著者
高階 絵里加
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.13-32, 2011-03

現在,自然科学の分野においては,可視的な身体的特徴にもとづく人間の分類に大きな疑問が投げかけられている。いっぽうで,一般社会においては,とりわけ肌の色の違いをもとにした「白色・黄色・黒色」の三分類がひとつの典型的な人種カテゴライズの方法として根強く定着している。本小論では,視覚的伝統における人種の三区分の一つの例として,<東方三博士の礼拝〉の図像をとりあげる。〈東方三博士の礼拝〉は,西洋美術の中で最も数多く絵画や彫刻に制作され,親しまれている図像のひとつであるが,造形美術において「肌の色による人間の三分類」が典型的にあらわれる例でもある。その背景には「異邦人を含む全人類を包括する普遍的宗教としてのユダヤ=キリスト教」の思想が存在し,とくに肌の色の描き分けによって三人の博土が人類の三つの民族を表すという美術上の表現は十四世紀から十五世紀にかけてまず北ヨーロッパにおいて,ついでイタリアや他の国々で定着する。とくに十五世紀には三人の中の一人が黒人主として描かれる例が増えはじめ,西洋社会において一般にネガティブな価値を与えられてきた「黒い肌」が<東方三博士>においては<高貴な異邦人>の象徴となっている点は興味深い。ここから近代的「人種」概念以前の時代の異邦人表現としての<東方三博士の礼拝>図像の特徴を考える。
著者
竹沢 泰子 斎藤 成也 栗本 英世 貴堂 嘉之 坂元 ひろ子 スチュアート ヘンリー 松田 素二 田中 雅一 高階 絵里加 高木 博志 山室 信一 小牧 幸代
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

本研究は、京都大学人文科学研究所における定期的な共同研究会と2002年に国際人類学民族学会議において東京と京都において行った国際シンポジウムをもとに、推進してきた。共同研究では年間13日間開催し、毎回5時間以上かけ2人以上が報告を担当した。これまで検討してきた人種の概念に加え、人種の表象と表現に焦点を当てながら、人種の実在性についても、発表や討議を通して研究を発展させた。本研究の最大の成果は、2002年に国際人類学民族学会議において東京と京都において行った国際シンポジウムをもとに、学術研究書をまもなく刊行することである(竹沢泰子編 人文書院 2004)。この英語版も現在アメリカ合衆国大学出版局からの出版にむけて、準備中である。本研究の特色のひとつは、その学術分野と対象地域の多様性にある。さまざまな地域・ディシプリンの人種概念を包括的に理解する装置として、編者(研究代表者)は、小文字のrace、大文字のRace、抵抗としての人種RR(race as resistance)を主張する。それによって部落差別などの意見目に見えない差別の他地域との共通性が見えてくる。さらに、それぞれの三つの位相がいかに連関するかも論じた。また人種概念の構築や発展にとって、近代の植民地主義と国民国家形成がいかに背後に絡んでいるかも考察した。具体的には、まず広告、風刺画、文学作品、芸術作品に見られる人種の表象、アフリカや南米でのアフリカ人の抵抗運動、言説分析、ヒトゲノムや形質(歯や頭骨)からみたヒトの多様性なである。地域的にも、琉球、中国、インド、ドイツ、フランス、アフリカ、アメリカ、南米などにわたった。
著者
高階 絵里加
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.100, pp.13-32, 2011

現在,自然科学の分野においては,可視的な身体的特徴にもとづく人間の分類に大きな疑問が投げかけられている。いっぽうで,一般社会においては,とりわけ肌の色の違いをもとにした「白色・黄色・黒色」の三分類がひとつの典型的な人種カテゴライズの方法として根強く定着している。本小論では,視覚的伝統における人種の三区分の一つの例として,<東方三博士の礼拝〉の図像をとりあげる。〈東方三博士の礼拝〉は,西洋美術の中で最も数多く絵画や彫刻に制作され,親しまれている図像のひとつであるが,造形美術において「肌の色による人間の三分類」が典型的にあらわれる例でもある。その背景には「異邦人を含む全人類を包括する普遍的宗教としてのユダヤ=キリスト教」の思想が存在し,とくに肌の色の描き分けによって三人の博土が人類の三つの民族を表すという美術上の表現は十四世紀から十五世紀にかけてまず北ヨーロッパにおいて,ついでイタリアや他の国々で定着する。とくに十五世紀には三人の中の一人が黒人主として描かれる例が増えはじめ,西洋社会において一般にネガティブな価値を与えられてきた「黒い肌」が<東方三博士>においては<高貴な異邦人>の象徴となっている点は興味深い。ここから近代的「人種」概念以前の時代の異邦人表現としての<東方三博士の礼拝>図像の特徴を考える。The categorization of race by visible distinctions is approached with skepticism by scholars in the field of natural sciences, However, society generally and stereotypically categorizes race into three different skin colours- white, yellow and black- and this view is still quite widespread, This paper describes and analyzes the Adoration of The Three Magi, a subject very frequently represented in Western paintings and sculptures, as typical examples of such visual representation that clearly emphasize the different skin colours of the three subjects, According to the Judeo- Christian universalist tradition, the three magi represent all people- races- on earth, including the Gentiles, During the fourteenth and fifteenth centuries, the three magi were a common expression used to symbolize all mankind, first in northern Europe, then later in Italy and other countries, In the fifteenth century, one of the magi was represented as a black prince. Although the colour black and black skin have been given negative connotations in the European tradition, the black prince in the Adoration of The Three Magi is symbolized as a noble Gentile, If the race conception is seen as essentially modern, the Adoration of The Three Magi then represents the expression of the various world races in the pre- modern era.
著者
高階 絵里加
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.19-35, 2011-03

明治期の洋画家である高橋由一の油彩作品にっいては, 近年, その革新性のみならず, 江戸美術とのつながりにみられるような伝統的側面も研究されてきている。由一の風景画のなかでも, 明治14-5年ごろの制作とされる《山形市街図》は, 同構図の写真との影響関係から, 従来, 伝統的風景表現を脱した写実的絵画とみなされてきた。本小論では, この《山形市街図》が, 写真にもとづきながらも, 遠近法の消失点に中心モティーフを置く独特の手法において, 江戸名所絵の伝統を踏襲していることを指摘する。また, 群童にはない空の表現や点景人物の加筆などの点においても, 広重のような江戸の浮世絵風景版画の描き方とのっながりが見られることを考察する。
著者
高階 絵里加
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.101, pp.19-35, 2011

明治期の洋画家である高橋由一の油彩作品にっいては, 近年, その革新性のみならず, 江戸美術とのつながりにみられるような伝統的側面も研究されてきている。由一の風景画のなかでも, 明治14-5年ごろの制作とされる《山形市街図》は, 同構図の写真との影響関係から, 従来, 伝統的風景表現を脱した写実的絵画とみなされてきた。本小論では, この《山形市街図》が, 写真にもとづきながらも, 遠近法の消失点に中心モティーフを置く独特の手法において, 江戸名所絵の伝統を踏襲していることを指摘する。また, 群童にはない空の表現や点景人物の加筆などの点においても, 広重のような江戸の浮世絵風景版画の描き方とのっながりが見られることを考察する。In recent years, it has been pointed out by several scholars that the oil paintings by Takahashi Yuichi, one of the predecessors of Western-style painting in the Meiji era of Japan, have several traditional aspects as well as a visual radicality. Among his landscape paintings, the View of Yamagata City was probably painted after the photograph of the same composition and has been considered as a realistic painting devoid of any traditional elements. Despite its close relationship to the photograph, this paper reconsiders the View of Yamagata City as a landscape painted within the tradition of the Famous Views of Yedo, showing the same style which set the major motif on the vanishing point of perspective. Moreover, the expression of the sunset sky and the existence of small-scale people, which do not appear in the photograph are also reminiscent of landscape prints by Ukiyo-e painters such as Hiroshige.