- 著者
-
西本 寮子
- 出版者
- 県立広島大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2015-04-01
本年度は、大庭賢兼の事跡のうち、まず「詠百首和歌」について再検討を行うこととし、翻字の見直し作業から着手した。ついで、『伊勢物語』諸注集成について、情報を収集に努めた。さらに『太平記』の書き入れについて確認作業を進めた。吉川本太平記について、入手ずみの写真版の確認作業を進めた。固有名詞を中心に線引があることはよく知られているところであるが、その記主及び、本文を利用したのが誰であるのかは明らかにされてこなかったことから、何らかの手がかりが得られるのではないかと考えて作業を進めている。しかしながら、現時点では有力な手がかりは見いだせていない。これについては次のような見通しを立てている。毛利氏周辺にはいくつかの『太平記』伝本が伝わっており、伝本の中には元就の側近が関与したと思われるものもある。元就自身は吉川元春が書写した吉川家本の目録を記してているが、元就の孫の輝元所用本の注記には側近の名が認められる。吉川本は元春が書写したあと、元長や広家などが歴史や教養を身につけるために利用した可能性が高い。吉川家文書の元長自筆書状からは、元長が『太平記』に通じていたと考えられる文書の存在が確認できるからである。急成長を遂げた同一文化圏の中で、『太平記』がどのような意味を持っていたのか、検討を深めることができそうであるとの感触を得ている。また、大庭賢兼と元長の間には親交があったことから、元長の教養形成に賢兼が大きな意味を持っていたといえる。これらについて手がかりを求めて引き続き調査を続ける。なお、29年度は、毛利元就を始発点とする文化活動の広がりを考察するのに有益な資料を入手した。慶長三年二月十日興業の賦何木連歌一巻である。毛利元康が発句を詠じ、玄仲、晶叱、紹巴、景敏、友詮ら毛利家周辺で活躍した人物や連歌師等が参加している。時代は下るが毛利氏の文化活動の広がりの考察に利用したい。