著者
吉田 裕
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.125-144, 2018 (Released:2019-10-09)
参考文献数
61

本論文は、第三世界主義の決定的な瞬間の一つである、パリで開催された第一回黒人作 家芸術家会議を取り上げる。そして、英語圏、仏語圏の作家や知識人たちのあいだでの人 種を超えた連帯という表向きの祝祭的な雰囲気の影で密かに存在していた不協和音を検討 する。この論文の主な焦点は、合衆国の黒人作家であるリチャード・ライトによる発表「伝 統と産業化」とバルバドスの作家ジョージ・ラミングによって読み上げられた原稿「黒人 作家とその世界」を分析することにある。当時、パリに逗留していた若きアフリカ系アメ リカ人の作家ジェームズ・ボールドウィンによる会議の報告も一部、検討対象とする。合 衆国の内外での反共主義の隆盛という文脈において考えた時、フランス語圏の知識人たち とのあいだの共通性と差異、そして、目指されなかったものとは何なのだろうか。人種主 義と植民地主義を問題化するということはフランス語圏のアフリカ系知識人やカリブ系作 家らには共有されていたが、英語圏の作家らには別様に捉えられていたのではないだろう か。 前半では、人種主義と植民地主義の見え方に関して、合衆国代表団とフランス語圏の発 表者(特にエメ・セゼール)のあいだに存在していた軋轢に注目するが、その軋轢の要因 の一つとして合衆国代表団に共通してみられたのは何だったのかについて論じる。そして 後半では、この軋轢を反省的にとらえかえすための問いかけの出発点として、恥という情 動にラミングが傾注していることを論じる。そのことによって、冷戦期の情報戦や心理戦 が脱植民地期の「文化」概念に隠然たる影響を与えたことや、その影響に対する抗いの試 みの一端を明らかにする。
著者
時津 啓
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.79, 2017 (Released:2019-10-09)
参考文献数
27

本稿は、メディアと生徒の関係に注目し、バッキンガムが抑圧/自律の二元論をいかに構成し、それが学校教育論としていかに応用されていったのかを検討した。さらに、バッキンガムの展開から二元論が有する両義性を明示し、その学校教育論としての可能性を考察した。バッキンガムは、マスメディアのイデオロギー性(メディアの特性論)をめぐってマスターマンと論争を行い、メディアの特性と子どもへの影響を結びつける。そしてメディアと生徒の関係を抑圧/自律の二元論で捉える。その後この二元論は、授業実践における教師の役割と結びつけられ、マスターマンを批判するために利用された。さらには、メディア批判の教育論/メディア制作の教育論、読むこと/書くこと、受動的知識/能動的知識などの教育方法論へも応用され、新たな二元論を生み出すことになった。デューイやイリイチとも連続性を有するこの二元論を、本稿は、同時代の社会状況、とりわけメディア教育のカリキュラム化(制度化)と照らし合わせた。 バッキンガムとマスターマンの理論展開に注目すると、両者はメディア教育のカリキュラム化(制度化)内部でメディアと生徒の関係を捉えるようになる。具体的には、抑圧/自律の両義性を強調するようになる。本稿は、この展開からマスターマン(「解放の教育学」)とバッキンガム(「参加の教育学」)の学校教育論としての妥当性を検討し、次のことを明示した。マスターマンの試みは抑圧関係を前提とする「解放の教育学」のため、抑圧/自律の両義性と矛盾する。それに対してバッキンガムの試みは、生徒が授業参加を通して身体レベル、物質レベルにおいて漸進的にメディアとの関係を構築していく可能性がある。本稿は、制度と「知」の関係を模索するメディア教育学者バッキンガムの理論展開から、「解放の教育学」から「参加の教育学」への転換の必要性を明らかにした。
著者
白 凛
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.137, 2017 (Released:2019-10-09)
参考文献数
6

本稿は50 年代の在日朝鮮人美術家の活動の背景に焦点をあて、彼らの美術作品やグルー プがいかなるものであったかを明らかにするものである。特に在日朝鮮人美術家が組織し た初めての本格的なグループである「在日朝鮮美術会」に着目した。冒頭では、これにつ いてこれまで直接的に論じたものがなく本稿で初めて扱うことになるため二つの留意点を 述べたうえで本稿の目的を述べた。第一章では調査状況について述べた。第一節では美術 作品の調査について美術館や博物館、個人蔵のものも含めこれらの管理状況に触れた。第 二節ではこれまでに発掘した一次史料、第三節では聞き取り調査について、それぞれ本稿 で扱う史料を中心に簡潔に述べた。中心となる第二章では1950 年代の彼らの活動について いくつかの事例を挙げて論じた。第一節では美術家たちが個別の経験を積んでいた1940 年 代終盤から1953 年までの活動を整理した。第二節では在日朝鮮美術会の結成を後押しした 金昌徳を中心とした美術家たちの活動について述べた。第三節では彼らの表現方法につい て白玲の制作を中心に論じ、続く第四節では彼らのテーマ制作について一次史料をもとに 分析した。50 年代の彼らの作品は、いかに描くべきか、何を描くべきかについての模索の 末に生まれたことを明らかにした。第三章では、彼らの作品の発表の場と反響について述 べた。第一節では「日本アンデパンダン展」、第二節では「日朝友好展」、第三節では「連立展」 を取り上げた。最終章では、本稿でとりあげた在日朝鮮人美術家が、植民地や戦争に人生 を翻弄されたという共通の境遇と、解放民族として堂々と生き表現したいという共通の希 求を持っており、朝鮮人美術家としていかに生き表現するかについての答えを共に模索す る美術家が必要であった点を明らかにし、ここに集団の必然性があると結論付けた。最後 に今後の課題を提示した。
著者
田 泰昊
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.145-168, 2018

本稿は、日本のコンテンツ産業の特徴であるメディアミックスが、実際にどのように動いているかについて考察するものである。特にメディアミックスの現場で活動している実務者(KADOKAWA のライトノベル編集者)たちが、自分の職業とメディアミックスをどのように認識しているか、そしてその認識のもとでどのように実践しているかを、インタビューを通じて検討した。その結果、メディアミックスはあくまでも編集者本人の「書籍の販売数をより多くするための戦略」であって、彼らを動かす動力は創造的な動機ではなく、リスクに対する恐れからなるものであった。本稿はこのリスクを大きく分けて3 つあるものとみて、彼らがそれをどのように乗り切っているかを明らかにしている。3 つのリスクとは、第一がライトノベル市場の狭さ、第二が相手会社に対する不安、第三がメディアミックスされた作品の作品性に対する不安である。これらを克服するため、彼らはメディアミックスを念頭に置き、良い作品をつくろうと努力する。具体的な実践は次のようである。1つ目は、キャラクターをつくることに力を入れることで、イラストレーターの選定の際にもメディアミックスを考えながら進める。2 つ目は、相手会社(マンガやアニメ関係)に対する情報を継続的に収集し、場合によってはプレゼンテーションまでする。3 つ目は、編集者自ら発売のタイミングを調節し(コミカライズ)、脚本会議にも定期的かつ積極的に参加(アニメ化)することで、メディアミックス作品の完成度を高め、作品の魅力が失われないようにすることである。
著者
山本 奈生
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.59-79, 2018

本稿は現代日本における大麻自由化運動を、特に90 年代以後の展開に注目しながら整理するものである。大麻合法化が進む欧米諸国において、大麻問題は政治的なリベラル/保守の係争として位置づけられ、同性婚や銃規制問題と同様にしばしば争点化されている。ここでは大麻自由化運動が、広範なリベラル派支持層の賛同を得つつ法規制の変化に現実的な影響を与えてきたが、日本での状況は大きく異なっている。日本における大麻自由化運動は、60 年代のビートニク/ヒッピーに端を発し、90 年代から現在まで複数のフレーミングを形成しながらネットワーク化されてきたものである。ここでの運動は一つの団体に還元できるものではなく、多様な問題関心と志向性を持つ諸個人らが織りなす群像であるが、この潮流は社会学界においても十分には知られていない。そのため本稿では一つの出来事や団体に対して集中した解釈を行うのではなく、まずはグループおよび諸個人が形成してきたムーヴメントの布置連関を把握しようと試みた。現在の大麻自由化運動は「嗜好用を含めた全般自由化」「医療目的での合法化」「産業利用の自由化」など複数の目標を掲げながら、同時に言説枠組みの展開においてもアカデミックな研究に依拠するものから、スピリチュアリズムやナショナリズム、陰謀論に至るまで散開している。その後景には、社会運動というよりはサブカルチャーとしての精神世界やニューエイジ、レゲエ文化の展開があり、こうした音楽や文化と大麻自由化運動はクロスオーバーしながら進展してきた。本稿では、90 年代以後の日本における状況を整理するためにまず前史を概観した後に、諸グループがどのようにして活動と主張を行ってきたのかを捉え、社会状況に対するそれぞれの抵抗のあり方について論じた。
著者
石松 紀子
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.169-192, 2018

1973 年、ブルガリアで開催された国際造形芸術連盟(IAA)の会議で、各国・地域における「カルチュラル・アイデンティティ」を重視する決議がなされる。この「カルチュラル・アイデンティティ」の概念は、1979 年に開催された福岡市美術館の開館記念展「アジア美術展」を実現させる上で大きな指針を与えるものとなる。同展は、日本でアジアの現代美術を紹介する先駆けとなり、以後ほぼ5 年ごとに実施され、第1 回(第1 部1979 年/第2 部1980 年)、第2 回(1985 年)、第3 回(1989 年)、そして第4 回展(1994 年)まで続く。第1 回から4 回までの「アジア美術展」を検証すると、さまざまなアイデンティティの捉え方がみえてくる。第1 回展から第3 回展までは、アジアにおける「文化の独自性」「民族的な特質」といったスローガンのもとに「アジアの共通性」を模索するが、第4 回展においては、個々の作品や美術家を重視する姿勢へと転換する。第2 次世界大戦後、アジアの多くは宗主国の支配から解放され国家として独立を果たすが、自立した国家を構築する過程で、美術分野においても「アイデンティティ」の形成は重要な課題として考えられるようになる。本稿では、「アイデンティティ」の概念が日本におけるアジアの現代美術の展覧会で語られた初期の例として「アジア美術展」を取り上げ、その概念の受容と変遷について考察する。その上で本稿は、「アジア美術展」において、IAA が提唱した「アイデンティティ」概念が、アジアの現代美術を受容する枠組みとなっていったプロセスや、各展覧会におけるその概念の捉え方や変化を検証する。また、「アイデンティティ」を考察することで、アジアにおける日本の立ち位置や、日本がアジアに向けるまなざしについても検討する。そうすることで、アジアの現代美術を語る上で、美術言説を形成することの重要性や、改めて日本をみつめる視点の必要性を明らかにする。
著者
趙 沼振
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.151-173, 2020

1968年、日本大学では右翼思想団体や体育会系サークルを利用して学生活動に暴力的な統制を加えるなどしていた大学理事会による約20億円の使途不明金が、東京国税局の告発によって発覚した。日大全共闘は、私立大学の教育をめぐるこのような問題点への一つの応答として学生による運動体として形成され、大衆団交を求めて日大闘争を進めた。<br> このように日大全共闘が結成されて50年目を迎えた2018 年、日大のアメリカンフットボール部をめぐる「悪質タックル問題」が社会的な論議を引き起こしていた。これと時期を同じくして、「日大930 の会」事務局が日大全共闘50 年の節目に「日大全共闘結成50周年の集い」を開催しており、かつて大学運営の民主化を要求して闘争に参加した元学生らの再結集を機に、日大当局に対する見解を明らかにした。<br> 本稿では、日大全共闘に結集した仲間たちで成り立った同窓会組織の「日大930の会」に着目し、彼らに行ったインタビュー調査の内容を通じて、日大闘争の経験を文章化する作業の一環となった記録活動の様相と意義について考察する。「日大930の会」は、日大闘争をめぐる膨大な量の記憶を檻から解放させるために、日大全共闘の当事者への呼びかけを続けながら、『日大闘争の記録――忘れざる日々』の記録本シリーズを発行した。彼らが「悪質タックル問題」に対してとった行動から、全共闘運動の記録活動が改めて意味づけられた。つまり、「日大930の会」は、あいかわらず日大全共闘として自分自身を歴史の対象として客観的に考察するための、記録作業に取り組み続けてきたことが、今日でも日大全共闘の持続性と現在性に対して自覚的に意識を向け、その系譜を提示したのである。
著者
駒居 幸
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.81-101, 2018

1997 年に発生した東電OL 殺人事件は、東京電力で総合職を勤める被害者が夜には売春婦として客引きをしていたことが明らかになると、一気に報道が過熱した。週刊誌を中心に行われた被害者の私生活を暴くような報道は、売春婦が規範的な市民から疎外され、それ故にその死が嘆かれえないことを示している。本論では、こうした売春婦の死を悲嘆し追悼する作品として、桐野夏生『グロテスク』(2003)を取り上げる。東電OL 殺人事件をモチーフに書かれた本作では、二人の売春婦が殺害される。本論では、二人の姉であり、同級生である語り手の「わたし」の語りに着目をする。「わたし」は売春婦の悪口=ゴシップを言いながらも、最終的には彼女たちの「弔い合戦」を行う。こうした弔いはどのようにして可能になるのか。本作には、客観的なゴシップの「語り手」であろうとしていた「わたし」が、徐々に「語られる対象」としての「わたし」に一致して行く過程が描かれている。本論は、この過程の中に「わたし」のメランコリーを読み込み、「わたし」のゴシップが彼女たちの喪失を回避し、自らの内側に引き込むための儀式として機能していること、そして、そうした儀式こそが売春婦の死の追悼を可能にしていることを指摘する。