著者
金 秀日
出版者
比較経済体制学会
雑誌
比較経済体制学会会報 (ISSN:18839797)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.83-89, 2001-01-31 (Released:2009-07-31)
参考文献数
28

ハイエク(Friedrig August von Hayek,1899~1992),レプケ(Wilhelm Röpke,1899~1966),山田盛太郎(1897~1980)の三者は共に19世紀末に生を受け,ナチズムと軍国主義の台頭という歴史の激流に抗しつつ壮年期を経た経済学者として知られている。ハイエクはネオ・リベラリストの,レプケはオルド・リベラリストの,山田は日本の講座派マルキストの重鎮である。1989年11月ベルリンの壁崩壊以後,市場経済に対する信頼が喧伝されて来た。結果的にロシア・東欧の厳しい賃金危機と(ハイパー)インフレーションを招きながらもなお,ドイツにおける社会国家解体論,日本における新自由主義(あるいは新保守主義)改革必要論が勢いを増している。ロシア・東欧のみならず,旧西側の住人の我々にも市場経済の有効性を再検討する意義が高まっている。本稿はこうした間題意識に立ち,社会哲学者としてのハイエク,エアハルトの経済顧問としてオイケンと共に実際家としても活躍したレプケ,日本の農地改革プラン作成に大きな影響を与えた山田の認識を市場を軸として比較検討し,その思想を整理するものである。
著者
家本 博一
出版者
比較経済体制学会
雑誌
比較経済体制学会会報 (ISSN:18839797)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.90-96, 2001-01-31 (Released:2009-07-31)
参考文献数
26

ポーランドでは,EU「準加盟」(1994年1月),EU加盟申請(1994年4月),WTO加盟(1995年7月),OECD加盟(1996年9月),NATO加盟(1999年3月)という一連の過程を経て,「欧州への完全なる回帰」という体制転換過程の最終目標のうち,EUへの正式加盟という目標だけが残る結果となり,「キリスト教文明世界としての欧州の一員たる地位の再確認」というキリスト教社会倫理上の最重要目標がその実現への最終段階にあることを国内外に誇示しうる状況となった。これは,体制転換過程の現実が資本主義政治経済体制の本格的な構築として規定しうるものに達しているか否かという問題とは別個のものとして,ポーランドでの政治,経済,社会,宗教,文化の現実が,キリスト教世界の一員としてその基本資格を(再)取得しつつあることを示している。他方,実務者レベルによる加盟交渉の開始(1998年3月),閣僚級レベルによる加盟交渉の開始(1998年11月)と続き,正式加盟へ向けた国別交渉が本格化する中で,欧州通貨統合(EMU)への歩みが進展する一方で,EUの内部改革が焦眉の問題として論議される段階に至って,中欧諸国との加盟交渉の行方が,EU及びその加盟国の(域内,国内)事情に依存する度合いが一層大きくなった。こうした状況を前提として,ポーランド政府首脳らは,ドイツ,フランスを始めとするEU主要国による加盟交渉の引き延ばし,先送りへの動きを繰り返し牽制している。その一方で,シュナイダー独首相は,ポーランドを始めとする中欧四ヶ国のこうした懸念,疑問に応える必要性から,2000年4月28日,ポーランドの古都グニェズノにて中欧四ヶ国(ポーランド,ハンガリー,チェコ,スロヴァキア)首脳と「グニェズノ共同宣言」に署名した上で,「中欧四ヶ国が2002年末までに[EUへの正式加盟のために必要とされる一筆者挿入]各国内での諸改革を完了し,加盟条件を完全に満たすことを期待する」(Reuter/Warsaw,2000年4月29日)と表明し,中欧四ヶ国のEU早期加盟を支持する姿勢を鮮明に示した。しかし,こうした発言は,中欧四ヶ国の官・民・業のいずれにとっても,「[中欧各国が一筆者挿入]加盟条件を完全に満たすことができなければ,早期加盟の可能性はそれだけ小さくなる」(ゲレメク外相一当時)ことを意味しており,却って早期加盟のための障壁は高くなりつつあると考えられる。