YoshiHR (@YoshiHR2)

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@aruka_kp 赤鉄鉱からもベンガラを生成できますが、そちらの方法はもっと大変なのです。 亀ヶ岡文化を中心としたベンガラ生産の復元 https://t.co/Q2iWmN0Y9B https://t.co/LXcBMAYvQi
北海随筆(元文四(1739)年)には既にマキリというアイヌ語の使用が記録されている。 8世紀頃の和語借用の可能性も示唆されているが、東北の蝦夷もアイヌ語を話していた蓋然性が高いことから、マキリはアイヌ語が語源でしょう。 18世紀前半のいくつかのアイヌ語資料について https://t.co/UEa6kCHwRO https://t.co/rUK54xNhIu https://t.co/j3kLHfZuSH
@htmdxmama @poronup @azkn_t 横から失礼します。ご参考になれば。 アイヌ衣服と文様の変遷 https://t.co/0xCkGQ7Vl5 https://t.co/bJswc0BbyB
@studying_Ainu それは20年近く前の2004年の論文(↓)。今月刊行の「つながるアイヌ考古学」(1⃣)では最も古いアイヌ墓は厚真町上幌内2遺跡の12世紀後半から13世紀となるそう(2⃣3⃣)。著者は同じく関根先生。古い文献は要注意。 副葬品からみたアイヌの歴史と文化 : 本州アイヌを視野に入れて https://t.co/njloAPgTFQ https://t.co/mLVK2Yubkr
@ss_violala こんばんは。宮城の雷神山古墳(1⃣)や今熊野遺跡(2⃣3⃣)でも底部穿孔壺が出土しており、ネット検索してみました。古い(2004年)ですが、↓の論文が参考になりそうです。流し読みですが、壺が穀霊信仰に基づく農耕儀礼と密接な関係にありそうとのことです。 底部穿孔壺の思想 https://t.co/w2txRWl4gx https://t.co/cZsHxEpZ5d
おぉ❗️#蓑虫山人 の描いた土偶たちを発見‼️(1⃣) No.36は昨年見ましたが、No.38は見たことが無く、いつか見てみたいところです。 2⃣3⃣は下記より引用。4⃣は「成田彦栄氏考古・アイヌ民族資料図録」より引用。 亀ヶ岡文化雑考集 : 付・研究報告索引 https://t.co/CFGU3MX46K P79:蓑虫山人の…について https://t.co/WdRayEZMgD https://t.co/UrU8VsDJ5a
@cicada3301_kig @LT_Thovilia 沙流の地名は青森の宇鉄から移住した東北アイヌ由来との伝説があるようですが、これは違いますか? アイヌの一系統サルンクルに就て https://t.co/Ic3IcpzWvf
サ〇ー氏の執拗な絡みに辟易したので、気分直しに擦文~アイヌ文化期の木製品の資料を探索。ちょっと古い(2008年)けど、当時の出土木製品の集成資料を発見。やはり食器などの日用雑器は木製の可能性が高そうですね。 木製品 : その分類基準と北海道における変遷の特徴 https://t.co/9z2YDsijsH
@jomonzine @koki_hanada_ 現物は論文を書いた小樽の莊司さんが所有しているようですね。一部の遺物を東京でお披露目されているようです。その際に坪井正五郎が282種類を集成して↓の論文に掲載しています。 北海道諸地方より出でたる古器物上に在る異躰文字 東京人類學會雜誌/2 巻 (1887) 18号 https://t.co/CNLZqO8hUp https://t.co/cTqCNvpgk0
明治20年の論文に樺太アイヌから入手したという良く似た図形の刻紋石が報告されていますね(図)。何か関係あるのかも。
この研究では江戸時代のアイヌ人骨115体からmtDNAを抽出し解析(1⃣)。結果として2⃣の通り、縄文時代人由来に加え、シベリア先住民族と本州日本人の影響が想像以上に大きいことが判ったというもの。 プレ・アイヌ期の人類集団を捉え直す:北海道先史時代人骨についての総合研究 https://t.co/QFy5fWARcB https://t.co/wrsqXI1AsA
2017~2019年に科研費を投入して行われた研究。 プレ・アイヌ期の人類集団を捉え直す-北海道先史時代人骨についての総合研究 https://t.co/hH7N3U1kAS
古代北海道への塩の供給基地は青森県下北半島から津軽半島にかけての臨奥湾沿岸に展開する多くの製塩遺跡群の可能性が高いそうだ。 1⃣↓リンクP53 2⃣↓リンクP69 シンポジウム 蝦夷からアイヌへ https://t.co/6e2FX74MaF https://t.co/b0IkN6zr6o
土器編2が公開されました。 国史跡山王囲遺跡の研究Ⅳ 土器編2(西区Ⅳ下層・Ⅴ層出土土器編) https://t.co/mPyg6QqEY5 凄いのはやはりこの土器(1⃣2⃣3⃣)。 尚、3⃣の画像は↓より引用です。 「亀ヶ岡文化の世界」の図録 : ミニ特別展 https://t.co/fr01pr01l0 https://t.co/sILLnnk0nC
@T2JeenSq2g2nx2G @tabiponpon 横から失礼します。「陸奥全国神代石古陶之図」の阿部屏風と木村屏風は↓の研究論文に画像が掲載されています。 https://t.co/CFGU3MX46K 亀ヶ岡文化雑考集 : 付・研究報告索引 P79-P104 蓑虫山人の「陸奥全国神代石古陶之図」と青森新聞の「第二回弘前博覧会縦覧の記」について
昨年末発行されたホカホカの研究論文。なるほど!と頷きながら読了。大変勉強になりました。アイヌには「狩り熊型」の送りの儀式もあるそうで、↓ツイに記載の可能性を補強する材料に感じました。 アイヌ口承説話における「熊送り」の検討 https://t.co/vBV6wgn36A https://t.co/1eCj6qSK0y
@oakcask1 国費(科研費)を費やしてのプロジェクトでしたので、元ネタに当たりました(↓)。 温帯ジャポニカの話では無く熱帯ジャポニカの形質に関して研究により明らかにされたようです。 冷温帯地域における稲作の歴史的展開 https://t.co/na7hIYiHJM
オメガマンは韓国最古の稲は「松菊里遺跡(紀元前850年頃)」と言っていたけど、↓によると漁隠遺跡からは突帯文土器と炭化米が出土しており1260~960calBCで日本より古い。 総合研究大学院大学 2005 弥生時代の開始年代 ―AMS -炭素14年代測定による高精度年代体系の構築― https://t.co/6Uwk28is6V https://t.co/NErlF5YzGW
菅江真澄は蓑虫山人の大先輩。 これ、弘前大学から↓の論文が出ていましたね。 菅江真澄が描いた「縄文土器」と「土偶」 https://t.co/1jJpW9V8Za https://t.co/5o3low4r6S
RT @hjjcEU7wFHUBlAM: 北海道礼文島の船泊遺跡出土縄文時代人のゲノムを解析した論文が発表されました。 https://t.co/Fr9c5XeQLD
念のために検索してみた。やはりありませんね。(1️⃣2️⃣)最新情報というから未だ未登録なのかも知れませんが。 縄文時代の鉄成分の利用というと鉄器や鉄製品では無く、ベンガラの生成になるかな?(↓リンク、3️⃣) 亀ヶ岡文化を中心としたベンガラ生産の復元 https://t.co/Q2iWmN1vZ9 https://t.co/h0hkKF0iVF https://t.co/mwM33ifirO
@azkn_t @toranne33 横から失礼します。漆器の流入は青森に木製碗・皿の大量生産拠点ができたためのようですね(画像参照、↓より引用)。 通説通り鉄鍋と漆器の移入が擦文土器廃絶の契機になったとのことの補足となります。 シンポジウム「蝦夷からアイヌへ」 https://t.co/baiOoDLi5o https://t.co/VcRAKdfmuL
@in_front @polieco_arche @VrJQQQDQJKmiLzY 赤はベンガラか水銀朱(辰砂)になるかと。東北はベンガラが多いようです。現代の黒漆は鉄錆(第一酸化鉄)を抹茶で煮込んでタンニン酸と反応させて黒くするみたいですが、↓の論文曰く、縄文時代は木炭粉のようです。 先史時代の色彩 https://t.co/n9ckdTri5l https://t.co/YH8ClKIBiY
@J_modoki @takashiyam ↓リンクの論文では縄文後期らしいです。柿渋の利用も推測されているそうです。
@okumiomote 情報ありがとうございます。パンピーには何れもアクセス不能ない情報源のため↓の情報源を参考にしておりました。 縄文後晩期の岩偶岩版類について https://t.co/OfbypFMZlV 岩版•土版の身体表現について https://t.co/DHS9vm3yn1 東北地方・縄文晩期の土偶関連遺物(1) https://t.co/bPnYRrpGBF
@tanu_ima 縄文には関係無いようですが、↑の論文に4年先行して↓の論文も発表されていました。こちらも日本語の論文です。 https://t.co/S6zQhqfFir 天の御柱と八尋殿についての一考察 ナウマン ネリー 民族學研究/1971年 36巻 3号 p.193-203
RT @Florisbad: アズキとダイズの栽培化はユーラシア東部大陸部よりも日本列島の方が早かったとの研究。 https://t.co/91dIuM92Xb ヒョウタンやウリやアサやゴボウやエゴマやダイズなどの縄文時代の栽培化の可能性は以前から指摘されていましたが、疑問視…
土器編がリリースされていました。こんなヘンテコりんの土器(1⃣~4⃣)も掲載されていました。
ちなみに敷石住居の発生は特定の地域に限定的ですね(画像)。これを見ても前方後円墳に繋がっていないことは明白です。
@tekkenoyaji 鉄さん、こんばんは。 ↓の論文、ご参考です。既にご存知でしたら、ゴメンナサイ。
@YM5E9FdHJbBIPkE @gurinhiguma 既報ですが、↓の論文によると熊送り儀式が行われていたという文献資料は無いものの小熊の受渡し要請の記録や飼育方法請求の記録などから 「仔熊飼養の基礎的な知識を本州アイヌも共有していたことは確実」とのことですね。 本州アイヌにおけるイオマンテ儀礼の可能性 https://t.co/thkAVAm3yR (続く)
@YM5E9FdHJbBIPkE @gurinhiguma また、前掲の東松島市での講演会講師の関根教授の著書「モノから見たアイヌ文化史」では遺物の比較から本州アイヌの成立時期を13~14世紀においているそうです。 <書評と紹介>関根達人著 『モノから見たアイヌ文化史』 https://t.co/KpaPnCcsKD
@YM5E9FdHJbBIPkE @gurinhiguma 本州アイヌの成立時期は、↓シンポジウム資料のP67~で第4の画期として記載されている奥州藤原氏の支配時期でしょうか。 シンポジウム「蝦夷からアイヌへ」 https://t.co/baiOoDLi5o
@YM5E9FdHJbBIPkE @gurinhiguma (続) 副葬品からみたアイヌの歴史と文化 https://t.co/njloAPgTFQ 近世前期における弘前藩のアイヌ支配について https://t.co/1k3Pxft7JN
@YM5E9FdHJbBIPkE @gurinhiguma (続) 副葬品からみたアイヌの歴史と文化 https://t.co/njloAPgTFQ 近世前期における弘前藩のアイヌ支配について https://t.co/1k3Pxft7JN
@YM5E9FdHJbBIPkE @gurinhiguma ちょっと調べてみました。以下の論文を読むと青森県の津軽及び南部地方にはアイヌと思われる人々が在住していたように思われます。 本州アイヌにおけるイオマンテ儀礼の可能性 https://t.co/thkAVAm3yR 本州アイヌと津軽エゾ https://t.co/NOXIBFKiJ0 (続)
@YM5E9FdHJbBIPkE @gurinhiguma ちょっと調べてみました。以下の論文を読むと青森県の津軽及び南部地方にはアイヌと思われる人々が在住していたように思われます。 本州アイヌにおけるイオマンテ儀礼の可能性 https://t.co/thkAVAm3yR 本州アイヌと津軽エゾ https://t.co/NOXIBFKiJ0 (続)
@g_ore_t 蝦夷とか征夷と呼んでいる時点で差別しているのは朝廷でしょう。(画像1️⃣:↓リンクより) 朝貢の停止が蝦夷に関係ないことは、貴殿が引用している遠藤氏の著書に書かれていますよ。(画像2️⃣) 直接的な因果関係があるのですか? 『記・紀』隼人関係記事の再検討(一) https://t.co/RKYS0WavkM https://t.co/mkgfmp1Vcc
「移転」ではなく「強制移住」ですね。画像は以下リンクより。 日本古代移配俘囚・夷俘に関する考古学的研究 https://t.co/JAisFY5vpH https://t.co/kP5WX9i7r4 https://t.co/C5Gbejxzmf
@fushunia どうやら「てつはう」の名称を継承した「鉄砲」は当初大砲の名称だったようですね(↓リンク)。 鋳鉄砲の歴史と技術問題 https://t.co/z1JyHnlsIl https://t.co/QqX647ylUk
岩大のレポジトリを掘っていたら、こんな論文を見つけました。「ケンタウル祭」は花巻方面の旧盆行事の描写だったのかも。

1 0 0 0 OA 土を固める

@J_modoki @in_front 『総覧縄文土器』で村田六郎太さんが素地土に混ぜた灰がどのようなものか判りませんが、何れにしてもCaOの添加が粘土内のSiO2及びAl2O3と反応して強度アップに貢献していることを推測した次第です。 画像は以下からの引用です。 土を固める https://t.co/EeHGjNu18C https://t.co/yEO57c6fxO
@J_modoki @in_front 木灰にはCaOが多く含まれます(3⃣)ので、粘土に混ぜ込むと三和土と同じく加水硬化でダレにくくなる(固まり易くなる)のではないでしょうか?Caを多く含む土だと野焼きの時に失敗するように感じますが、問題無いんですかね?画像は以下より引用です。 セラミック原料解説集 キ https://t.co/HHSt2U4630 https://t.co/bb0rntgtGs
@kimunkamuida262 @gurinhiguma ちょっと古いですが、須恵器長頸瓶の流通に関する論文がありました↓。 須恵器長頸瓶の系譜と流通―北日本における特質― https://t.co/1805NmZhxL 「列島最北端の青森県五所川原窯跡群では,律令制下の郡制未施行地域にあって生産を継続し,国家と隔絶した独自の生産体制が確立していた(利部1997b)。」
この遺跡からは様々な移入品も出土。 1⃣2⃣オホーツク式土器: 1点出土 3⃣内耳鉄鍋/須恵器: 鉄鍋はアイヌ文化期の墓から出土。↓リンクの鍋被り葬法と同じものか? 4⃣ガラス玉/骨角器/富壽神寶銭: 銭と須恵器は秋田からの移入品か 鍋被り葬考: その系譜と葬法上の意味合い https://t.co/koQ0uJN0c8 https://t.co/dgDQu7NiOw
この土偶の詳細は↓リンクのP21-27参照ください。 https://t.co/CFGU3Ne78K https://t.co/eElmSeVBca
@fushunia @ToyNupuri 前掲の画像はそれぞれ以下より引用しています。 1⃣の強制移住リストは↓より引用 日本古代移配俘囚・夷俘に関する考古学的研究 https://t.co/JAisFXNmbz 2⃣3⃣は↓シンポジウム資料より引用 https://t.co/VYYIhMqmk2 4⃣は2022/10/23太宰幸子氏講演「地名のいろは」資料より引用
所要でパラパラと図録を見ていたら、この土器ありました。 「亀ヶ岡文化の世界」の図録 : ミニ特別展 P25(pdf P29) https://t.co/fr01pr01l0 https://t.co/eEeFhpiX9G https://t.co/avVZ8rEJcd
@jomonzine 大野延太郎の論文(↓リンク)より、小笠原為吉氏より”献納”された品々があり、この土面もその中の一つだったようです。 羽後國北秋田郡七座村大字麻生上ノ山遺跡取調報告(第一回) https://t.co/GquglPUSCR https://t.co/OcRh76w9nf
1⃣2⃣ ツチクジラのつっちい 3⃣ 巨大オオシャコガイ 4⃣ 気仙隕石の破片:この隕石は↓で報告のもの? 日本天隕石概説其一 https://t.co/dvMejefAn3 #陸前高田市立博物館 https://t.co/d0mRwAd3Xa
展示品の中に坪井正五郎が発掘したと思われる土偶を発見‼️ 1⃣多分、この土偶か?両腕は後年に破損? 2⃣↓リンクに掲載の土偶の図 3⃣坪井正五郎の宝ヶ峯命名の書 4⃣坪井正五郎(大泉洋ではありません) 陸前桃生郡前谷地村及附近の石器時代遺跡に於ける坪井理科大學教授の調査 https://t.co/q2t7qGCtfm https://t.co/dUWX9xYspP
随分前に見学したこの土器も人面装飾付でした。 https://t.co/hLkZfVFthy 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補) https://t.co/OzsDYOxKoT #いわき市考古資料館 https://t.co/uMPz3dlyeR
訪問時には気が付きませんでしたが、この土器も人面装飾付きでした。
@TORUSuzuki10 @jomonzine @jomondoki_2 同論文には追補と追補2もあり、こちらにも茨城県出土のものは各1例ずつ。これらも展示品に類似したものはありませんでした。 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補) https://t.co/OzsDYOxKoT 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補2) https://t.co/454lI1N7WA https://t.co/HG05klIOoz
@TORUSuzuki10 @jomonzine @jomondoki_2 同論文には追補と追補2もあり、こちらにも茨城県出土のものは各1例ずつ。これらも展示品に類似したものはありませんでした。 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補) https://t.co/OzsDYOxKoT 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補2) https://t.co/454lI1N7WA https://t.co/HG05klIOoz
@TORUSuzuki10 @jomonzine @jomondoki_2 掲載の4例は画像の通り。出産紋土器の把手に付く縄文のビーナス顔の装飾はありませんでした。 人面・土偶装飾付土器の基礎的研究 https://t.co/41lFsjiEQ2 https://t.co/dHtnUV56GE
@TORUSuzuki10 @jomonzine @jomondoki_2 画像のみで判断するのもなんですから、↓リンクの研究論文を当たってみました。茨城県産人面・土偶装飾付土器は4例が掲載されていました。 人面・土偶装飾付土器の基礎的研究 https://t.co/41lFsjiEQ2 https://t.co/s1EWzg349U
そして、大洞C1式赤彩大型浅鉢。この浅鉢は下記図録P61に掲載されており(4⃣)、やっと生で拝むことができました。 亀ヶ岡文化雑考集 : 付・研究報告索引 https://t.co/CFGU3Ne78K #毛利総七郎・遠藤源七の考古コレクション #石巻市博物館 https://t.co/ncwhdd8PXp
@HoffKlein1 あと、↓も参考になるかと。
@HoffKlein1 あと、↓も参考になるかと。
@HoffKlein1 あと、↓も参考になるかと。
@HoffKlein1 あと、↓も参考になるかと。
@HoffKlein1 ホフさん、こんばんは。本件は↓の論文からの引用ですね。
@HoffKlein1 ホフさん、こんばんは。本件は↓の論文からの引用ですね。
漆の「殺し掻き」に関する提案。果たして
@jomonzine 伝茨城県出土は微妙なモノが多いみたいです。
@HoffKlein1 @in_front 画像の辺りの人面把手でしょうか? 人面・土偶装飾付土器の基礎的研究 https://t.co/41lFsjAO4a 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補) https://t.co/OzsDYOgHmT 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補2) https://t.co/454lI25haI https://t.co/7Hh9zIjkHY
@HoffKlein1 @in_front 画像の辺りの人面把手でしょうか? 人面・土偶装飾付土器の基礎的研究 https://t.co/41lFsjAO4a 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補) https://t.co/OzsDYOgHmT 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補2) https://t.co/454lI25haI https://t.co/7Hh9zIjkHY
@HoffKlein1 @in_front 画像の辺りの人面把手でしょうか? 人面・土偶装飾付土器の基礎的研究 https://t.co/41lFsjAO4a 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補) https://t.co/OzsDYOgHmT 人面・土偶装飾付深鉢形土器の基礎的研究(追補2) https://t.co/454lI25haI https://t.co/7Hh9zIjkHY
@HoffKlein1 @in_front 了解しました。 玉抱き三叉紋について考えていたら、指紋もあるけど目のほうが近いかも?と閃きました。↓の研究紀要がちょっと役に立つかもです。「片目とは祈願を込められ、それを成就するプロセスにあることを示している」は成程と感じました。
@in_front @HoffKlein1 お邪魔します。拇指の指紋紋様に関する面白そうな論文を見つけました。玉抱き三叉紋のルーツかも
東北大学のリポジトリをほじくっていたら発見した東北の前方後円墳集成リスト(P11~P17)付き研究論文。古墳王子くん(@kotetu2019 )が東北の古墳探索する際には役立ちそう。
秋田県潟上市 #狐森遺跡 出土 #人面付環状注口土器 。表面にアスファルト塗布とのことだが(3⃣)明治時代の論文では80年近く囲炉裏のある部屋に置かれて煤が付着したものだとある。果たして真相は?
沼津貝塚出土の土偶の製作方法の研究。中実土偶の作り方の参考になりそうです。
@okumiomote @in_front 容器的特徴を有する特殊土偶 人類學雜誌/54 巻 (1939) 12号 1939 年 54 巻 12 号 p. 545-551 甲野 勇 https://t.co/IlFYrU6RrZ https://t.co/URQSpZ2O2y
@okumiomote 昔は同じだったみたいですね。↓の論文(「埴輪土偶」使用の最古例か?)では遮光器土偶が掲載されていますので(1⃣)、2⃣の看板は当時の認識が現在まで継続されている希少なものかも。
@jomonzine 室蘭の土偶。重文、東京国立博物館蔵。遮光器土偶系列と言われている。 ***** 北海道蘭郡輪西村見の石器時代土偶 人類學雜誌/40 巻 (1925) 1 号 https://t.co/ugneU2PfbG https://t.co/ozLFjvvHxQ
@jomondokicom 1万件ちょいしか収録されていないようです。集成報告書第一版が出ています(↓)。 https://t.co/k9WoBrVI5a
@jomonzine お疲れ様でした。楽しく視聴させて頂きました。
@J_modoki 既にご存知かも知れませんが、焼成条件によっては構造水が再水和するそうです。ちょっとビックリしました。
RT @J_modoki: 東北タイ・モー村の土器焼き。写真にあるように、焼成初期段階には開放型の野焼き。薪の一部に着火してようやく藁で全体を覆う。温度上昇はたった10分で650℃を超える! ふつう破裂するって!(汗) 写真はこちらの論文から。https://t.co/rYk1…
RT @NDLJP: 一見 #ナゾすぎる 絵の羅列に見えますが、これは絵で読める般若心経です。 詳しくは、当館の #本の万華鏡「へのへのもじえ―文字で絵を描く―」のコラム「絵心経」をぜひご覧ください。 https://t.co/Y1Hd1efwci #キュレーターバトル ht…
石製品や土製品の報告書もあります。土器編は無いのかな? ***** 国史跡山王囲遺跡の研究 Ⅱ 石器・石製品・土製品・骨角器編 https://t.co/PrTEMLdLwf https://t.co/KSp0MxpXrE
↑のツイの「金属原子」は間違いでした。正しくは「粘土鉱物」が正解です。縄文土器に含まれる粘土鉱物の一例は画像の通り(↓リンクより引用)。主原料以外では鉄系の含有が高いようです。 https://t.co/y9egV9F14k 津軽の地質と縄文土器原料 柴 正敏 2014 年 53 巻 5 号 p. 249-257 https://t.co/rnXZhdYBoQ
#北小松遺跡 と同時期の遺跡がお隣の栗原市一迫にある #山王囲遺跡 。素晴らしい漆器製品が多数出土した遺跡ですが、知名度はあまり高くないような。
@Dr_Head_TMI このスレの最初のツイの「金属原子」は間違いでした。正しくは「粘土鉱物」が正解です。縄文土器に含まれる粘土鉱物の一例は画像の通り(↓リンクより引用)。主原料以外では鉄系の含有が高いようです。 https://t.co/y9egV9F14k 津軽の地質と縄文土器原料 柴 正敏 2014 年 53 巻 5 号 p. 249-257 https://t.co/mzzmB0uXvS
こちら側に展示の土偶5点のうちF28は蓑虫山人が「陸奥全国神代石古陶之図」に描いた土偶。↓リンクのP79~に解説があります(No.36の土偶)。こんなところでお目にかかれるとはラッキーでした。 https://t.co/CFGU3Ne78K #村田町歴史みらい館 #村田縄文Academy #勝手に土偶リレー https://t.co/uj5faHwYa6
RT @YoshiHR2: 巷では愛好家の間で座談会が進められているようです。j-stageで見つけた時はちょっとびっくりでした。
@J_modoki 気孔が多い程、強度は低下するようです↓。画像はHTCCのアルミナの例ですが。LTCCの縄文土器も同じようになるかもですね。 https://t.co/IzoolCjoa4 https://t.co/xDv6Z5r0nd
@J_modoki 古い文献ですのでS-1さんは既にご存知かと思いますが、↓の文献に記載されている状態変化が土器の部位ごとに様々に発生していると想像しています。 (続) 繩文土器の焼成温度の推定 1963年 江藤 盛治 https://t.co/UCcJXT9VMq
@MoYoRo_KUN @iwtm11 @Kai_Hatu @jomon_mumon 北海道の沙流の地名がサルンクルから来ており、その部族が青森県外ヶ浜町宇鉄から移住したとのことでした。 アイヌの一系統サルンクルに就て https://t.co/Ic3IcpQZxf
@mono_rhythmic 何ですかね。↓には記載無いようでした。 アイヌの宝物とツクナイ https://t.co/pOuthdUFF9
@okumiomote その昔、奴奈川姫という方が仕切っておられたとか。奴奈川姫、↓で初めて知りました。
巷では愛好家の間で座談会が進められているようです。j-stageで見つけた時はちょっとびっくりでした。
@takashiyam 木質材の燃焼灰はカリウムやカルシウムを多く含んだアルカリ性の粘土(AI2O3+SiO2)のような成分ですね。↓ 木質系バイオマス燃焼灰の安全性評価および有効利用 https://t.co/chHsfV6V1B https://t.co/Ls8fFoOwqm
RT @YoshiHR2: @jomonzine 秘かに縄文晩期の雲形紋のデザイン集は弘前大学より以下が刊行されています。 亀ヶ岡文化雑考集 : 付・研究報告索引 (81MB) https://t.co/CFGU3Ne78K P114(P115)~ 亀ヶ岡式土器文様のデザイ…
備忘録② 安東水軍史論序説 https://t.co/Wg6OA7Hq88

お気に入り一覧(最新100件)

@YoshiHR2 @bemilesaway 朝鮮半島古代人 https://t.co/HWi19PC0DS 古代北シベリア人 https://t.co/CZeuahd2md
@YoshiHR2 @sum7777777sum アイヌの定住期間からみた集団の空間的流動性 遠藤匡俊 https://t.co/h5YEdZXyyN

3 0 0 0 OA 熊祭りの起源

熊祭りの起源 https://t.co/XYccwcs9Cr 「それにもかかわらず,オホーツク文化に特徴的な住居内の熊の骨塚例は,サハリンでも大陸でも報告例がまだない。」
「クマ送り」の系統 https://t.co/GkyYf3ulTv 「オタフク岩洞窟のヒグマ儀礼は,北海道アイヌが狩猟先で行う「クマ送り」と近似している。」
アズキとダイズの栽培化はユーラシア東部大陸部よりも日本列島の方が早かったとの研究。 https://t.co/91dIuM92Xb ヒョウタンやウリやアサやゴボウやエゴマやダイズなどの縄文時代の栽培化の可能性は以前から指摘されていましたが、疑問視する見解や縄文時代の植物栽培は嗜好品的との指摘もあります。
@gurinhiguma 副葬品をアイヌ文化の基準とした場合、アイヌ文化期の特徴であるシトキやタマサイ、ニンカリが出土したオニキシベ2遺跡がアイヌの墳墓となり、こちらは13世紀末から14世紀の遺跡です。https://t.co/tubjO2B32S
@gurinhiguma この論文の原本をまずは読まれたらいかがですか。https://t.co/VSjRs7tMXi擦文文化の担い手は擦文人です。文化がアイヌ文化の特徴を持っていたらそこからはアイヌ文化の担い手なのでアイヌ人です。論文著者は伸展葬をアイヌ墓制の基準としたので15世紀を起点と「仮定」しただけです。
@VrJQQQDQJKmiLzY @YoshiHR2 なんとかあの子の学会デビューを願います。 この文献面白かったです。 ご存じでしたら失礼しました。 https://t.co/0Wh2jt6L2Q
ただし他のデータをみると、500℃でいいのかどうかもよく分からなくなる。同じカオリン系の粘土でもこんなに幅が…。https://t.co/zqV0nFzPJh https://t.co/twamTPl6g2
こちらから。https://t.co/9AGPebdVOV
東北タイ・モー村の土器焼き。写真にあるように、焼成初期段階には開放型の野焼き。薪の一部に着火してようやく藁で全体を覆う。温度上昇はたった10分で650℃を超える! ふつう破裂するって!(汗) 写真はこちらの論文から。https://t.co/rYk10beo9o https://t.co/36mWC8BY7H
「縄文力で生き残れ : 縄文意識高い系ビジネスパーソンの華麗なる狩猟採集的仕事術100」望月昭秀 著 創元社 ベルリン国立図書館に所蔵されているようだ。 どんな方が読むんだろう???ドイツの縄文zine https://t.co/0wLjrJgNLy https://t.co/IdDpJVkdGO
岩手県の豪族屋敷村には「館」「城」「要害」などの地名が付いているそうです。下記の文献をご覧ください。年代が少し前の研究も、現代の集落を理解する手がかりになることも多く、勉強になります。 池田雅美(1975)「岩手県の豪族屋敷村地名」『東北地理』27(2), 91-95. https://t.co/LwwZoOcCI9
『となりのトトロ』のトトロやネコバスよりも、「縄文時代に農耕があったという仮説を立証しようと週2回の出勤以外は書斎にとじこもって」新学説の大論文を執筆している草壁タツオさんに強いロマンを感じてしまう僕のようなオジサンには確実にトトロは訪れないと、ふと思った https://t.co/cZaoajo8Go https://t.co/BOqs6hmmtx
@YoshiHR2 関連してこれも読んでみます。正確な理解はできずとも…。https://t.co/9dWHmIvAC8
この資料の詳細について知りたい方、専門的な内容になりますが、下記の論文で紹介しておりますので、よろしければご覧下さい。 https://t.co/PEiv0slgwR
磐座は依代であるという言説は今も通説ですが、民俗学や祭祀考古学の分野では、もうそれは過去のものとなりつつあります。 オンライン上に論文も公開されているので、今後はこの議論を通過して述べる必要があります。 時枝務氏「神道考古学における依代の問題」(2015年) https://t.co/g6xKEQv5te
@YoshiHR2 年代気になりますね。下記リンク論文では中米から北米南西部への土器伝播は紀元1~200年位。論文地域の東、RTの地域の南のミシシッピ文化の隆興は8百年以降。土器そのものの伝播は早いとして例えばその間の日本だと古墳時代位でしょうか。資料を漁りたくなりました。 https://t.co/Pjib3atlN8
@takashiyam @YoshiHR2 塗り重ねはもちろんですが、それぞれの層ごとに顔料の粒度を変えていたり、黒漆の上に赤漆を塗り重ねて色に深みを出したり、縄文時代にすでにかなり高度な技術があったと岡田文男先生から聞いたことがあります。https://t.co/7JR6DKQVB3

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地底探検記(1907)江見水蔭 博文館。P.74 図で紹介されてる「津貝塚」?(津雲貝塚かも?)のミミズク土偶が、小林八束の土偶っぽい形。国会図書館デジタルコレクション。https://t.co/SBgCN4vmKI https://t.co/XAr8PhdCZ2
北海道礼文島の船泊遺跡出土縄文時代人のゲノムを解析した論文が発表されました。 https://t.co/Fr9c5XeQLD

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