著者
森田 伸子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.498-510, 2003-12-30

The history of modern education has been the history of nationalization of people by teaching them the national language and its letters. The level of national literacy has been regarded as the criterion of the level of the modernization. It must be noticed that this process of invention of literate people was also the process that made deaf people abandon their natural language=sign language and accept the national language=language of voice. Deaf people were forced to learn the language of voice, as well as its letters. In other words, the hypothesis of the general development from orality to literacy, which has been supported by some anthropologists, has no meanings for the deaf people. There used to be, however, various ideas of languages, including the gestures as well as the speech, especially in the 17th and 18th centuries Europe. It is remarkable that both of them were regarded as "natural language" and thought to have their own writings, alphabet letters for the former and some kind of characters for the latter. In this paper, we will examine these two types of writings, and the different meanings or possibilities of literacy.
著者
佐藤 全
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.334-342, 420-421, 1998-12-30

Article VIII, Clause I of the Fundamental Law of Education states that the political knowledge necessary for intelligent citizenship shall be valued in education. Clause 2 states that schools, prescribed by law, shall refrain from political education or other political activities for or against any specific political party. The aim of this paper is to investigate the effect of Article VIII of the Fundamental Law of Education upon legislation and educational administration about political education by reviewing related controversies and cases that arouse after the enactment of that Law. The Constitution of Japan and the Fundamental Law of Education were influenced by America's legislative history. Accordingly, court cases concerning free speech rights of teachers in America are examined to discuss the Article VIII in international perspective. The effect of Article VIII may be briefly summarized in the following outline. cause I was not effective in fostering the political education necessary to cultivate in students the political moral and critical sense essential for citizenship in democracy. The merits and demerits of Clause 2 are balanced, because it brought legislation and ruling to limit the political activities of teachers and students, as a result largely of such legislation or ruling, the legislative intention of Clause 1 has been poorly carried out, while on the other hand such legislation and ruling are as valid as American cases to keep the political education neutral and to protect the classroom from substantial disruption. Clause 2 has exerted well balanced influence with both merits and demerits). For Clause 2 caused enectment and notifications for restriction of teachers' and students' political activities, which as a result the legislative intention of Clause I has become far from being realized(failed to be realized). On the other hand the legilation and notifications pertinent to Clause I are valid and effective, as seen in cases(counter parts in judicial causes)in America, to preserve neutrality of the plitical education and to protect classrooms from substantial disruption.
著者
金子 勉
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.208-219, 2009-06-30

日本の大学関係者の大学観に影響したと考えられるドイツの大学理念について検討する。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」と題する文書は、大学論の原点である。研究と教育を重視することがドイツ的な大学観であると認識されてきたが、そのような大学理念はフンボルトあるいはベルリン大学から生じた形跡がないとする異論がある。そこで、高根義人、福田徳三、ヘルマン・ロエスレル等の大学論、ベルリン大学及びベルリン科学アカデミーの歴史、大学関係法令を手がかりとして、ゼミナール、インスティトゥート等諸施設の性質を考察した。科学アカデミーに所属する研究施設を分離独立して、これらを新設大学が教育上の目的に利用することが、ベルリン大学創立時の構想の核心にある。実際に、ベルリン大学令が大学と研究施設の関係を規定し、その規定が他大学に継承されたのである。
著者
白水 浩信
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.131-140, 1998-06-30

本稿は18世紀フランスにおけるポリスと教育に関する歴史研究である。アンシャン・レジーム期のポリスは、今日とは異なり、周縁的問題-不道徳、不衛生、貧困等-のすべてを扱っていた。M.フーコーはしばしばその重要性を強調していたが、教育史研究においてポリスはまったく無視されてきた。たとえ教育をポリスとして扱ったとしても、往々にしてそれは、充分な史料もないままに規律と誤解されてきたのである。本稿は、J.-J.ルソー、モンテスキュー、N.ドラマールらのポリスについての著名なテクストを検討することで、ポリスを具体的に明らかにしていくものである。 まずポリスの概念を、18世紀フランスのルソーや、モンテスキューの政治論に求めていくことにする。ルソーがポリスという語をしばしば用いたことや、モンテスキューが『法の精神』の一章をポリスに充てていたことは、面白いことに、伝統的歴史家にもフーコーにも知られていない。例えばルソーは、ポリスが子供の教育のようなものだと言っており、あるいはモンテスキューによれば、ポリスに関する事柄は取るに足らないことすべてとされ、しかもそれらは法ではなく規制によって迅速に処理されねばならないものとされていた。これらはポリスに関する重要な証言である。 加えて、ドラマールの著作を用いながら、ポリス行政の実態を検討することにする。ニコラ・ドラマール(1639-1725)はポリスに携わる専門的役人であった。その『ポリス概論』(1705-1719)はポリスの実像を知る上で最も興味深い史料である。ドラマールは、ポリスが人々をその人生において最も幸福にするすべての些事を目標とするものだと主張する。そしてそのために多くの事柄をポリスの対象として定めていった-宗教、習俗、健康、食糧、治安、道路、学問、商業、工場、家政そして貧民。ポリスのこうしたカテゴリーには教育もまた含まれた。コレージュ、慈善学校、乳幼児管理、封印令状。これらすべてはポリスの対象であったのである。 コレージュはあまりに危険な状態にあったので、ポリスは騒動防止のためにコレージュを監視した。慈善学校もまた、生徒たちばかりでなくその親たちによって多くの障害が生じていた。教師たちは、しばしば授業中に、親たちに侮辱され、脅迫され、襲撃されたわけであり、ポリス令は彼らに重い罰金を科していった。そして乳幼児の管理はポリスにとって最も重要な問題であった。パリでは孤児と乳母不足が社会問題となっており、ポリス総代官は、1769年、乳母のための公的機関を設立した。さらに封印令状を処理することもまたポリス総代官職の任務であった。多くの家族がこの令状によって自らを厄介者から保護してもらえるよう、ポリスに嘆願していたのである。 教育がポリスの対象であったことは強調されなければならない。ポリスの下におかれた教育行政は、救貧や公衆衛生、犯罪予防といったさまざまな局面から配慮されていたのである。ポリスは教育を、社会福祉を増進するトータルな統治の一部として考えていたわけである。その上、この歴史のなかで、家族は教育による社会防衛の主要な活動の舞台となっていった。いかに些細な混乱といえども家族から除去されねばならない。なぜなら社会的混乱は家族からはじまるのだから。家族の至福こそ、個人生活のみならず社会生活にとって本質的なものである。ポリスとしての教育は、社会的周縁性に対抗すべく家族に戦略を集中した。つまり家族は、ポリスにとよって、道徳や健康、富で満たされなければならなかったのである。
著者
山名 淳
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.336-347, 2011-12-29

本稿では、ドイツの「新教育」に関して20世紀末に生じた論争に注目し、そこで提起された「新教育」を相対化する具体的な方法およびそのバリエーションを概観すると同時に、「新教育」の虚構性をめぐる争点を明らかにする。そのことをとおして、教育学的な〈カノン〉(=教育学において標準とみなされてきた知識やテキスト)を相対化するための方法およびその課題について検討を試みる。
著者
小島 弘道
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, 2004-03-30

現代の学校経営改革は戦後第3の改革と位置づけることができる.1956年に制定された地方教育行政法とそれに基づいて展開された各種の施策や指導によって形成された学校経営の秩序(「56年体制」)を変容ないしは転換したものとの認識である.そう言える根拠を見い出し,それを理論的に深める必要がある.他方,56年体制の変容どころか完成だとする理解もある.いずれにしても,学校経営の経営主体とマネジメントをめぐって展開されている議論である.さらに新しいタイプの公立学校の導入のための法的措置を平成15年中に行うことが閣議決定されている.この改革提言は学校経営改革がマネジメントの問題である以上にガバナンスの問題として定式化されてきていることを端的に示すものである.学校経営をガバナンスの問題として定式化することは,マネジメントの問題として定式化されてきた学校経営理論の文脈にどのようなインパクトもつものとなるのか.この問題は現在進行中の教育改革の意義を把握するうえで欠かすことの出来ないものであろう.我々は以上のことを学校のガバナンスとマネジメント問題としてとらえ,ガバナンスとマネジメントが56年体制と現代の改革ではどういうかたちをとっているか,またそれらのかたちの間の連続,非連続のかたちをどう描くかをテーマとしていきたいと考える.そのことを通して21世紀の学校ガバナンスとマネジメントの在り方をさぐっていきたい.
著者
黒田 恭史
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.169-179, 2008-06-30
被引用文献数
2

全国学力・学習状況調査「算数・数学」 (2007年4月実施)は、この間、日本で実施されてきた学力調査の内容に加え、PISA等に見られる数学的リテラシーに関する内容が含まれるものであった。こうした変更は、学力テストの従来の枠組みを越えた取り組みとして一定の評価ができるものであるが、その一方で情報通信社会・国際社会を主体的に生きていくために必要となる能力は何であり、算数・数学教育で扱う内容はどうあるべきかということ自体の議論が欠落しているといえる。本稿では、今回の全国学力・学習状況調査を行為動詞の観点からその特徴を分析し、今後の算数・数学教育の再構築に向けては、内容と方法の両面の再検討が重要となることについて言及する。
著者
横井 敏郎
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.432-443, 2006-12-29

安定的な雇用が得られにくいこの時代において、若者はいかに自らの進路を見出すことができるのか、また彼らを支援できる政策や実践とはいかなるものなのか。近年の日本の若者自立支援政策は、若者と企業のマッチングを主に若者側のキャリア意識の育成によって改善しようとする労働市場政策を中心としたものにとどまっており、福祉の給付と就労を結合させたワークフェア政策として把握できる。この政策を超えて、若者の進路と支援実践に求められる視点と方向を見出すために、2つのNPOの若者支援活動を分析し、また完全参加社会やベーシック・インカムなどの新しい社会構想を検討した。これらを通じて、就労と自立、有給雇用と社会有用活動の区別、労働の権利の保障、新しい雇用と活動の創出、共同的な社会参加の道を若者たちに開いていく普遍的なシティズンシップといった視点と方向を提起した。
著者
中嶋 哲彦
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.25-37, 2012-03-30

2008年前後以降子ども・若者が直面する格差・貧困への認識の深まりとともに、その解決のための諸施策が実施されたが、その開始当初からはそれらの廃止・縮小を求める主張も現れていた。経済・財政状況の悪化を背景に、子ども手当や高校授業料無償制の存続の可否が2011年における政治的テーマの一つだった。これと裏腹に、若者の就職難がさらに悪化する傾向にあることを示す調査結果が多く公表され、文科省と厚労省が連携して対策を講ずる動きが目立った。しかし、3月11日の東日本大震災と東電福島第一原発事故は、子ども・若者をめぐる客観的状況と世論を一変させ、教育・福祉施策の重点は被災児童生徒学生に対する緊急の救済・支援措置や防災教育や学校等の耐震対策に関する施策へと大きくシフトした。他方、東京都教委の10.23通達(2003年)以降、行事・儀式における起立・斉唱の職務命令に起因する訴訟が多数提訴されてきたが、2011年5月以降、各訴訟に対する最高裁・小法廷の判決・決定が相次いで言い渡された。各小法廷は職務命令を合憲とする一方、法定意見または補足意見で思想良心の自由の制約への懸念も表明された。また、2012年4月から使用する中学校教科書の採択においては、育鵬社・自由社が発行する教科書の採択が注目され、とくに八重山採択区における採択問題が大きな問題となった。中央教育審議会は、キャリア教育・職業教育特別部会と教育振興基本計画特別部会においてそれぞれ審議が進められたが、2011年には大きな動きは見られなかった。しかし、経済界からは競争力人材・グローバル人材育成、とりわけ大学教育の質保証や国際化に関する要請や提言が目立ち、これに呼応する科学技術政策・予算配分の展開が見られた。なお、日付不詳の事項は月まで表記し、日は「xx」として、各月の末尾に加えた。
著者
池上 惇
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.324-335, 2006-12-29

現代社会における経済格差は、学校教育内部にも反映して生徒や学生の孤立化・生存競争を招き、教育における基礎的な潜在能力・コミュニケーション能力の開発は喫緊の課題となった。本論文は、2000年代初頭における京都の私立大学文化政策学部を事例として、文化資本の概念を再検討し、学生一人一人の文化資本形成の推進、都市・地域の文化資本蓄積、人々に開かれた生涯教育システムこそ、この課題に応えうることを実証している。
著者
松浦 良充
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.417-426, 1999-12-30

本論文は、アメリカ高等教育史における「リベラル・エデュケイション」および「ジェネラル・エデュケイション」概念の意味と、その相互関係の明確化を試みるものである。この作業を通して、現在私たちが直面している課題である、日本の大学における<教養>について再考する際の示唆を得る。そしてそのための事例として、シカゴ大学カレッジにおける改革の現状と歴史を考察する。シカゴ大学カレッジは、1999年、1984年以来の学士課程カリキュラムを改訂したが、この改革に関しては多くの議論がまきおこっている。なぜならば新カリキュラムは,シカゴ大学の伝統である共通コア科目を縮小し、その分、選択科目枠を拡大するものであったからだ。さらにシカゴ大学カレッジは、創立以来現在に至るまで、アメリカ合衆国における有数の研究志向大学であるにもかかわらず、ロバート・メイナード・ハッチンズ学長・総長時代(1929∼1951 年)に、学士課程カレッジのカリキュラムおよび組織に関してユニークな実験的改革の経験をもっている。しかしながら今回の改革は、多元文化社会におけるリベラル・エデュケイションの新たな概念構成が,共通コア科目からなる一般教育と、専攻(専門)教育、さらに、教室外や国外にさえおよぶ学生の自主学習・研究を含むものへと、再構築されるべきことを示唆している。筆者は、シカゴ大学の改革から、日本の高等教育における<教養>教育概念の再構築のための新たな参照枠を得ることができると考えている。 本稿の議論は、以下の手順によって進めてゆく。第一に、日本の高等教育が、戦後新制大学のモデルとしたつもりであったアメリカにおける「リベラル・エデュケーション」および「ジェネラル・エデュケーション」(教養教育)が、学士課程の専門(専攻)教育と本質的に対立するものである、との誤解がなされてきた。そうした理解は、アメリカにおけるリベラル・エデュケイション概念の意味には含まれていない。第二に、リベラル・エデュケイションの思想史を、とくに、ブルース・A・キンバルによる、「弁論家」の系譜と「哲学者」の系譜という枠組みを参考にしながら、整理・検討する。それによれば、リベラル・エデュケイションの歴史は、弁論家たちによる「アルテス・リベラルス理念」と哲学者たちによる「リベラル-フリー理念」との間の一連の論争の歴史である。そして、いまや両者の理念の統合が求められている。第三に、シカゴ大学カレッジの1999年度カリキュラム改革および実験的改革の歴史について検討する。シカゴ大学カレッジのリベラル・エデュケイションは、コモン・コアによる一般教育、専攻(専門)教育、および自由選択科目から構成されているが、今回の改革では、教室外やキャンパス外にも教育活動を拡張することをめざしている。そしてそれは、リベラル・エデュケイションにおける「アルテス-リベラルス理念」と「リベラル-フリー理念」の統合を試みるものである。そして以上の考察を経て最後に、筆者は、専攻(専門)教育や課外の教育活動を含みこんだ形での、新たな日本の学士課程における教養教育を構築することが必要であると結論する。
著者
山口 美和
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.28-40, 2007-03-30

本稿の目的は、「<親>になる」という出来事の重層的な構造を明らかにすることである。親子関係の構築を愛着形成過程と捉える従来の見方を留保し、<子>との関係の中で<親>が被る戸惑いや苦しみの経験を、NICU入院児の親の語りに即して解明することを試みた。物語論的視点から語りを整理・分析する作業を通じ、<親>という主体が生成する三つの局面が見出された。<子>との直接的対面関係に基づく第一の局面と、家族・社会等における役割関係に基づく第二の局面では、「<親>になること」は養育責任者としての一般的役割の遂行と見分けがつかない。しかし、<子>を理解する枠組みとしての物語が破綻する状況において、役割関係を超えてなお<子>へ応答を差し出そうとする第三の局面が垣間見られる。<親>は、物語る行為の中で、三つの局面のあいだを視点移動させながら「<親>になる」経験を重層的・循環的に理解していることが明らかになった。
著者
庄井 良信
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.442-451, 2002-12-30
被引用文献数
1

The cytotropism of clinical pedagogy, whose aore is the theory of developmental support based on the comprehensive humanics, begins to deconstruct/re-construct the paradigm of contemporary pedagogy.It is academically influenced by the earthshaking changes in natural sciences such as complex systems or autopoiesis that focuses on the vacillation of the chaos and poiesis, by the turning movement to the unique concreteness in social science, and also by the revival of H.Wallon's theory and of authentic L.S.Vygotsky's theory(narrative psychology or cultural historical activity theory) in cultural sciences and theoried of development.During the present time, the theory of development support that consructs the core of the cytotropism has some theoretical tendencies as follows: the developmental supports of the post-authoritarianism and peer narrative, the pos-tindividualistic and community expansive, and the post-paternalistic and client empowermental.Thesee tendenciess are embossed with the agenda of clinical knowledge of education in the intermixed and oveerlapped field as follows.1)Narrative community as one of the most primitive metaphors of the developmental support/2)Narrative empowerment as hearing and talking with the agent dialogically to change the activity systems.3)Community empowerment as intervention to create the expansive activity systems.At the bottom of these ideas, there is the socaled 'neo-modern paradigm'.This current paradigm puts emphasis on the articulation of subject-object in the schema of interactive monism between subject and object, and on the epistemology of creative imagination based on the collaborative change of not only the subjective meaning but also the the ojective reality.In this paradigm, the identity of 'cogito' once de-construct in the context of monophonic interaction, after that, the identity of 'imago' re-construct in the context of polyphonic interaction, and at last, it elucidates the outline and trajectory of transfering identity of 'nom propre'.One of the most important research field of the learning community including the ordinal instructions that contains a main topos of the school clinical activites.In addition, it must be also important to irradiate/reradiate the boundary crossing fields of authentic pedagogy (psychology, sociology, philosophy, medical science, and welfare theory etc.) in view of these innovations od clinical pedagogy.It would be necessary for clnical pedagogy to accumulate the case studies of the interventional research to seek out emergent multiple frameworks to analyze and describe the critical disturbances of the community/individual development as Y.Engestrom's DWR designed in an E.Levinas' or a H.Wallon's mode.
著者
秋山 麻実
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.191-200, 2000-06-30

本稿は、19世紀イギリスにおいて、ガヴァネスとその雇用者との葛藤および家族の純化について論じたものである。「ガヴァネス問題」とは、当時のガヴァネスの供給過多によって浮上してきた問題であり、これまでこれは、彼女たちの経済的困難に関する問題として捉えられてきた。また、この問題は、階級とジェンダーの境界に関わる彼女たちの微妙な立場という問題を含むものとして捉えられてきた。これらの問題は、19世紀中葉の多くの定期刊行物、とりわけフェミニズム雑誌において言及されている。しかし、そのような定期刊行物の記事のなかでも、特に今日代表的とされているものにおいてさえ、それらを仔細に読んでいくと、ガヴァネスに関する問題におけるより根本的な要素が浮び上がってくる。それは、ガヴァネスが、雇用者の家族のなかにポジションを得ようとしているのではないか、という中産階級の不安である。ガヴァネスに関する問題におけるこうした側面は、階級の越境という問題に収斂されるべきではない。家族の境界を脅かすことは、階級の越境より危険視されることである。というのも、ガヴァネスが狙っているのは、単に家族の一員であるというポジションではなく、母のポジションだからである。彼女は、単に境界を侵すというだけではなく、家族関係の秩序そのものを乱すのである。ガヴァネスは、1848年のガヴァネスに関する有名な論稿において言われているように、「タブー化された女性」 (tabooed woman)なのである。ガヴァネスのポジションに関する中産階級の不安は、彼女たちが母の代理としての役割を果たす存在であるということと、19世紀半ばに〈家族〉(family)観念が変化していったことに起因している。〈家族〉という語は、サーヴァントをその範疇から排除し、核家族を中心とした集団を指すようになった。その変化に伴って、ガヴァネスのポジションは、曖昧なものとなってきたのである。ガヴァネスの経済的困窮を緩和するために、フェミニズム雑誌においては、彼女たちと雇用者が契約書を作って、報酬や労働条件を決めることを奨励した。しかし、契約書を作るということは、ガヴァネスを近代的雇用関係の文脈に置くことにほかならない。そのため、結果的には、契約書を作るということは、ガヴァネスを雇用者の家族から外部へと移行させることに貢献することとなった。すなわち、〈家族〉はその境界領域に住う存在を排除し、よりいっそう純化していく方向へと向ったのである。
著者
益川 浩一
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.1-10, 2011-03-31

本稿は、現在設置されている法人公民館のひとつである岐阜県多治見市の財団法人池田町屋公民館を事例として、法人公民館の設立・運営の実態を歴史的に明らかにすることを目的とする。池田町屋公民館の設立にあたっては、1947年の政令第15号によりこれまでの区(部落会)では保有できなくなった山林等の区有財産の処理をめぐって、いわば区有財産保持・管理の「隠れみの」として法人立の公民館が設立された経緯が明らかとなった。また、戦後初期における財団法人池田町屋公民館においては、生産復興・産業指導・医療・福祉・保健・生活改善等、郷土社会の復興や人びとの生活福祉に関する活動が多彩に繰り広げられた実態が明らかとなった。
著者
宮本 健市郎
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.141-150, 1998-06-30
被引用文献数
1

本稿の目的は、(1)フレデリック・リスター・バークの教育思想において自発性の原理が形成される過程を精査すること、(2)自発性もしくはダイナミズムの意味の変化に焦点をあてて、児童研究と進歩主義教育との関係を解明すること、である。 1899年から1924年まで、サンフランシスコ州立師範学校の初代校長を務めたフレデリック・リスター・バークは、児童研究運動と進歩主義教育運動との重要なつながりを代表している。彼は、児童研究運動の父G.S.ホールの弟子であり、1920年代の進歩主義教育に大きな影響力を与えたカールトン・W・ウォシュバーンおよびヘレン・パーカーストの恩師であったからである。 バークは1890年代の半ばにクラーク大学で心理学を学んで、G.S.ホールの賞賛者になった。彼は、子どもは完全な自由を与えられれば自然と人類の発展を繰り返すと信じ、子どもの内部の力がその発展を導くと考えた。したがって、幼稚園のカリキュラムはその発展の過程に、すなわち遺伝的な順序に、基づかなければならないと彼は主張した。 バークは1898年に、カリフォルニア州サンタバーバラ公立学校の教育長に就任した。彼は児童研究と反復説に深く心酔していたので、サンタバーバラの公立幼稚園にフリープレイを導入した。フリープレイはいかなる障害もなく自然に発達するための機会を子どもに与えると考えたからである。バークとサンタバーバラ公立学校のスタッフは、子どもの自由で自発的な活動を良く調べ分類する実験をおこなった。この実験から、思いがけずバークが発見したことは、子どもの自発的な活動はただ下等な人類の繰り返しではなく、子どもの創造的な表現を含んでいるということであった。 この実験の後、バークは子どもの発達に関してホールとはかなり異なった見解に到達した。ホールが子どもの生まれつき、すなわち遺伝的に決定された発達を信じていたのに対して、バークは子どもの発達を方向づける環境と創造的表現の重要性に気がついたのである。 1899年にバークはサンフランシスコ州立師範学校の初代校長に就任した。彼は画一的一斉授業をやめて、子どものダイナミズムを開発するための個別教育法を創案した。ダイナミズムは自発性や内部の力だけでなく、子どもの創造性を含んでいると考えられていた。サンフランシスコ州立師範学校でバークの下で働いていたカールトン・ウォシュバーンは、バークの個別教育法を学んで、後にそれを修正し、ウィネトカ・プランと名付けた。当時アメリカ合衆国のすべてのモンテッソーリ学校の監督者であったヘレン・パーカーストは、バークの個別教育法を真似て、ドルトン・プランを発明した。 児童研究を通して、バークは子どもは自然と遺伝に応じて教育されるべきであることを学んだ。しかし、彼は自然と遺伝をあまりに強調する反復説の決定論的見方を変更した。子どもの自発的な活動と思考の中に創造的な衝動があることを発見したからである。彼はそれをダイナミズムと呼んだ。
著者
原口 友輝
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.15-24, 2010-03-31

20世紀末から「移行期の正義」論と呼ばれる研究領域が急速に発展してきた。これは、独裁制や内戦状態から民主的体制に移行したばかりの不安定な社会が、新体制を確固としたものにするために、いかにして過去の大規模な暴力の負の遺産に対処するかを検討するものである。本稿では、「移行期の正義」論における教育の位置と、教育内容・方法のあり方を明らかにするために、米国を拠点とするNGO団体、「歴史と私たち自身に向き合う」が南アフリカ共和国において積極的に関与してきた教師支援プロジェクト、「過去に向き合い私たちの未来を変える」を検討した。