著者
石井 智子
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.63-72, 1994-03-10

Mと共に歩んだ4年間,それはMとの関わりの道であり,自分自身の再発見の道でもあったと言える。Mは高校入学当初から目立つ存在の生徒であった。この生徒に,これから4年間関わろうとは思ってもいなかった。関わりの中で,Mが母と一番正面から向かい合いたいということがみえてきた。Mは担任教師との葛藤のなかで,遅刻・欠席かかさみ,荒んでゆくのを眼の当たりにした。その中で,Mをできるだけありのままに受け入れることができるようになっていったことや,毎日メモでコミニュケーションを行ったことが,Mとの間に信頼の絆をつくる基盤になったと思われる。筆者との関わりを通じて,自分を受け入れる存在に気付いたことで,Mは自立への道を歩みだしたように思われた。
著者
長谷川 康弘 桝澤 美紀 桝澤 良和 小野寺 由香 古川 宇一
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.183-194, 1999-02-10
被引用文献数
2

本報告は,旭川市にある障害者地域共同作業所において,通所者の作業の一環として取り入れている乗馬活動を通して障害者は何を得たかを述べたものである。障害者の乗馬は,馬,障害を持つ乗り手,そして両者を理解する介助者の三者が揃って活動されるものである。特に障害児者を乗せる馬からは生きものと運動していることを馬の表情や動きから感じ取ることができ,馬にまたがる障害児者からは表情が生き生きとした笑顔に変わったり鼻歌が出たりといった心理的な変化を観察できた。また動物が苦手な障害児者が馬には触れることができたり,馬がきっかけで他の動物に興味を持ったりしている。そして馬の存在が障害のあるなしにかかわらずあらゆる人の交流のきっかけも作っている。
著者
真鍋 龍司 寺尾 孝士 大場 公孝
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.13-20, 2002-02-05

地域で家族との暮らしが困難になった自閉症の子ども達と関わり20年が過ぎた。居住施設で子ども達の学習や生活を支えながら,将来,この子ども達が地域で充実した暮らしをしていくことができるのであろうか,その実現のためにはどういった条件整備をしていかなければならないのか,多くの課題を抱えながら,施設スタッフや家族の要望を結集させ平成13年4月,地域で暮らす自閉症の方ご本人と家族を支援する専門機関として自閉症センターあおいそら(自主事業)を設立した。自閉症の人たちへの支援の方法は,TEACCHプログラムに多くを学び,ノースカロライナ州に9カ所あるTEACCHセンターをモデルとして,コンサルテーション(相談)業務を中心に,地域の保育園,幼稚園,学校(養護・特殊・普通)を訪問し,子ども達の理解の力や自閉症の特徴にあわせて,よりわかりやすい環境を提供するためのアイデアを提案する。自閉症児者に関わる多くの人達が障害についての理解をより高めあいながら,家族や保育士,教師,自閉症の専門家が中心となりネットワークを築き,生涯にわたる一貫した支援システムの構築を目指す,あおいそらの活動をここに紹介する。
著者
大坂 克之
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.169-182, 1998-02-10

筆者と中学1年の女の子,晴華ちゃんとのかかわりは,約10年に達しようとしている。この間,本人だけでなく,お兄ちゃんやお姉ちゃんとも英語の指導というかかわりを数年間もつことができた。2・3年前ぐらいから,「晴華ちゃんは大坂先生のコピーだ」と家族内では言われているとのこと。楽しく明るく,大声で笑い歌い,うるさいぐらいに口数が多く,口調や雰囲気が似ているらしい。筆者の提唱する「ミュージック・ムーブメント」の活動そのものが筆者自身であり,筆者の弾く音楽は筆者自身であるので,そのことは,当然といえば当然のことである。が,かかわった者として「喜び」と同時に「恐ろしさ」を感じるこの頃である。ミュージック・ムーブメントを通しての晴華ちゃんとのかかわりの10年間め概要を報告する。
著者
竹内 久美子
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.109-112, 1989-03-11

緘黙児の理解と治療的アプローチに関する研究の中で,近年内面へのアプローチの重要性が指摘されている。 筆者は緘黙児のより深い理解と治療の手がかりのために,緘黙児の自己意識を明らかにしようとした。その方法は,(1)全道の児童相談所に依頼し得た緘黙児26名についての横断的分析,(2)自己意識に関する資料(SCT・その他)の分析(3)K中学校の協力により参加観察が可能となった一名の事例研究の3つを採用した。その結果明らかになったことは,1)発症時期が3歳〜7歳に集中している。2)症状に多様性があり,しかもそれらは相互に移行的である。3)緘黙に由来する学業不振がある。4)乳幼児期における親との接触経験が少なく,現在の家庭に対する評価がnegativeである。5)内気・自信欠如・孤独・神経質・攻撃的・過敏・頑固ということが彼らの性格特徴としてまとめられる。6)外界の知覚に歪曲や遮断の傾向が認められる。7)緘黙児は現実世界に適応したいという切なる願いをもっていながら,自己実現への努力を放棄せざるを得ない状態にあるため,自己意識に限局や歪みが認められる。一般に人は自己の理想とするところに少しでも近づくために何らかの現実的手段を用いて日々努力するが,緘黙児にそれは認められないことがある。自己実現という観点から緘黙の症状をみると,夢・空想によって自己を実現する段階から,攻撃的な行為・イタズラ・幼児返りにより自己実現しようとする段階,そして表現活動がおさえられ身体反応まで限局されている,というような三つの段階があることを仮設的に提示した。
著者
石黒 一次
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.18, pp.13-20, 1999

平成6年4月,11年ぶりに一般学級の担任となり,5年生38名との期待あふれる出会いがスタートした。数日間がたち,子供たちに二つの気掛かりなことを感じた。一つは,教室中に交錯している「金切り声・怒鳴り声」である。一人の女児に「疲れない?」と尋ねたら,「はい!でも,こうしなければ話が通らないの!」という返事であった。あわせて授業に先立って「注視・傾聴」の声掛けが,児童個々に必要であった。もう一つは,身体すれすれに乗用車が近付いても,クラクションの合図があるまで「身の危険を回避する」「運転者に進路を譲る」などの行動に気が向かないことであった。これらの子供たちの変化は,授業不成立,学級崩壊などの事象に無関係ではないように思える。私は,教育の基盤8割が感情交流の醸成であると実感している。本論は,これまで様々な子供たちとの出会いを振り返り,教育と感情の相互機能について一考する。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.13, pp.1-12, 1994-03

菅季治(1917〜1950)は,若くして生涯を閉じた,ひとりの忘れられた哲学者であり,北海道が生んだ教師でもある。その残したしごとは,25才から26才にかけて執筆されたものであるが,自由のない,不毛な時代にもかかわらず,その哲学,思想,文学,人間にむけた関心は,知識人としてのたしかな思索のあとをしめしており,その稀有な思想と生き方は,いまに生きつづけている。その核心は,自己同一性がいかにして成りたつか,という自己と他者との関係性,相互関係(はたらきかけ,相互活動)にむけられている,と同時に,同一性における,一人ひとりの内面のうごき,欲望(そのあらわれとしての快と不快)のあらわれ方にたいする,心理・行動の観察(記録)にむけられているのが特質である。菅の遺著「哲学の論理」は,人間のあり方のうちでも「他者」との関係性を追求しているが,これにたいして「人生の論理-文芸的心理学への試み」は,獲得されるべき自己,同時に,そとにあるものをつつみ,みずからをつくりだしていくなまの自己実現のプロセスをえかきだして,感清-情念の世界を基本に一個の人間学の構築をめざしている。本稿は,その成りたち,内容と方法,ならびにその先駆としての意義をあきらかにした。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.17, pp.225-234, 1998-02

菅の「人生の論理」の執筆は,1943年9月,戦時である。本論では,菅の論述のもとになっている,キエルケゴールならびにアミエルに焦点をあて,その整理と解釈を試みた。菅がうけたキエルケゴールやアミエルの影響についは,これまでも指摘があったが,誤解にもとづくと思われるものがある。これまでみてきたことからあきらかなように,菅の,豊かな感性のうえに築かれた,哲学的土台は,戦時にあって人間的価値をもった教養をしめていて,その心理の論述も,冷静な観察の眼を生かした考察となっている。とりわけ,絶対的,一元的な哲学の伝統のなかで,他者との自由な,人間的な社交と交際,それによるさまざまな問題の解決につなげていくことを見通した「相互承認論」の展開は,じつにあらたな人間関係の転換点をしめしている。すべての人が「自由な人」になることが,人間の根本のありかただというのが,菅の哲学の基本である。「自他」「相互承認論」を基礎づけているのが,この人間観であり,その原点となっているのが,人間を縛するものからの自由ということである。その批判のキーワードは,「世間」である。戦時の全活全般が,「他者抹消」(戦時がこの死生観のうえに築かれていたし,哲学がそうであったことに注目したい)が公の論理とされていただけに,菅がいまわれわれによびかけていることの意味は,時代を超えて重い。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.20, pp.265-274, 2001

これまで菅季治(1917〜1950)の生活思想,哲学思想の意義をあきらかにしてきた。その主要著書は「人生の論理」(1950年,草美社)「哲学の論理」(1950年,弘文堂刊)である。本稿は,遺稿「語られざる真実」(1950年,筑摩書房)にふれながら,戦後における菅のシベリア抑留体験をあきらかにするとともに,抑留者引揚問題が国内政治の最大の問題になるなか,証人としての菅の,国会における意見陳述,ならびにその意見表明にしめされた立場,内容について解析を行なったものである。それ自体,菅の生活・哲学思想の論理の展開でもある。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.19, pp.263-270, 2000

本稿の目的は,ひきつづき菅季治(1917〜1950)の戦中における生活思想,哲学のもつ意義をあきらかにすることである。菅の哲学研究の命題は,「ものははたらくはたらきは矛盾的自己同一 関係 関係のろんり」の追求であり,「なる 動く はたらく」,または「生成・運動」論の探求である。では,その「論理」は,どのような「はたらき」を対象化して,みちびかれたものかが,重要な,菅の哲学研究の課題となる。本稿では,とくに「人生の論理」(1950)「哲学の論理」(1950)のなかから,学問研究のあり方として,なにを探求し,なにを方法・内容としているか,をあきらかにするとともに,彼の戦中における研究・実践の一つの到達点をしめした。また,菅の西田幾多郎にむけられた批判点,ならびにコミュニケーション(交わり)論も,あらためて着目すべきものとしてとりあげた。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.15, pp.217-230, 1996-03

「天の下にあるものはすべて,同じ法則,同じ運命のもと,すべては同一の自然の相の下に現れるにすぎない。人間を縛って,この秩序の棚の内に拘束しなければならない」菅季治(1917-1950)の「人生の論理-文芸的心理学への試み」の「前かき」に,モンテーニュからかりたこのことばがある。地上にあるすべてのもの,そして人間すべて上も下もなく同一であり,「宇宙における人間の位置」についての,このただしい自覚がいまや必要だという。現実の人間の,この理念とはなんとひどくかけ離れていることだろうか,たがいに傷つけあい倒し合う人間,かがれ歪んでいる人間,争いのなかの傷つけあう人間を見聞きするくらいかなしいことはない,と菅はいう。本稿では,ひきつづき戦中におけるひとりの哲学徒の,人間心理の内面をとらえた思索と行動(観察と記録)をあきらかにしたが,その文学,哲学,思想,文芸をかりた臨床的な研究方法のなかに,今日のあらたな教育的人間学の構築への手順も期待できると思われる。とくに今回は,菅のキエルケゴールの考察から多くとった。末尾に,「人生の論理」から「孤独」「弱い魂」「たいくつ」の各節を資料掲載とした。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.138-152, 1995-03

菅季治(1917〜1950)の主としてスピノザ(B. Spinoza 1632〜1677)哲学による「心理学への試み」の特質と,その心理学的論述について考察するのが,本稿のねらいである。人間が他の人(他者)をみとめ,他者からみとめられる相互の人間関係がなりたつには,なによりも自由で平等な,たがいの人格がみとめられるということがあってのことである。自分と他者とを一体のものとみなし相互にはたらきかけあうことのなかに,自分(他者も自分)を見出していくというのが,人間のあり方である。菅が,戦争・国家・権力・支配という総力戦のなかで,人間どう生きるかを問いながら,その哲学の課題としたのも,この相互の関係の基本についてのものだったのである。(「哲学の論理」にくわしく展開されている)私の手もとに,菅が使用したスピノーザ「哲学体系」(原名倫理学)(小尾範治訳,昭和2年発行岩波文庫)がある。これには,菅がつけたいくつもの傍線のもと,赤鉛筆で三ヶ所,つよくうったものが目をひく。その一ヶ所は,概括するならつぎのものである。「われわれの存在を維持し,その活動能力を増大するものを善といい,これにたいしてわれわれの存在の維持を妨げ,阻害するものを悪という。こうしてわれわれは,あるものが,われわれの喜びとなり,あるものが悪となるものであることを知るのである」(第四部人間の屈従,或いは感情の力について下線は菅のもの)戦争真ただ中の菅の哲学ならびに心理学的論述の前提は,このなかにいいつくされているといってより。人間,どうあるべきか,同生きるべきか,の目標をかかげるとうよりか,まず人間,どう生きているか,どうあるかのほんとうのあり方(欲望,感情-よろこびとかなしみ)をあきらかにすることが,根本と考えられたのである。人間のあり方とは,なによりも自分をまもることであり,自分を維持し,肯定されることをのぞむものであり,けっしてきずつけられ,屈従すること,否定されることをのぞむものではないということである。菅の遺著「人生の論理」は,戦中に書かれたことを基本にしているが,人間,どうあるかのありのままのあり方と,その生き方を凝視し,観察・記録(主として文学・哲学・思想と菅自身の人間観察による)したものであり,同時に,その日常性,通俗性にたいする,するどい批評をとおして,人間,どう生きるかをふかく問うものとなっている。末尾には,資料として「愛」「競争意識」「世間」「卑屈」の各節を採った。
著者
湯藤 端代 瀬川 真砂子 中保 仁 山本 雅恵 古川 宇一
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.20, pp.209-216, 2001

本論は子どもと積極的にかかわりたいと願いながらも,ためらい迷っていたかかわり手が,子どもの感じ方に気づいていくために「遊び」を大切に考える意識を持つことにより,「迫いかけっこ」遊びで子どもとの関係を深めることができたという報告である。またその「追いかけっこ」遊びになるまでのプロセスを追っていくことで,「遊びの技術」について検討した。