著者
堀江 有里
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.163-189, 2019-09-30 (Released:2020-01-07)

「キリスト教は同性愛を受け入れない」としばしば表現されてきたように、性的マイノリティへの差別を牽引してきた宗教のひとつである。本稿は、キリスト教の性規範を問うクィア神学の観点から、性的マイノリティへの差別を醸成するひとつであるホモフォビア(同性愛嫌悪)を考察する。事例として、キリスト教の教義に基づいて形成される「家族の価値」尊重派の主張を批判的に検証する。かれらは異性愛の結合と生物学的なつながりのある子を「正しい家族」として措定し、終身単婚制の重要性を強調することで、同性婚への反対表明をおこなってきた。本稿では、合衆国において、「宗教右派」を中心とするかれらの主張が拡大してきた経緯を追ったうえで、聖書テクストの事例をとりあげ、そこから家族の「正しさ」を措定するのは困難なことをあきらかにする。このような作業をとおして、男性/異性愛中心主義の価値観のなかで奪われてきた性的マイノリティの「行為主体の可能性」を模索する。
著者
久松 英二
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.455-479, 2010-09-30 (Released:2017-07-14)

ビザンツ末期の一四世紀に正教修道霊性の中心地アトスで始まったヘシュカズムの霊性は、心身技法を伴う「イエスの祈り」の実践と、神の光の観想の意義および正統性弁護のための理論から成り立つ。体位法と呼吸法を伴った「イエスの祈り」は、ビザンツ修道制における静寂追求の伝統上に位置づけられるが、それによって得られる光の観想体験は「タボルの光」という聖書表現をもって解釈しなおされた。次に、ヘシュカズムの理論レベルにおいては、光の観想をめぐる東方キリスト教的な解釈が注目される。その特徴を端的に表現するのが、「働き」(エネルゲイア)という概念で、この概念は光の観想体験の意義および同体験の正統性の説明として機能する。よって、ヘシュカズムの理論は内在や本質の抽象論より、働きや作用のダイナミックな具体論を特徴としている。そのような理論に支えられたヘシュカズムの霊性は、「エネルゲイア・ダイナミズムの霊性」と称してもよかろう。
著者
田中 雅一
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.107-134, 2019

<p>本稿の目的は、セクシュアリティ・ジェンダー体制と呼ぶ社会システムと宗教との関係を考察することである。具体的な事例としてインドのデーヴァダーシーと呼ばれる女性たちと、その中核に位置するエッラッマ女神への実践と信仰を取り上げる。そこに認められる吉と不吉という女性を分断する宗教的観念が女性への差別を正当化していると同時に、宗教が既存のセクシュアリティ・ジェンダー体制を撹乱する要因にもなっていることを指摘する。差別をめぐる女性の分断は日本の文化や社会体制に馴染んでいる者にとっても他人事ではないという観点から、日本においては女性を分断する支配的な言説として貞淑な女性とふしだらな女性という対立が重要であると指摘する。そして、子宮委員長はるの著書を取り上げて、その撹乱的意義を論じる。</p>
著者
大貫 隆
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.205-226, 2010-09-30 (Released:2017-07-14)

グノーシス主義研究において、神話論的思考から哲学的・神秘主義的思考への変容は避けて通ることのできない重要な問題である。ナグ・ハマディ文書第八写本の『ゾーストリアノス』では、この変容が明瞭に起きている。他方、プロティノスが『グノーシス派に対して』で対峙している論敵も同名の書物を持っていた。プロティノスはその中に、魔術文書の「呪文」と同類の発語を見出して批難している。事実、『ゾーストリアノス』を初めとする後期グノーシス文書は魔術文書から多くの「呪文」を受容した。しかし、それは魔術文書の場合のように、神々やさまざまな霊力を強制的に人間の思惑に従わせるためではない。それは地上から至高の究極的存在へ向かって上昇した神秘主義者が、究極的存在に関する認識と自分自身の存在を合一させた瞬間に発する呻き、つまり「異言」(グロッソラリア)である。
著者
宮家 準
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.1083-1107,viii, 2005-03-30 (Released:2017-07-14)

日本の宗教的伝統はこれまで神道、仏教、道教など成立宗教の側から論じられることが多かった。けれども日本人は自己の宗教生活の必要に応じて、これらの諸宗教を適宜にあるいは習合した形でとり入れてきた。民俗宗教はこうした常民の宗教生活を通して日本の宗教的伝統を解明する為に設定した操作概念である。この民俗宗教は自然宗教に淵源をもつ神道と、創唱宗教である仏教、中国の道教、儒教、これらが混淆した習合宗教、さらに日本で成立した修験道、陰陽道、萌芽期の新宗教などが民間宗教者によって常民の宗教生活の要望に応じるような形で唱導され、彼らに受容されたものである。けれどもこれまでの研究では民俗宗教は単に形骸化した残存物と見られがちであった。本論文ではこの民俗宗教の成立と展開に関する先学の研究を特に民間宗教者の活動に関するものを中心に検討した。そして常民の民俗宗教史の中に日本の宗教的伝統の解明の鍵があることを指摘した。
著者
星川 啓慈
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.1-24, 2006-06-30 (Released:2017-07-14)

宗教学・宗教哲学の分野では、これまで「宗教の真理・奥義・核心などと呼ばれるもの-以下では<宗教の真理>として一括する-は言語でかたることができるか否か」という問題が頻繁に議論されてきた。本論文では、否定神学者としてのウィトゲンシュタイン(W)とナーガールジュナ(N)の思索をとりあげ、二人がいかにこの問題と格闘したかを跡づける。「語りうるもの」と「語りえないもの」を鋭く対置させ、自分の宗教体験をその区別に絡めながら思索した前期W。世俗諦と勝義諦からなる二諦説に立ち、勝義をかたる言語の可能性を見捨てることはなかったが、そうした言語の限界をふかく認識したN。宗教の真理をかたる言語をめぐる二人の見解には、驚くほどの共通点と根源的な相違点とが見られる。本論文は、二人の相違点ではなく共通点に焦点をあわせて、議論を展開する。二人の思索からいえることは、言語によっては宗教の真理について直接に「語る」ことはできないけれども、間接にそれを「示す」ことはできる、ということである。いわば、言語は宗教の真理を「示す」という目的のための「作用能力」をもつのである。