著者
金原 俊輔 Shunsuke Kanahara 長崎ウエスレヤン大学現代社会学部福祉コミュニティ学科 Faculty of Contemporary Social Studies Nagasaki Wesleyan University
出版者
長崎ウエスレヤン大学
雑誌
長崎ウエスレヤン大学現代社会学部紀要 (ISSN:13481142)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.21-28,

行動療法は、インフォームド・コンセントを重んじ、実験を通して有効性が確認されたエビデンス・ベーストの技法を用い、クライエントが望む介入結果に至ることがめずらしくない、心理療法である。しかし、研究者や実践者たちにおけるこの療法への敬意は必ずしも高くはなく、とりわけ日本においてその傾向が強い。本論文は、文献などに見られる「行動療法は人間をネズミあつかいする」「クライエントの過去の経験を重視しない」「冷たい」といった諸批判を検討するものである。まず、行動療法の母体である行動心理学を解説する。続いて行動療法を概観し、特にその技法を詳述する。以上を通して行動療法の位置と性格を明らかにした後、これまで行動療法に与えられてきた19種類の典型的な批判を紹介して各批判に検討を加える。検討は「批判への回答」形式でおこなうが、その内容は、科学というアプローチに対する誤解の指摘、行動心理学と行動療法を混同していることの指摘、ヒューマニスティックという語の定義の再考、などから成り立っている。
著者
神里 博武 Hirotake Kamizato 長崎ウエスレヤン大学現代社会学部福祉コミュニティ学科 Faculty of Contemporary Social Studies Nagasaki Wesleyan University
出版者
長崎ウエスレヤン大学
雑誌
長崎ウエスレヤン大学現代社会学部紀要 (ISSN:13481142)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.1-8,

2002年度から国の「待機児童ゼロ作戟」が始まっているが,保育所入所を待機している児童いわゆる待機児童の解消を図ることは,非常に困難なようである。本稿では全国的に待機児童の多い沖縄県の状況を検討しながら,行政がいくら待機児童対策を講じてもなかなか減少しない,沖縄の保育状況を分析し考察した。その結果,待機児童を「顕在化した待機児童」と「潜在的な待機児童」に分けて,潜在的待機児童にメスを入れることの必要性を強調した。待機児童の背後に存在する膨大な潜在的待機児童の状況を明らかにするために,沖縄県の保育問題としての認可外保育施設や5歳児保育問題について検討した。
著者
佐藤 快信 Yoshinobu Sato 長崎ウエスレヤン大学現代社会学部福祉コミュニティ学科 Faculty of Contemporary Social Studies Nagasaki Wesleyan University
出版者
長崎ウエスレヤン大学
雑誌
長崎ウエスレヤン大学地域総合研究所研究紀要 (ISSN:13481150)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.1-7,

これまでの地域づくりにおける課題として,行政主導によって策定され住民などの意思の反映が充分でなかったこと,生活空間と策定される圏域のずれが生じてきていることなどをあげ,今後の地域づくりでは,地域特性を生かしながら地域間の連携が効果的であり,基盤整備を充分おこなうことと並行して地域連携を活かした活性化を図る方向性を示した。そうしたなかで,地域資源を如何に活用するかという連携を含めた視点からエコミュージアムの手法が有効であることを示唆し,今後の地域づくりの改革の方向性として重要と考えられる指標の意義とその方向性について,アウトカム指標の導入と住民参画の必要性を示した。
著者
亘 明志 Akeshi Watari 長崎ウエスレヤン大学現代社会学部社会福祉学科 Faculty of Contemporary Social Studies Nagasaki Wesleyan University
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.49-55,

現代のメディア文化において、視覚的要素、とりわけスペクタクルが重要な位置を占めることはいうまでもない。このスペクタクルを、単に「見世物」という限られた意味ではなく、現代社会を構成する基本的な原理として考察したのが、ギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』である。ドゥボールはアカデミックな研究者ではない。レトリスムを標榜する前衛的な映像作家として出発し、都市を中心にさまざまな芸術活動、政治活動を行い、「漂流」「転用」あるいは「状況の構築」といった実践的な概念を作り出していく。こうしてドゥボールは、現代社会を批判的に把握するキー概念として、「スペクタクル」という概念に到達するが、その背景には膨大な実践があるだけに、語義の詮索だけでは十分ではない。そこで、現代のメディア文化をとらえる一つの視点として、(1)ドゥボールの「スペクタクル」という概念はいかにして形成されたのか、(2)現代社会を「スペクタクルの支配」ととらえたときに切り開かれる問題系はどのようなものか、(3)「スペクタクル」の概念をめぐって提起されるあらたな課題はどのようなものか、について考察した。
著者
福留 範昭 亘 明志 Noriaki Fukudome Watari Akeshi 強制動員真相究明ネットワーク事務局 長崎ウエスレヤン大学現代社会学部社会福祉学科 Faculty of Contemporary Social Studies Nagasaki Wesleyan University
出版者
長崎ウエスレヤン大学
雑誌
長崎ウエスレヤン大学地域総合研究所研究紀要 (ISSN:13481150)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.17-23,

本稿は、朝鮮人強制動員犠牲者の遺骨およびその返還に関し、主として実地調査および社会運動への参与観察に基づく考察である。現在、日韓政府によって強制動員犠牲者の遺骨返還事業が行われている。しかし、「民間徴用者」の遺骨の返還に関しては、いまだ具体的な方針が立てられておらず遺骨の確認や収集に困難が予想される。戦後60年以上経た現在、記録や人びとの記憶が喪失されつつあり、強制動員犠牲者の遺骨の確認が難しいからである。本稿では、遺骨を探す韓国の遺族の状況(第二節)、日本に残されている強制動員犠牲者の遺骨の実態や遺骨の調査・発掘について考察した(第三節)。そしてこれらを踏まえ、日韓の遺骨返還事業を意味あるものにするために、問題点を指摘した(第四節)。