掘り下げた議論を行い,社会に対して日本第四紀学会としての“意見の束”を届けるべきであろう.
著者
亀井 翼
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.1-12, 2013-02-01 (Released:2013-06-19)
参考文献数
36

モグラの巣穴掘り活動が遺跡に与える影響について,茨城県稲敷郡美浦村陸平貝塚を対象に検討した.まず,モグラが移動できる物体のサイズを明らかにするために,現生モグラ塚の調査を行い,モグラによる遺物選別パターンを観察した.その結果,モグラによる擾乱によって,最大長5 cm未満の遺物の一部は地表と地表浅部を往復し,5 cm以上の遺物は沈下することが予想された.次に,モグラによる擾乱を出土遺物のサイズから評価するために,陸平貝塚DNo.3トレンチにおいて,深度ごとの出土遺物サイズの計測を行った.その結果,貝塚堆積後に形成された堆積土壌において,遺物がモグラによって垂直的に再配置されている可能性が示唆された.モグラによる動物擾乱などの生物擾乱は,日本列島の完新世における遺跡形成過程の一部を担っている.それゆえ,生物擾乱の評価は遺物空間配置を議論する上で重要である.
著者
尾方 隆幸 大坪 誠
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.58, no.6, pp.377-395, 2019-12-01 (Released:2019-12-24)
参考文献数
115

琉球弧における第四紀テクトニクス研究および地形プロセス研究をレビューした.琉球弧は,ユーラシアプレートにフィリピン海プレートが沈み込む収束境界に沿う島弧で,火山島,山地島(付加体),隆起サンゴ礁島などに分けられ,それぞれ地形プロセスが異なる.第四紀の地殻変動は,礁性堆積物からなる更新統の石灰岩(琉球層群)に多くの横ずれ断層と正断層を形成している.付加体で構成される山地・丘陵では,さまざまな環境条件に支配された風化・侵食速度を反映しながら,地形変化が進行している.これまでの自然地理学的研究は,琉球弧にみられるいくつかの地形を熱帯・亜熱帯特有の気候地形とみなしてきたが,それらの地形プロセスは気候条件のみならず地質条件も踏まえて再検討されるべきである.今後の研究には,地質条件と気候条件の両者を総合・統合した地形プロセスの理解が求められる.
著者
岡田 篤正
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.131-150, 2012-06-01 (Released:2013-06-12)
参考文献数
83
被引用文献数
1 6

中央構造線(活)断層帯の右横ずれ断層運動,変位地形,変位速度など,1970年代の調査成果について,まず紹介した.トレンチ掘削調査による活動履歴や断層構造の解明が1980年頃からはじまり,やがて1回の変位量や最新活動時期などの究明が1990年代後半頃に行われた.こうした調査で得られた成果やその手法改善について述べた.1990年代に行われた詳細活断層図,地方自治体による活断層の総合的調査,さらに反射法地震探査について概略を紹介した.各種の調査から判明してきた断層運動の性質と履歴,四国域での最新活動時期(16世紀)と関連した歴史地震,これらに関与したと思われる活断層群(六甲・淡路島断層帯や有馬-高槻断層帯)の連動的な活動を指摘した.こうした経過で得られてきた諸成果をまとめた地震調査研究推進本部地震調査委員会(2003, 2011)による大地震の長期評価も紹介し,残された課題や展望について述べた.
著者
狩野 謙一 上杉 陽 伊藤 谷生 千葉 達朗 米澤 宏 染野 誠
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.137-143, 1984-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
22
被引用文献数
3 5 4

Active faults and neotectonics in and around the southern part of the Tanzawa Mountains and the Oiso Hills in the southern Fossa Magna region are summarized on the basis of new evidences obtained from fault analyses and tephrochronological studies. The active faults in this area can be classified into the following four systems; the E-W Kannawa thrust, the E-W high-angled reverse faults, the NE-SW left-slip faults and the NW-SE right-slip faults. Most of the strike-slip faults have dip-slip components. The Kannawa thrust probably moved during the Middle Pleistocene, and the other faults have been active since the late Middle Pleistocene, under the regional compressional stress field of N-S direction. The accumulation and deformation of the strata in this area have been strongly affected by displacements along the above mentioned fault systems.
著者
大井 信夫 三浦 英樹
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.45-50, 2005-02-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
7

北海道北部稚内市恵北における恵北層上部,ガラス質テフラ直下の泥炭層の花粉分析を行った.このガラス質テフラは,阿蘇4(Aso-4)に対比される.泥炭層の花粉群は,トウヒ属が優占,カラマツ属,モミ属,カバノキ属などを伴い寒冷乾燥気候を示唆する.この花粉群の特徴は,北海道の他地域のAso-4直下における花粉群と一致する.したがって,本地点の恵北層は後期更新世,最終氷期前半の堆積物と考えられる.Aso-4降下頃の恵北においては,カラマツ属が多産する花粉群ではカヤツリグサ科が,少ない花粉群ではミズバショウ属,ミズゴケ属が多産する.これは,スゲ湿原上にグイマツ林が成立し,ミズゴケ湿原にはミズバショウが伴うという湿地の局地的環境を示していると考えられる.
著者
鈴木 毅彦 村田 昌則 大石 雅之 山崎 晴雄 中山 俊雄 川島 眞一 川合 将文
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.103-199, 2008-04-01 (Released:2009-04-25)
参考文献数
36
被引用文献数
2 2

立川断層の活動史を明らかにするため,4本のコアと狭山丘陵を調査した.狭山丘陵に産出するテフラSGOはMTB1・武蔵村山コア中のテフラに対比される可能性があり,同じくSYG(1.7 Ma)はMTB1・武蔵村山コア中のテフラに,箱根ヶ崎テフラ群(約2.0 Ma)は武蔵村山・MTB2コア中のテフラに対比された.また,Ebs-Fukuda(1.75 Ma)がMTB1コア中に,Kd44(1.968~1.781 Ma)が武蔵村山・瑞穂コア中に,Tmg-R4(2.0 Ma)がMTB2コア中に検出された.三ツ木地区においては,SYG層準が約126mの北東側隆起の変位を受けている.SYGと箱根ヶ崎テフラ群の変位量には累積はなく,立川断層は2.0~1.7 Maの間は活動していなかった.断層は南東・北西セグメントからなる.従来,地下でのみ認定された瑞穂断層は北西セグメント南東部であり,両セグメントは約1.5kmの区間を並走している.南東セグメント内では北西端部ほど累積変位量が小さいが,並走する北西セグメントの累積変位量を加味すれば,断層全体では南東セグメント北西端で累積変位量は急減しない.
著者
遠藤 邦彦 千葉 達朗 杉中 佑輔 須貝 俊彦 鈴木 毅彦 上杉 陽 石綿 しげ子 中山 俊雄 舟津 太郎 大里 重人 鈴木 正章 野口 真利江 佐藤 明夫 近藤 玲介 堀 伸三郎
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.58, no.6, pp.353-375, 2019-12-01 (Released:2019-12-24)
参考文献数
77
被引用文献数
2

国土地理院の5m数値標高モデルを用いて作成された武蔵野台地の各種地形図により,武蔵野台地の地形区分を1m等高線の精度で行った.同時にデジタル化された多数のボーリングデータから各地形面を構成する地下構造を検討した.その結果得られた地形面は11面で,従来の区分とは異なるものとなった.既知のテフラ情報に基づいて地形発達を編むと,従来の酸素同位体比編年による枠組み(町田,2008など)と矛盾がない.すなわち古い方からMIS 7のK面(金子台・所沢台等),MIS 5.5のS面,MIS 5.3のNs面,MIS 5.2-5.1のM1a面,M1b面,MIS 5.1からMIS 4の間にM2a面,M2b面,M2c面,M2d面,MIS 4にM3面,MIS 3-2にTc面の11面が形成された.武蔵野台地は古期武蔵野扇状地(K面)の時代,S面,Ns面の海成~河成デルタの時代を挟み,M1~M3面の新期武蔵野扇状地の時代,およびTc面の立川扇状地の時代に大区分される.M1~M3面の新期武蔵野扇状地が7面に細分されるのは,M1面形成後の海水準の段階的低下に応答した多摩川の下刻の波及による.
著者
藤原 治 町田 洋 塩地 潤一
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.23-33, 2010-12-01 (Released:2012-03-27)
参考文献数
31
被引用文献数
5 11

大分市の横尾貝塚で見られる厚い鬼界アカホヤ火山灰層(K-Ah : 層厚約65 cm)について,堆積構造の解析などに基づいて形成プロセスを復元した.この火山灰層をもたらした噴火は,横尾貝塚から約300 km南にある鬼界カルデラで約7,300 cal BPに発生した.これは完新世における地球上で最大規模の噴火イベントの一つである.横尾貝塚のK-Ahは湾奥にあった小規模な谷に堆積したもので,さまざまな堆積構造が発達するイベント堆積物(ユニットI~V : 層厚約35 cm)と,それを覆う均質なユニットVI(層厚約30 cm)からなる.イベント堆積物はK-Ahの降灰中に谷に突入した流水によって堆積し,ユニットI~Vの累積構造からは,谷を遡上する流れと下る流れが長周期で繰り返したことが読み取れる.ユニットVIは降下火山灰と考えられる.K-Ah降下との同時性や,長周期で遡上と流下を繰り返す特徴は,K-Ah下部を構成するイベント堆積物がアカホヤ噴火に伴う津波堆積物であることを強く示唆する.
著者
小池 裕子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.149-168, 2017-08-01 (Released:2017-08-22)
参考文献数
98

本論は縄文時代の食料戦略から考えた生業動態論を紹介したものである.まず筆者が院生時代に没頭した貝殻成長線解析を用いた貝殻構造や貝殻形成機構の研究,数々の貝塚遺跡や住居址内貝層から出土した貝殻を収集して行った季節推定や貝類資源の位置づけ,および海況環境復元から始まったパレオバイオマス(Paleobiomass)分析を紹介した.また貝類以外の動物資源の季節推定を進める中で,ヒトと食料資源の関係を考える生業動態(Exploitation dynamics)や捕獲圧(Hunting-collecting pressure)分析へと展開し,縄文時代人の持続可能な生業のあり方(sustainable use)について推論を紹介した.その根底にあるものは,多様な食料資源を適切に選択しながら利用することで,対象動植物の生態のみならず,シカ捕獲の上限など資源管理の知識ももち合わせていたと考えられる.一方,縄文時代の増加期型集落と飽和期型集落などの社会構造については,今後古人骨のaDNAなど新技術の適用によって,集落内・集落間の移動や拡散,社会的階層化・儀礼行為の発達などとの関連性が解明されることを期待したい.