著者
佐藤 卓己 渡辺 靖 植村 和秀 柴内 康文 福間 良明 青木 貞茂 本田 毅彦 赤上 裕幸 長崎 励朗 白戸 健一郎 松永 智子
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

情報化の先進諸国におけるメディア文化政策の展開を地域別(時系列的)、メディア別(地域横断的)に比較検討し、国民統合的な「文化政策」と情報拡散的な「メディア政策」を明確に区分する必要性を明らかにした。その上で、ソフト・パワーとしては両者を組み合わせた「メディア文化政策」の重要性が明らかになった。佐藤卓己・柴内康文・渡辺靖編『ソフトパワーとしてのメディア文化政策』を新曜社より2012年度中に上梓する。
著者
赤上 裕幸
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.35-50,188, 2012-02-29 (Released:2015-05-13)
参考文献数
55
被引用文献数
1

The purpose of this study is to explain how film was expected to take the place of print media when it emerged as a new media form in the 1920s and 30s. Recently, many people have proclaimed the imminent arrival of post-print culture due advances in information technology (e.g. e-books). It is not first time, however, for the Gutenberg galaxy (print media) to be in a crisis. In the 20s and 30s, media systems dramatically changed. For example, the publication of Enpon (1926) and the Iwanami-Bunko pocket-sized edition (1927) easily and cheaply spread information. Facing these changes in media and knowledge acquisition, some people hoped and believed that films, which had great influence on the public, would supersede print culture. They asserted that print culture had produced many elitists full of abstract notions that had nothing to do with real life. In particular, supporters of the post-print theory predicted that film could integrate enlightenment and entertainment. In other words, films as entertainment were expected to easily raise public cultural awareness. This is the central problem of the post-print theory, from which we can learn a lesson for the future. As the technology of visual media such as e-books, YouTube video and 3Dscreens becomes more sophisticated, it is more and more important for visual culture to perform an archaeology of post-print media.
著者
赤上 裕幸
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2011-03-23

新制・課程博士
著者
赤上 裕幸
出版者
京都大学大学院教育学研究科生涯教育学講座
雑誌
京都大学生涯教育学・図書館情報学研究 (ISSN:13471562)
巻号頁・発行日
no.6, pp.43-52, 2007-03

GHQ(General Headquarters、連合国総司令部)による占領期から特にその終結期にかけて「戦後反戦映画」が多数作られ、興行的にも大きな成功を収めている。1950年の『また逢う目まで』、『暁の脱走』、『きけわだつみの声』、1953年の『ひめゆりの塔』、『君の名は(第1・2部)』、1954年の『二十四の瞳』、『君の名は(第3部)』などがそれにあたる。 これらの反戦映画が、戦時中の映画体制との関わりの中で語られることはほとんどない。しかし、戦意高揚映画が多数作られ戦争に邁進していった戦中と、反戦映画が多数作られ平和国家建設に邁進していった戦後と、一体どれほどの違いがあるというのだろうか。近年のメディア史研究においては、戦前戦後の間に「断絶」ではなく「連続性」が存在すること、すなわち戦後のマス・コミュニケーション学のパラダイムが、戦中の総力戦体制に由来するということが指摘されている。 本論文では、この「総力戦の継続」という視点に着目し、占領期を中心とした時期(1945年~54年)を「戦後総力戦体制」と定義し、戦中も含めたメディア史の流れの中で、いかに「戦後反戦映画」を位置付けることができるかに重点をおいて分析していく。
著者
赤上 裕幸
出版者
京都大学大学院教育学研究科生涯教育学講座
雑誌
京都大学生涯教育学・図書館情報学研究 (ISSN:13471562)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.43-52, 2007-03-31

GHQ(General Headquarters、連合国総司令部)による占領期から特にその終結期にかけて「戦後反戦映画」が多数作られ、興行的にも大きな成功を収めている。1950年の『また逢う目まで』、『暁の脱走』、『きけわだつみの声』、1953年の『ひめゆりの塔』、『君の名は(第1・2部)』、1954年の『二十四の瞳』、『君の名は(第3部)』などがそれにあたる。 これらの反戦映画が、戦時中の映画体制との関わりの中で語られることはほとんどない。しかし、戦意高揚映画が多数作られ戦争に邁進していった戦中と、反戦映画が多数作られ平和国家建設に邁進していった戦後と、一体どれほどの違いがあるというのだろうか。近年のメディア史研究においては、戦前戦後の間に「断絶」ではなく「連続性」が存在すること、すなわち戦後のマス・コミュニケーション学のパラダイムが、戦中の総力戦体制に由来するということが指摘されている。 本論文では、この「総力戦の継続」という視点に着目し、占領期を中心とした時期(1945年~54年)を「戦後総力戦体制」と定義し、戦中も含めたメディア史の流れの中で、いかに「戦後反戦映画」を位置付けることができるかに重点をおいて分析していく。