のすけ (@nosuke_arc)

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RT @tas3cdw: 河野本道については最近公刊されたこの論文がお勧めです。 新井かおり『「アイヌ側から見たアイヌ史」はいかに不/可能か:貝沢正資料から見る各アイヌ史の編纂について』(2021) https://t.co/Oyv13Cbmgh
大塚達郎先生の示唆 https://t.co/ySZH8pgcWR
「北海道厚岸町下田ノ沢遺跡出土の擦文時代人骨」百々 幸雄他 人類學雜誌 99 (4), 463-475, 1991 https://t.co/FGLcjZ0G2q

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縄文時代の日本列島と同時期の中国大陸は中国の前史から殷王朝、西周、東周、春秋、戦国と変遷を遂げている。中国大陸での春秋時代とその後の混乱と戦災を避けるため殷王朝や周の時代の政変時、その後の縄文時代にも日本列島に渡来人が流入したと考えられているという。 https://t.co/VgBM51KfLC
北海随筆(元文四(1739)年)には既にマキリというアイヌ語の使用が記録されている。 8世紀頃の和語借用の可能性も示唆されているが、東北の蝦夷もアイヌ語を話していた蓋然性が高いことから、マキリはアイヌ語が語源でしょう。 18世紀前半のいくつかのアイヌ語資料について https://t.co/UEa6kCHwRO https://t.co/rUK54xNhIu https://t.co/j3kLHfZuSH
@htmdxmama @poronup @azkn_t 横から失礼します。ご参考になれば。 アイヌ衣服と文様の変遷 https://t.co/0xCkGQ7Vl5 https://t.co/bJswc0BbyB
「石狩低地帯の千歳市内に分布する18世紀以前のアイヌ文化期遺跡の調査を行い、その下位には例外なく擦文文化期の遺物包含層や住居群が存在すること、同遺跡での断絶はみられず、擦文文化がアイヌ文化に移行した様子が伺える」   擦文文化からアイヌ文化への雑穀農耕の継続性 https://t.co/Cyw5Q4v7jx

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「こんな研究経過説明で、アイヌ文化はその物質文化の多くの要素を擦文文化から受け継いでいる。 となる理由を説明して下さい」  ↑ 引用された画像の冒頭に、書かれているのにね。   「アイヌ文化はその物質文化の多くの要素を擦文文化 から受けついでいる…」   https://t.co/gnNxnQ7dyh https://t.co/gv63mIC3oe
@ishiwinozomu @azkn_t “アイヌ史的中世”を考える   https://t.co/vhVTM1xOJD “アイヌ文化”、これは擦文文化とオホーツク文化が融合して 13 世紀頃に成立したとされる文化ですが、、、少なくとも擦文文化やそれに先行する続縄文文化後期の後期北海道式(後北式)土器文化の担い手たちの歴史をも通時的に含み込んだ概念
それに対して「根室場所におけるアイヌの命名規則と幕府の同化政策/遠藤匡俊」を参照して「安政の時点で存命の人物に限ってさえアイヌ名の同名事例が多数あるので、(この資料からは)さほど強い禁則があったようには見受けられません」と書いている人がいて資料の読み方よ。 https://t.co/ndaqJK0Bke
萱野茂氏の講演録はこちら(質疑応答も含め、無料で全文を読めます) 菅野茂. 1999.「日本手話学会第24回大会基調講演「アイヌ語辞書編纂とアイヌ」」 『手話学研究』(日本手話学会) 15(1-2):43-55 https://t.co/DebNDatDsl https://t.co/ikMabx6FeY

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