著者
大塚 秀高 高田 時雄 原山 煌 樋口 康一 牧野 和夫 森田 憲司 庄垣内 正弘 浅野 裕一 赤尾 栄慶 高山 節也
出版者
埼玉大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2001

(1)研究集会の開催:班の研究テーマである「出版文化論研究」を念頭に、班長の筆者により、複数回研究集会が企画・開催された。ちなみに、平成16年度の研究集会の概要は以下のようになっている。平成16年5月14・15の両日、14日は京都国立博物館の講堂、15日は京大会館の会議室を会場とし、C班と共催で企画・実施(七条学会)。七条学会のテーマは、京都国立博物館で開催中の「南禅寺展」にちなんだ仏教関係の研究と、班員共通の研究対象であるアジアの特殊文庫とした。D班の発表者は、計画班で牧野和夫と筆者大塚秀高、公募班で西村浩子と中見立夫であった。七条学会の開催をきっかけに、班員の間に、相互の研究テーマに対する認識が一層深まった。そもそもD班とC班は、平成13〜14年度に筆者大塚が代表を兼ねていたため、メンバー相互間に交流があり、D班公募班の高橋章則・高倉一紀・西村浩子などは、現C班代表の若尾政希が主催する研究会「書物・出版と社会変容」研究会で報告をしている。また、G班公募班の松原孝俊が開催した第4回海外所蔵日本資料データベース会議に、D班の高田時雄・中見立夫ならびに大塚が参加し、高田と大塚は報告を、中見は司会をつとめた。(2)調整班会議の開催:後半2年間にあっては、第1回調整班会議を平成15年11月28目におこなわれた第3回「東アジア出版文化に関する国際会議」にあわせて開催し、上記の七条学会につき協議した。第2回は七条学会の当日に開催し、第3回は6月26・27の両日、沖縄那覇で開催された平成16年度第6回研究集会のおりに開催した。(3)その他:班長である大塚は総括班会議に出席し、必要な情報についてはメールで班員に伝達した。また、総括班会議でニューズレターを班ごとの特集号とするよう提案し、第6号をD班特集号とした。第6号に各自の研究テーマに関する文章を寄せた者は、計画班で大塚秀高・原山煌・牧野和夫・森田憲司の4名、公募班で蔵中しのぶ・高橋章則・中見立夫・西村浩子の4名の、あわせて8名であった。また調整班の成果報告書を作成し、班員に配布した。
著者
浅野 裕一
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
no.18, pp.p51-96, 1984-12

秦帝国は、商鞍・韓非系統の法術思想を統治原理としたが、秦が滅亡して漢帝国が成立するとともに、それまでの法術思想に代り、黄老道が政治思想の主導的地位に躍りでてくる。この時期、黄老道的統治を行った人物としては、曹参・陳平・汲黯などが著名であるが、彼等の政治的手腕は、主に地方の郡国を舞台に発揮されている。 そこで問題となるのは、漢の皇帝と重臣達の黄老道的統治との関係である。もし歴代の皇帝が、帝国の中枢に於て、黄老道とは全く相い容れぬ、秦帝国同様の皇帝観・統治観を保持していたと仮定すれば、皇帝の意向を無視して、臣下の側だけが一方的に黄老道的統治を実施する行為は、到底不可能であったろう。とすれば、漢初に於ける黄老道隆盛の背景には、秦の皇帝観とは異なる、漢独自の皇帝観の存在が予想される。 これまで、秦帝国と漢帝国、及び秦の皇帝支配と漢の皇帝支配とは、秦漢帝国ないしは古代帝国の名の下に一括され、とかく両者の同質性ばかりが強調されてきた。しかしそれでは、前記の時代思潮の転換を、全く説明できぬこととなろう。そこで小論では、黄老道が流行していた、高祖・恵帝・文帝・景帝と連なる時期の漢の皇帝観を、秦の皇帝観と対比することにより、両者の間に存在した本質的差異を明らかにしていきたい。

1 0 0 0 孫子

著者
浅野裕一 [著]
出版者
講談社
巻号頁・発行日
1997