著者
佐藤 卓己 渡辺 靖 植村 和秀 柴内 康文 福間 良明 青木 貞茂 本田 毅彦 赤上 裕幸 長崎 励朗 白戸 健一郎 松永 智子
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

情報化の先進諸国におけるメディア文化政策の展開を地域別(時系列的)、メディア別(地域横断的)に比較検討し、国民統合的な「文化政策」と情報拡散的な「メディア政策」を明確に区分する必要性を明らかにした。その上で、ソフト・パワーとしては両者を組み合わせた「メディア文化政策」の重要性が明らかになった。佐藤卓己・柴内康文・渡辺靖編『ソフトパワーとしてのメディア文化政策』を新曜社より2012年度中に上梓する。
著者
植村 和秀
出版者
京都産業大学法学会
雑誌
産大法学 = Sandai law review (ISSN:02863782)
巻号頁・発行日
vol.53, no.03/04, pp.625-643, 2020-01
著者
瀧井 一博 大久保 健晴 勝部 眞人 植村 和秀 永井 史男 谷川 穣 前田 勉 國分 典子 五百籏頭 薫 小川原 正道 松田 宏一郎 島田 幸典 佐野 真由子 塩出 浩之 福岡 万里子 中村 尚史 牛村 圭 今野 元 山田 央子 清水 唯一朗 岩谷 十郎 奈良岡 聰智 Breen John
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

明治維新から150年が経過した。日本は今、明治日本という西洋近代に対する稀有なキャッチアップを遂げた自らの歴史的経験を振り返り、その経験を学術的に分析して、その功罪を人類の歴史的遺産として今後似たような歩みをするかもしれない世界中の他の国々や地域に対して提供する使命を有しているといえる。本研究課題においては、明治日本の世界史的意義を学際的かつ内在的に把握するための研究ネットワークを構築することが掲げられた。そのために、海外の研究者とも積極的に連携して、明治史のグローバルな関心と日本の学界を接合することを促進した。
著者
植村 和秀
出版者
西田哲学会
雑誌
西田哲学会年報 (ISSN:21881995)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.35-53, 2010 (Released:2020-03-23)

1943 verfasste Kitaro Nishida seinen Entwurf über Prinzipien für eine neue Weltordnung[sekai shinjitsujo no genri]. Darin schlug er der japanischen Regierung vor, dass ihre künftige Aussenpolitik auf schöpferischen Prinzipien beruhen müsse, damit eine neue geschichtliche Epoche durch Schaffung einer weltpolitischen Neuordnung insbesondere im asiatischen Raum, die China, Japan und Südostasien umfassen sollte, eingeleitet werden könne. Nishida forderte dabei von der damaligen Regierung Tojo(1941-1944)ein weltpolitisches Umdenken durch Abgehen vom bisherigen imperialistischen Grundton der japanischen Aussenpolitik. Er hoffte ernstlich, dass sein Konzept von der Regierung aufgenommen und als Teil des Regierungsprogramms vor dem Parlament offiziell verkündet werde. Doch Nishidas Entwurf hatte letztlich keinerlei politischen Einfluss auf die Gestaltung der japanischen Aussenpolitik ausgeübt. Warum waren Nishidas Bemühungen vergebens ? Dazu kann man drei Gründe anführen: ・Erstens hatte die Kokusaku Kenkyukai,[Forschungsgemeinschaft Staatspolitik], die sich damals aus hohen Beamten, Politikern und Akademikern zusammensetzte, entgegen den Vorstellungen Nishidas nicht einen so grossen Einfluss, als dass sie sich bei der Tojo-Regierung mit seinem Konzept Gehör verschaffen haette können. ・Zweitens hatte die Tojo-Regierung auch gar nicht das philosophische Verlangen nach einer weltpolitischen Wende. ・Drittens konnte-oder wollte - Nishida auch nicht die politischen Realitäten eines totalitären Staates, der in einen Weltkrieg verwickelt war, verstehen. Jedenfalls gelang es Nishida nicht, noch zu Lebzeiten politischen Einfluss zu erlangen. Aber sein Weltordnungskonzept an sich, hat auch noch für die heutige Zeit schöpferisches Potential. Daher ist es von Wert, Nishidas Entwurf nochmals zu analysieren und kritisch zu durchleuchten.
著者
植村 和秀
出版者
京都産業大学法学会
雑誌
産大法学 (ISSN:02863782)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.70-127, 2011-06
著者
植村 和秀
出版者
京都産業大学法学会
雑誌
産大法学 (ISSN:02863782)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.1-18, 2009-06

はじめに第一章 高坂正顕の「民族の哲学」第二章 「民族の哲学」の特徴と限界おわりに
著者
植村 和秀
出版者
京都産業大学
雑誌
産大法学 (ISSN:02863782)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.1-39, 2007-07
著者
植村 和秀
出版者
京都産業大学
雑誌
産大法学 (ISSN:02863782)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.1-18, 2009-06
著者
稲垣 恭子 竹内 洋 佐藤 卓己 植村 和秀 福間 良明 井上 義和
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

1920〜30年代におけるアカデミズムとジャーナリズムを中心とする「知識人的公共圏」について、2ヶ月に1度のペースで研究会を開催し、それぞれのテーマについて報告した。そのなかで各自の研究成果の土台をつくると同時に、共同研究としての共通の方向性と知見を集約していった。その成果は『日本主義的教養の時代』(柏書房2006年)として刊行している。また、本研究グループと京都大学社会学環との共同開催による公開シンポジウム、および各自の研究論文、著書として発表している。シンポジウム、各自の著書は以下の通りである*公開シンポジウム「大学批判の古層-『日本主義的教養の時代』から」(平成17年6月21日京都大学時計台記念館)竹内洋『大学という病-東大紛擾と教授群像』中公文庫2007年佐藤卓己『テレビ的教養-一億総博知化への系譜』NTT出版2008年稲垣恭子『女学校と女学生』中公新書2007年佐藤八寿子『ミッション・スクール』中公新書2006年福間良明『殉国と反逆-「特攻」の語りの戦後吏』青弓社2007年植村和秀『「日本」への問いをめぐる闘争-京都学派と原理日本社』柏書房2007年石田あゆう『ミッチーブーム』文春新書2006年井上義和他(解題)『日本主義的学生思想運動資料集成I雑誌篇(全9巻)』柏書房2007