著者
高田 信良
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.4, pp.1093-1112, 2010-03-30

「宗教以前」の<私>が「宗教の中に生きている」ことを発見するところに思索がはたらいている。そのような「思想」(親鸞の「本願との出遇いを聞思する思索」)を関心事とする。親鸞は自身の「本願・念仏・信心」理解を「聞思」する(思索し、表現して語る)。歴史上の親鸞が、最初の<親鸞>思想の担い手であり、親鸞につながって念仏者となる人々(歴史的<真宗>共同体に集う人々)が(次なる)<親鸞>思想の担い手である。そのような人々が連綿と生まれ続ける力を与えているのが親鸞の「聞思」の思索である。歴史的<真宗>共同体に集う人々は、「報恩講」を営み「正信偈」を唱和するなかで親鸞と一味の「信心」理解を生きる。「正信偈」を唱える主体(一人称の主語)は、歴史上の親鸞であり、また、一人一人の念仏者である。親鸞と共に、「もつぱらこの行に奉(つか)へ、ただこの信を崇(あが)め」る人々の運動態・共同体が、宗教としての<親鸞>思想を生きる宗教運動態である。
著者
三友 健容
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.1109-1110, 2007-03-30
著者
三木 英
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.879-904, 2012-03-30 (Released:2017-07-14)

現代日本では外国籍の住民が増え、それに伴って日本人に馴染み薄い宗教の施設も増加することになっている。ブラジル福音王義キリスト教やイスラームがその宗教の代表であるが、それらの現状は日系人やムスリムだけが集う、孤立した信仰共同体にとどまっている。それら共同体に日本人信者は僅かしかおらず、教会やモスクの所在する地域の住民が、それらに出入りすることはない。とはいえ宗教的なニューカマーもホスト社会に無関心であるかといえば、そうではない。彼らは日本人・日本社会に向け活動し、メッセージを発信しているのである。その働き掛けは現時では一方的なもので、多くの日本人はその現実に気づいてはいない。しかし現代日本が多文化共生をその課題とする限り、日本人がニューカマーによる活動・メッセージを認識することは必要であろう。宗教的なニューカマーは国内に増加している。彼らと日本人との間の協働関係構築の可能性は、探究するに値しよう。
著者
木村 晶子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.345-368, 2003-09-30 (Released:2017-07-14)

平和の実現には、真の対話が必要である。フィリピンの状況においては、まずカトリック信者の間にあるイスラムに対する偏見や誤解、さらに強者の論理を取り除くことが必要である。また、これまでの対話はいまだキリスト教優位の姿勢が強いことを反省し、相互に聞き合い、ともにパートナーとして成長し、回心の道を歩むことが求められる。そして、単に理論的な対話ではなく、互いの信仰生活における霊的な交流を深め、ともに兄弟姉妹であるという意識を浸透させてゆくことが最も大切である。このためには、指導者レベルの対話とともに、イスラム教とキリスト教の信徒間の草の根運動やNGOなどによる民衆の意識改革、平和教育が必要不可欠である。このような運動の実践は根気と忍耐が要求されるが、このプロセスを経て相互に理解と受容が可能となるのではないだろうか。
著者
浅見 洋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.317-340, 2008-09-30

思想史的意義をもつとみなされてきた宗教批判は、宗教そのもの、特定の宗教、ないしはある教派の真理性を否定することによって、真理性をもつと考えられる何ものかを肯定しようとする思想的な試みである。だとすれば、宗教批判は宗教に関する真理問題と関わっていくつかの立場に類型化することが可能だと思われる。本稿では無神論的立場、絶対主義的立場、包括主義的立場からなされた宗教批判として、L・フォイエルバッハの無神論的宗教批判、K・バルトの神学的宗教批判、西田幾多郎の哲学的宗教批判を取り上げ、各々の宗教批判の構造とそれらの関連性に論及する。それによって、フォイエルバッハの宗教批判は人間学の構築、バルトの宗教批判は神学の再興、西田の宗教批判は宗教の説明をめざした肯定的、創造的な作業であったことを明らかにする。
著者
葛 睿
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.99-123, 2011-06-30 (Released:2017-07-14)

国民道徳の確立に際して、西村茂樹(一八二八-一九〇二)は宗教否定の立場に立った。宗教の非合理性を忌避するのみならず、宗派間の争いが存在することも危惧したからである。このように宗教一般に対して強い警戒感を示していた西村であったが、神道について低評価を与えながら、公の場で日本における宗教を論じる際に、仏教・キリスト教については常に言及する一方、神道については触れること自体を明確に避けつづけていた。このような消極的態度は、国民道徳論の展開に大きく寄与した人物としての西村の従来のイメージと少なからず齟齬するものであろう。すなわち道徳の源泉の一つに「皇祖皇宗」の神話的歴史を据えた後の思想家たちによる家族国家論とは、明らかに位相を異にしているからである。このように考えた時、彼の国民道徳論における神道の不在は、彼独自の神道認識の存在を窺わせるものである。本稿は、如上の問題意識をふまえ、彼の道徳思想において、神道がいかに位置づけられていたのかを検討するものである。