著者
福本 義憲 保阪 靖人 荻野 蔵平 岡本 順治 伏見 厚次郎 幸田 薫 重藤 実
出版者
東京都立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

言語構造・文法を抽象的な規則の体系とみなす近代の構造主義的言語理論と並んで、文法構造とコンテクストの不可分な関係を重視する言語理論がある。前者は構造言語学、生成文法と引き継がれて、意味構造・統語構造・音韻構造の一定の自律性を前提としているのに対し、後者は、コンテクスト・発話状況・日常知識・発話者の意図を出発点とし、文法(意味・統語・音韻)のコンテクスト依存性に着目する。だが、このふたつの観点は必ずしも互いに対立するものではなく、むしろ相互補完的な働きをしている。言語能力と言語活動の全体像を捉えるためには、他方を排除するのではなく、この相互補完的な観点に立脚する必要がある。この考え方は「文法と知識のインターフェイス」というキーワードに集約することができる。本研究では研究分担者がそれぞれ独自の領域を研究することによって、全体像を捉えようとするものであり、各研究者の成果は、個別の論文並びに、平成15年度に作成した成果報告集にまとめられている。細かな4年間の活動については成果報告書にまとめられているが、特に次のような活動を行ってきた。1.4年間にわたる、研究成果報告集の作成を行い、そのために2003年9月21日に研究分担者が集まる会合を都立大学で開いた。2.毎年研究分担者との会合を開くとともに、海外の研究者を招き、講演会並びに討論会を開催してきた。3.研究分担者の研究を進めるために、研究代表者並びに研究分担者がドイツ語圏(オーストリア・ドイツなど)へ資料収集並びに研究発表に出かけた。4.日本独文学会(年二回)で口頭発表並びにポスターセッションでの発表を行った。
著者
杉田 弘子 重藤 実 踊 共二 新田 春夫 川中子 義勝 GRAEB?KONNEKER Sebastian
出版者
武蔵大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

本研究は社会史的視点からドイツ語の歴史的発展を近世から現代にいたるドイツ社会の変遷との関わりにおいて捉え直そうとするものである。15〜16世紀ドイツの言語と社会に関して踊は、宗教改革運動における大衆向け活版印刷物を分析し、宣伝ビラや「新聞」が大衆メディアとして一般信徒の日常生活に浸透し、相互のコミュニケーションに重要な役割を果たしていたことを明らかにした。16、17世紀について新田は、この時代、遠隔地とのコミュニケーションが増えたことから文書の社会的重要性が高まった結果、書き言葉が言語的規範となり、ドイツ語も書き言葉的性格を強めたことをルターのドイツ語の分析によって示した。また、重藤は、近世ドイツ語を中心に現代語に至るまでの分詞によるさまざまな構文を分析し、ドイツ語における分詞用法の歴史的衰退を代替表現との関連において考察し、他の言語との比較によってその類型的位置付けを試みた。18世紀ドイツの言語思想の流れの中で川中子は、ハーマンの言語論を中心的な分析対象とし、彼の言語思想における詩学・文芸学、とくに、比喩形象・修辞の役割を明らかにした。また、ハーマンの生涯について調査し、その全体像を描いて、著書にまとめた。19世紀について杉田は、ニーチェの言語思想を同時代の社会的思想状況の背景において分析し、彼の言語不信はその優れた言語芸術上の才能と知見のゆえのアンヴィアヴァレントな現れであることをを明らかにした。20世紀のドイツの言語と社会に関してSebastian Graeb-Konnekerは、ナチズム運動における文学と言語の問題を分析し、そのさまざまな言語的な現象の具体例をDokumentationという形で公刊した。
著者
松浦 純 浅井 健二郎 平野 嘉彦 重藤 実 イヴァノヴィチ クリスティーネ 浅井 健二郎 西村 雅樹 藤井 啓司 松浦 純 冨重 純子
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2003

この研究では、4年間で計9回の研究会を開催し、のべ63名から研究成果の報告を受け、討論を行った。トピックは次のようなものであった。・記憶と身体に関する研究・記憶のメディア、メディアと記憶に関する研究・集合的記憶と文化的アイデンティティーに関する研究・記憶と意識、記憶と無意識、記憶と忘却に関する研究・記憶と痛みに関する研究これらのトピックに関して、具体的な分析対象として取り上げられたのは、ヘルダーリン・ニーチェ・リルケ・カフカ・ベンヤミン・フロイト・レッシング・マン・ゲーテ・グリルパルツァーなどの作家・批評家たちである。これまでの研究から、広義の「記憶」にあたるドイツ語の類義語はさまざまあり、ドイツ文学に表現された記憶の系列は多岐にわたっていることが明らかになった。記憶とはもともと過去に由来するものだが、文学テクストにおける記憶は、過去・現在・未来という直線的な時間観念とは異なった時間を内包している。また記憶とは元来は個人の機能であるはずだが、その記憶を保ち続けることにより、記憶が集合的な歴史へと拡大されるシステムを持つことも明らかになった。特に「痛み」の記憶は、個人にとっても社会にとっても忘れがたいものであり、文学テクストにおいても痛みの聖化・神秘化・倒錯など、さまざまな表現形式が存在する。これまでに明らかになった上記のような研究成果をまとめ、さらに今後研究を進めることが必要だと思われる点を検討した。特に「痛み」という文化ファクターの視点からドイツ文学における表現形式を検討することは、この研究では十分にはできなかったので、今後の重要な課題として残ることになった。