著者
馬場 恒子 マクヒュー 芙美
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
Journal of the Faculty of Human Sciences, Kobe Shoin Women's University = 神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 人間科学部篇 : JOHS (ISSN:21863849)
巻号頁・発行日
no.1, pp.1-17, 2012-03

「化学物質」に対する消費者のイメージは、人工的なもの、有害(有毒)なものであって、自然界に存在しないものであることが明らかになった。消費者は主にマスメディアを通して化学物質に関する情報を受け取っているという結果が得られた。マスメディアが化学物質を大きく取り上げる時は、事件や事故の原因物質として特定された場合である。消費者は「生態系のすべての物は化学物質で構成されている」という認識がないので、マスメディアからの危険情報だけをそのまま蓄積していると考えられる。しかし、どの年代の人々でも化学に関する基礎的な話を聞くことによって化学物質の認識が変わり得ることも明らかになった。
著者
古川 典代
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
Journal of the Faculty of Letters, Kobe Shoin Women's University = 文学部篇 : JOL (ISSN:21863830)
巻号頁・発行日
no.3, pp.1-16, 2014-03

「文化は経済力の強いほうから弱いほうへと流れていく」という。日中間の音楽のカバー情況からしても、過去には日本の流行曲が数年後に中国語(北京語、広東語、台湾語)にカバーされることが多かった。ところが昨今は、カバーソングに時差が無くなった。日本で流行っている曲がネットの活用により同時期に中華圏でも中国語で流れるようになった。さらに近年では、中国語曲の日本語カバーも散見されるようになり、一方通行だった文化の流動が、時差なく双方向となった。これは両国にとってより豊かな音楽シーンを味わえるという意味で福音である。2007 年から始まった「全日本青少年中国語カラオケ大会」および、2010 年から始まった「西日本地区中国語歌唱コンクール」においては、出場者の選曲がこれまでに多かったカバーソングから、現地の若者に人気の楽曲へと変遷し、同時代同時並行で日本人の若者にも歌われるようになった。かくも情報がワールドワイドに流れ、中国語の歌が溢れるようになった現況においては「中国語で一曲!」はもはや日常のワンシーンと言える。本稿では日中カバーソングの歴史と変遷、歌による語学教育の効用および歌をテーマとした語学学習テキストの日中比較を論じる。
著者
松井 理直
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
トークス = Theoretical and applied linguistics at Kobe Shoin : 神戸松蔭女子学院大学研究紀要言語科学研究所篇 (ISSN:13434535)
巻号頁・発行日
no.17, pp.67-106, 2014-03

日本語の有声破裂音における声立ち上がり時間(Voice Onset Time, VOT) の分布は、しばしば双極的な性質を持つ。2つの分布ができることを説明する1つの可能性として、声帯振動の開始時点を決める基準点が1つではなく、2つあることが考えられる。例えば、1 つは破裂音の開放時点、もう1つは子音・母音間の音韻境界を過程できよう。本稿は、この子音・母音間の音韻境界が日本語の母音無声化、阻害音の有声性、借用語における促音挿入/促音抑制といった様々な音韻現象に影響することを考察する。また、最後に、母音・子音間の音韻境界に基づくモデルが、VOT の分布をよくシミュレートできることを述べる。
著者
魏 然 陸 一菁
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 人間科学部篇 = Journal of the Faculty of Human Sciences, Kobe Shoin Women's University (JOHS) (ISSN:21863849)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.63-79, 2014-03-05

本稿は、中国語圏のジャニーズファン及びジャニーズファンによって形成されるファンコミュニティの実態と特性を明らかにするために、中国語圏最大のジャニーズファンBBS「J家闲情」におけるアンケート調査を行った。その結果、北京、上海など経済水準が高い地域在住の20代の女性というのが中国大陸のジャニーズファンの典型像だといえる。彼女たちは日本国内のファンと比べると、アイドル情報や音楽映像、関連グッズの入手が困難な環境にあるが、それでも様々なルートを通じて、大量のお金を費やしアイドルの応援活動に没入している。応援活動では、特にインターネットの使用が際立つ。また、ジャニーズファンのオンライン匿名コミュニティから、オフ会を行い、お互いに認知できる少人数の特定コミュニティに転化するケースが多く観察される。このようなコミュニティは「ファン同士の集まり」よりも、「同じ趣味をキッカケとした交友関係」であると認識したほうがより妥当だと考えられる。更に、日本のファンコミュニティのキー概念ともいえる「担当制」は中国語圏のジャニーズファンコミュニティにも存在するが、しかし決して日本ほど重要な要素ではないと考えられる。
著者
池谷 知子 久津木 文
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
Theoretical and applied linguistics at Kobe Shoin : トークス (ISSN:13434535)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.21-36, 2013-03-05

日本語を学ぶ外国人が苦労するものとして「日本語の中のカタカナ」が挙げられる。スーパーで同じ魚が「サーモン」「鮭」という二つの名前で売られているのに対して感じる日本語学習者の素朴な疑問、つまり、いつ「サーモン」と呼び、いつ「鮭」を使うのか、ということに対して明確に答えられる日本人は少ない。そこで本研究は以下の2点を明らかにすることを目的とし、英語母語話者の日本語学習者18 人に対して調査を行った。検討課題は以下の2点である。 検討するべき点I・・・英語の原語とカタカナ語の意味のマッピング 検討するべき点II・・・カタカナ語と非カタカナ語(和語・漢語)の意味のマッピング結果、日本語学習者はカタカナ語は日本語の語彙の一種であり、カタカナ語と英語は異なるものであることを認識していることがわかった。しかし、語彙によって習得が簡単なものと、難しいものの差があることが明らかになった。
著者
松井 理直
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
Journal of the Faculty of Letters, Kobe Shoin Women's University = 文学部篇 : JOL (ISSN:21863830)
巻号頁・発行日
no.2, pp.19-34, 2013-03

本稿は、借用語の無声摩擦促音に見られる非対称性に関与する物理条件を明確 にし、それが音韻知識と音声実現のフィードバックループの中でどのように機 能しているかを議論したものである。結論として、摩擦成分に含まれる極周波 数遷移の重要性を実験によって検証し、それが音韻境界の手がかりとなることを主張する。
著者
久津木 文
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
Theoretical and applied linguistics at Kobe Shoin : トークス (ISSN:13434535)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.47-65, 2014-03-05

バイリンガルのメタ言語知識や言語的気づきが高いことは長い間知られてきた。近年、バイリンガル研究における関心は二言語での経験が及ぼす非言語的な認知的能力にシフトしている。二言語の語彙体系や言語使用の経験がバイリンガル特有の認知的特性を形成する要因だとされている。よって、本稿では、バイリンガルの語彙についての先行研究を概観したうえで、子どものバイリンガルの非言語的な認知的能力についての最新の知見を検討する。
著者
木谷 吉克
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 文学部篇 = Journal of the Faculty of Letters, Kobe Shoin Women's University : JOL (ISSN:21863830)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.17-28, 2014-03-05

「飼いならす」ことは、ある人間、ある事物を特別なものにする。同様に「儀礼」は、ある日、ある時間を特別なものにする。「飼いならす」ことや「儀礼」によって特別なものとなったものを軸として、人は豊かな心の世界を築くことができるし、それによって生きる意味や方向性を見つけることができる。この作品中にしばしば出てくる子どもとおとなの対立も、「飼いならす」という観点から再解釈できる。つまり、この対立は、飼いならすことに生きている子どもと、飼いならすこととは無縁な生活をしているおとなという対立として理解できる。おとなたちは自分たちが何を探しているのかもわからないまま動きまわっている。だが、問題を解く鍵は「飼いならす」ということにある。おとなたちはだれかを、また何かを飼いならせば、自分たちの探しているものを見つけることができるのである。この作品では、キツネは作者の代弁者であると言える。そのキツネは、重要なことを王子さまに伝えるとき、きまって「これはあまりにも忘れられていることだが」とか、「それは簡単なことなのだ」といった前置きを付ける。これは作者自身の前置きであり、キツネの言うさまざまな真実は、実は忘れられているだけで、本当はだれもが知っているし、だれもが経験していることである、と作者サン=テグジュペリは言いたいのである。