著者
渡邉 秀司
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.37-54, 2014-03-01

本稿はオタクと自ら意識する人たちについて考察をおこなうものである。現状さまざまなオタク論があり,本稿では代表的な論者である大澤真幸,大塚英志,東浩紀のそれを整理し,それらが「大きな物語」という概念に関わる議論である事を述べた。そのうえで,オタクを考えるためには個別的なデータの収集が重要であるとして,インタビュー調査の内容を述べた。オタクと自認しオタクアイデンティティを獲得した人がオタクであるという田川隆博の見解を評価しつつ,オタクと自認する人とそれ以外の他者との緊張感が,オタクを考える上では重要なのではないかと結論づけた。オタクはオタクという特殊な人種ではない。オタクとは現代社会で爛熟した文化を享受する「普通の人」たちであり,オタクを考えることは現代社会を考えることにもつながるのである。
著者
角田 尚子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.19-36, 2011-03-01

日本ではまだ認知が低いベジタリアンであるが,何がベジタリアンの妨げになっているのか,その妨げが後のベジタリアンとしての成長にどのような影響を及ぼすかを考える。本稿では8人のベジタリアンにインタビュー調査を実施し,彼ら/彼女らへの近親者の干渉と,それに対するベジタリアンの反応や対応を読み取った。その結果,欧米のベジタリアンには見られない傾向があることが分った。それは近親者が日本的な食の常識に基づき善意の干渉をすることによって,ベジタリアン自身が食の常識に合わせてしまうという傾向である。また,近親者からの干渉が大きいほど「日本的ベジタリアン」として極めて狭い範囲の行動・活動しかできず,自身の望む食生活が送れないことが分った。他方,近親者からの干渉が少ないほど「欧米的ベジタリアン」として自身の望む食生活を送り,更にはベジタリアン活動を広めていこうとする動きがみられた。
著者
河野 俊彦
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.53-70, 2012-03-01

わが国の離婚率は,戦後一貫して上昇している。とくに1990年バブル景気の崩壊後から強い増加の傾向にある。普通離婚率でみると,1988年のバブル絶頂期に1.26であったものが2002年には2.30となる。その数は,わずか15年たらずで1.8倍にも増加した。そこで,離婚率の年次変化と経済変化を照らし合わせてみると,日本の経済成長率と離婚率の変化には密接な関係のあることがみえてくる。近年の急激な景気変動と社会環境の変化は,家計経済に大きな影響を及ぼしている。昨日までは当たり前と思っていた結婚生活の水準(人並みの生活)は,いつまでも容易に維持できるとは限らない。期待と実生活とのあいだに生じたギャップは,やがて夫婦間に言い知れぬ不満を蓄積させることになり,夫婦関係の安定性において潜在的に大きな影響を与えることになるのである。
著者
大西 次郎
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-17, 2012-03

遠からぬ死を悟った高齢者が,自らの死後の扱いを懸念し,そのことを言いたくて/言えないでいることは稀でない。彼(女)らの悩みはスピリチュアリティ,他者の中に残る自己,自然との合一といった側面に限らない。遺体がいかに処置され,誰が引き取り,いつ火葬を行い,埋葬や遺骨の管理はといった,葬儀とそれに付帯する事項が重要な位置を占めているのである。例えば葬儀は時間軸上死後でありながら,まだ見ぬ"あの世"とは違って,数日内に必発する予測可能な現世のできごとである。高齢者は葬儀を,自らの生の延長線上に見据えている。しかし,本人が亡くなってから発来する事象は当然のように生前のケアより外され,グリーフケアが適応されるのは専ら遺族である。この狭間に援助者は葬儀の捉え所を失い,高齢者の想いへ応えられなかったのではないか。葬送に関する話題をターミナルケアに携わる援助者が積極的に,高齢者本人へ向けて取り上げるべきだし,その行為は専門家だけに委ねられたものでない。葬儀終末期看取りグリーフターミナルケア
著者
田村 有香
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.1-18, 2014-03-01

この論文は,流通にのらない廃棄野菜をシート状に加工することで新しい用途を探り,将来的には食品系廃棄物の減量を目指す目的で作成するものである。食品廃棄物の大量発生は,国際的にも非難の的となり得る重大な問題であり,根本的で継続的な対策が望まれている。本稿では特に,未利用の野菜資源に着目した。野菜は,流通規格の問題,相場の問題,品質の問題,食文化の変化などの理由で生産量の約6 割程度しか出荷できず,残りは圃場で廃棄されているが,正確な量は統計にも表れない。その未利用野菜の有効利用に向けて,シート加工の可能性を検証した。気象条件や作物の状態,小売店との関係等によって,性状や発生量,品質,種類などが一定にならないことを考慮すると,野菜の種類や状態に左右されずに加工できる野菜シートの応用可能性は大きいと考えられる。今後は食品としても洗練されたデザインを導入したり,栄養素などの機能性を高めたりすることで付加価値を高め,新たな需要を掘り起こすなどのさらなる取り組みが必要である。
著者
菊池 明
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.1-17, 2013-03-01

マレーシアは多民族・多文化社会であるが,世界的に民族要因の紛争が拡大するなかで1969 年5 月のマレー系・中国系の対立を最後に大きな紛争を経験していない社会である。この要因として民族横断的で強力な政権政党の存在を挙げる者がいるが,この政治体制も基盤となる日常世界とリンクしているものである。本論文では多民族が混交する日常世界に焦点を当て,ゴッフマンの儀礼論・集まり構造論を柱としその安定化の様相を検討している。すなわち人々が多民族的集まりの状況を感得しながら自己を表出し,また他者の民族・宗教スティグマを捨象する「戦略的パフォーマー」像を提示するとともに,異なる民族が接触する領域に彼らが創りだす「境界の集まり」を考察し,これらが多民族間の平和維持に寄与している事実を明らかにしている。
著者
大窪 善人
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.1-14, 2016-03-01

本稿は、1983年に西ドイツで行われた核ミサイル配備に反対する市民的不服従にたいするハーバーマスの議論についての考察である。ハーバーマスは市民的不服従を、米国の成熟した政治文化と政治・法理論を媒介として、民主的法治国家の成熟をはかるテストケースに位置づける。その際に重要な位置づけをもつのは「合法性と正統性」の概念である。この概念対は、国法学者シュミットの政治・法理論において重要な意味をもっている。本稿では両者の議論の特徴を対比することを通じて、ハーバーマスの市民的不服従論の正統化根拠が、法治国家における法と道徳の補完関係、そして、可謬主義的な政治文化に求めることができるということを明らかにする。市民的不服従正統性と合法性道徳原理と民主主義原理決断主義対可謬主義
著者
友江 祥子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.37-54, 2011-03-01

仮説を,大阪で派遣看護婦として働いていた20代女性の日記から検証する。すると見えてくることがある。それは女性の印象が「のんき」であるということだ。昭和16年当時は日中戦争のただ中であり,日本は完全な戦時下という状況であった。それにもかかわらず日記の中の日常は,現代の我々に伝えられる「戦争」というイメージからはほど遠い。不穏な社会情勢よりも女性にとって大切なことは,自分個人の将来,とりわけ婚約者との将来だった。このような点からも,女性の日常はまだ平穏であったと思われる。しかし戦時下であったことは事実であり,日記中には「戦争をすることへの躊躇」を感じさせない勇ましい文章が並ぶ。この女性は,こうしたアンビヴァレントな意識をもち,戦時下独特の不穏な空気のなか,平穏な生活を送っていたのである。
著者
渡邊 秀司
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.55-70, 2011-03-01

本論のテーマはカリスマの検討である。カリスマというと「カリスマ主婦」「カリスマ店長」なる言葉を思い浮かべる人も多い。今更カリスマを問う意味がどこにあるのかという考えもあるだろう。しかし,ある程度の構成員を内包する集団が形成される場合,何らかの形でカリスマが関わる場合が多い。マックス・ウェーバーがカリスマについて論じて以後,特に1970年代から80年代にかけてカリスマの検討がされてきた。それらのカリスマ論はカリスマの担い手に主たる関心があったが,本論では,ウェーバーのいうカリスマの「使徒」という,担い手から見れば外部の存在によってカリスマが作られる事を,二段階の「カリスマの構築」という視点に立って論じる。
著者
友江 祥子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.37-54, 2011-03-01 (Released:2011-05-11)

仮説を,大阪で派遣看護婦として働いていた20代女性の日記から検証する。すると見えてくることがある。それは女性の印象が「のんき」であるということだ。昭和16年当時は日中戦争のただ中であり,日本は完全な戦時下という状況であった。それにもかかわらず日記の中の日常は,現代の我々に伝えられる「戦争」というイメージからはほど遠い。不穏な社会情勢よりも女性にとって大切なことは,自分個人の将来,とりわけ婚約者との将来だった。このような点からも,女性の日常はまだ平穏であったと思われる。しかし戦時下であったことは事実であり,日記中には「戦争をすることへの躊躇」を感じさせない勇ましい文章が並ぶ。この女性は,こうしたアンビヴァレントな意識をもち,戦時下独特の不穏な空気のなか,平穏な生活を送っていたのである。 昭和16年 戦時下 日記 看護婦 日常生活