著者
宗前 清貞 Somae Kiyosada
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
政策科学・国際関係論集 (ISSN:13438506)
巻号頁・発行日
no.6, pp.57-86, 2003-03

本稿では、我が国で初めて県レベルで条例に基づく行政評価制度を導入した宮城県を事例に、行政評価という新しい行政改革がいかなる要因によって進展したかを分析する。宮城県では前知事の任期中の逮捕と新知事就任まもなく発覚した公費不正支出問題というふたつのスキャンダルを経験した。また、行政評価制度の導入という点では先進自治体ではなかった同県が、いかにして条例制定に進んだかという経緯を明らかにする。その上で、行政評価制度それ自体の透明性を高めるためには、情報公開の延長としての特質が必要であることを明確にする。Nowadays most of prefectures and cities exercise program evaluations but Miyagi's system is the unique attempt since the system is based upon Miyagi Prefectural Act of Administrative Evaluation of 2002, which is the first local act for program evaluation. Governor Asano of Miyagi, famous for his "Reformist" reputation, first won his campaign in 1993 when ex-Governor arrested for alleged corruption. A year later, he faced another big political problem: illegal expenditure in Government's sections and departments. Miyagi Government energetically tried to recover its damaged image mainly through actions for information disclosure, but was not so much eager to promote policy evaluation in late 90s when Mie Government, in which another famous Reformist governor took office, started the first trial among prefectures for policy evaluation. This article tries to draw a picture of process how the Government had taken steps for the Act for the first time in country's history and to clarify how and why a latecomer succeeded becoming a front-runner, To conclude, evaluation systems should be a part of disclosure after my analysis of Miyagi's case study.
著者
長部 悦弘 Osabe Yoshihiro
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
人間科学 (ISSN:13434896)
巻号頁・発行日
no.23, pp.167-190, 2009-03

北魏孝明帝代に勃発した六鎮の乱により混乱に陥った政局の中で、爾朱氏軍閥集団は山西地域(太行山脈以西)の中部に并州(晋陽)及び肆州を中核として覇府地区を建設し、これを根拠地とした上で、孝明帝の没後南下して孝荘帝を擁立した上で河陰の変を引き起こして王都洛陽を占拠し、孝荘帝代には中央政府を支配した。王都洛陽の中央政府を支配した方法は、尚書省・門下省の要職に人員を配置して行政を握るとともに、王都内外の軍事を掌管する、近衛軍をはじめとする高級武官の多くを占めて、洛陽の軍事を牛耳った。そして、首領である爾朱栄が代表する并州(晋陽)設置の覇府と連絡しながら、爾朱氏軍閥集団の下に王都洛陽の中央政府を置く、王都-覇府体制を構築した。北魏国家の領域内部の交通路線でみると、爾朱氏軍閥集団の王都-覇府体制を支えた中軸線は、覇府地区と王都洛陽を結ぶ太行山脈西麓東方線である。同路線を基軸に、太行山脈西麓西方線、太行山脈東麓線をはじめ、各地に構成員を送り、北魏国家の領域支配体制を建てようと試みた。
著者
赤嶺 健治 赤嶺 健治
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
琉球大学語学文学論集 (ISSN:03877957)
巻号頁・発行日
no.33, pp.p1-18, 1988-12

1887年に出版された小説『牧師の責任』はウイリアム・ディーン・ハウエルズの関心が個人的問題から社会的問題へ移行したことを示す最初の作品であり、トルストイの人道主義の影響を反映している。この小説の中でハウエルズは新約聖書の「へブル人への手紙」やトルストイによって示された兄弟愛の教えに基づく彼独自の「連帯意識の思想」(the doctrine of Complicity)を主人公 Sewell牧師のロを借りて展開させている。田舎育ちの Lemuel Barker は Sewell牧師の過失によりボストンでの文筆活動に対する過大な期待を抱くようになり、ボストンへ出て来て牧師を訪ねるが、牧師は自らの過ちに気付きながら、Lemuelに故郷へ戻るように勧めるため、牧師に裏切られたと思い込んだ Lemuel は牧師宅を飛び出し、大都会の様々な誘惑やわなに翻弄されながら階層化されたボストン社会に対する不満と幻滅を募らせていき、結局は故郷へ戻ることになる。牧師は Lemuel の逆境について良心のとがめを感じ、埋め合わせに自分の教会での説教の中で日々の生活の中ですべての人が兄弟愛を実行するよう熱烈に訴える。このように実行力に欠ける Sewell牧師に理想的な人の道を説かせることにより、ハウエルズは組織化された宗教の無力さを批判すると同時に「連帯意識の思想」に基づく社会改革の必要性を訴えると言う二つの目的を果たしている。
著者
安次富 哲雄 Ashitomi Tetsuo
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
琉大法学 (ISSN:04857763)
巻号頁・発行日
no.71, pp.47-71, 2004-03