- 著者
-
外山 秀一
- 出版者
- 日本第四紀学会
- 雑誌
- 第四紀研究 (ISSN:04182642)
- 巻号頁・発行日
- vol.33, no.5, pp.317-329, 1994-12-31 (Released:2009-08-21)
- 参考文献数
- 41
遺跡の発掘調査や地形分析, プラント・オパール分析その他の成果に基づき, 縄文時代晩期~弥生時代の稲作農耕に関する諸問題を検討するとともに, 弥生時代~15・16世紀の土地条件の変化を明らかにした.稲作農耕文化を構成する要素のうち, イネ (Oryza sativa L. あるいは Oryza) に関する資料, すなわち籾殻圧痕土器や炭化米, プラント・オパールや花粉化石, そして水田址の検出状況を整理し, これらの波及の状況を検討した. その結果, それらの波及には時間的なズレが生じており, 初期の水稲作を大きく2段階に分けて考える必要がある. すなわち, 稲作農耕文化を構成する要素が徐々に波及する第I段階と, これらの要素が集まり稲作農耕文化として完成し, 本格的な水田造営がおこなわれる第II段階である. また, 水田址の増加の時期や分布の状況に地域的な差違がみられた. その原因の一つとしてイネの品種の違いが考えられ, 自然交配によって出現した早生種が, 弥生時代の比較的短期間のうちに東日本に拡大したとみられる.さらに, 弥生時代以降の土地条件の不安定な時期とその状況が明らかになった. 不安定な時期は, 弥生時代前期末~中期初頭, 弥生時代後期~古墳時代前期, 古代末, そして中世の15・16世紀のそれぞれ一時期である. こうした不安定な状況は河川流域の段丘の形成, あるいは洪水などによる地形の変化に対応している. また, 土地条件の変化は土地利用をはじめとする土地の開発の問題と密接に関わっている.