著者
村山 盛葦 Moriyoshi Murayama
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.25-41, 2015-06

パウロとガラテヤ人との信頼関係は、おもに「十字架につけられたキリスト」の提示、聖霊受容(洗礼体験)、そしてパウロの疾患に対するガラテヤ人の対処を通して築かれた(ガラ3:1-5; 4:12-15)。本小論は、これらの出来事を古代の宗教的感性(密儀宗教、邪視信仰)や古代の人間論(プネウマ理解、視覚理解)の観点から考察する。この考察を通して本小論は、これらの体験が現代人が想像する以上に具体性と身体性がともなっていたことを明らにする。すなわち、「十字架につけられたキリスト」の提示は、パウロの風貌と外見を実見する視覚的経験であり、聖霊受容は、「力動的実在」である聖霊が関与する、継続した身体的活動であった。そしてパウロの疾患は、ガラテヤ人に深刻な恐怖を与え、さげすみと唾棄に相当するものであったが、ガラテヤ人はパウロを「神の使い」、「キリスト・イエス」でもあるかのように受け入れた。このようなガラテヤ人がのちに論敵に説得され割礼を受けたことは、パウロに驚きとショック、そして怒りをもたらしたのであった。A good relationship between Paul and the Galatians was established mainly through Paul's display of the crucified Christ, the Galatians' reception of the Spirit (baptismal ritual), and the Galatians' response to Paul's illness (Gal 3:1–5; 4:12–15). This article investigates these issues in light of ancient religious ethos (in particular, mysticism and the evil eye) and ancient anthropology (in particular, pneuma–theory and sight). This investigation shows that these experiences were more corporeal and physical than modern people believe them to be. The crucified Christ was displayed in the scars and disfigurements left on Paul's body. The reception of the Spirit (a dynamic entity) involved ongoing corporeal activities in the initiate's body. Paul's illness caused the Galatians serious fear and might seem to deserve contempt and spitting; however, they welcomed him as an angel of God, as Christ Jesus. Such Galatians were later persuaded by Paul's opponents to be circumcised, which indeed evoked Paul's shock and anger.論文(Article)
著者
本井 康博
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.1-22, 2008-06

論文(Article)同志社神学校の初代神学館、「三十番教室」は、その実態が究明されたことはない。2代目神学館のクラーク神学館も設立経緯については、おおよそのことは明白であるが、なぜ、ニューヨーク州ブルックリン市(現ニューヨーク市)在住のクラーク夫妻が、多額の建築資金を同志社に捧げたのかは、不詳であった。これには新島の死去に伴う同志社校友会による新島記念神学館新築計画やアメリカン・ボードのN. G. クラーク主事(N. G. Clark)の働きが深く絡んでいる。つまり、新島は死後、「ふたりのクラーク」の心を突き動かして、神学館建設を実現させたと言えるのである。本稿は、初代神学館、ならびに2代目神学館着工に至るまでの消息や設計者の動向などをアメリカン・ボードの新資料を駆使して明白にしようとするものである。同時に研究上の課題をも指摘する。Through the use of the mission papers housed in the Houghton Library, Harvard University, this paper will investigate the details from the buying of the first theological hall, the No.30 Classroom to the raising of the second one, the Byron Stone Clarke Memorial Hall as well as the trends of the architect. This explanation will take place alongside focusing on topics from a research perspective.
著者
森山 徹 Toru Moriyama
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.75-94, 2009-12-03

「アウシュヴィッツ以後」、ユダヤ教とキリスト教の関係を考えた神学者や研究者たちは、キリスト論とキリスト教的反ユダヤ主義の共犯関係を批判してきた。しかし、これらの批判は、キリスト教的反ユダヤ主義の根源的な克服を要求するあまり、しばしばキリスト論までも毀損してきた。本稿の目的は、モルトマンのキリスト論とキリスト教的反ユダヤ主義の関係を明らかにすることにある。モルトマンは、イスラエルの歴史に基づくメシア理解と、十字架につけられたイエスの理解から、「途上のキリスト論」を主張する。このキリスト論によって、彼は、キリスト教的反ユダヤ主義を相対化するだけでなく、キリスト論をも保持することを可能にした。アウシュヴィッツとキリスト教の関係を問題にしている神学者ロイ・エッカートは、モルトマンのキリスト論を「先延ばしされた勝利主義」として批判した。しかし、モルトマンは、途上のキリスト論が、キリスト教的反ユダヤ主義と勝利主義を克服し、キリスト論を保持するのだと主張した。
著者
橋本 滋男 Shigeo Hashimoto
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.35-54, 2008-12-08

キリスト教はイエスの思想に立脚する。しかし教会においてイエスの思想は常に忠実に継承され実行されたのではなかった。またキリスト教の母胎であったユダヤ教との関係は、きわめて難しい問題であった。それはイエスの死をどう理解するか、死の責任をどう問うかという問題と関わっている。そして70年以後の新約文書においてはユダヤ教徒を厳しく罵る言葉さえ記されている。この過程をたどり、原因を探ってみる。
著者
李 徳周 Deok-Joo Rhie
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.1-32, 2011-12-05

同志社大学神学部と韓国教会の関係は日本組合教会の朝鮮教化の展開から開始された。しかし1919年三・一独立運動の後、組合教会を背景にする留学生は減り、様々な教派あるいは神学的な背景を持つ神学生または牧会者たちが留学した。1920年代から彼らは同志社の自由主義的な雰囲気の中で、カール・バルトの新正統主義神学、脱西欧的日本神学、実践的なキリスト教社会主義などを学んだ。50余りの留学生たちは帰国後、彼らは韓国の教会、進歩的神学、教育、社会運動等様々な分野で活躍した。
著者
タガー・コヘン アダ Ada Taggar-Cohen
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.63-81, 2009-06-26

ヘブライ語は多層からなる言語である。今日おもにイスラエルで話されている現代ヘブライ語はその最新の段階にある。本稿はヘブライ語の諸層を概観する。ヘブライ語は何世紀もの間、ユダヤ人にとって聖なる言葉であり、彼らに宗教的なアイデンティティーを付与してきた。19-20世紀に復興した現代ヘブライ語は非宗教的な文脈で用いられる。この変化は、現代のユダヤ人が自らの言語を「イスラエル・ヘブライ語」と呼んで、古代ヘブライ語が付与するのとは異なるアイデンティティーを求めていることと関連している。
著者
小原 克博 Katsuhiro Kohara
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.14-32, 2002-07-29

本論文では、基督教史の中で現れてきた、戦争をめぐる三つの類型、すなわち、絶対平和主義、正戦論、聖教論の間に生じる緊張関係を解釈し、また、それらが歴史的にどのように受容されてきたのかを考察する。平和を実現するために自らが信じる正義を実行するという考えはキリスト教社会においても、イスラーム社会においても同様に見られる。現実には両者の正義はしばしば衝突してきたが、キリスト教の伝統的な正戦論の中では他の宗教の正義の問題はほとんど扱われてこなかった。本論文では、そうした課題に応えるために比較宗教倫理学的視点を導入する。