著者
金子 勉
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.208-219, 2009-06-30 (Released:2017-11-28)
被引用文献数
2

日本の大学関係者の大学観に影響したと考えられるドイツの大学理念について検討する。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」と題する文書は、大学論の原点である。研究と教育を重視することがドイツ的な大学観であると認識されてきたが、そのような大学理念はフンボルトあるいはベルリン大学から生じた形跡がないとする異論がある。そこで、高根義人、福田徳三、ヘルマン・ロエスレル等の大学論、ベルリン大学及びベルリン科学アカデミーの歴史、大学関係法令を手がかりとして、ゼミナール、インスティトゥート等諸施設の性質を考察した。科学アカデミーに所属する研究施設を分離独立して、これらを新設大学が教育上の目的に利用することが、ベルリン大学創立時の構想の核心にある。実際に、ベルリン大学令が大学と研究施設の関係を規定し、その規定が他大学に継承されたのである。
著者
志水 宏吉
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.82, no.4, pp.558-570, 2015

 本稿では、「教育の公共性」という問題を考える際の切り口として「学校選び」という現象を取り上げる。近年「ペアレントクラシー」という言葉が生みだされるほどに、「教育を選ぶ」人の存在が際立つようになっている。それと軌を一にするように、公教育内部の「差異化」を推し進める新自由主義が日本では主流となり、公教育の実質的な解体が進行しつつあるように思われる。特定の階層・集団のみを利することのなき、オープンかつコモンな公教育制度の再構築がのぞまれる。
著者
木村 政伸
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.86, no.4, pp.485-496, 2019 (Released:2020-06-12)

海外から日本の教育へは様々注目されてきたが、その中でも日本社会における識字率の高さや教育の普及が日本の近代化や現代の科学技術の高さの背景にあるという論調は多い。しかし、近世社会における識字率の高さが人々の生活にどのような影響を及ぼしたのかは十分に検証されてこなかった。本論文では、近世初期において文字の字体、文法、書式などが全国的に共通化され、また文字を使用することが必須化されたことを指摘し、そうした文字社会の成立が日本の近代化と深いかかわりを持っていたことを論じた。
著者
篠原 岳司
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.185-196, 2013-06-30 (Released:2018-04-04)

本稿では政治学のガバナンス論と分散型リーダーシップの「相補性」と「学習」の概念を手がかりに、米国大都市学区の教育ガバナンス改革を検討し、教育ガバナンス論の理論的再構築を試みている。その結果、「市長による教育行政支配」や民営化手法、学校自治の功罪について明らかにし、教育ガバナンス論の再構築に向けた要件として(1)民主性と教育固有の規範論の実現過程、(2)教育と教育行政をつなぐ媒介主体という2点を析出した。
著者
佐藤 貴宣
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.287-299, 2019 (Released:2019-10-12)
参考文献数
26

本稿では、小学校を事例とし、個々の現場に埋め込まれて組織化される教師の実践の論理を析出することを試みる。個別の学校の日常において、障害児を含め多様な子どもたちと日々関係を営為している教師たちは、自らの教育実践をどのような仕方で意味づけ産出しているのか。本稿が経験的データの分析を通じて探求しようとするのはこの点である。そこから、包摂を志向する実践それ自体が通常学級から障害児を切り離すことへと反転しうる可能性について論考する。
著者
横井 敏郎
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.202-213, 2004

Decentralization reform has not been accomplished sufficiently enough, but some local governments are beginning to implement active educational administration. Now we can see two issues coming to the front - the relation between governor's department and board of education, and the relation between prefectural board of education and municipal board of education -. Concerning the first issue, namely "popular control", there is a friction of opinions. The purpose of this paper is to study what educational policies have been formed and implemented under what system and process, especially how two relations mentioned above have been organized and structurally changed. The object of this paper is Gifu prefecture that has had a governor who is a member of reformative governors and that has reformed the local educational system and started some new and original local measures which have not been enforced by national government. According to the analysis of this paper, Gifu prefecture are changing the administrative direction from control over municipalities to support of them, holding up "children-centered policy" and "participatory administration". But in the structure of educational administration. a new system has been made on which the govemor is able to influence the board of education more strongly. For example, deliberative organizations composed of the governor, the chairperson of prefectural assembly and the chief of board of education, and the similar organizations by which mayors can influence municipal boards of education have been established. This system is called "democratic control" of educational administration in Gifu prefecture. It is different from "popular control" that is one of the fundamental principles of educational administration in post-war Japan. It means the control over board of education by a governor. In Gifu prefecture, top-down type education reform has been led by the governor, pupils and students have been regarded as customers and autonomy of schools and municipal boards of education have not been given serious consideration enough. "Democratic control" has a contradiction of stripping of more contents from a board of education conversely. The number of education reforms which are led by govemors and mayors are increasing. To study on the contradiction and future of "popular control" in contemporary educational administration is the theoretical and practical challenge of educational administration.
著者
松下 晴彦
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.176-187, 2019

<p> 本稿では、まず翻訳概念の系譜学的、超越論的な観点から、現代文に特徴的な漢字仮名交じり文の淵源について、漢字仮名交用の創成過程、漢字訓読法とその批判としての国学の意義に論及し、次に翻訳がナショナリズムおよび国民語の創成の要件であることについて諸外国の事例とともに考察する。最後に、西田哲学の「無の場所」と時枝文法の「辞」の意義を確認し、日本の翻訳実践としての表記法と外来思想に対する日本的思想的態度との相関について考察する。</p>
著者
中野 実
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.193-200, 1999

1886(明治19)年に創設された帝国大学は、日本の近代大学史において一つの大きな画期であり、大学制度の原型を示した。この帝国大学創設期の大学政策及びそれに深く関わった初代文部大臣森有礼の分析は、大学制度の原型形成期研究としてきわめて重要である。本試論は、帝国大学令そのものの成立過程にいまだ多くの不明な点を残している現在の研究状況にあって、東京大学所蔵の学内文書を取り上げ、これまで考察の対象とされることがほとんどなかった諸史料を提供することを第1の課題としている。創設期とは便宜的区分であり、森の文部大臣就任期間中を指す。さらに、この時期、すなわち「帝国大学体制」形成の最初期における帝国大学の学内規則の制定、改正過程を大学と文部大臣森有礼との応答関係を中心に分析する。具体的には、1)下級学校と帝国大学のアーティキュレーションに関する入学資格問題、2)学位制度改革に関わる学士号設定問題、3)創設直後の大学院制度に関わる問題を取り上げる。これらを通して、第2の課題として本試論は森文政期の大学像を再検討する。分析の結果については、以下の通りである。第1の史料の掘り起こしと評価について。学士称号授与の「説明」と大学院規程の改正説明とは、これまでまったくほとんど知られでいなかった史料である,。この史料の存在により、2つの事柄が帝大からの発議によって成立したことが明確になった。帝国大学の大学としての主体形成が、創設直後から開始されていったといえるだろう。さらに新らしい史料の提示は、帝国大学以外の機関においても史料所蔵の可能性があることを示唆するとともに、森文政期を検証する重要な方法になると思われる。第2は帝国大学理念にかかわる事項である。上記の2つの史料は、いわば大学の「現場」からの帝国大学理念の変更があったことを物語っている。大学院規程の改正説明は、大学院組織の有名無実化を公言して、分科大学本体論を展開していた。これは大学院と分科大学を以て構成するとした帝国大学理念の実質的な変更である。帝国大学は一方で文部大臣の影響力、応答を強く意識しながら、他方で成立一年後あたりから実態に沿った改革を行い始めた。この背景には、帝国大学が創設直後から着実に学士養成の役割を果し、学術研究機関としての実質を備えはじめていたことがあった、と思われる。それらに対して森は現実、実態による理念の変更については認めざるを得ない状況にあった、と言える。