著者
藤田 弘夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.56-70, 1976-07-31 (Released:2010-01-29)
参考文献数
43

現在、都市社会学は理論的危機のなかにあるといわれる。したがって、現在、都市を明らかにするには経験的調査ばかりでなく、まず理論構成によってなされなければならない。本稿は、現在の都市社会学理論の危機が、明確に論理的に区分されるべき地域研究のもつ、二重の性格の見落しに由来するものであることを明らかにする。なによりも、都市は村落と共に地域の一類型であり、都市は地域の部分社会である。このことを踏まえて、本稿は、地域上にすぐれて歴史的・文化的産物として存在する統合機関によって構成された人口集積が生み出す、相対的に自律的な社会現象のなかに、都市社会学の成立根拠を見出す。こうした観点から、都市社会学を再生させるには、地域社会学が地域的属性に連関させて、行為論・集団論・分業論・階級論 (階層論) ・体制論 (体系論) 等の、社会学の理論的成果を組替える一方で、都市社会学も、社会学のこれらの理論的成果を、人口の属性に連関させて組替えなければならない。本稿は、行きづまっている都市社会学理論に、こうして新たな理論の展開可能性を開き、枯渇しかけている社会学的想像力の回復を意図するのである。
著者
清水 新二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.368-370, 2001-09-30 (Released:2009-10-19)
著者
立石 裕二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.931-949, 2006-03-31
被引用文献数
1

科学委託とは, 行政が科学者に研究を委託し, その結論をもとに政策を実施する仕組みである.これまでの環境社会学は, 科学者を被害者と加害者の対立構造の中で捉えがちで, 科学者がそこから自律して動く可能性が十分に捉えられていなかった.本論文は, イタイイタイ病, 熊本水俣病, 四日市喘息を事例に, 科学と社会が自律しながらも相互作用するという観点に立って科学委託を分析することで, 科学委託を批判的に検討するための枠組みを提供することを目的とする.<BR>科学委託は, 研究内容が研究者に委ねられる自主型, 行政が特定調査を研究者に委託する限定型, 既存知見のとりまとめを委託する審議型の3形態に分けられる.科学委託の持つ意味は, 科学的知見が蓄積される前後で異なる.当該問題で知見が蓄積される前の自主型委託では, 学術的業績を挙げられる見込みが高く, 学術動機から研究者が積極的に取り組みがちである.業績を挙げた研究者は, 被害者側に立って積極的に研究・発言するようになる.これに対し, 蓄積後の委託や, 蓄積前でも研究内容の限られる限定型・審議型の委託では, 業績を挙げられる見込みが低く, 研究者は消極的に振る舞いがちであり, 意見が途中で変化しにくいため, 最初の人選が重要となる.<BR>こうして進められた科学委託は, 行政の姿勢や研究者のとりまとめ志向, 世論などに影響されつつとりまとめられ, 世論と相互作用しながら政策実施につながる.
著者
小倉 康嗣
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.50-68, 2001-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
32
被引用文献数
3 1

本稿は, 高齢化社会の内実への歴史的再認識を出発点として, 「高齢化」ないし「老い」の問題を, 全体社会の根本的変革や新たな社会構想の問題へとつなげていく研究枠組を開拓していく試みである.つまり「高齢化」ないし「老い」の社会学的研究に関する「生成的理論」の構築を目指して, 探索的な経験的研究を行っていくうえでの理論的インプリケーションを明確化し, その概念枠組の構築を図ることが本稿の目的である.理論的インプリケーションを明確化する際の主張は2つある.第1に, 高齢化社会の内実を「再帰化する後期近代」という歴史的ダイナミズムにおいて認識すること (1節), 第2に, その認識を取り入れてthe agedからaging へと照準を合わせ直し人間形成観の問題圏へ入ること (2節), である.これら 2つの主張は, パースペクティブとしての〈ラディカル・エイジング〉として統括される (3節).つづく概念枠組の構築作業においては, いかなる事象にどのような概念的参入を図ればよいのかを検討することによって, さきの理論的インプリケーションを具象化する.まず, 現代日本における「中年の転機」を〈ラディカル・エイジング〉の理論的インプリケーションの集約事象として位置づけ (4節), その作業を媒介に〈再帰的社会化〉という概念構成を導出し, 同時に〈再帰的社会化〉の基盤をめぐる探索課題を提起することによって概念的参入の足場を築く (5節).
著者
片桐 資津子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.70-86, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
37

一般に敬遠されがちな施設ケアには, 在宅ケアでは享受できないものがある. それは専門のケア職員が常駐していることに加えて, 要介護状態の利用者が集まって生活しているため「グループのもつ力」が存在していることである.本稿では, 相部屋の従来型特養と個室完備の新型特養を比較することにより, グループのもつ力と個別ケアのあり方を探究した. 本来ユニットケアをおこなう施設として創設された新型特養は, グループのもつ力を活用しながら個別ケアを実現できるはずであった. しかし, 必ずしもうまくいっているとはいえない. グループのもつ力は所与のものではなく, 人と人との重層的なつながりのなかで育まれる必要があるからだ. その際に生じるジレンマを浮き彫りにすることを本稿の研究課題とした.そのため, まず既存研究の「再生力集団」の概念を検討し, グループのもつ力の説明概念として, 「役割」と「共同」を抽出した. さらに従来型と新型のケア職員にインタビュー調査を実施し, 修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ (M-GTA) により, 「安心」と「自由」の説明概念を抽出した.従来型と新型ではグループのもつ力の中身が異なっており, それぞれに一長一短がある. グループのもつ力を個別ケアにつなげていくためには, 役割, 共同, 安心, 自由という4つの説明概念からみえてきたジレンマに折り合いをつけていく必要があることが結論として示された.
著者
安達 智史
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.433-448, 2009-12-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
27

グローバル化の進展は,先進諸国において移民やエスニック・マイノリティを増加させている.それにともなう文化的多様性の増大は,ホスト社会に対し,社会的・経済的に寄与するとともに,マジョリティの存在論的不安と社会的緊張を高めている.従来,文化的多様性は,多文化主義によって積極的に議論されてきた.だが,文化的多様性の承認は,社会の結束の膠にかわとならず,逆に人々の不安を増大させるものとして批判されている.現在,社会的結束と文化的多様性の両立という問題が,政策的・哲学的な課題として浮上している.社会的結束と文化的多様性の両立のためには,それらの漸次的な融和が不可欠である.一方で,文化的多様性を抑制しつつ共通の「所属」の感覚を高め,他方で,多様化する環境に人々を馴致させ,差異を「安全/安心」なものとして提示することである.本稿は,イギリスの社会統合政策を,所属と安心/安全についての2つの方策の関係とその変化に焦点を合わせ,分析するものである.具体的には,戦後からサッチャー政権以前(1948-79年),サッチャー以降の保守党政権(1979-97年),そして新労働党政権(1997年- )という3つの時期に区分し論じる.とりわけ,シティズンシップとブリティッシュネスという観念を機軸に据える,新労働党の新たな社会統合政策と哲学に着目する.それにより,ポスト多文化主義における社会統合の1つの形式を提示する.
著者
佐藤 成基
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.37-53, 2000-06-30
被引用文献数
1

この論文はナショナリズムに関する一つの理論枠組を提案し, それを用いてドイツと日本の「ネーション」概念の形成と変容の過程を比較分析しようというものである.ここではナショナリズムを, 国民国家, エスニック・マイノリティ, エスニック・マジョリティ, 「在外同胞」 (国外マイノリティ) がそれぞれ自身の「ネーション」概念を掲げ, 要求しながら提携・対立し合うダイナミックな場として, 「ネーション」はこのような過程を経て形成され, 強化され, 変容をうけるものと考える.比較の対象となる時期は主として1871年の独日双方における統一国家形成から1945年の第二次大戦終結までであり, (1) 第二帝政と明治国家によって形成された「国家ネーション」とマイノリティの同化, (2) 同化に対抗するエスニック・ナショナリズムが独日のネーション概念に与えた影響の差異, そして (3) 国家の外にいる「在外同胞」問題と国家およびネーション概念との関係の差異, の3点に焦点を当てて考察する.そして最後に, ドイツではエスニックなネーション概念が国家や国民国家から区別され, 「民族」それ自体が利益や権利主張の主体として理解される傾向があるのに対し, 日本ではネーションの概念が国家に従属し, 国家と「ネーション」との区別が明確にされないという傾向が見られる, という点を指摘する.
著者
内田 順子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.504-520, 2015

本稿は, 国立歴史民俗博物館が実施している民俗研究のための映像制作を事例として, 「映像を保存・活用する」際の諸課題について考察するものである. 長期的な展望をもって映像を制作し, 保存し, 活用するには, メディア変換などの技術的な問題, 著作権・肖像権などの法的問題, アーカイブの構築などの映像を共有するしくみに関する問題などを解決していく必要がある. 民俗研究を目的として制作された映像は, 研究者と, 研究対象となる地域の人びととの協働によってつくられるものであるため, その協働の関係性は, 映像そのものに色濃く反映される. そのような映像を保存・活用する際には, 著作権・肖像権に関する一般的な検討とは別に, 倫理的な問題として検討しなければならない事柄がある. その点が, 一般的な映像の保存・活用と異なるところである.
著者
内田 順子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.504-520, 2015

本稿は, 国立歴史民俗博物館が実施している民俗研究のための映像制作を事例として, 「映像を保存・活用する」際の諸課題について考察するものである. 長期的な展望をもって映像を制作し, 保存し, 活用するには, メディア変換などの技術的な問題, 著作権・肖像権などの法的問題, アーカイブの構築などの映像を共有するしくみに関する問題などを解決していく必要がある. 民俗研究を目的として制作された映像は, 研究者と, 研究対象となる地域の人びととの協働によってつくられるものであるため, その協働の関係性は, 映像そのものに色濃く反映される. そのような映像を保存・活用する際には, 著作権・肖像権に関する一般的な検討とは別に, 倫理的な問題として検討しなければならない事柄がある. その点が, 一般的な映像の保存・活用と異なるところである.
著者
武田 尚子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.486-503, 2015

本稿は, テレビ草創期のNHKドキュメンタリー・シリーズの2本の番組を取り上げ, 地域研究資料としての意義を考察した. これらの番組は, 1960年代に広島県因島の家船集落を取材したもので, 漁村の貧困と不就学児童の問題に焦点をあてている. このシリーズは, 民俗学の視点を参照して, 底辺層の生活に迫り, その人々が直面している社会的ジレンマを視聴者に問うという方針で制作された. これとほぼ同時期に, 同じ集落で, 宮本常一が参加した民俗学調査が実施された. これら2つの調査・取材は, いずれも民俗学的関心に基づいて実施されたものであるが, 見出した知見には相違がみられる.テレビ・ドキュメンタリーは, 階層的視点が明確で, 貧困地域という集落特性を映像で実証的に示している点に意義がある. これによって, ミクロな地域社会の事象をマクロな社会構造に位置づけてとらえることが可能になった. しかし, その一方で, 民俗学調査報告書と比較すると, テレビ・ドキュメンタリーは, 該当地域に居住していた非識字者を貧困の視点でとらえる傾向がつよく, 非識字者の集団が保持していた口承文化の豊かさについて, 理解が浅い面があったことがわかる.以上のように本稿は, 民俗学調査と比較することによって, テレビ・ドキュメンタリー番組を地域資料として利用する場合の長所および留意点を明らかにしたものである.
著者
山田 富秋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.465-485, 2015

本稿では社会問題や差別問題の映像資料を質的に研究する時の問題点として, A. クラインマンの指摘する「映像の流用」 (Kleinman et al. eds. 1997=2011) という問題を取り上げた. この問題は, 私たちがグローバルな消費社会に生活するかぎり, ほとんど避けて通ることができない問題である. つまり, 社会問題や差別に苦しむ映像は, ある一定のプロットを備えた「被害者の物語」を伴う悲惨な映像に流用されてしまう. その結果私たちは, 手元の常識にもとづいて類型化され, ステレオタイプ化された映像の読み方に閉じ込められてしまうのである. 本稿では, 薬害エイズの医師=悪者表象はまさにそうやってできあがったステレオタイプであることを示した. しかしハンセン病問題の啓発映像においては, 当事者が最初からローカルな文脈の中で語っているので, 定形化を免れていることを示した.具体的な映像資料を細かく解読する作業によって, 脱文脈化され実体化されたステレオタイプを一度解体し, その後で, 「流用された映像」を現場の民族誌的・歴史的文脈に適切に位置づけ直す作業が必要である. さらに言えば, クラインマンが言うように, 映像資料の制作や流通過程自体に当事者自身の同意とコントロールも取り付ける努力が必要になるだろう. この手続きが, 当事者の語りを研究者の記述と同等に価値あるものとして位置づけ, それによって映像資料が当事者の「道徳的証人」になる道が開かれる.
著者
山田 富秋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.465-485, 2015

本稿では社会問題や差別問題の映像資料を質的に研究する時の問題点として, A. クラインマンの指摘する「映像の流用」 (Kleinman et al. eds. 1997=2011) という問題を取り上げた. この問題は, 私たちがグローバルな消費社会に生活するかぎり, ほとんど避けて通ることができない問題である. つまり, 社会問題や差別に苦しむ映像は, ある一定のプロットを備えた「被害者の物語」を伴う悲惨な映像に流用されてしまう. その結果私たちは, 手元の常識にもとづいて類型化され, ステレオタイプ化された映像の読み方に閉じ込められてしまうのである. 本稿では, 薬害エイズの医師=悪者表象はまさにそうやってできあがったステレオタイプであることを示した. しかしハンセン病問題の啓発映像においては, 当事者が最初からローカルな文脈の中で語っているので, 定形化を免れていることを示した.<br>具体的な映像資料を細かく解読する作業によって, 脱文脈化され実体化されたステレオタイプを一度解体し, その後で, 「流用された映像」を現場の民族誌的・歴史的文脈に適切に位置づけ直す作業が必要である. さらに言えば, クラインマンが言うように, 映像資料の制作や流通過程自体に当事者自身の同意とコントロールも取り付ける努力が必要になるだろう. この手続きが, 当事者の語りを研究者の記述と同等に価値あるものとして位置づけ, それによって映像資料が当事者の「道徳的証人」になる道が開かれる.
著者
柄本 三代子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.521-540, 2015

本稿は, 東日本大震災後多くの人びとの関心を引きつけながら専門家の評価・判断が依然として分かれたままの, 福島第一原発事故後の放射能汚染による被ばくのリスクと不安について, わかりやすさが求められるテレビ報道において, いかに説明され語られているかを考察した.たんに福島第一原発事故後の被ばくのみを分析対象とするのではなく, 利用可能なアーカイブを駆使し, 広島・長崎原爆やチェルノブイリ原発事故をめぐる報道も分析対象とした. これにより, 被ばくの不安とリスクが語られる際の共通性抽出を目的とした. データは視聴可能なものの中から1986年から2014年までに放送された番組を対象とした. 科学的リアリティの構築に「素人の語り」がどのように寄与しているのかという点に着目した.数十年にわたる被ばくの語りを対象化することにより, 現在の被ばくの影響や不安についての関心が, 専門家によってはあいまいでわかりにくい説明がなされたまま, 未来へと先送りにされていく事態について明らかにした.専門家による言説だけでなく素人の言説も考察対象とすることにより, わかりやすさが求められるテレビジョンの中で, 科学的不確実性を多分にはらむ被ばくが語られる際には, 素人によってわかりやすい説明がなされるだけでなく, わかりにくい専門家の話を素人が支えることも必要とされている点についても明らかにした.
著者
伊藤 守
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.541-556, 2015
被引用文献数
1

本稿の目的は, 日本における映像アーカイブズの現状を概括し, そのうえで映像アーカイブ研究, とりわけテレビ番組アーカイブを活用した映像分析の方法を考察することにある. アーカイブに向けた動きが欧米と比較して遅かった日本においても, 記録映画の収集・保存・公開の機運が高まり, テレビ番組に関してもNHKアーカイブス・トライアル研究が開始され, ようやくアーカイブを活用した研究が着手される状況となった. 今後, その動きがメディア研究のみならず歴史社会学や地域社会学や文化社会学, さらには建築 (史) 学や防災科学など自然科学分野に対しても重要な調査研究の領域となることが予測できる.こうしたアーカイブの整備によって歴史的に蓄積されてきた映像を分析対象するに際して, あらたな方法論ないし方法意識を彫琢していく必要がある. あるテーマを設定し, それに関わる膨大な量の映像を「表象」分析することはきわめて重要な課題と言える. だが, 「アーカイブ研究」はそれにとどまらない可能性を潜在していると考えられるからである. 本稿では, M. フーコーの言説分析を参照しながら, アーカイブに立脚した分析を行うための諸課題を仮説的に提示する.
著者
吉見 俊哉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.557-573, 2015

デジタル革命は社会的記憶の構造を持続的に変化させる. デジタル技術は同じ情報が大量複製されていっせいに伝播・流通し, 大量消費されていくというマス・コミュニケーションの回路に介入し, <生産→流通→消費> の空間軸の組織化を, <蓄積→検索→再利用> の時間軸の組織化へと転換させる. もはや <過去> は消えなくなり, 無限に集積されていく情報資源となる. ここで必要なのは, 文化の創造的「リサイクル」である. 古い記録映像は, 音や色を与えられて新しい教育の貴重な「資料」となり, 古い脚本のデータは新しいドラマ作品を創造していく基盤となる. この転換には, まず散在するさまざまな形態のメディア資産の財産目録を作成し, 原資料を安定的な保存環境に集めていく取り組みを進める必要がある. また, アーカイブ化されたデジタルデータについて, 共通フォーマットにより標準化を進め, 公開化と横断的な統合化を進めることも重要である. さらに, デジタルアーカイブ運用のための人材育成, 教育カリキュラムにアーキビスト育成を取り込んでいくことも必要となる. デジタル時代のアーカイブでは, 保存の対象はけっして政府・行政機関の公文書に限定されない. アーカイブ化される資料や情報には, 地域の人びとによって撮影されたり語られたりした情報が大量に含まれるし, マスメディアやインターネットの情報がともに保存されていく. それらの情報全体が, 国境を越えて結びついていくのである.
著者
櫛原 克哉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.574-591, 2015

本稿は, 社会生活への適応に困難を感じたために, 精神医療機関を利用した経験のある人々の語りを考察した. 近年の精神薬理学や臨床心理学的治療の拡充を受け, 精神医学においては従来の心理的・内面的な要因を対象とした治療に代わり, 患者の脳を中心とする生物学的要因や可視的な行動の矯正といった「フラット」な領域の治療が推進されている. N. Roseは, このような管理技術の浸透を, 精神医学の統治の「フラット化」の現象として指摘する.<br>統治のフラット化を被治療者の観点から考察すべく, 筆者は医療機関への通院経験がある6名を対象にインタビュー調査を実施した. その結果, 「全人格型の語り」と「場面型の語り」の2類型が導出された. 「全人格型の語り」は心理学的な因果関係の文脈から過去との連続性を有する自己を導出するのに対し, 「場面型の語り」は現在属する社会環境内で問題となる思考や行動を限局的に調整しようと試みる断片的な自己という性質を有した.<br>2つの語りは, 精神医学の治療構造の分裂を反映し, 医学のフラット化が不均質に浸透したことにより, 治療対象となる自己も分裂して生起することが確認された. このことから, 精神医療における統治により, 社会環境に適合的な自己が「フラットに」産出される一方で, 心理学的な主題に回帰して「精神の深部」を参照するような自己が, フラットな統治を下支えし治療の求心力として作用していることが示唆された.
著者
柄谷 利恵子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.309-328, 2005

市民権概念は, 領域性を前提とする主権国家体制の下で発展してきたが, 現在は不適合状態に陥っている.市民権を持たない居住者が増加し, その処遇をめぐり一定の権利付与が求められる一方で, 各国政府が市民権保有者の権利を保護し, その価値を保障することが困難になっている.グローバリゼーションは, いわゆる「市民権のギャップ」を生みつつも, 市民権の有無にかかわらず, 権利を主張しうる新たな基盤を提供している.<BR>本稿では, 海外に居住する移住者の権利要求の「基盤」として, (1) 海外に居住する市民が, 居住国での扱われ方について出身国政府に権利の代弁を要求しうる「対外市民権 (external citizenship) 」, (2) 市民権を持たない居住者として保障されるべき「外国人の権利 (aliens'rights) 」, (3) 「定住外国人の権利 (denizenship) 」, (4) 人として保障される「普遍的人権 (universal personhood) 」の4つを提示する.具体的には, (4) に基づく国際人権体制に属する, 「あらゆる移民労働者とその家族の保護に関する国連条約」の制定・発効過程を分析する.人の移動の歴史は古く, 移住者の権利侵害も絶えず存在した.したがって, グローバリゼーションを背景に主張されるようになった「人であることに由来する普遍的権利」以外にも, 移住者の権利を保護する基盤は存在していた.グローバル時代の特徴は, こういった基盤が複数存在し, それを利用する手段や代弁者が領域的制限から自由な点にある.