著者
遠藤 匡俊
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.85-106, 2012 (Released:2012-10-25)
参考文献数
48

定住性が高い狩猟採集社会である1864∼1869(元治元∼明治2)年の東蝦夷地三石場所のアイヌ集落を対象として,定住性の程度と集落の血縁率の関係を分析した。その結果,「集落の存続期間が長くなると血縁率は低くなる」という傾向はとくに認められなかった。また「家の同一集落内滞在期間が長くなると血縁率は低くなる」という傾向もとくに認められなかった。集団の空間的流動性の程度と集落の血縁率の関係を分析した結果,分裂・結合の流動性の程度と集落の血縁率の間にもとくに関係はなかった。これは集団の空間的流動性が,移動する家のみで形成されるのではなく,集落内に定住する家と移動する家の組み合わせで生じており,集団の空間的流動性には血縁共住機能があり集落の血縁率が維持されているためと考えられる。集落の血縁率の変動率(絶対値)は平均24.9%と大きく,その変動は主に集団の空間的流動性に起因していた。多くの場合に集落の血縁率は50%以上に保たれており,血縁率は平均73.6%である。この結果は,三石場所のアイヌ集落においては,移動性(あるいは定住性)の程度に関わりなく,集団の空間的流動性によって集落の血縁率は低下しない可能性,つまり国家という枠組みのなかに組み込まれながらも「血縁から地縁へ」という変化は生じない可能性があることを示唆する。
著者
遠藤 匡俊 張 政
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 = Quarterly journal of geography (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.17-27, 2011-03-01
参考文献数
42

世界の狩猟採集社会の特徴の一つとして集団の空間的流動性があげられる。これまで複数の異なる民族を対象として流動性の程度を比較した研究例はほとんどみられなかった。本研究の目的は,アイヌとオロチョンを例に,集団の空間的流動性の程度を比較することである。分析の結果,以下のことが明らかとなった。集落共住率(<i>U</i>)を算出した結果,同一集落内に定住する傾向が強く集落を構成する家があまり変化しなかった紋別場所のアイヌでは,集落共住率(<i>U</i>)が0.9&sim;1.0である家の総家数に占める割合は73%ほどであった。一方,多くの家が集落間で移動する傾向が強く集落構成が流動的に変化していた三石場所のアイヌでは,集落共住率(<i>U</i>)が0.9&sim;1.0である家の総家数に占める割合は43%ほどであった。三石場所のアイヌと同様に,集落構成が流動的に変化していたオロチョンでは,集落共住率(<i>U</i>)が0.9&sim;1.0である家の総家数に占める割合は25%とさらに低く,0.1&sim;0.2の家は33.3%,0.3&sim;0.4の家は25%であった。13年間における集落共住率(<i>U</i>)の経年変化をみると,オロチョンの値は常に0.11&sim;0.33であり,三石場所のアイヌよりも下回っていた。アイヌの事例を1戸ずつ検討しても,集落共住率(<i>U</i>)の値が常に0.4未満であるような事例は1例もなかった。アイヌ社会のなかでも三石場所のアイヌ集落においては集団の空間的流動性が大きかったが,オロチョンの一家の場合にはさらに流動性が高かった可能性がある。
著者
遠藤 匡俊 ENDO Masatoshi
出版者
岩手大学教育学部社会科教育科
雑誌
岩手大学文化論叢 (ISSN:09123571)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.75-91, 2009

明治期以前のアイヌの生活を知るうえでは,文字で記された史料,絵図,地図など様々な種類の歴史的史料が有効である。アイヌの人々に遵守されていた「すでに死亡した人や近所に生きている人と同じ名前を付けない」という命名規則,あるいは集落,家族構成などの研究において,必要不可欠な史料として人別帳があげられる。人別帳には、一人ひとりの名前,年齢,続柄等が家という単位で記されているだけでなく,複数の家が含まれる集落,さらには複数の集落が含まれる場所の各単位で記されている。アイヌの人別帳は,1800年代中期のものは蝦夷地のなかでも多くの地域に関するものが多数残存しているが,1800年代初期のものになると残存するものはかなり限られており,1800(寛政12)年の択捉(エトロフ)場所,1803(享和3)年の厚岸(アッケシ)場所,1812(文化9)年の静内(シズナイ)場所,1822(文政5)年の高島(タカシマ)場所,1828(文政11)年の北蝦夷地東浦(南カラフト東海岸)などの少数の地域の史料が知られているにすぎない。 北海道江別市の北海道立図書館北方資料室には,1825(文政8)年の「フルウ場所土人人別改」という史料が所蔵・保管されている。この史料は,文政8年の西蝦夷地古宇(フルウ)場所におけるアイヌの人別帳の写本である。これは原稿用紙にペン書きで記された写本であり,「フルウ場所土人人別改」の原本は文政8年6月に作成されたものと判断されるが,その後かなりの時間が経過して明治期以降になってから筆写されたものと考えられる。原本の所在はまだ明らかではないものの,残存する1800年代初期のアイヌの人別帳は非常に数少なく,当時のアイヌの生活を知るうえで貴重な史料であると考えられる。 1800年代初期のアイヌの社会構造の特徴として,厚岸場所や択捉場所周辺地域の研究によって,多数の家来や妻妾を持つ有力者の存在が挙げられてきた(高倉,1940;川上,1986;菊池,1991;海保,1992;岩崎,1994)。一方,択捉場所,厚岸場所,静内場所,高島場所,北蝦夷地東浦の研究によって,1800年代初期のアイヌの社会構造の特徴として同居者の存在があげられ(遠藤,2004a),「すでに死亡した人や近所に生きている人と同じ名前を付けない」という命名規則が存在しその空間的適用範囲はかなり広い地域にまで及んでいたことが示されている(遠藤,2004a)。古宇場所の事例は,1800年代初期のアイヌの社会構造や命名規則の空間的適用範囲のなかで,どのように位置付けられるのであろうか。 本研究の目的は,「フルウ場所土人人別改」を用いて,1825(文政8)年の古宇場所におけるアイヌの家構成員の人口構成を復元し,「近所に生きている人と同じ名前を付けない」という命名規則の空間的適用範囲を明らかにすることである。そして文政8年の古宇場所のアイヌの家と命名規則の実態を,既に公表した1800年代初期の5地域(寛政12年の択捉場所,享和3年の厚岸場所,文化9年の静内場所,文政5年の高島場所,文政11年の北蝦夷地東浦)の実態(遠藤,2004a)と比較して考察することである。
著者
遠藤 匡俊
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.79-100, 1994
被引用文献数
6

漁携・狩猟・採集生活をしていたアイヌが和人の影響を受けるようになった段階で,家の構成員が流動的に変化していた現象が確認されている.しかし,家の構成員が流動的に変化する原因とメカニズムは不明であった.天保5 (1834) ~明治4 (1871) 年の高島アイヌでは,多くの家が高島場所内にとどまっていたが,家単位の居住者を追跡した結果,個人の家間移動が激しく,家の構成員は流動的に変化していた.家間移動回数を比較すると,家構成員が流動的に変化していた高島・紋別場所では2回以上の移動者が多く,家構成員が固定的であった静内場所と樺太南西部ではほとんどが1回であった.すなわち,家構成員の流動性はおもに2回以上の移動者によって惹き起こされていた.高島アイヌで個人の家間移動が激しく生じたおもな原因は,高い死亡率と離婚である.とくに配偶者との死別・離別によって,親子・兄弟姉妹の居住する家へ移動したり,再婚のたあに他家へ移動するために2回以上の移動が生じ,家構成員は流動的に変化していた.家構成員の流動性は,必ずしも狩猟・採集という生業形態や遊動性とはかかわりなく生じていた.