著者
松本 桂子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.53-64, 2006-03-01

「ハイビスカスとサルビアの花」は、ロレンスの詩集「鳥・獣・花』に収録されている長詩である。新約聖書の『ヨハネの黙示録』に登場する赤い竜を、隠れた題材として扱っているこの難解な詩を探究するには、同じくロレンスのエッセイ『アポカリプス』を無視する事はできない。両作品には、彼の思想、特にヨーロッパのキリスト教観が必然的に相対しているからである。『アポカリプス』との綿密な照合により、詩中で謳い上げる詩人ロレンスの内面の声に耳を傾けながら、そこに浮かび上がる赤竜の真意を解き明かすことを本稿での目的とする。ハイビスカスサルビア主義者怒り赤い竜
著者
中西 晴子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.281-292, 2003-03-01

茶道とは何かという問いに答えるためには多くの方法がある。文化としての茶道、芸術としての茶道、礼儀作法の一つとしての茶道、遊びとしての茶道などがそれである。ここでは茶道を所作という点にしぼって社会学的に考察したい。なぜ所作に注目するかというと、茶道はまず茶を点て、それを飲むという行為から始まるからであり、茶会はこのような行為を重視する人々が集まって行う社会的・社交的な行為であるといえるからである。このような社会性・社交性に重点を置く場合、茶道を社会学的に考察することは自然であり、そこから茶道を見ることも新しい茶道の見方に通じるのではないかと考える。まず「飲む」という行為は生活のなかで一般的であり、普通の行為である。茶を「飲む」という行為も生理的な渇きを潤す行為である。つまり、茶と飲むという行為は、日常的であり生理的な欲求を満たす行為である。しかし茶の湯の点前で「飲む」という行為は、単に生理的欲求を満たすものではない。それは文化的、社交的な行為である。ではどのような点で文化的、社交的なのか。そのことを所作という動きを通して論じたい。
著者
船引 一乗
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.57-70, 2004-03-01

清末以降、中国では様々な問題が発生した。その中の一つに"国語"の問題がある。その当時の知識人達は、どのようにこの問題に対処し、解決を模索していったのであろうか。この論文では民国初期にこの問題で活躍した二人の知識人、胡適、黎錦熙が、どのようにして"国語"を生み出そうとし、普及させようとしたのか、またその"国語"は一体誰の為のものであったのかを、その当時に二人が発表した文章、論文に沿いながら、検討していきたい。国語国文語体文注音字母
著者
黒沼 精一
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.175-188, 2007-03-01

本稿は、自然が美しい北海道において展開されている道州制議論と市町村広域合併議論の展開に関連づけ、北海道の特殊性を活かしたウェルフェアミックスの可能性を模索するものである。英国保守党政権における行財政改革、NPMと民営化政策を比較検討しながら、農村社会に必要な道州制議論における北海道型ウェルフェアミックスの提案を総括したものであり、コンサーバティズムの潮流を再認識していくものである。本稿の構成は、1ではウェルフェアミックス理論の形成過程から近年に至るまでの経緯を分析し、2では北海道における道州制議論と市町村広域合併議論の展開を把握するために地方政府と中央政府の主張を分析し、3では英国保守党政権における行財政改革からニューレイバー労働党改革路線への歴史的変遷、民営化政策、財政の健全化について分析し、北海道の農村社会に必要と思われる政策の<coreからsolution>の比較と関連性を述べた。4では農村社会に必要な道州制議論における北海道型ウェルフェアミックスの提案と北海道型リベラルアーツを総括するものである。本稿の特徴は、第一に北海道におけるインフォーマルセクターの活動を補完的に支援する福祉ビジネスを非営利セクターと営利セクターに類型化し、<コアコンピタンス(特殊性や長所)を伸ばして、社会貢献(地域貢献・国際貢献)に結びつけいていく地域振興>を<coreからsolution>として捉えていくところにある。第二に本来的なリベラルアーツ(自由七科)を北海道型リベラルアーツにアレンジして、道州制議論における北海道型ウェルフェアミックスに必要な七つの課題について総括するところにあり、北海道あるいは北海道の農村社会の発展に寄与するものである。
著者
渡邊 浩史
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.103-111, 2003-03-01 (Released:2008-08-14)

現在までこの「道化の華」の冒頭に用いられた「ここを過ぎて悲しみの市。」という一節は、ダンテの『神曲』からの引用であり、その翻訳としては、笠原伸生氏によっ提言された森鷗外訳『即興詩人』「神曲、吾友なる貴公子」の一節、「こゝすぎてうれへの市に」であると言われてきた。しかし、検討の結果、実はその翻訳は別にあるのではないか、という可能性が出てきた。小稿はその翻訳として、上田敏訳のテクストにあるものを一番大きな可能性とし、そこに書かれた「こゝすぎてかなしみの都へ」と「われすぎて愁の市へ」という訳稿を太宰が「道化の華」の冒頭に用いる際、一部改変し使用していたのだ、ということを提唱するものである。 翻訳 森鷗外 上田敏 ダンテ『神曲』
著者
渡邊 大門
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.71-84, 2006-03-01

宇喜多氏に関する研究については、直家期を中心にして、既にいくつかの論文が公表されてきた。それらの主要学説は、宇喜多氏が浦上氏の被官人であったか否かという問題をはじめ、宇喜多氏の大名権力がいかなる条件のもとで形成されたか等々、戦国大名論を検討するうえで重要な論点を提示している。近年では、地域権力論・戦国期国衆論に関しても活発な議論が展開されており、宇喜多氏の研究はその好素材であると言えよう。そこで、小稿では能家以前の宇喜多氏-文明-大永年間を中心に-について、発給文書およびその動向を改めて検討し、浦上氏との関係を論じたものである。その結果、宇喜多氏は金岡荘を基盤として領主権を確立しており、浦上氏とは軍事的なレベルなおいて従属にあったことを指摘した。つまり、宇喜多氏は、被官人あるいは家臣として浦上氏配下に組み込まれておらず、領主間の緩やかな提携関係にあったのである。
著者
大塚 晴郎
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.109-124, 2002-03-01

本論は先に発表した「文化領域にみる芸術の自律性について」(本紀要第28号)に続くものである。芸術の自律性に基づく芸術界特有の秩序を考察することになる。ここでは先に研究した文化的価値が、意味的根拠となり、個人によって内面化され、個人の行為に意味一貫性をもたらすことが期待される。また集団における価値の共有化によって、個人の立場を擁護し、集団の凝集力を高めることが期待される。しかし文化的価値は各領域におけるそれぞれの価値と複雑に関係し、現実的な問題を生じる
著者
三好 達也
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.159-171, 2003-03-01

今日、日本におけるボランティアは地縁関係を中心とした従来の互助的なボランティアから個人の興味・関心によっておこなわれるものへと変化している。そこで、依然として根強い地縁関係をもつコミュニティである一方で「世界遺産」に登録され、観光地化されている「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に焦点をあて、「重要伝統的建造物群保存地区」及び「史跡」指定から「世界遺産」登録後のボランティアに関する意識変化について調査し、過疎地域のおけるボランティア精神の特色やその変化について、萱葺きの葺き替えや冠婚葬祭などの互助的な慣習である「結(ゆい)」の果たしてきた役割を中心に考えてみたい。調査方法としてはインタビュー調査を用いた。テンニースの理論をもとにした分析の結果、「結」を中心とした互助的なボランティアと観光客を対象とするボランティアが混在していることが明らかになった。つまり、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」におけるボランティア精神はゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと移行しつつあり、そこには「結」によって互助関係は継続され、観光地化によって近代化が進むことで独特なボランティア精神を形成しているといえる。
著者
近藤 裕子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.61-67, 1999-03-01

人間を対象とする看護等の職業においては,人間をどのようにとらえれば,人間全体を把握できるかの検討は重要である。日本では古来から「身心一如」の考えから,心身一元論的なとらえ方が一般に行われてきた。しかし人間は,身体的にはとらえやすくても心理的にはとらえにくい。人間をどのようにとらえるかは,それぞれの人によってまた,どのような視点でみるかによっても異なってくる。人間の姿や心を,能楽を通して演じた世阿弥によって記述された,さまざまな人間の姿から,看護学における人間のとらえ方への応用を考察する。
著者
中野 加奈子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.221-235, 2007-03-01

退院援助は、日本に医療ソーシャルワークが導入されて以来取り組まれてきた医療ソーシャルワーカー(以下、MSW)の主要な業務の一つである。これまでの歴史の中で、MSWは、社会問題としての生活問題の解決に取り組む実践を積み重ね、実践の中から退院援助の理論を構築してきた。しかし一方で、これまで「退院問題」「退院計画」「退院援助」という用語は曖昧な使われ方をしており、さらに、医療制度の様々な「改正」によって、医療ソーシャルワークが機能し得ない状況が起こりつつある。本論では、上記の用語の概念整理を行い、「退院援助」において、MSWが患者・家族の様々な生活問題を捉え、それらの解決・調整をしながら、患者・家族の主体形成にも関わる援助を行っていることを明らかにした。さらに、今後は、生活全体を捉える視点からの生活問題のアセスメントや、退院援助対象者のスクリーニングの「標準化」が必要であり、さらに退院後のフォローアップが必要となることを考察していくものである。
著者
池田 昌広
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.93-107, 2007-03-01

今日の我々にとって、『日本書紀』の抑もの書名は未定といわねばならない。何となれば『日本書紀』の現存古写本が凡そ「日本書紀」の標題であるのに、その撰上を唯一伝える『続日本紀』養老四年条が「日本紀」を以て喚名するからである。この齟齬に合理的解説を与えるのが書名論の具体である。私は明解の考拠を得るため、関連史料を整理したうえで先行学説から継承すべき視点を抽出した。その結果、原題を「日本紀」に認め、「日本書紀」の名称を『日本書紀』撰上以後天平十年頃以前の所為に考えるべきを述べた。并せて、『日本書紀』の史体が六朝時代に流行した「通史」体であること、「日本書紀」の名称の発明された理由と「隋書」「経籍志」に初出する「正史」の概念の伝来とが関連しているだろうことを述べた。
著者
山本 健治
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.91-101, 2008-03-01

本研究では、青年期の精神的自立の課題について、職業観や勤労観、また親子関係を含む対人関係との関連から考察を試みた。方法としては、高校生を対象にこれらのことに関する意識調査を実施し、その結果について分析した。同時に「ひきこもりの心理特性」を測る調査を実施し、抽出されたそれぞれの因子と前述の職業観・勤労観及び対人関係との関係を回帰分析等を用いて精査した。その結果、ひきこもりの心理特性を持つ者は、学業から職業への移行について、さまざまな不安を抱えていることが明らかになった。対人関係においても、信頼できる人や、困ったことを相談できる人の存在に乏しく、信頼感に基づいた一体感を感じられないでいることがわかった。それらの要因を探るなかで、生来の個性とは別に、幼児期、児童期から連続する発達課題の問題として、この問題を捉え直すことが重要である。精神的自立ひきこもり心理特性職業観対人関係
著者
眞砂 照美
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.175-191, 2001-03-01

視覚障害をもつ人の学習は、一般に点字図書と録音図書を使用して行われるが、わが国では、そのほとんどがボランティアによって制作されており、その絶対量の不足とジャンルの偏りが指摘されている。視覚障害者の学習環境は十分に整備されているとは言い難い状況である。本稿は、音訳活動をボランティアとしての捉え方ではなく、生涯教育の視点から考察するところに特長がある。まず盲先覚者の学び方を取り上げ、読みという活動について整理し、さらに非文字情報の音訳化の実験を通して音訳活動の性格について検討した。その結果、音訳活動には、読み手側の学習経験や読む能力が大きく影響し、視覚障害者のための音訳活動が結果的に、音訳者自身にとっても新たな学習形態を創り出すことが明らかになった。