著者
遠藤 英子 那須 浩郎 山田 昌功 國木田 大
出版者
明治大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

黒海北側に位置するウクライナは、ユーラシア農耕拡散の結節点であるが、確実な考古植物資料が限定的である。本研究では種子同定精度が高いレプリカ法を用いて栽培穀物データを蓄積した。成果として、1.新石器時代資料からは栽培穀物は同定されず、定説である6000年紀を遡る農耕開始は再検討が必要な事。2.金石併用時代には西アジア起源のムギ類の栽培が導入されているが、既報告のキビは本調査では同定されず、再検討が必要である事。3.これまで確実なキビの出現期とされてきたUsatovo文化を含めて、金石併用時代末から青銅器時代中期の遺跡でもキビは検出されず、青銅器時代後期に突如キビが出現する、等を明らかとした。
著者
小畑 弘己 丑野 毅 高瀬 克範 山本 悦世 高宮 広土 宮ノ下 明大 百原 新 那須 浩郎 宇田津 徹朗 中沢 道彦 中山 誠二 川添 和暁 山崎 純男 安 承模 田中 聡一 VOSTETSOV YU. E. SERGUSHEVA E. A. 佐々木 由香 山田 悟郎 椿坂 恭代
出版者
熊本大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2008

日本の考古学において、縄文時代の農耕の存否問題は古くから議論され、今でも論争中の課題である。この混乱の根底には、確実な栽培植物が存在しなかったという研究上の制約があった。我々は、この問題を解決するために、土器中に残る植物種子や昆虫の痕跡(土器圧痕)を検出することで解決しようと考えた。研究期間内に、日本列島の縄文時代~弥生時代171遺跡、海外の新石器時代9遺跡において圧痕調査(約400, 000点の土器)を実施し、多種・多様な栽培植物種子や貯蔵食物害虫(総数552点)を検出した。また、圧痕法の学問的定立のための方法論的整備を行った。その結果、まだ問題点は残るものの、縄文時代の栽培植物の実態と問題点を明らかにすることができた。
著者
那須 浩郎
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.109-126, 2018-08-01 (Released:2018-08-25)
参考文献数
137
被引用文献数
1 7

本論文では遺跡から出土したダイズ,アズキ,ヒエ属の種子サイズデータを集成し,縄文時代における形態上のドメスティケーション(種子の大型化)の過程を検討した.ダイズとアズキは6,000年前頃から4,000年前頃にかけて中部高地と関東地方西部地域(諸磯・勝坂式土器文化圏)において出土数が増加し,現在の野生種よりも大型の種子が出現していた.この種子の出土数の増加と大型化は,当時の人口増加と連動していた可能性があり,この時期に形態上のドメスティケーション(種子の大型化)が始まったと考えられる.しかしながら,この時期には小型の種子も依然として見られ,大型の種子をつける品種がまだ定着していなかったか,野生種の採集も継続していた可能性がある.4,000年前以降になると中部高地からは大型種子が見られなくなり,その代わりに九州地方や西日本で見られるようになる.この時期には大型種子の品種が定着し,栽培されていた可能性が高い.ヒエ属についても,東北地方北部で6,000年前頃,北海道渡島半島で4,500年前頃に,時期は異なるものの,同じ円筒式土器文化圏で大型種子が一時的に見られる.この大型化はそれぞれの時期の人口増加と連動しており,この時期に一時的な形態上のドメスティケーションが起きていた可能性があるが,その後は10世紀まで大型種子が見られない.10世紀以降には小型の種子も少なくなることから,この頃にヒエ属の大型種子が定着したと考えられる.
著者
那須 浩郎
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.187, pp.95-110, 2014-07

縄文時代晩期から弥生時代移行期におけるイネと雑穀(アワ・キビ)の栽培形態を,随伴する雑草の種類組成から検討した。最古の水田は,中国の長江中・下流域で,約6400年前頃から見つかっているが,湖南省城頭山遺跡では,この時期に既に黄河流域で発展した雑穀のアワ栽培も取り入れており,小規模な水田や氾濫原湿地を利用した稲作と微高地上での雑穀の畑作が営まれていた。この稲作と雑穀作のセットは,韓半島を経由して日本に到達したが,その年代にはまだ議論があり,プラント・オパール分析の証拠を重視した縄文時代の中期~後期頃とする意見と,信頼できる圧痕や種子の証拠を重視して縄文時代晩期終末(弥生時代早期)の突帯文土器期以降とする意見がある。縄文時代晩期終末(弥生時代早期)には,九州を中心に初期水田が見つかっているが,最近,京都大学構内の北白川追分町遺跡で,湿地を利用した初期稲作の様子が復元されている。この湿地では,明確な畦畔区画や水利施設は認められていないが,イネとアワが見つかっており,イネは湿地で,アワは微高地上で栽培されていたと考えられる。この湿地を構成する雑草や野草,木本植物の種類組成を,九州の初期水田遺構である佐賀県菜畑遺跡と比較した結果,典型的な水田雑草であるコナギやオモダカ科が見られず,山野草が多いという特徴が抽出できた。この結果から,初期の稲作は,湿地林を切り開いて明るく開けた環境を供出し,明確な区画を作らなくても自然地形を利用して営まれていた可能性を示した。This paper examined the initial form of rice and millet cultivation during the Jomon-Yayoi transition era from the archaeobotanical weed assemblages. The earliest paddy field was found from the middle and lower Yangzte region in China around 6400 cal BP. Archaeobotanical finds from Chengtoushan show the millet cultivation from northern China was already spread to the Yangtze region in this stage. Rice was probably cultivated on the small initial paddy field as well as on the wetland of flood plain around the site. Millet was probably cultivated on the dry farmland at the upland terrace area in the site. The set of rice and millet cultivation was spread to Japan via southern Korea however the timing of arrival is still under debate. Those who think that the timing was Middle to Late Jomon from the evidence of phytolith records and on the flip side, those who think the timing was after Final Jomon or Initial Yayoi (Tottaimon pottery stage) from the reliable impressions and macro-remains evidences. Although the earliest paddy field in Japan was found from Kyusyu during the Final Jomon or Initial Yayoi era, newly discovered Kitashirakawa-Oiwakecho site in Kyoto shows one of the initial form of wetland rice cultivation. Rice and millet were found from the wetland site without clear evidence of paddy ridges and water facilities for irrigation. The evidences suggest that rice was probably cultivated on the wetland and the millet was cultivated on the dry upland around the site. The composition of archaeobotanical weed and other wild plants from the site was compared with the early paddy field at Nabatake site in Kyushu. The main characteristics of the Kitashirakawa-Oiwakecho wetland site are that there were no typical paddy field weeds such as Monochoria and Alismataceae and there were still a lot of forest herbs compared with the Nabatake paddy field. This results suggest that the initial stage of rice cultivation was practiced by the clearing of swamp forest and making open wetland using natural micro-topography without making clear paddy ridges.
著者
本郷 一美 山田 昌久 那須 浩郎 米田 穣 姉崎 智子 茂原 信生
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

本研究の目的は高精度の古環境情報を有効に抽出し、人工遺物や遺構などに関する考古学的な情報を統合する研究手法を確立することである。長野県のノンコ岩1岩陰と天狗岩岩陰遺跡において発掘調査を実施した。ノンコ岩1岩陰遺跡では、縄文晩期の遺物が出土した。天狗岩岩陰遺跡では、弥生時代前期から古墳時代前期までの文化層序が確認され、環境考古学的なデータを有効に抽出できた。人工遺物の他、多量の動・植物遺存体を採集し、C14年代測定、動植物遺存体の同定分析作業を実施した。
著者
豊田 新 高原 周一 宮川 和也 守田 益宗 青木 一勝 佐藤 幸子 坂根 弦太 青木 宏之 蜂谷 和明 矢城 陽一朗 重松 利信 那須 浩郎 篠原 隆 宮宅 康郎 渡邉 誠 今井 剛樹 今山 武志 兵藤 博信 片山 敏和 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構理科教育センター 岡山理科大学教育支援機構学習支援センター 岡山理科大学教育支援機構学習支援センター 岡山理科大学理学部応用物理学科 岡山理科大学理学部応用物理学科 岡山理科大学自然科学研究所 岡山理科大学自然科学研究所 岡山理科大学非常勤講師
雑誌
岡山理科大学教育実践研究 = Okayama University of Science Educational Practice Research (ISSN:24339946)
巻号頁・発行日
no.1, 2017
著者
安田 喜憲 笠谷 和比古 平尾 良光 宇野 隆夫 竹村 恵二 福澤 仁之 林田 明 斉藤 めぐみ 山田 和芳 外山 秀一 松下 孝幸 藤木 利之 那須 浩郎 森 勇一 篠塚 良司 五反田 克也 赤山 容造 野嶋 洋子 宮塚 翔 LI Xun VOEUM Vuthy PHOEURN Chuch
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2006

年縞の解析による高精度の気候変動の復元によって、モンスーンアジアの稲作漁撈文明の興亡が、気候変動からいかなる影響を受けたかを解明した。とりわけメコン文明の一つであるカンボジアのクメール文明の興亡については、プンスナイ遺跡の発掘調査を実施し、水の祭壇をはじめ、数々の新事実の発見を行った。稲作漁撈文明は水の文明でありアンコールワットの文明崩壊にも、気候変動が大きな役割を果たしていたことを明らかにした。