著者
佐々木 洋成
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.219-234, 2000-09-30

本稿では, 階層再生産論における主要概念である教育的地位達成に焦点をあて, 業績としての教育達成に与える属性要因の影響を動態的に探索することにその目的があり, 従来の研究とは以下の2点で識別される.1. 教育達成尺度として高等教育間格差すなわち学校歴を採用しており, 学歴以上に世代間の関連を精緻に検討できる.2. 父母教育達成の組み合わせを分析に投入し, 子達成に与える親属性の影響を父母各々に分割せず世帯単位で設定して検討している.<BR>分析では1992年11 月実施の35~49 歳女性を対象とした東京調査データを使用した.P. ブルデューの階層再生産論に基本的に整合する結果であり, 世代間教育達成の強い関連が高等教育レベルの学校歴という形で明確に確認され, 達成地位の世代間継承として位置づけられる.しかし, 親世代の教育達成から子世代への継承形態は単調的なものではなかった.この非単調的な関連は, 親属性の効果を, 子が成長する家族背景として重要である世帯単位で変数設定した場合でも認められるものだった.これらの結果は, われわれがこれまで教育年数を用いて把握し理解してきた教育達成の世代間継承のみならず, それを超えた世代間継承が存在していることを示唆している.
著者
池田 昭
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.2-17, 1970-01-30

M. Weber's wiew of Japanese religion is one of the vague problems to grasp because of his few description about it. But fortunately his comparative study of sociology of religion gives us an aid to that. He tried to clear up the cause of "innerweltliche Askese" in Protestantism through the typological method in it. Therefore I think that the knowledge of the frames of reference in his methodology would make possible for us to approach the Japanese religion about which he made only a few descriptions. <BR>He set up three frames in order to understand "innerweltliche Askese" in Protestantism. The first frame is the idea of God, of relief, and of the future life, and the second is the idea of creature, and the third is the idea of way of relief. And he set up various conceptual schemes according to these three frames and characterized the Oriental and the Occidental religions in comparison with Protestantism. He included "Heilandsreligiosiatät" "Sakramentsgnade", "Glaubensreligiositat", "Pradestinationsgnade", "Ritualismus" and "soziale Leistung" in them. Needless to say, he characterized the "innerweltliche Askese" in Protestantism with "Pradestinationsgnade" and a kind of "soziale, Leistung". On the other hand he characterized the Asian religion with the other kinds of conceptual schemes. <BR>As for the Japanese religion he understood it in the same way as he did Asian religion. He characterized it with "Heilandsreligiositat", "Sakramentsgnade", "Glaubensreligiositat", "Ritualismus" and "soziale Leistung". Though he found out great similarity between the Shinshu sect and Protestantism, he approach to it only with the conceptual schemes of "Heilandsreligiositat", "Glaubensreligiositat" and "Gebetsreligiositat". <BR>Speaking about Japanese religion characterized by these conceptual schemes on the level of value theory, it seems to me that it has a value of "Shijyo" and of "Bundan" in my term in accordance with the "wertrational" and the "zweckrational" value in Protestantism. A value of "Shijyo" is the value found in religious action with which they believe in God or Hotoke for itself on the level of emotion. A value of "Bundan" is the value found in religious action with which their daily lives are systematized relatively from the view of the principle of religious ideal. <BR>These concepts that I mentioned above is shown further in my humble work under the title of "Introduction to the study of Japanese mentality". Please refer to it.
著者
小川 博司
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.17-30, 1980-12-31
被引用文献数
1

匿名性は、社会と個人の問題を、根源的に提示する概念である。何故ならば、社会とは、固有名をもった個人が、匿名的な存在となるところに存立すると考えられるからである。A・シュッツの匿名性の概念は、この問題を考える際に、示唆に富んでいる。<BR>シュッツは匿名性の様々な程度を照射する虚の光源としてわれわれ関係を想定する。われわれ関係は、相互的な汝志向を基盤とし、そこでは他者は、時間・空間の直接性のうちに経験される。シュッツによれば、他者を間接的に経験すればするほど、他者の匿名性の程度はより高くなるとされる。尚、時間・空間の直接性は、われわれ関係の成立のための必要条件ではあるが、十分条件ではない。シュッツの匿名性の概念は、次の諸相に分節化される- (1) 機能的類型として匿名性、 (2) 「知られていない」という意味の匿名性、 (3) 社会的世界の構成原理としての匿名性、 (4) 所与の社会構造のもつ匿名性。<BR>(1) (2) は、個人としての他者の経験に関連する。 (3) (4) は、社会制度、言語、道具など、匿名性の高い領域に関連する。それらは、一方では匿名化による構成物であり、他方ではわれわれ関係の舞台に配置されている諸要素でもある。シュッツの理論では、 (3) と (4) は、匿名性とわれわれ関係という二つの鍵概念により結合されている。<BR>以上の匿名性の分節化は、社会の存立の考察、また現代社会の諸問題の考察に有用であろう。<BR>匿名性 (anonymity) という概念は、社会学においては、従来、主に大衆社会論的文脈の中で、都市社会やマス・コミュニケーションにおける人間関係の特徴を表わすものとして用いられてきた (1) 。しかし、匿名性は、社会と個人、もしくは類と個の問題を、より根源的に提示する概念であるように思われる。何故ならば、社会とは、固有名をもった人間個体が匿名的な存在となるところに存立すると考えられるからである。本論文は、主にA・シュッツの匿名性の概念の検討を通して、現代社会において、個人と社会とが絡み合う諸相を解き明かすための視角を提出しようとする試みである (2) 。<BR>以下、具体的には、シュッツが匿名性の程度を示すためにあげた例示の検討を通して、順次、匿名性の諸相を抽出し、検討していくことにする。