著者
北野 秋男
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.559-568, 2003-12-30
被引用文献数
1 1

The purpose of this paper is to consider the establishment and influences of the "Massachusetts Comprehensive Assessment System(= MCAS test)", which has been used state-wide in Massachusetts public schools since 1998. In Massachusetts, there are still many unresolved arguments about the state examination administration beyond the issue of the MCAS test itself. This article will study the actual conditions of educational assessment administration in Massachusetts, and will verify how the MCAS is not only used as a competency test, but as also an instrument of educational reform. The Massachusetts Education Reform Act of 1993 promised improved schools that would fully develop the talents and skills of every child in the commonwealth. The MCAS test that has been in use since 1998 was to measure student understanding of the learning under the state standard curriculum framework and was to measure the achievement of students, schools and districts at grades four, eight, and ten in the core subjects of mathematics, science & technology, history and social science, English / language arts and eventually a foreign language. The MCAS test is evaluated as a just tool of new reforms of assessment and evaluation in Massachusetts. After all, the aim of the Massachusetts Education Reform Act is to evaluate not only on students' learning abilities and teachers' teaching skills, but also on a clear ranking of schools and school districts by a high - stakes test. Most important point in the Massachusetts educational reform was how to combine such a highly individualized assessment test with the state curriculum standards that have been under development since 1993. In conclusion, an assessment of individual student, school and district is considered as an important tool of educational reform in Massachusetts. Many politicians and educators are thinking the MCAS test as a panacea for educational reform. However, we should understand that there are many serious problems in the MCAS test. The educational assessment administration in Massachusetts is now a typical example of educational reform in the United States.
著者
中村(笹本) 雅子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.281-289, 1997-09-30

アメリカにおいて1960年代の「文化剥奪論」論争でたたかわされた、マイノリティ集団の子ども達の学業成績不振を説明する諸理論は、支配的文化とマイノリティ文化の関係のとらえ方に即して、「欠陥モデル」「差異モデル」「二重文化内化モデル」の三つに区別される。マイノリティ集団にとって、支配的文化との差異が不利な条件になっていることの指摘から、「文化剥奪」を解釈するための二つの枠組みを本稿では設定するか、それは「支配的文化を剥奪されている」という枠組みと「自らの集団の文化を剥奪されている」という枠組みである。この二つが実は「支配的文化による剥奪」として統一的に把握されるとの理解から導き出されるのは、支配的文化を構成するものとしての「文化剥奪力」の想定である。多文化教育の実践は様々に類型化されている。その多くが、文化剥奪の二つの枠組みのとちらか、あるいはその両方の側面に対処するものであるか、社会構造や人種主義等の、支配的文化の問題にとりくむものはほとんとない。ローマンか「多元主義としての差異」イテオロギーと表現ずる、差異や多様性そのものを価値として称揚するアプローチも多いが、それは差異に内在する権力関係の認識を欠くものとして批判されねばならない。アイリス・ヤングの「差異の政治」の議論は、同一性の理想とのがかわりで集団間の抑圧を分析するものとして注目に値する。社会関係と抑圧を構成するものとしての集団間の差異の重要性を明らかにするヤングは、抑圧を崩していくために集団の差異に注目し、それに対処する「差異の政治」を主張する。特に重要なのは、同化の理想、あるいは普遍的人間性の理想が; (1)特権化された集団と異なる文化をもつ集団を不利な立場におくこと、(2)特権化された集団の規範が中立的で晋逼的とみなされるのを許すこと、(3)標準から逸脱する集団のメンバーに自己否定をもたらすこと、を通じて抑圧を永続化させるという彼女の分析である。文化の支配は、普遍性や規範性の占有に基づくということがここでは示されている。教育の問題として考えるとき、この普遍性の占有の問題は、カリキュラムの批判的分析の視座を提供すると共に、白人教師と白人生徒が抑圧された集団との関係で自らをどのように位置づけ理解するかという問題を提起する。多様性を付加するだけではなく、カリキュラムの規範性の検討が必要である。「白人性の肌構築」を課題として提起するスリーターとジルーの議論への注目から、さらに教育における文化政治の可能性を探ることが課題として位置づけられる。
著者
志水 宏吉
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.336-349, 2006-12-29

We reported the major findings of our research based on our own academic achievement tests towards elementary school and junior high school pupils in 2002. We then pointed out the fact that the differences of achievement between social groups have been expanded. Nowadays, that issue is seen to be one of the most serious educational problems in contemporary Japan. Although the differences of various educational outcomes such as academic achievements or educational aspirations between social groups are always emphasized, it is surprising that they seldom discuss about the ways in which those differences could be made smaller. I myself have been exploring the issue in these several years. In this paper, I will describe the progress and the future directions of our academic exploration on this particular educational issue. In section 2, I will give some consideration on the basic concepts such as 'gakuryoku' (academic achievement) and 'gakuryoku kakusa' (collective difference of academic achievement) and locate the existence of the schools that are actually reducing the differences in the context of the theory of effective school. That theory or research trend has been developed in the U.S.A. and the U.K. in these three decades. The concept of effective school is related to a kind of school that can reduce the differences of academic achievement between social groups such as social classes or ethnic groups. In section 3, the findings of our collaborative research carried our in 2002 will be shown and the actual contents of effective schools found out in the research will be discussed. In those schools (one elementary school and one junior high school), the averages of achievement of the children are pretty high and the ratios of low-achievers remain fairly small. The overall efforts of the school towards guaranteeing the minimum level of achievement for all the children seems to bear fruit sufficiently. In section 4, I will tough the contents of our on-going research project carried out in Osaka. The aim of the project is to find our various kinds of effective school in Japan and to draw common characteristics of those schools. We provisionally present seven factors that can contribute to make a Japanese school effective: not to make the children rough, to develop the good relationship among the children, school management emphasizing teamwork among members of staff, positive and practice-oriented school culture, collaboration with parents and local community, internal system guaranteeing the minimum level of achievement, existence of leaders and leadership. In section 5, I will consider several issues I order to prospect future development of research on school effectiveness in Japan. The following is the issues I will pick up: development of appropriate achievement tests, development of appropriate indication of family backgrounds, planning of longitudinal research on school effectiveness, necessity for research on the process of school improvement.
著者
沖 清豪
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.397-405, 2000-12-30

本論分の目的は、教育におけるアカウンタビリティの定義を明確化すること、およびアカウンタビリティの視点からイギリスの公教育における執行型エージェンシーと非省庁型公共機関の機能と課題を明らかにすることにある。1)教育におけるアカウンタビリティの定義は文脈によって多様である。アカウンタビリティは単に行動を説明することだけではなく、目的を達成することをも意味している。しかし日本において前者は考慮されるが後者は無視されがちである。教育におけるアカウンタビリティには公的統制モデル、専門職的モデル、市場統制モデルの三つのモデルが存在している。公的統制モデルでは、学校は公的資金を適切に使用することが求められ、専門職的モデルでは専門職は自らの行動を自律的に説明しなければならない。市場統制モデルでは、学校や大学は親や学生の選択の圧力に直面することになる。2)イギリスにおける執行型エージェンシーは「オープン・ガバメント」と呼ばれる公共サービスの執行の現代化を進めるために政府や省庁大臣から独立した経営組織である。エージェンシーの構造は相当に多様であり、ネクスト・ステップ・リポートと呼ばれる年次報告書がアカウンタビリティ遂行のために刊行され手いる。教育雇用省はこのエージェンシーとして雇用サービスしか有しておらず、教育の領域ではこうした組織は存在しない。また、イギリスの公立大学は歴史的に勅許状によって法人の地位を得てきたのであって、教育雇用省の執行機能を有しておらず、従ってエージェンシーではない。3)かつてQUANGOと呼ばれた非省庁型公共機関(NDPB)は、政府の省庁ではなく、各大臣から独立した形で帰納している公共組織である。政府と省庁はNDPBに自らの機能の一部を委譲している。QUANGOはアカウンタビリティを果たしていないことで批判されてきたので、NDPBは年次報告書を刊行する責任を有している。NDPBは四種類に分類される。執行型NDPBは政府と省庁の広範な経営的執行機能を実行している。この中にはBECTA, HEFCE, QCA, TTAが含まれる。これらの執行NDPBは初等教育から高等・継続教育段階まで、教員養成から教育課程設計までと多様な機能や目標を有している。助言型NDPBは大臣に独立した専門的助言を提供しており、教育雇用省のためには7機関が存在している。調停型NDPBは擬似的裁判機能を有しており登録視学官調停審議会とSENTが含まれる。教育雇用省と関係のある訪問ボードは存在しない。4)近年、高等教育と教員養成において二つの独立した機関が創設されている。QAAは高等教育における教育の質を改善するために同僚評価によって自律的に教育評価を実地する。GTCは自己規律的専門組織と自らを規定しており、教育養成政策についてDFEEに助言を行う。こうした自律的機関はイギリスの公教育策に新しい展望を提供しうる物である。
著者
田中 耕治
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.146-156, 2008-06-30
被引用文献数
1

PISAに刺激されて作問された「全国学力・学習状況調査」には、明らかに最近の欧米で注目されている「真正の評価」論が影響を及ぼしている。「真正の評価」論とは、「質」と「参加」に着目する新しい教育評価の考え方である。その「質」に対応するパフォーマンス評価が、学力調査において採用された時に、硬直化や形骸化の危機に直面する。本論では、学力調査におけるパフォーマンス評価のあり方を考究するとともに、その隘路の突破口として「参加」に裏づけられた「結果妥当性」「公正性」「モデレーション」を検討した。
著者
恒吉 僚子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.417-426, 2000-12-30

本稿は「最後の手段」ともしばしば呼ばれる、リコンステイテューションを用いた改革を、メリーランド州、プリンス・ジョージズ郡、A小学校の事例を切り口に検討している。リコンステイテューションとは企業モデル的発想に基づき、「破産」、つまり、恒常的な学力不振に悩まされるとされる学校の教職員の入れ換えを軸とした改革である。測定できる指標をもとにしたアカウンタビリティを重視し、市場競争に依拠した教育改革は多くの国(米国や日本も含み)で一つの流れとなっている。プリンス・ジョージズ郡で展開された本稿で取り上げる改革方式は、成功の指標としてテストの結果を重視する。本稿では、プリンス・ジョージズ郡のA校を取り上げ、リコンステイテューション実行の前後、一九九五年から二〇〇〇年にかけて、一から二週間単位の三回のインタビュー、観察調査のデータを分析している。焦点になっているA校は大多数がマイノリティの小学校であり、一九九七年五月にリコンステイテューションの対象になっている。教育長、郡のスタッフ、校長以下一部教職員のインタビューと学校観察が行われた。本稿は、前記郡におけるリコンステイテューションのプロセスを分析し、教育コンテクストにおいて、企業における大量レイオフを正当化する理論に類似した発想による教育員の入れ換えを批判的に取り上げる。さらに、本稿は前記懲罰的改革が示す、特定の学校、教師の守備範囲を超えた社会的条件による学力不振をも教育ヒエラルキーの底辺に位置する教師に責任転嫁する傾向、教育における対人関係的要素の軽視、市場競争力に欠ける学校の再建を市場原理に委ねる傾向も、批判的に分析している。
著者
小針 誠
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.450-461, 2000-12-30

本稿の目的は 1945年以前の東京・私立小学校が存続もしくは淘汰された要因を明らかにすることにある。本研究は私学財団法人(学校法人)内の学校間の威信を巡る力学に着目する。仮説は以下の通りである。私学財団法人の最上級学校の威信が上昇すればするほど、その附属小学校の入学者は増加し、さらにエスカレーター式に併設上級学校に進学しようとする傾向が強まる。私立中・高等教育機関の威信はチャーターリングに委ねられていた。チャーターリングとは卒業生のライフコースやそれに対する社会の承認であり、当該学校の卒業生が就職や婚姻といった社会における処遇、または、どんな学校に進学したかで決定される。私立中・高等教育機関の威信の上昇は、併設小学校の入学者の増加を齎し、さらに併設上級学校へのエスカレーター進学を制度化した。これは上級学校の併設私立小学校に対する「威信のトップ・ダウン効果」と呼ぶべき現象である。その結果、私学財団は初等教育機関と併設上級学校との間にエスカレーター進学システムを制度化し、一貫校として確立した。この一貫校の教育システムは主に子弟・子女に階級再生産の手段として高い学歴を望んだ新中間層を惹きつけた。この彼らのお陰で、戦前期には39あった私立小学校のうち、威信のある併設上級学校を有する私立小学校(19小学校)は存続し得たのであった。例えば、慶應義塾幼稚園舎、日本女子大学校附属豊明小学校、成城小学校、暁星小学校、東洋英和女学校小学部がそうである。これら存続し得た私立小学校と対比して、淘汰された私立小学校(16小学校)にほぼ共通した特徴は併設上級学校を持たない単一型の運営(13小学校)もしくは威信のない中・高等教育機関を併設していた点(3小学校)を挙げることが出来る。つまりこれらの学校は「威信のトップ・ダウン効果」を期待できない私立小学校であった。以上を踏まえると、私立小学校志向の保護者は併設上級学校にエスカレーター進学制度を利用して優先的に入学することを望んでいた。つまり、彼らが望ましいと思っていた教育戦略と存続し得た私立小学校のシステムとは合致し、それは特にエスカレーター教育制度を利用した学歴取得にあったと言えよう。