著者
藤原 佐和子 Sawako Fujiwara
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.39-58, 2018-06-26

本稿は、ブラジル出身のエコフェミニスト神学者イヴォネ・ゲバラとLonging for Running Waterの貢献についての考察を目的に、1章ではコンスピランド・コレクティヴ、2章ではラテンアメリカにエコフェミニスト神学が誕生する経緯を概観する。3章では、ゲバラのライフヒストリーを概観し、4章では、身体に強調点を置く、ゲバラのポストドグマティックなイエス理解を検討する。
著者
三宅 威仁 Takehito Miyake
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.1-23, 2015-12-15

リチャード・スウィンバーンを第一人者とする哲学的有神論は、ア・ポステリオリな帰納的論証により、「神は存在する」という仮説の真である確率が真でない確率よりも高い(神の存在の蓋然性が2分の1以上である)と主張する。スウィンバーンはこの命題を論証するための方法論として、ベイズの定理に基づく確認理論を応用する。ベイズの定理により、「神は存在する」という仮説の事後確率は、この仮説の事前確率と証拠の事前確率と証拠の事後確率の関数として評定される。本稿はスウィンバーンのこの方法論を分析し、どのような場合に「神は存在する」という仮説の蓋然性が上下するかを検討する。
著者
中野 泰治 Yasuharu Nakano
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.11-35, 2005-11-05

バークレー神学で展開される普遍贖罪論は、正統派カルヴィニズムの二重予定説に対抗する形で、「内なる光」、「主の訪れの日」、「反抗しない、受動性」という三つの概念によって展開される。しかし、特にこの「受動性」という概念を巡って、バークレー神学の評価は大きく分かれる。本稿では、彼の思想の持つ意義を、当時の神学的思想的状況の中で批判的に考察することによって解明する。考察の結果として分かるのは、「反抗しない」という事態は「信仰さえも求めない」程に徹底した受動性を意味し、神の働きかけに対して魂の扉を開けるという積極的意義を持つことである。それ故、フォックスと同様に、彼はあくまで神の働きかけを深い沈黙の内に待ち望むべきと説くのである。よって、バークレー神学は、消極的態度の根源であるとの従来の評価とは異なり、クエーカーの素朴なメッセージを保持することに重要な役割を果たしたと言えるだろう。
著者
菊川 美代子
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.57-74, 2009-12

矢内原忠雄はこれまで絶対非戦論者と考えられてきたが、実際には義戦(正戦)論者であった。矢内原は、弱者の権利を強者の侵害、圧迫から防衛することを正義とし、そのような正義の不履行を最上位の罪悪と考えた。そのため、正義が蹂躙される場合には、地上における相対的な善として、悲しむべき必要悪としての戦争を認めた。そして、矢内原の言説には、戦争による犠牲の死を正当化する要素が含まれているという問題点があり、そこに彼の神学の限界が存在した。論文(Article)
著者
杉田 俊介
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.38-54, 2007-06

ヒックの宗教多元主義は、西洋キリスト教に対する問題提起となった。しかし、宗教多元主義は非西洋的な社会においても、批判的な役割をもちうるのか。本稿では、滝沢克己を宗教多元主義者として位置づけ、この疑問について考える。滝沢は、キリスト教だけでなく日本の諸宗教によっても救済が得られると論じ、キリスト教の排他性を批判した。しかし滝沢は、この多元主義的な思想にもとづいて、日本の国体にも真理が現れていると論じ、自己の相対性を認めないキリスト教を、国体に抵触するものとして批判している。日本においては、多元主義的な言説そのものが、異物を排除/同化する一種の「排他主義」としての意味をもちうる。論文(Article)
著者
木原 活信 Katsunobu Kihara
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.17-41, 2016-06-21

社会福祉とキリスト教の関係について、福祉国家以前の慈善時代と、福祉国家下の措置制度時代、そしてポスト福祉国家としての現代の市民的契約の時代の3つに分類しつつ、そこでの宗教の役割の変遷についてキリスト教を例にスピリチュアリティの概念をもとに分析した。そのなかで市民契約の時代の宗教と社会福祉の在り方に着目し、市民的公共圏における社会福祉とスピリチュアリティについてEdward Candaの理論を踏まえつつ、議論した。
著者
中野 泰治 Yasuharu Nakano
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.21-39, 2017-06

本稿では、王政復古期のクエーカー信仰を体系化したバークレーの神学を中心に、クエーカーの教会論の神学的妥当性について考察し、神学的・思想的・政治学的観点から分析する。当初急進的であったクエーカー運動は、穏健派のフォックスが中心となって、1660年代に運動を組織化されていった。その組織化の神学的基礎付けを行ったのがバークレーである。本稿で明らかにされることは、バークレーは、教会の一致と教化のために規律と統制の必要性(内部性の確立)を認めると同時に、キリストの身体の特性を反映させ、教会を「敵への愛」の実践(聖化)に基礎付けており、その点で、そこには異質な者へ開かれた態度を可能にさせるシステムが組み込まれていることである。ゆえに、教会は神の普遍的な愛と平和を証する場となっており、通常の社会組織とは異なる性質を持つのである。論文(Article)
著者
上原 潔
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.21-39, 2006-12

本稿の目的は、エバハルト・ユンゲルが『世界の秘密としての神』において、無神論をどのようなものとして分析し、それに対していかなる神学を構築しようと試みたのかを理解することにある。ユンゲルによれば、現代を特徴付けている無神論の萌芽は近代にある。そこでは、人間的自己が存在、非存在を決定する「基体」となることで、絶対性をその本質とする神の実在が思惟不可能になるというアポリアが生じた。現代の無神論を規定しているこのアポリアを解消すべく、ユンゲルは絶対性という神の本質を批判的に解体する。ユンゲルは、神の絶対性をキリスト教的な神理解ではなく、存在者の連関を遡ってその根拠である神を措定するような形而上学の神理解、つまり「存在神論(Ont-Theo-Logie)」に由来するものであると考える。それに対し、キリスト教はナザレのイエスにおいて神が自己を啓示したという認識から始まる。この神理解によれば、神は決して世界の彼方にのみ存在しているのではなく、むしろ、世界に「到来」する者であり、それ故に経験や思惟の対象となり得るのである。このようにユンゲルは啓示神学を構想することによって、無神論に対抗するのである。The aim of this paper is to clarify Eberhard Jüngel's analysis of atheism and his attempt to construct theology against it. According to Jüngel, atheism that characterizes today's world has begun in the modern period. At the dawn of the modern period, human Self became "Subject"(subjectum)that judged what did and did not exist. This resulted in an aporia that the existence of God whose essence is absoluteness could no longer be thinkable. In order to solve this aporia Jüngel destructs God's absoluteness critically. He thinks that this absoluteness stems from not Christian, but metaphysical comprehensions of God. Metaphysics traces back a chain of beings to God, their ultimate source (Onto-Theo-Logie). In contrast, Christianity starts from God's Self-Revelation in the man Jesus of Nazareth. According to this understanding, God not only transcends the world,but comes into the world. For this reason, God can be an object of thought and experience.In this way Jüngel confronts atheism by constructing a revelation theology.論文(Article)
著者
越後屋 朗
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.1-16, 2002-12

「修正主義者」あるいは「ミニマリスト」と呼ばれる研究者たちは、ヘブライ語聖書がペルシア、ギリシア時代に成立したと主張する。もうしそうであるなら、ヘブライ語聖書に基づいて、古代イスラエル、特にその初期の歴史を記述することは一体可能なのであろうか。これまでヘブライ語聖書は古代イスラエル史記述のための枠組みとして用いられ、それに考古学的データが適合されてきた。本論はヘブライ語聖書の史実性(歴史的信頼性)と古代イスラエル史記述における考古学の役割を検討する。後者については、テル・メギドでのこれまでの発掘調査との関連で具体的に論じられる。論文
著者
三宅 威仁 Takehito Miyake
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.59-78, 2003-09-30

改革派認識論はアメリカ合衆国に移入されたオランダ新カルヴァン主義運動を母体とし、古典的基礎付け主義やそれに由来する無神論的証拠主義を論駁する意図をもって登場した。改革派認識論によれば、有神論的信念はキリスト者にとって適正に基本的であり、いかなる証拠によって基礎付けられていなくとも合理的である。また、キリスト教が真であると仮定すれば、キリスト教の諸信念は知識として保証される。
著者
ヤハロム ヨセフ 勝又 悦子 ヤハロム ヨセフ カツマタ エツコ Yahalom Joseph Katsumata Etsuko
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.1-15, 2016-06

講演(Lecture)シャブオートのピユート(典礼詩)には、初期の父祖たちがリストアップされ、彼らにトーラーを与えることをトーラー自身がまた天使たちが拒むというモチーフがある。これは一つには、トーラーを受けたモーセや割礼を初めて行ったアブラハム以前の父祖たちも義であることを理由に割礼などの戒律は不要だと主張するキリスト教側への論駁であろう。他方、こうしたピユートは、ラビ・ユダヤ教が対立していたはずの神秘主義文学シウール・コマとの並行関係がみられる。これより、ピユートには、キリスト教と対峙する標準的なユダヤ教の側面と、標準的なユダヤ教が対峙していたシウール・コマなどの神秘主義的な側面という、相反する側面を有していたことを意味する。訳: 勝又悦子