著者
早川 治子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.25-38, 2006-10-01

戦時下のラジオドラマの台本を電子化資料 とし、内容分析をするために「戦争キーワード」 という語彙群を設定した。それらの相互関係を分析することにより、強化しあいながらプロパガンダ効果を及ぼすやわらかい「戦争キーワード」の有り様を明らかにする。
著者
謡口 明
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.98-118, 2000-10

中国の戦国時代末期に韓非は儒家思想を批判・非難して独自の法思想を完成させたと言われている。しかしながら『韓非子』書中には孔子を引用した記述が多く、その記述内容を分析してみると批判ばかりでなく、孔子絶賛の記述が見られる。さらに孔子を用いた内容を詳細に考察してみると、孔子の思想及び『論語』について韓非は精通し、儒学者に匹敵するほどの知識をもっていることを見い出すことができる。韓非は『論語』を中心にして孔子の思想を受容し、韓非の政治思想の核に据えたと考えられるのである。しかし、韓非は自国韓滅亡の危機に直面し、儒家思想の限界を覚え、思想の転換をはかるのである。その転換にあたって荀子の思想が、韓非に多大な影響を与え、韓非の法思想の完成に貢献するのである。
著者
舘野 由香理
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.1-21, 2012-03-15

中国語の音節構造はIMVF/Tで示されるのに対し、日本語はCVのような単純な開音節構造であるため、中国語原音を日本語に受け入れる際に、様々な問題が発生した。韻尾のうち、入声音は原則的に狭母音をつけて開音節化させたが、唇内入声音の受け入れ方は複雑である。例えば、「習シュウ(シフ)」のように語尾が「-ウ(-フ)」となるもの、「湿シツ」のように「-ツ」となるもの、「雑ゾウ(ザフ)・ザツ」のように「-ウ(-フ)」と「-ツ」の2通りあるものの3パターンの写され方が存在する。このうち「-ツ」は特殊であり、これは無声子音の前で起きた促音によるものとされる。小論では、現代漢語における唇内入声音の促音化について分析し、それをもとに歴史的実態についても推測する。合わせて、字音(漢字の音)と語音(漢語の音)の関係を明らかにしたい。
著者
沼ロ 勝
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.371-367, 1998-01

陶淵明の「乞食」の詩は、従来、作者の実際の体験を記したものであるのか、あるいは何らかの寓意をこめたものであるのか、論が分かれてきた。私の考察によれば、「乞食」の題は『焦氏易林』の一首の繇辞を典拠とし、それは伍子胥の故事に基く。したがって、作者が詩中漢の韓信と漂母の故事になぞらえるのは、事がらの真実を韜晦せんがための擬装であると考えられる。作者が韜晦した真実とは、後の江州刺史劉柳との間に交わされた友情-作者が抱いた理想を劉柳が共感し、秘匿しつづげたこと-であった。この詩は、劉柳が義熙十一年(四一五)六月に没した後、その友情に感謝して作ったものであろう。劉柳との友情は、「飲酒」其十六、「詠貧士」其六に形象を変えて表現され、また、作者の理想は、「桃花源記」として結晶していると考えられる。
著者
浦 和男
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.149-191, 2010-03

笑いに関する研究が国内でも本格的に行われるようになって久しい。大学でも笑い学、ユーモア学の名称で授業を行い、笑い学という領域が確実に構築されている。笑いそのものの考察に限らず、笑いと日本人、日本文化に関する研究も少しずつ行われている。これまで江戸期の滑稽に関する笑いの研究はすぐれた専攻研究が多くあるが、それ以降の時代の笑いに関する研究は十分に行われていない。本稿では、基礎研究の一環として、明治期に出版された笑いに関連する書籍の目録をまとめた。本稿で扱う「笑い」は、滑稽、頓智などに限定せず、言語遊戯、風俗など、笑いを起こす要素を持つものを広く対象としている。目録としてだけではなく、通史的に編纂することで、明治期を通しての笑いの在り方を考察できるように試みた。また、インターネットで利用できるデジタル資料情報、国立国会図書館で所蔵形態についての情報も付け加えた。
著者
平田 澄子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.124-139, 1999-10-01

『丹波与作待夜の小室節』は与作・三吉馬方親子の馬子歌を背景として、再会した家族の情愛や与作と恋人こまんの恋愛が、元禄期上方の歌舞伎狂言と同じような構成のうちに描かれているハッピーエンドの世話浄瑠璃である。近松は歌舞伎の子役の活躍や、自ら彼らを起用した経験を生かして、三吉という個性的な子供の描出に成功したと思われる。
著者
ハードスターク ユージン
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.71-78, 1990
著者
亀田 裕見
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.37-87, 2010-09-15

埼玉県東部における2世代の言語調査によって得られた文法事象の方言分布状態を、言語地図を作成することによって明らかにし、県東部の中での言語境界や近隣県との繋がりを明らかにする。また、世代差を見ることで方言の変化と共通語化の状態を捉えようとするものである
著者
亀田 裕見
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.1-59, 2010-03-10

埼玉県東部における高年層と中年層の2世代の言語調査によって得られた方言分布より言語地図を作成し、県東部の中での言語境界や近隣県との繋がりを明らかにする。また、世代差を見ることで方言の変化と共通語化の状態を捉えようとするものである。
著者
向嶋成美 樋口泰裕 渡邉大 秋元俊哉 宇賀神秀一 王連旺 加藤文彬
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.144-87, 2013-03-15

本稿は、章学誠『校讎通義』の訳注である。 著者の章学誠は、字は実斎、号は少岩、浙江会稽の人である。清の乾隆三(一七三八)年に生まれ、嘉慶六(一八〇二)年に齢六十四歳で没した。乾隆三十(一七六五)年、二十八歳の年から当時の大需であった朱〓に従って学び、同門で乾隆・嘉慶期における代表的な史学家である?晋涵や洪亮吉らと親しく交わった。乾隆四十三(一七七八)年に四十一歳で進士に及第するが、任官することなく、華北の各地の書院で講じたり、畢〓、朱珪の幕下に加わって『湖北通志』などの書籍の編纂を行ったりした。章学誠はその生涯に数多くの著作を残したが、その学問は当時一世を風靡していた考証の学とは傾向を異にし、明末清初の思想家、黄宗羲以来の思想性に富んだいわゆる「浙東の学」を継承するものとされる。章学誠の年譜には、わが国の内藤湖南の「章実斎先生年譜」(『支那学』第一巻第三・四期、一九二〇年)を嚆矢とし、それを補訂した胡適の「章実斎先生年譜」(上海商務印書館、一九二二年)、さらに補訂を加えた姚名達の「章実斎先生年譜」(『国学月報〓刊』第二巻第四期、一九二七年)、また呉考琳の「章実斎年譜補正」(『説文月刊』第二巻第九〜十二期、一九四〇〜一九四一年)、王重民の「章学誠大事年表」(『校讎通義通釈』上海古籍出版社、一九八七年、附録二)などがある。 章学誠の最も重要な著作として挙げられるのが『文史通義』と『校讎通義』である。前者が歴史の意義について論じたものであるのに対し、後者は目録学の理論、方法について論じたものといってよい。『校讎通義』は乾隆四十四(一七七九)年、章学誠四十二歳の年に成った。原は四巻であったが、その後章学誠の生前中に第四巻が失われ、現存するのは「内篇」三巻である。章学誠は亡くなる前にその全ての著作の編訂を友人であった浙江粛山の王宗炎に依頼した。それを基にして章学誠の次子である章華〓が道光十二(一八三二)年に河南開封で『文史通義』、『校讎通義』を刊行して以来、これらの書はいくつかの版を重ねている。そして章学誠の著作の全てがまとまった形で刊行されたのが、浙江呉興の劉承幹の嘉業堂刊『章氏遺書』四十八巻である。この嘉業堂刊『章氏遺書』に収められる『校讎通義』は実は「内篇」三巻に「外編」一巻を加えた四巻の形を採っている。しかしこの「外篇」に収められている「呉澄野太史歴代詩鈔商語」以下の二十一編は王宗炎編訂の時に加わったと考えられるもので、『校讎通義』からは除外するのが一般である。章学誠の著作のテキストについては、張述祖の「文史通義版本考」(『史学年報』第三巻第一期、一九四〇年)、孫次舟の「章実斎著述流伝譜」(『説文月刊』第三巻第二・三期、一九四一年)に詳説がある。なお章学誠の著作テキストには刊本とは別に抄本もあり、内藤湖南旧蔵の書籍を収蔵する関西大学図書館に三本がある。井上進氏の『内藤湖南蔵本文史校讎通義記略』(『東方学会創立五十周年記念論文集』、一九九七年、のち、『書林の眺望』、平凡社、二〇〇六年)によれば、その中の一本『文史校讎通義』不分巻、六冊は嘉業堂刊本より旧い形を伝えるものであるという指摘がなされていて興味深い。また近時の排印本としては、劉公純標点の『文史通義』(古籍出版社、一九五六年、中華書局新一版、一九六一年)があり、これは嘉業堂刊本を排印したものである。さらに注釈書としては、葉長清『文史通義注』(無錫国学専修学校叢書、一九三五年)、葉瑛の『文史通義校注』(中華書局、一九八五年)、王重民の『校讎通義通解』(上海古籍出版社、一九八七年、傳傑導読、田映〓注本、上海古籍出版社、二〇〇九年)がある。 本稿では訳出にあたり葉瑛の『文史通義校注』を底本として用いた。この書は『文史通義』の諸本九種をもちいて校注がなされており、今日求められる最良のテキストと判断したからである。本稿の作成は、向嶋成美、樋口泰裕、渡邉大、秋元俊哉、宇賀神秀一、王連旺、加藤文彬の七名からなる文教大学目録研究会が開催した定例研究会において、議論、検討を進める中で得られた成果に基づくものである。その議論、検討の内容に整理を加え、訳注としてまとめるにあたり、研究会での中心的役割を果たした発表者がそれぞれ発表を担当した章を執筆することとした。今回の第一回では、『校讎通義』全三巻のうち巻一の「叙」、「原道第一」を渡邉が担当執筆し、「宗劉第二」を樋口が担当執筆し、「互著第三」を宇賀神が担当執筆した。文責もまたそれぞれの担当者に帰するものとする。
著者
遠藤 織枝
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.1-23, 2006-10-01

戦時中の雑誌の用語研究の一環として、天皇関連の敬語使用の実態を報告する。戦時中の皇室に関する敬語には特殊なものが多くあり、また、その使用については厳しい強制があった。戦後まもなくの敬語の見直しで、それらの特殊性が浮き彫りにされた。しかし、その使用された当時の実態に関する報告は少ない。今回の戦時中15年間の雑誌のグラビアの文章を通して明らかになったのは、尊敬にも謙譲にも二重三重の敬語が使われ、過剰・誇張と思われるほどの敬語使用が日常であったという事実である。
著者
寺澤 浩樹
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.146-131, 2012-09 (Released:2012-10-18)

武者小路実篤の中期(大3~6)作品群において、素材を同じくする戯曲「罪なき罪」(大3・3)と小説「不幸な男」(大6・5)の二作品は、他の諸作品を挟む時期に位置する。その中には、小説「彼が三十の時」(大3・10~11)、戯曲「その妹」(大4・3)、戯曲「ある青年の夢」(大5・3~11)など、戦争への作者の関心が反映された著名な作品が多く、この中期が「ヒューマニズムの時代」と呼ばれるゆえんである。しかし、小説「不幸な男」の特質として、戯曲「罪なき罪」から小説「不幸な男」への変容の根底には、〈死のリアルな表現〉の意図であること、その素材のデフォルメの意図には、モデルの〈苦境と苦悩の明確化〉があること、その主題は、〈神ならざる凡人には重すぎた運命〉であり、その情調は、〈厳粛な暗澹たる悲哀〉であることなどから、小説「不幸な男」という視座からは、この中期には、〈死の認識〉のモチーフが明瞭に見える。それが、「非戦」的と言われる諸作品を芸術として成立させる礎であり、武者小路独自の運命の観照なのである。
著者
笠井 勝子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.49-63, 2004-01

本稿は、1867年にドジスンがロシアへ旅行をした時の日記研究の第2部である。第1部は『英米学研究』(文教大学女子短期大学部)第31号に発表した。ドジスンの日記のMS(手書き本)はノートの形態で9冊が残っており、英国の大英図書館が所蔵している。ロシア旅行の日記は同じノートの形態ではあるが独立ノートに書かれて米国のプリンストン大学図書館が所蔵している。本稿はマクロフィルムでMSを使用した。本稿では次の3点を検討する。(1)ロシア旅行記はドジスンが自分の日記の記録として書いたというよりも人に読ませることを考えていたと思われる。(2)人に読ませるという意図から、平生の日記には見られない『不思議の国』の作者らしいユーモアが見て取れる。(3)マイクロフィルムの日記と1999年に英国ルイス・キャロル協会が出版した印刷本の日記について、テクストの比較を行う。
著者
笠井 勝子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.19-62, 2006-03

『不思議の国 ルイス・キャロルのロシア旅行記』ルイス・キャロル著 ; 笠井勝子訳, 開文社出版, 2007.5(ISBN:978-4-87571-991-5)として刊行ルイス・キャロルは『不思議の国のアリス』を出版して1 年半後の1867 年にロシアへ旅行をした。その時の旅行日記を翻訳し、また現在と当時の生活や習慣の違いなどによって説明が必要と思われる事項にはできるだけ注を付し注釈付き翻訳とした。翻訳に先立つ序のなかでは、旅行をすることになった経緯と、一緒に旅をしたヘンリー・パリー・リドゥンとキャロルとの関係、またリドゥンの宗教上の立場などについて解説した。この旅行日記ではその頃の英国の大学人が初めて外国を訪れて出会った驚きがユーモアを交えて語られていて、キャロルが普段つけていた日記とはちがい読み手を想定していることが窺える。事実キャロルの死後に他の日記は親族の手を経て大英図書館に入ったが、旅行日記はそれとは別に米国へ渡り、単独であるいは他の作品と一緒に全集の中に印刷されてきた。ロシア語を知らなかったキャロルはロシア語の僅かな単語だけで話を通じさせようとしている。キャロルがメモしたロシア語の一部には彼の勘違いもあると指摘を受けたので注に記しておいた。
著者
糸井 江美
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.171-189, 2007-09-29

受講者が満足する語学コースを作るには適切なニーズ分析が欠かせない。大学と自治体の生涯学習課が開講する二つの英会話クラスの受講者を対象にニーズ分析を実施した。両グループ共に、最も伸ばしたいスキルはスピーキングの力であった。絵本を授業で使った自治体の生涯学習課グループでは、翌年度にも絵本を使用したい希望が多かった。大学の生涯学習課グループとは質問紙調査の結果について話し合いを行った。その結果、海外旅行の他にもさまざまな理由で英語を学んでいることや、スピーキングの力が伸びることは諦めている人や、リーディングの力は充分にあるのでそれ以上勉強する必要性を感じていない人などがいることが分かった。
著者
山本 卓
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.57-101, 2005-09-01

アラゴンの晩年の傑作のひとつである『死刑執行』の中には、「人間たちの森」という奇妙な言い回しが出現する。この「人間たちの森」とは何か。一人の人間の内面には無数の他者たちの言葉が住み着いている。ロマネスクな空間=「紙=空間」の中では、こうした他者たちの言葉を媒介として、「小説が存在しなくなれば消えてしまうあの変化する我々」(BO, p.132.)が組織化されていく。批評家ル・シェルボニエの言い方を借りるならば、「可能態としての諸人格の宇宙」(BL, p.177.)とでも翻訳できそうな、この不思議な概念の意味するところは、アラゴンの創造の秘密の根底を占める考え方なのである。アラゴンの作品における登場人物たちは「複数への回路」を通って増殖を続けていく。以下では、この「複数への回路」から「人間たちの森」へと至るプロセスについて、さまざまの角度からの検討を試みたい。
著者
鈴木 健司
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.198-134, 2008-09-29

本稿は「宮沢賢治文学における地学的想像力」というテーマの下に企図された、連作論文の一つである。これまで、(一)「基礎編・珪化木(I)及び瑪瑙」(「文学部紀要」文教大学文学部第21-2号)、(二)「基礎編・珪化木(II)」(「言語と文化」第20号、文教大学言語文化研究所)、(三)「基礎編・<まごい淵>と<豊沢川の石>」(「注文の多い土佐料理店」第12号、高知大学宮沢賢治研究会)を発表している。本稿では、前半の四-一で、「地学的想像力」を、国内産蛋白石(オパール)との関連において追及する。特に童話「楢ノ木大学士の野宿」の成立に関し、明治末から大正初めにかけ「東京宝石株式会社」として良質のオパールを産出していたオパール鉱山(福島県宝坂)の存在に注目し、作品生成の契機となった可能性の立証を試みる。後半の四-二では、「地学的想像力」を外国産蛋白石(オパール)との関連において追究する。童話「貝の火」における<貝の火>とは何か。さらには、童話「銀河鉄道の夜」における<鳥捕り>と「貝の火」の主人公ホモイとの連関性を、ジャータカとの視点から分析し、賢治文学において、地学的想像力と仏教思想とが深く関わりあっている事実を立証する。