著者
中村 大介
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.75-92, 2020

先スキタイの馬具には大別してノヴォチェルカッスク類型とチェルノゴルフカ類型の二系統がある。本稿ではそれぞれの類型の特徴を整理し、時期による差異ではないことを再確認した。また、チェルノゴロフカ類型は東方のアルタイ・サヤン地域を起源とすると考えられているが、少なくとも鑣については、直前の型式は黒海周辺で連続的に変化しうることを明示した。加えて、馬に操縦に関する馬具の改良についても、アルタイ・サヤン地域ではなく、黒海から西アジアの範囲で先行することを指摘した。
著者
水野 博介
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.251-259, 2015

1 はじめに2「都市メディア論」とは何か?~その問題意識~3 おおまかな守備範囲①都市の要素1)都市の成立条件となる建造物2)都市インフラとなる建造物3)住宅4)都市間を結ぶインフラ5)マスメディア②都市の構造1)同心円型2)ゾーン型3)役割分担型③都市空間構成の方略1)垂直ルール2)水平ルール3)直交ルール4)空虚な中心4 都市の歴史①京都②江戸・東京5 都市機能の解読①モニュメントあるいは博物館都市②デパートやモールあるいは消費都市③テーマパークあるいはエンターテインメント都市6 都市のシンボル論①ランドマーク②都市の起源③都市名・市章・ニックネーム④祭り・イベント⑤景観⑥有名人⑦架空の存在⑧映画やドラマなどのロケーション⑨ゆるキャラ⑩B 級グルメ⑪アニメの聖地⑫ローカル(ご当地)・アイドル⑬ローカル(ご当地)・ヒーロー⑭ご当地の風景や都市景観を織り込んだ映画・テレビドラマあるいはご当地ソング等7 結語
著者
加地 大介
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.21-36, 2021

本稿に始まる一連の論考では、実体的対象を基礎的存在者として認定する「実体主義的形而上学」の観点から要請される「部分論理」はどのような基準のもとでどのような選択を行うべきであるかを検討していく。本稿では、その具体的作業に踏み込む前の基礎的考察として、ダ・コスタとフレンチがパースやジェイムズのプラグマティズム的真理論を参照しつつ『科学と部分的真理』(2003)の中で展開した議論を手がかりとしながら、部分論理の前提となる「部分的真理」の形而上学的含意について考究する。その結果として、彼らの議論には実体主義的形而上学の観点からも評価できる側面をいくつか見出せるが、彼らの真理論がもっぱら認識論的観点に基づいているために、真理の部分性や時間性を消極的な形でしか捉えられていないという問題点を指摘する。そのうえで、特にジェイムズの真理論にはより積極的な動機があったことを確認するとともに、存在論的観点に基づけば、部分的真理には実在そのものの動的性格や形而上学的な不確定性を捉える等の積極的意義を見出すことができる、ということを示す。
著者
権 純哲
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.71-104, 2013

はじめにI 『朝陽報』についてII 『朝陽報』連載「論ニ十世紀之帝国主義」について 1. 翻訳者不明 2. 抄訳かつ未完訳 3. 訳文体裁の刷新 4. 連載中断の理由 (1) 朝陽報社の方針との関係 (2) 幸徳秋水の韓国認識 (3) ビスマークに対する認識 (4)『愛国精神』III 翻訳の特徴 1. 固有名詞の翻訳 2. 誤訳の例 3. 文脈に従う意訳むすび
著者
杉浦 晋
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.259-273, 2020

石川淳の短篇「山桜」(一九三六)に死んだ女性の幻影があらわれるのは、「わたし」が「ネルヴァルのマント」を想起したことをきっかけ=入口としている。それはテオフィル・ゴーチェらの回想や、唯物史観に照応したアーサー・シモンズの文学史から石川が受け取った、ジェラール・ド・ネルヴァルの「文学的形象」に基づく。それは自殺、狂気、夢というロマン的なシニフィエをはらみ、象徴主義につらなる一九世紀の文学を表象し、フランス革命後の小市民共和主義者によるロマン主義文学運動を想起させるものであり、長篇「普賢」(一九三六)にも投影され、小林秀雄、坂口安吾なども共有していた。そして、物語の最後で幻影は消滅し、あとに立ちすくむ「わたし」が残される。その姿は、こうした「文学的形象」を克服し、二〇世紀の新しい文学にむかう決意のあらわれとみなされる。石川は、そのためのきっかけ=出口を、まずポール・ヴァレリーに、また近世文学史の見取図をふまえて上田秋成に認めていた。
著者
岡崎 勝世
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.33-49, 2019

「昭和12年要目」の時代(1937、昭和12~1943、昭和18)はまた本格的ファシズムの時代、日中戦争開始からアジア・太平洋戦争前半の時代にあたり、歴史教育も皇国史観とそれに基づく国家主義的な「國民道徳」の注入を目指すものとなった。歴史教科書と授業の内容を細部に至るまで指定し、さらに「五種選定」を強行して教科書の種類数を削減するなど、国家統制が強化された。東洋史の比重が高まりイスラム地域の記述が顧みられたり考古学的記述も現れたが、他方、元寇の記述では「神風」の語が出現し、「倭寇」の語の削除なども行われた。また欧米諸国は学ぶべき対象ではなくなり、西洋史も西欧諸国のアジア侵略の批判を重視し、革命や国民性の批判的記述等を通じて「日本國民ノ自覚ヲ啓培」することのほうに重点が置かれ、その地位が低下して記述の簡略化が行われた。はじめに第一章 三分科制確立期に於ける世界史教育 (1902、明治 35~1931、昭和 6)第一節 明治後期の世界史教育 (1902、明治 35~1911、明治 44)1.教育・研究体制に於ける三分科制の確立2.「中學校教授要目」(明治 35)と教科書3.世界史の試み(1) ―「世界史」の登場 ―第二節 大正デモクラシー期の世界史教育(1911、明治 44~1931、昭和 6)1.「中學校教授要目」 (明治 44)と教科書2.世界史の試み(2) ― 齋藤斐章の場合 ― (以上、第 53 巻 第 2 号)第二章 「ファシズム期」における世界史教育(1931、昭和 6~1945、昭和 20)第一節 昭和初期(戦前期)の世界史教育 ― 昭和 6 年の「中學校教授要目」と教科書 ―(1931、昭和 6~1937、昭和 12) (以上、第 54 巻 第 2 号)第二節 大戦期の世界史教育(1937、昭和 12~1945、昭和 20)1.「中學校教科教授及修練指導要目」(昭和 12)と教科書 (以上、本号)2.国定教科書の時代3.マルクス主義の浸透おわりに
著者
岡崎 勝世
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.1-15, 2019

アジア・太平洋戦争前の日本では世界史教育は主に中学校で行われ、1872 年に始まる「万国史の時代」から 1902 年以後は国史・東洋史・西洋史の三教科からなる「三分科制の時代」に移行し、ファシズム期(1931 ~ 1945)になると、国史は勿論、東洋史、西洋史に対しても皇国史観が支配を確立していった。その出発点となったのが、昭和 6 年に定められた「中学校教授要目」であった。そこでは国民精神の涵養が唱えられ、皇国史観に基づいた日本史が中心のカリキュラムが組まれた。そのなかで東洋史は殆どその独立性を奪われたが、また西洋史も従来になかった規制を受けるようになった。但しこの規制に対して東洋史の教科書はなお伝統的中国王朝史を守ろうとし、また西洋史教科書にも対応にばらつきが見られた。この意味で、ささやかだがなお執筆には自由が残されていた。はじめに第一章 三分科制確立期に於ける世界史教育 (1902、明治 35~1931、昭和 6)第一節 明治後期の世界史教育 (1902、明治 35~1911、明治 44) 1.教育・研究体制に於ける三分科制の確立 2.「中學校教授要目」(明治 35)と教科書 3.世界史の試み(1) ―「世界史」の登場―第二節 大正デモクラシー期の世界史教育 (1911、明治 44~1931、昭和 6) 1.「中學校教授要目」(明治 44)と教科書 2.世界史の試み(2) ―齋藤斐章の場合― (以上、第 35 巻 第 2 号)第二章 「ファシズム期」における世界史教育 (1931、昭和 6~1945、昭和 20)第一節 昭和初期(戦前期)の世界史教育 ―昭和 6 年の「中學校教授要目」と教科書― (1931、昭和 6~1937、昭和 12) (以上、本号)第二節 大戦期の世界史教育 (1937、昭和 12~1945、昭和 20) 1.「中學校教授要目」(昭和 12)と教科書 2.国定教科書の時代 3.マルクス主義の浸透おわりに
著者
岡崎 勝世
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.31-72, 2018

はじめに第一章 三分科制確立期に於ける世界史教育(1902、明治35~1931、昭和6)第一節 明治後期の世界史教育(1902、明治35~1911、明治44)1.教育・研究体制に於ける三分科制の確立2.「中學校教授要目」(明治35)と教科書3.世界史の試み(1)-「世界史」の登場-第二節 大正デモクラシー期の世界史教育(1911、明治44~1931、昭和6)1.「中學校教授要目」(明治44)と教科書2.世界史の試み(2) -齋藤斐章の場合-(以上本号)第二章 「ファシズム期」における世界史教育(1931、昭和6~1945、昭和20)第一節 昭和初期(戦前期)の世界史教育(1931、昭和6~1937、昭和12)1.「中學校教授要目」(昭和6)と教科書第二節 大戦期の世界史教育(1937、昭和12~1945、昭和20)1.「中學校教授要目」(昭和12)と教科書2.国定教科書の時代3.マルクス主義の浸透おわりに
著者
ブラウン ロジャー H.
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.103-126, 2019

日本政治思想史研究では昭和初期における安岡正篤と内務省のいわゆる「新官僚」との関係が長く重視されてきた。また近年の研究において内務官僚の「牧民官」意識の重要性が認められている。しかし、この官僚の意識と安岡の官治論との関係、そして歴史的意義は明らかにされていない。本稿は、安岡と内務官僚の交流に焦点を当て、当時「東洋的な牧民思想」と呼ばれた安岡の官治論を考察する。この思想は、儒教の徳治主義的観点により政党政治を非難し、日本の国体に相応しい政治とは優れた「官」による国民の教化であるということを唱えたのである。安岡の「東洋思想」におけるこの牧民思想は内務官僚から支持を継続的に受け、戦間期に政党内閣の凋落を促進し、国民精神総動員運動に至った教化総動員運動の一要素になった。したがって、近世の牧民思想に基づいた近代の内務省の「牧民官」意識とそれらを取り入れた安岡の「東洋的な牧民思想」が、近代日本の官僚政治思想の一つの重要な要素であったと言える。
著者
佐藤 雅浩
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.51-70, 2019

本稿の目的は、「うつ」で通入院経験のある人々を対象とした社会調査の結果を分析することで、精神疾患に関する医学的知識が、どのような経路を辿って人々に受容されているのか、またその結果として、人々の意識や行動にどのような影聾を及ぼす可能性があるのかについて考察することである。これまで「うつ」をはじめとする各種の精神疾患の流行現象については、理論的・実証的な諸研究が蓄積されてきたが、精神疾患に関する大衆的な知識の普及という現象に着目し、当該の過程を精緻に検討した研究は少ない。本研究では、上記の人々を対象としたアンケート調査の結果を分析することで、精神医学的知識の普及過程とその自己への影聾について、社会学的な観点から考察を行った。またこのことにより、精神疾患の流行に関するI.Hackingの「ループ効果」概念の妥当性を、経験的なデータに基づいて検証することを目指した。
著者
古川 光流 袁 景竜 陳 怡禎 山崎 敬一
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.237-258, 2020

本研究は、アイドルファンであることの経験を中心に、現代の大学生の音楽受容の実態を量的研究と質的研究を組み合わせた多段階調査を行い、分析したものである。本研究では、第1段階として、S 大学の学生を中心に音楽受容の実態を調査した。その結果、音楽受容に男女差は見られず、また、現代の音楽産業の中心となっている音楽ライブの参加経験者も少数にとどまっていた。しかし、S 大学の学生のうち、アイドルの音楽ライブ参加経験がある学生を対象にした第2 段階の調査においては、どのようなアイドルを応援するかについて、男女差がみられた。また、年間4 回以上音楽ライブに参加する熱心な参加者や、複数のアイドルを応援するファンが多く見られた。さらに、第3 段階の調査として、アイドルの音楽ライブ参加経験者に対して、グループインタビューとグループディスカッションを行い、日常生活におけるアイドルファンの応援活動やコミュニケーション、複数のアイドルを応援する傾向について考察した。This paper examines the music experiences practiced by Saitama University students through quantitative and qualitative research. Data analyzed in this paper were from the questionnaire survey for the quantitative analysis and group interviews for the qualitative analysis. The first questionnaire survey revealed that there was no gender difference in respondents' music experiences and only a small number of students who had participated in music live. However, the second survey established that there was the gender difference in attending concerts between the respondents. The second survey also showed that the respondents who participate in music live at least four times a year have tendencies to support more than one idol. The third survey as a qualitative research was to demonstrate the fan activities and communications in the idol-fan communities. This is conducted through sources from group interviews and group discussions with fan club members and idol music live participants.
著者
水野 博介
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.261-270, 2015

1 はじめに2「若者」とは何か?①「若者」の年齢の下限②「若者」の年齢の上限③「モラトリアム」の拡張3 メディアの青少年に対する「悪影響」①テレビ暴力の「悪影響」②インターネットの「闇世界」③メディアへの「依存」4 メディアが形成する青少年の人間性5 「若者問題」の登場6 ポストモダン状況における若者①現状に満足する若者②未熟化する文化③技能・アイディアに優れるという若者像7 結語-若者と大人の「対立」から「共生」へ<文献><付記> 水野博介の履歴
著者
権 純哲
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.39-51, 2019

京城帝國大學創設に參晝し、法文學部朝鮮語學文學第一講座教授となる高橋亨は、朝鮮文學/史のほか朝鮮思想/史・朝鮮儒學/史を講義し、學間的基礎・骨格を作り上げた。彼の京城帝大講義ノートは、既知の著書・論文とは異なる性格を帶び、帝國・植民地學間として誕生した朝鮮學の實態を明かす資料としてその意義は大きい。その概觀と、この研究に至る經緯、高橋亨と京城帝國大學につき略述した。