著者
山川 充夫
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究の目的はNPO法人と商店街との連携が中心市街地の活性化にいかなる役割を果たすのか、その経済的効果はいかなるものが期待されているのか検討した。大店立地法は売場面積規模が数万m^2に達するほどの出店申請をほとんど全て認め、これが周辺環境問題とりわけ生活環境問題を悪化させた。中小企業団体や地方自治体から厳しい意見が出され、まちづくり三法の改正が着手された。労働効率、売場効率、販売効率の検討から、大型店は売場面積が2〜3万m^2を超えないと効果が現れず、このことが売場面積規模を大きくする原因であることが判明した。また最寄品中心型商店街をロードサイド型と比較すると、売場効率では遜色のないものの、労働効率がかなり悪いことがわかり、これが地方都市中心商店街の衰退原因であることが判明した。地方都市中心商店街を活性化する方途の一つとしてNPO等との連携がある。中心市街地に訪れる生活者は中心商店街に、コミュニティの維持発展の基盤となる「安全・安心」、買い物などのサービス利便性、公共的性格を持つ交流・サービス機能、歴史的文化的豊かさ、地球環境問題への対応等に期待を寄せている。各種調査からこうした生活者の複合的かつ多様なニーズへの対応には、「商い」を専らとする商業者がNPO等と連携することが不可欠であることが判明した。福島県福島市では2002年度から「市民協働型まちづくり」に取り組み、企画提案型事業の公募、人材育成のための「まちづくり楽校」の開校、市民電子会議室の設置などの成果を出している。なかでも「ふくしま城下まちづくり協議会」の取り組みが注目される。この協議会は市民協働型でペーパープランにとどまっていた地区計画に生気を吹き込み、福島市が借上住宅として活用する商住型民間マンションが建設され、定住者の増加により伝統的なイベントも活気を取り戻し、まだ事例的に過ぎないものの、店舗が新規開店した。
著者
大黒 太郎
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、「極右政党」を組み込んで、1990年代のヨーロッパで相次いで登場した右派連合政権(オーストリア・イタリア・オランダ)によって実現した年金・医療保険制度改革において、「極右政党」が果たした独自のインパクトを確定することがその第一の目的である。また本研究は、ドイツ・イギリスなど左翼政党主導で実現した同時期の同種改革との対比のなかで、その改革の性格を明らかにしようと試みた。
著者
高瀬 雅男
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

日本独禁法22条は、協同組合に対する独禁法適用除外について定めている。しかし適用除外の範囲は必ずしも明確ではない。独禁法22条は、米国の協同組合に対する反トラスト法適用除外立法であるカッパー=ヴォルステッド法を参考に制定された。そこで本研究はカッパー=ヴォルステッド法の立法過程を分析し、適用除外の必要性、適用除外要件、限界要件などに関する連邦議会の立法意思を明らかにし、独禁法22条の適用除外の範囲について示唆を得た。
著者
小山 純正 高橋 和巳 高橋 和巳
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

仙骨への鍼刺激は、脳幹の覚醒ニューロンを抑制することにより、睡眠状態を誘発する。また、排尿中枢のニューロンの活動を抑制することにより、膀胱の活動を抑制する。これらの作用には、GABA作動性の介在ニューロンが関与している。
著者
長尾 光之
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

後漢から南北朝期の口語資料を多くふくむ漢訳仏典とその他の口語資料を用い、1.疑問文 2.得 3.与 4.着 5.被 6.代名詞 7.2音節と2字連語 8.縦使、仮使 9.重複形式 10.量詞 11.接尾詞、の枠組みに従い、言語体系の一部を明らかにした。そのうち、漢訳仏典をはじめとする魏晋南北朝期に多用される「どこ、なに」の意味で用いられている「何所」に着目して変遷の様子をさぐった。先秦において「なに」をあらわす代表的な疑問代名詞は「何」であった。漢代には近代語に連なる2音節化の傾向のなかで疑問詞「何等」が現れる。六朝には疑問詞「底」が用いられ、連用されて「底是」ともなる。また、「何」が「物」と連用されて「何物」ともなる。「等、底」系には形態素{T}を、「物」系には{M}を設定する。{T}は時代を追って{S}に変化して行ったものと考えられる。唐代の文献を見ると「是」と「所」を同音で標記している場合がある。「所」が魏晋南北朝期に幅広く用いられたのはこの期にすでに{S}系疑問詞が発生したことの反映と考えられる。「等、底」が現代語「什公」の前身である「是物」などに連なって行くさいに「所」がその橋渡しをしたという仮説を立てた。そのほか、漢訳仏典の代名詞について総合的に論述している兪理明『仏教文献語言』を紹介した。また、4世紀の口語を反映していると考えられる鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』のテキストのうちパリ国立図書館・ペリオ文献に収められている同経の目録を作成した。
著者
功刀 俊洋
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

革新=社会党推薦の市長・市政について、1950年代から1960年代前半までの東北地方と京阪神地方を比較すると、東北地方の革新市長は、1959年前後から遅れて登場し、1960年代に社会党公認の市長として飛鳥田一雄横浜市長の全国革新市長会にその中心メンバーとして参加していった(たとえば、仙台、秋田、酒田、大館)。それに対し、京阪神地方の社会党系市長は、1950年代の早期から登場しながら、1960年代に退場してしまうか、革新市長会に不参加・消極的という態度をとった(たとえば、大阪、神戸、西宮、舞鶴、宇治)。この相違の原因は、野党や労働組合の党派・組織対立の影響と、地域開発の現実性の違いにあった。第1に、東北地方の社会党は、左派(佐々木更三)中心であり党内最左派出身の飛鳥田をリーダーとすることに親和的だった。それに対し、京阪神地方の社会党は右派(河上丈太郎、江田三郎)中心であり、また民社党と共産党が強力で社会党の市政における指導権は弱かった。それで、京阪神の革新市長は、民社・同盟系労組をも地盤としており、1960年代には自民・民社・社会の相乗り市政に移行していった。第2に、京阪神地方は東海から瀬戸内地方と同様、繊維産業など既成工業の合理化と石油化学・鉄鋼などの新興工業の立地(新産業都市建設)が1960年代前半に現実に進行しており、都市政治への「合理化・開発=保守化・中央依存」圧力が東北地方より強かった。それに対し、東北地方では、新興工業(機械組み立て・アルミ・パルプ)誘致が実現するのは1970年代であり、1960年代までは、社会党市政が生活基盤整備に尽力したため、住民の支持がっづき、保守勢力にも許容される余地があった。これが、東北地方の革新市政が1960年代後半まで生き残り、「革新自治体の時代」を準備できた経済的要因であった。
著者
市川 喜崇
出版者
福島大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1996

革新自治体期の(1)老人福祉,(2)公害規制,(3)開発規制,(4)自主財政権獲得政策の4分野の政策過程を分析することによって日本の地方自治体のもつ潜在的可能性が顕在化する条件を探ることが長期的な課題であるが,今年度は,その予備作業として,日本の地方自治史に占める革新自治体期の位置づけを明らかにすることに力点を置いた。革新自治体期はいわゆる「新中央集権」といわれる時代に引き続いて現れるので,新中央集権について考察し,その結果を,論文「『新中央集権主義』の再検討」(福島大学『行政社会論集』第9巻第3・4号,1997年3月)にまとめた。ついで,美濃部革新都政の公害規制政策について現在研究をまとめているところである。まだ完成途上にあるが,その概要は以下のようになる予定である。深刻化する公害問題に対応するため,美濃部都政は公害防止条例を制定し,国の法律よりも厳しい基準で公害規制に乗り出した。これに対して国は当初,自治体が法律よりも厳しい基準を条例で定めることはできないとの姿勢で臨んだが,公害問題が深刻極まる中で法律論争をすることは世論の支持を失うと見ると姿勢を転換し,むしろ,法律の基準を都条例なみに厳しくすることによって問題を決着させた。その結果,国は再び法律の優位を取り戻した。これは都の政策が全国化したという意味で美濃部の勝利であったが,国は,政策内容で譲る代りに,法律-条例関係の厳格は解釈権(「先占理論」)を守ったともいえる。都の勝利の要因は,第1に世論の支持とマスコミの注目であり,第2に都が国と同等以上の専門知識を有していることであった。このことは,上記(4)の政策における都の敗北と対比すると一層明らかになるものと思われる。
著者
佐久間 康之
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

公立小学校での英語活動のみが英語の刺激として純粋に(近く)作用する教育環境の学校を対象に3年間にわたり縦断的かつ横断的調査を行った。主な研究成果は以下の4点である : (1) 学年別の児童英検の比較において学年が上がるにつれてリスニング力は高かった。(2) 中学年及び高学年の1年間の変容において, 児童英検によるリスニング力は全学年ともに向上したが, 心理的要因の結果は多種多様であった。(3) 中学年及び高学年のリスニングカと相関があった心理的要因の項目は自己評価(自分自身をみつめなおす)及び記憶方法(効率的な覚え方)であった。(4) 英語活動の実施時数の多さは中学1年時の音絹認知に正の影響を及ぼす可能性が見出された。
著者
稲庭 恒一
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

1 本第三セクター会社アンケート調査は有効回答数1356・回収率65.5%で、これは調査実施時期の第三セクター会社総数3707社の36.6%からの回答に相当するもので、画期的な回答結果であった。2 第三セクター会社の清算(経営破綻)は、98年以降増加の一途をたどり、負債総額の巨額化が目立つこと、所在地方的には東北・北海道・九州で多く見られること、等々を実証的に明らかにした。3 本アンケート調査は、これまで研究されたことのない第三セクター会社の経営状況と会社の内部関係、特に、事業分野・資本規模・経営体制・経営者の姿勢・地方公共団体との連携等、との実態的関係について、多くのことを明らかにしえた。例えば、資本金規模の大きな第三セクター会社ほど経営状況が厳しく、その小さな会社のほうが経営状況が良いとする割合が高い。業種的には、本アンケート結果によれば、「総務省調査」と異なり、経営が厳しいとする割合の高い業種は教育文化関係・運輸道路関係・農林水産関係などであり、経営状況の良い割合の高い業種は公害自然環境保全関係・生活衛生関係などである。地方的には中国・四国・北陸が経営が厳しい割合が高く、中部・関東・北海道・近畿が経営状況が良い割合が高い。地域的には離島・中山間部で厳しく、地方都市・沿岸部・大都市で良い割合が高い。8割近くの第三セクター会社で常勤取締役が居ないが、代表取締役社長が常勤であることが経営状況の良さの割合を高めるわけではない。等々である。4 本アンケートの分析を踏まえ、第三セクター会社経営上考慮すべき若干の提言を行った。