著者
猪瀬 浩平
出版者
福祉社会学会
雑誌
福祉社会学研究 (ISSN:13493337)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.37-49, 2017-05-31 (Released:2019-06-20)
参考文献数
16

福祉と農業が語られる時,そこで期待されるのはたとえば障害者や高齢者本人にとってリハビリテーションになること,あるいは稼ぎの仕事となることのいずれかであることが多い.重要なのは,新しい事業を如何に〈生産〉するかであり,障害者や高齢者はその事業を〈消費〉する存在として位置づけられる.この眼差し自体は,決して新しいものではない.裏側には,賃労働に適した存在を丁寧に取り込みながら,そこに適さない存在を同じように丁寧にケアの対象に振り分ける流れがある. それに対して,筆者自身の活動のフィールドである,見沼田んぼ福祉農園は,埼玉県の総合政策部土地政策課(現土地水政策課)が,見沼田んぼの治水機能の担保と荒地化対策の文脈で企画・立案した「見沼田圃公有地化推進事業」をうけて始まっている.福祉政策としても,農業政策としても,明確に位置づけられていない. 本稿は,見沼田んぼとその周辺の地域史と見沼田んぼ福祉農園に関わる人びとの個人史に留意しながら,高度経済成長期に周縁化された農業と周縁化された障害者の二つの問題系が交差する中で「見沼田んぼ福祉農園」が如何に生まれ,活動を変化させながらも持続していく,その〈分解〉の過程を描く.
著者
石井 秀樹 斎藤 馨 猪瀬 浩平
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.69, no.5, pp.767-772, 2006 (Released:2007-11-13)
参考文献数
33
被引用文献数
1 1

Recently, the health enhancement and relaxation effect of the activities such as farming or basking in the woods have been paid much attention to. In todays rapidly aging society of Japan, preventive medicine for healthy people has gained importance in addition to the conventional treatments and rehabilitations. Therefore, it is crucial to discover use for the green space in the community as a new stage for health promotion, and to vitalize the citizen activities that are to operate and manage such an institution. In this study, we have placed a focus on the Minuma-Tanbo Welfare-Farm where preservation of city-suburbs green and gardening activities of disabled people are integrated in one. Through participative observation, hearing survey, and document research, we have made a model of its management system by categorizing its 20-year history of development into 3 different stages. As a result, it has become clear that not only combining of the welfare and green-preservation activities in the local community lessen the burdens of the welfare organizations, but it also makes possible the cultivation of human resources that are difficult to come across in an ordinary welfare environment, and the substantiation of diverse activities.
著者
猪瀬 浩平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.309-326, 2005-12-31 (Released:2017-09-25)

障害/障害者についての社会学的研究は、障害の社会構築論をパラダイムとしてなされてきた。それによれば、近代特有の産業形態や、医療・教育制度のフィルターを通る中で、特定の精神的、身体的特質をもつ人間を表象する「障害者」というカテゴリーが生まれ、各個人にそのカテゴリーが内面化されるものと整理される。社会構築論の戦略的意味は、医療モデルや専門家支配を批判する点で評価に値する。しかしミクロな実践に眼を転じてみれば、「障害者」というカテゴリーの意味が微妙に、特に劇的に変化する事態に出会うだろう。極めて複雑に分化した現代社会において、現象の説明をマクロな社会構造の議論を帰着させるよりも、むしろ個々の状況において、「障害」の存在をめぐって不確実性に直面する諸主体が、生き方を如何に構成するのか、その問題系を開くことに人類学的分析は活かされる。このような認識に立った上で、本論文では「障害児」の普通学級就学という問題に焦点を当てる。日本では、「障害児」と「非-障害児」の教育の場を分ける「分離別学体制」が教育制度の基本になっている。しかし、実際の多くの「障害児」が普通学級に在籍している。政策的な位置づけのない彼ら「障害児」の存在は、現場で様々な混乱を引き起こすことになる。本論文では、この不確実な状況において、「障害児」とその保護者、民間支援グループ、教育関係者、行政関係者の間で起こる折衝を学習の過程と捉え、政策のレベルで一元的に同定された「障害児」というカテゴリーが、「障害児も普通学級へ」という主題の下、実践のレベルでどのように反復、模倣、受容されているのかを分析する。
著者
猪瀬 浩平
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.12, pp.150-164, 2006

「よそ者」論の要点は,環境運動のダイナミズムを,それに関わる主体の問に存在する,当該地域の自然や社会組織との関わり,拠って立つ価値観の違いによって,説明する点にある。既に指摘されているように,「よそ者」や「地元」という枠組は,固定的なものではなく,常に変容の過程の中にあり,「よそ者」と「地元」との間に連続性を想定した上で,両者を分析概念として維持し,その間を揺れ動く人びとの生き方の様態を描写する必要がある。このような認識に立った上で,本論は,「よそ者」と「地元」との間の折衝を,文化人類学におごいて得られた「学習」論の知見を応用することによって,新たな枠組を模索するものである。そこにおいて,個体中心の知識詰め込み型「学習」モデルが批判され,実践の共同体に参加し,その技能や知識を学びながら,社会関係を再生産していく過程こそが,学習であると定義される。この考えによりながら,本論文では筆者が関わる都市近郊の農的緑地空間である「見沼田んぼ」の取組みを取り上げ,埼玉県の公共政策を受けてはじまった農園活動の中で生起する,「非農家」であるよそ者と「農家」である地元との折衝の過程を素描しながら,「学習」の過程として整理する。
著者
猪瀬 浩平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.81-98, 2013-06-30

2011年3月に起きた東京電力の原発事故によってもたらされた原子力災害は、人と人、人と自然との間に様々な分断をもたらしている。本論文は、ボルタンスキーの議論に依拠し、混沌とした事態としての<世界>がたち現れる中で、人々が科学的実践を媒介にしながら制御可能性を取り戻し、共有・調整可能な制度としての<リアリティ>を再構成していく過程を民族誌的に記述する。筆者のフィールドである見沼田んぼ福祉農園メンバーの、原発事故以降の活動を振り返りながら、農園の放射能の測定や、福島における栽培実験を行う過程を通して、放射能汚染に対抗するための科学の組織化過程を記述する。原子力災害によって、この農園では活動継続性についての問いかけが起こるとともに、放射能対策についての見解の相違や、地域への拘り方の違いによるメンバー内の分断が起こる。このような中で科学的実践は、見沼田んぼ、福島、チェルノブイリといった様々な場所において多様な人間-非人間を結びつけ、混沌とした<世界>を少しずつ理解可能なものにしていく。同時にその試行錯誤の過程は、かつての障害者の地域生活運動における暗中模索と重ね合わされることで、メンバー内の分断を乗り越えていく。これら一連の記述を通じて、原子力災害の中で人々が<リアリティ>を構成していく過程を解明するための枠組みを提示する。それと共に、人類学者自身も含め、人々にとって、不確実な世界の中で<リアリティ>を恢復させる手段としての民族誌的記述の意義について再評価を行う。