著者
大塚 秀高
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.134, pp.1-17, 1997-12

《三國志平話》當中有以下描冩:漢帝外孫劉淵把晋懐帝抓獲、處死在劉禪廟前、并以此祭祖。不久、晋國滅亡、劉淵即漢帝之位、全書至此告終。這一結局與《三國志演義》的結局有所不同。劉淵是五胡十六國時期之漢的建國者。在北斉・魏収的《魏書・匈奴劉聰傳》中有所記載(劉聰為劉淵的兒子)。唐・房玄齡等的《晋書》中有傳。通過比較研究可以看出、《三國志平話》的結尾是根據《晋書》編冩的。《晋書》有兩、三種建安坊刻的宋元刊本存世。但是、《三國志平話》的‘編者’不僅僅是依據《晋書》、還依據以《晋書》等改編的《資治通鑑》乃至《通鑑紀事本末》編冩了《三國志平話》的結尾部分。《三國志平話》的‘編者’還從《晋書・劉元海(劉淵)載記》中把龍神的因素加到關羽的形象中。起初、關羽與劉淵的形象是表裏一體的關係。在《晋書》的劉淵形象中、以發現玉璽這一情節為關鍵、早已被注入了陳壽的《三國志》和裴松之注中的關羽形象。歸根結底、劉淵的鬚及愛讀左傳的因素從關羽形象中襲來、而關羽的龍神因素則從劉淵形象中獲得。
著者
大塚 秀高
出版者
埼玉大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2001

江戸時代に、佐伯藩第八代藩主毛利高標が城中に創設した文庫にたくわえられた漢籍の一大コレクション、いわゆる佐伯文庫本は、そのほぼ半数が高標の孫の高翰の代に幕府に献上され、江戸城中の紅葉山文庫、ならびに昌平坂学問所・江戸医学館に分蔵された。この献上本は、明治維新以後いくたの変遷をへたが、今も独立法人国立公文書館附設の内閣文庫と宮内庁書陵部に、九割以上が遺されている。ところが、佐伯藩に残された非献上書の行方については、これまでよくわかっていなかった。非献上本は、幕末まで手厚く保存されていたようだが、維新後散逸する。きっかけは、文部省が、各府県から旧藩襲蔵書の目録を提出させ、そこから「聚珍書目一覧表」を作ろうとしたこと、にあった。明治四年のことである。各府県はきそって旧藩の蔵書を集めて目録化し、文部省に提出した。誕生したばかりの後の国会図書館、当時の書籍館は、自らの和漢書不足をこのリストから採選することによって補おうと考え、さっそくそれを実行に移した。この結果、国会図書館には今なお3種の存疑本を含む24種の佐伯文庫本が遺されている。このおり大分県に留め置かれた佐伯文庫本もあったが、洋書5種をのぞき、それらは戦災で焼失した。また、書籍館による採選の後、県下ならびに毛利家に留め置かれた佐伯文庫本の多くは、売却処分に附されたらしい。そして、その多くを購入したのが方功恵であって、方功恵に購入された佐伯文庫本は、再度海を渡り、多くは中国に戻ることになった。現在中国国家図書館・北京大学図書館などに蔵されているものがそれである。今回報告書の第一分冊として作成した「佐伯文庫旧蔵畳現存書目録(漢籍之部)」は、佐伯文庫本の、現所蔵機関をも明らかにしたユニオンカタログであり、第二分冊として作成した「方功恵碧琳瑯館旧蔵書総合目録(第二稿)」は、方功恵旧蔵書のユニオンカタログである。
著者
大塚 秀高
出版者
埼玉大学大学院文化科学研究科
雑誌
日本アジア研究 (ISSN:13490028)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.81-94, 2011

西王母は古く『山海経』に異形の姿を現すが、のちには不老不死の仙薬や蟠桃の管理者として、人間界の帝王などと交会するようになる。当初の両性具有の存在から女性原理の体現者に変化したため、男女の交会により自らの不老不死の能力を更新する必要が生じたためであろう。しかし人間界に交会の相手を求めるのは困難であり差しさわりもあると意識されたのであろう、西王母の対偶神としての東王公が創出され、これと歳に一度の交会を果たすようになった。ところが道教のパンテオンのなかで、東王公が天帝、西王母が女神の最高神となるや、両者の交会は不適切と感ぜられるようになってしまった。かくてその役割は織女と牽牛という第二世代にバトンタッチされた。原西王母の継承者である織女は、道教パンテオンにおいて間もなく西王母の娘に相応しい「夫人」の地位を得たが、男性原理の体現者を人間界に求める必要がある点ではそれまでと変わらなかった。これが『新話摭粋』(や『緑窗新話』)の遇仙類に見える、「遇」や「歓」を求める仙女の正体であり、「楊家将」に代表される、数世代に亙る武将一族の物語において、戦場で男将と闘い、これを実力で負かして捕虜にしたうえ強引に夫とする(陣前比武招親)、女仙に師事する女将の正体であった。いいかえれば、「陣前比武招親」する女将は西王母の第二世代であり、その師事する女仙は西王母だったのである。このモチーフを「西王母交会モチーフ」というとき、「西王母交会モチーフ」は後の才子佳人小説の中にも形を変えて使われていた。「西王母交会モチーフ」は中国の小説史において極めて重要なモチーフといえよう。
著者
大塚 秀高 高田 時雄 原山 煌 樋口 康一 牧野 和夫 森田 憲司 庄垣内 正弘 浅野 裕一 赤尾 栄慶 高山 節也
出版者
埼玉大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2001

(1)研究集会の開催:班の研究テーマである「出版文化論研究」を念頭に、班長の筆者により、複数回研究集会が企画・開催された。ちなみに、平成16年度の研究集会の概要は以下のようになっている。平成16年5月14・15の両日、14日は京都国立博物館の講堂、15日は京大会館の会議室を会場とし、C班と共催で企画・実施(七条学会)。七条学会のテーマは、京都国立博物館で開催中の「南禅寺展」にちなんだ仏教関係の研究と、班員共通の研究対象であるアジアの特殊文庫とした。D班の発表者は、計画班で牧野和夫と筆者大塚秀高、公募班で西村浩子と中見立夫であった。七条学会の開催をきっかけに、班員の間に、相互の研究テーマに対する認識が一層深まった。そもそもD班とC班は、平成13〜14年度に筆者大塚が代表を兼ねていたため、メンバー相互間に交流があり、D班公募班の高橋章則・高倉一紀・西村浩子などは、現C班代表の若尾政希が主催する研究会「書物・出版と社会変容」研究会で報告をしている。また、G班公募班の松原孝俊が開催した第4回海外所蔵日本資料データベース会議に、D班の高田時雄・中見立夫ならびに大塚が参加し、高田と大塚は報告を、中見は司会をつとめた。(2)調整班会議の開催:後半2年間にあっては、第1回調整班会議を平成15年11月28目におこなわれた第3回「東アジア出版文化に関する国際会議」にあわせて開催し、上記の七条学会につき協議した。第2回は七条学会の当日に開催し、第3回は6月26・27の両日、沖縄那覇で開催された平成16年度第6回研究集会のおりに開催した。(3)その他:班長である大塚は総括班会議に出席し、必要な情報についてはメールで班員に伝達した。また、総括班会議でニューズレターを班ごとの特集号とするよう提案し、第6号をD班特集号とした。第6号に各自の研究テーマに関する文章を寄せた者は、計画班で大塚秀高・原山煌・牧野和夫・森田憲司の4名、公募班で蔵中しのぶ・高橋章則・中見立夫・西村浩子の4名の、あわせて8名であった。また調整班の成果報告書を作成し、班員に配布した。
著者
笹倉 一広 近衞 典子 近衞 典子 福田 安典 大塚 秀高 金 文京 笹倉 一広 木越 治 福田 安典 大塚 秀高 岡崎 由美 金 文京 鈴木 陽一 上田 望 木越 治 田中 則雄 入口 敦志 川上 陽介 木越 秀子
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

・各地の図書館などを調査し、関連資料を収集した。そのなかで、岡島冠山『太平記演義』の 善本を発見し、影印した。・白話小説と並んで、善書の影響にも着目し、善書を収集・考察し、新発見と覚しき善書を影印した。・「三言二拍」訳注の基礎資料の収集・電子化をし、訳注の基盤を整備し、国文学・中国文学双方の研究に共有されるテキストのプロトタイプを作成した。・シンポジウム「日本近世文藝と中国白話の世界」を開催した。
著者
大塚 秀高
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.124, pp.79-134, 1994-03

以平話為書名的「小説」有両種。 一種是宋末元初刊本之『新編五代史平話』,一種是元至治年間建安虞氏所刊行之「全相平話五種」。 它們在版式和史観表現方面各有特色。 前者好像比較尊重民族的血統,而後者却似乎更尊重王朝的正統一這在其代表作『三国志平話』中猶為明所顕。 明代成書的『残唐五代史演義伝』中也可看出跟『三国志平話』同様的史観。 依我所見,早在『残唐五代史演義伝』成書之前已応該有「残唐平話」。 『残唐五代史演義伝』基本保持了它的史観,而『新編五代史平話』則是根拠史書改編而成的。 『新編五代史平話』之創作改変是単独而先行的。 但到了明代嘉靖年間,却掀起改編講史章回小説的高潮。 比如熊大木編纂的現存之『唐書志伝通俗演義』和『大宋演義中興英烈伝』,都由楊氏清白堂・清江堂出版。 已佚而曽経存在的熊大木編纂的,除上述両種外,還有『列国志伝』『全漢志伝』『南北宋志伝』。 這些作品,拠我所知,都是嘉靖後半由楊氏両清堂刊行,而万暦年間,在南京由周氏万巻楼(仁壽堂)・大業堂和唐氏世徳堂,附上上元王少淮写像相継刊行,在福建由余氏三台館以上図下文形式刊行出版。 在這不但時期而且地点也不同的三次出版中,熊大木編纂的本子(嘉靖定本)所用的分則形式漸次変化,以至誕生了新的分回形式本子即万暦新本。 根拠版本和挿図之画工来判断,可以認定和上述五種講史章回小説同様『東西晋志伝通俗演義』也早已有嘉靖定本,只不過現在佚失罷了。 拠上元王少淮写像的挿図来看,『英烈伝』之余君召三台館刊本,恐怕是南京出版的。 它的南京斉府原板也有可能為嘉靖定本。 熊大木不但拠史書来改変旧本(原本)小説(恐怕是平話或者平話系統的本子)的荒誕無稽,而且記下他改変的根拠等。 這由嘉靖定本(及其系統之版本)中常々発現「旧本○○」「小説○○」等註記可以得到説明。 嘉靖定本之中還有附上彩絵図之内府抄本。 内府除了以抄本形式向皇帝・皇后等提供娯楽外,還以刊本形式向一般読者提供閲読講史章回小説的方便。 但培養忠義・英烈等封建思想則是其真正的目的之所在。 這従忠義・英烈的詞匯出現在書名上可以得到説明。 我想,在推動小説生成的歴史上郭勛之存在很重要,而嘉靖定本之出現和郭勛之所作密接相関。 特別是把小説創作作為到達某種政治目的的一種手段的作為更是引人注目。 拠『皇明従信録』所註,郭勛為他的五世祖郭英写了『国朝英烈記』。 這『国朝英烈記』和南京斉府本『英烈伝』相当有関係。 也正是受到郭勛的創作意図的影響纔能誕生了武定板『三国通俗演義』和『水滸伝』。
著者
磯部 彰 金 文京 三浦 秀一 若尾 政希 大塚 秀高 新宮 学 磯部 祐子 鈴木 信昭 高山 節也 中嶋 隆藏 勝村 哲也 尾崎 康 藤本 幸夫 関場 武 栗林 均
出版者
東北大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2000

本領域研究では、共同研究及び個別研究の両形態をとって研究を進めてきた。研究組織を円滑に運営するため、総括班を設け、目的達成への道標として数値的目標を掲げ、構成員が多角的方法をとりながらも、本研究領域の目標を具体的に達成し得るようにした。本研究では、東アジア出版文化を基軸とする新学問領域を確立することを目標とし、その骨格をなす要素を数値的目標に設定した。それは、(1)東アジア出版文化事典の編纂準備、(2)東アジア研究善本・底本の選定と提要作成、(3)東アジア研究資料の保存と複製化、(4)日本国内未整理の和漢書調査と目録作成、であり、更に、(5)東アジア出版文化研究の若手研究者の育成、(6)国際的研究ネットワークの構築などを加えた。初年度には、総括班体制を確立し、ニューズレターの発刊、ホームページの開設、運営事務体制の設定を行い、計画研究参画予定者を対象に事前の研究集会を実施した。平成13年度からは、計画・公募研究全員参加の研究集会と外国研究者招待による国際シンポジウムを毎年開き、国内の研究者相互の交流と国外研究ネットワークの構築を推進した。前半2年は、総括班の統轄のもとで、主として東アジア出版文化をめぐる個別研究に重点を置き、共同研究の基盤強化を図った。新資料の複製化も同時に進め、東アジア善本叢刊4冊、東アジア出版文化資料集2冊を刊行する一方、展覧会・フォーラムなどを開き、成果の社会的還元を行なった。研究面では、後半は共同研究を重視し、調整班各研究項目での共同研究、並びに領域メンバーや研究項目を越えて横断的に組織した特別プロジェクトを4ジャンル設定し、総括班の指導のもとに小研究域として定着させた。年度末ごとに報告書を編集する一方、前後の終了時に研究成果集を作成している。研究領域の数値的目標は約四分之三達成し、窮極の目的である新学問領域設定も、概然的ながら構想化が具体的になった。