竹端寛(たけばたひろし) (@takebata)

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このことは、以前、論考にも書いたこともある。次のサイトで読めます。→「「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ─日本型“残余”福祉形成史」 https://t.co/acUDzsZWTH https://t.co/O1LBVaTHJn
この番組コメントで述べた、日本の福祉は「家族丸抱え」か、「病院や施設に丸投げ」で、国が公的責任を果たしていない問題は、以下の論文に書いた内容です。→「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ─日本型“残余”福祉形成史  https://t.co/acUDzsZWTH
この「汽水域」論文としては、以前「「ソーシャルワーカーの社会学」 に向けて」という論考を書いた事がある。これも今振りかえると、社会学と社会福祉学、専門家と市井の人たちを「架橋する」試みだったのだろうな、と振りかえる。   https://t.co/lONimR7B4n
入所施設や精神病院の構造的批判をすると、障害者の家族や兄弟の方から批判を受け続けてきた。「施設や病院をなくしたら、家族で面倒を見ろということか?」と。違うのです。「「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ」の二者択一構造こそ、実は国の無策の象徴なのだ。 https://t.co/acUDzsZWTH https://t.co/4TOX6bi3Nj
とある場で「福祉社会学」と「社会福祉学」の違いは何ですか、と問われた。そういえば、以前それを主題にした論考を書いた事があったよなぁ、と引っ張り出してきた。この「ソーシャルワーカーの社会学」は、そのうち本にしたいテーマではあるのだけれど。  https://t.co/uPPXPCElOe
日本では「家族丸抱えか、病院や施設に丸投げか」という二項対立で、国は消極的しか関与してこなかった。だから、滝山病院のように、生活保護のワーカーが地域で支えきれないと思ったら、「病院に丸投げ」する事案が何度も繰り返される。 https://t.co/acUDzsZWTH
最後に野村さんも引用して下さった、「家族丸抱えか、施設丸投げか」は、論文にもしています。 #マイあさ https://t.co/acUDzsZWTH
RT @KojimaYoshikazu: 【定期広報】ロザリンド・ギル(児島功和・竹端寛訳)「沈黙を破る―新自由主義化する大学の‟隠された傷”」https://t.co/M1lJpldnXA
児島亜紀子さんによる骨太な書評が嬉しい限り。この本の概要をしっかり読み込んで簡潔に整理して頂いている。そして、指摘頂いた今後の課題は、AOP本第二弾で取り上げる予定です♪→書評『脱「いい子」のソーシャルワーク-反抑圧的な実践と理論』 https://t.co/9GB6gXlbZv
精神医療の世界では、フランコ・バザーリアこそが、「パズル解き」と決別して、目の前の患者の「生きる苦悩」に目を向けたところからパラダイムシフトが始まった事を思い出す。→「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」https://t.co/Wh922sbIxI
なんだかどこかで見たことがあるフレーズだな、と思って見たら、ぼく自身が取材されていた文章のウェブ化でした。ちなみにこの二者択一論は以前に論文にしています。→「「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ─日本型“残余”福祉形成史」 https://t.co/acUDzsHNFz https://t.co/w4wHOnTEVS
RT @KojimaYoshikazu: 先ほど見たら、4000ダウンロードになっていました。ありがとうございます。/ロザリンド・ギル(児島功和・竹端寛訳)「沈黙を破る―新自由主義化する大学の‟隠された傷”」https://t.co/M1lJpldnXA
大学紀要に書いた内容がアップされています。→「死にゆく者が生者を束ねゆく : アクターネットワークセオリーで辿る義父の死」 https://t.co/BGRMjr0iXf
RT @odahajime: 若森みどり(2022)「「ケアの倫理」と擬制商品の脱商品化 : 資本主義における社会的再生産の位置を問う」『関西大学経済論集』71(4), 321-337 / https://t.co/2Id4jZckAh
RT @tawaki79: J-STAGE Articles - 子どもの貧困と現代国家──扶養の私事性と国家装置としての学校教育 https://t.co/H3UczcSrB6
この種の事件が起こり続けるのは、半世紀以上をかけて、「「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ」という「日本型“残余”福祉」が形成されてきており、家族でも病院施設でもない、地域支援が不十分なまま放置されてきたから。それはこの論考でも以前整理しております。  https://t.co/acUDzsZWTH https://t.co/A9jXjWRAMO
初めて知ってググったのですが、タイトルの軽さと、中身の記述のぶ厚さが、本当にすごく対比的で、面白そうな研究ですね。 https://t.co/cDMxatB5Gg https://t.co/UP2Uu6Ow50
福祉領域で言われる「ゴミ屋敷」とか「困難事例」なんかも、「一見すると非合理的に見える行為の合理性」で捉え直すと、全く異なるアセスメントや見立てが出来て、関わり方も変わってくる。・・・というのを昔言語化したことがあります。そのうちPDFをアップしないと。  https://t.co/Zhzti7kuJI https://t.co/8pkygG0HIO
今日の関学「福祉政策論」は天畠さんの論文を事前に読んでもらった上で、ハートネットTVを一緒にみて、その上で受講生同士での議論。支援者の「先読み」は意思決定支援と言えるのか、そもそも自分たちが自己決定できているのか、学生たちはモヤモヤ議論を深めております。  https://t.co/AtI9HlrTqn
伊藤文人さんの「包摂の実践者か,排除の尖兵か?―イギリスにおける脱専門職化するソーシャルワーク―」を読む。15年前のイギリスの状況から描かれた論文だが、ここに書かれたソーシャルワークの劣化や新自由主義化の弊害は「いま・ここ」の日本社会で起こりつつある。  https://t.co/F7FfbCBgED
@isnki 確かにそうですね。僕はフーコーやローズもちら読みしましたが、むしろイタリアで精神病院を廃絶に導いたフランコ・バザーリアの思想から、お書きになられた課題を学んでいました。 https://t.co/Wh922ssLzI
RT @KojimaYoshikazu: 【学術の世界に関わる全ての方に届いてほしい!】ロザリンド・ギル(児島功和・竹端寛訳)「沈黙を破る:新自由主義化する大学の‟隠された傷”」『法学論集』87、2021年。https://t.co/M1lJpldnXA
RT @KojimaYoshikazu: 西井開『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)を読んだ。ひきこもり研究に通じると強く感じた。あと、不安定な状況であっても若年男性が「男性性」から降りられないことを描いた次の論文も思い出した→乾彰夫「若年労働市場の変容は男性性を揺ら…
RT @isnki: ポスト・アンダークラスの貧困論に向けて ――概念の受容と使用のプラグマティック社会学―― / 川野 英二 https://t.co/y8Pg3sv0fx 「アンダークラス」概念の乱用を戒める、重要な論稿。
@AsahiPodcast @kanda_daisuke @yu_fujinami はじめまして。ポッドキャスト、いつも楽しみに聞いております。そして、今日の大阪版での記事も拝読しました。もしかしたら、僕たちが翻訳した論文が関係ありそうかもと思い、ご連絡しました。研究者の構造的問題は、新自由主義的合理性と親和的だと感じています。  https://t.co/Eam5KXa417
「強制こそ治療だ」という古いパラダイムを脱ぎ捨てるために必要なことは何か。それは以下の論文でも考察しています。→「「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」」 https://t.co/Wh922ssLzI https://t.co/0lBvcdx1uw
共訳した「沈黙を破る : 新自由主義化する大学の‟隠された傷”」がリポジトリに上がりました。研究者なら読んで深いため息を吐きながら「ほんまその通り!」と頷いてしまう、大学組織の新自由主義化が研究者を蝕む構図を、オートエスノグラフィー的に描く名作です。  https://t.co/hpcenC5v7b
津富先生達が 『フィンランド2017年若者法』を訳された。その内容をざっと眺めていると、ユースワークやアウトリーチに政策としてガッツリ取り組む様子がわかる。日本ってこの部分がすごく弱いので、この法律は参考になるし、実態ももっと知りたい。  https://t.co/XbLlaEXsNk
RT @nov_saturday: J-STAGE Articles - 厚生労働省の「自助・共助・公助」の特異な新解釈 : 問われる研究者の理論的・政策的感度 https://t.co/XLOVJ4Bvpi 案外知られてないのか。っていうか、知っていると思う方がもうおかし…
都道府県が精神科病院に立ち入り検査する「行政監査」の限界を、18年前にまとめた論文の中で指摘した、事前通告や書類中心主義、医師の性善説と裁量権に切り込めない、などは未だに変わっていない。18年前の論文の賞味期限が過ぎていないのは悲しい・・・。  https://t.co/YT4JBS0SlE https://t.co/6OKeS9BQ68
医療監視や実地指導の問題は、18年前に論文に書いたのだけれど、本質的には変わっていないのかも、しれない。こちらも残念極まりないのだけれど。 https://t.co/YT4JBS0SlE https://t.co/wS9MaJPPZG
(2)2年前に福祉社会学会で話したことは、「ソーシャルワーカーの社会学に向けて」という形で論文にしている。https://t.co/6GwdxAU8EA この中で、社会福祉学に欠けているのは、制度や政策を批判的に捉え直す、reflexiveな視点である、と指摘した。
RT @naruhisa007: うーん、やっぱりこの論文が出てくるか。タイトルでもう勝ってるよね。 大沢真理「日本の社会政策は就業や育児を罰している Social Policies Penalize Working and Child-Rearing in Japan」 ht…
「学術の動向」に掲載された拙稿は、PDFで公開されていまいた。→J-STAGE Articles - 「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ https://t.co/FUH5GokcKI
RT @yachu93: 「生活保護受給者における精神病床入院の都道府県差」に関する研究が掲載されました。46000名を分析した結果,入院件数の都道府県差は7倍であり,関連要因として精神病床数や保護率が,他の要因(精神疾患患者数や介護施設数等)があるとわかりました。ご周知下さい…
「試練にさらされているのは新自由主義であり,現在進行しているのは新自由主義の危機なのである」→「新自由主義時代における市場社会の危機と甦るポランニー」若森みどり  https://t.co/CWxBC7qLrO
RT @yusai00: エアコンの設定温度を28℃にする根拠がない事はだんだん知られてきたけど、では何度が最適なのか?オフィスでの作業効率と電力消費を調べた論文によれば「作業効率が最大になるのは25.7℃」。設定温度じゃないぞ室温だぞ。それではご唱和下さい!「最も捗る室温は2…
「非合理の合理」。一見「非合理」にみえる世界には、独特の内在的論理があり、一般社会では「非合理」でも特有の「合理」がある。その論理を追えば、世界はもっと違ってみえる、と言う論考。部分的に論じたけど、もう少し掘り下げたい→「合理性のレンズ」からの自由    https://t.co/Zhzti7jWUa
某学会で若い研究者から、15年前に書いた論文を読み返してくれている、と言われる。論文が古びていないのは嬉しい反面、現実が変わっていないのは悲しい。→ボランティアとは言わないボランティア--福祉資源としてのPSW https://t.co/oYlkAHKuZY
国会図書館は、その時々で社会的課題になっている問題について、文献サーベイを行い、しっかりとしたレポートを書いている。その『レファレンス』で医療保護入院のサーベイが出ていた。→「医療保護入院制度 ―その変遷と今後―」 https://t.co/rRC89CVQa5
国会図書館の探索力はさすが。めちゃマイナーな拙稿までフォローしておられたのには、ビックリ。→「わが国の障害者施策 ―障害者権利条約批准のための国内法整備を中心に―」 https://t.co/ofar3B4LMl
「自分の命が危険に曝されても、承服できない悪法には徹底抗戦する不服従の行為が、非暴力による抵抗の最大の特徴である。」  マハトマ・ガンジーの非暴力抵抗運動 : アヒンサ(非暴力、不殺生)のルーツを探る https://t.co/HCBdDHgq2H
ニコラス・ローズのことを調べていたら、牧野智和 さんの博論に。本文を全面公開とは、太っ腹。自己統治の自己啓発の分析は、確かに面白そう。→「自己」の文化社会学―現代における大衆的セルフヘルプ・メディアの実証的分析―  https://t.co/NMOb8h04LN
ちなみに僕自身が魂の脱植民地化とU理論をつなげて書いた最初の論文がこちら。『福祉現場の構造に関する現象学的考察 : 「U理論」と「魂の脱植民地化」概念を手がかりに 』  https://t.co/Nu2ZjCJFyi その後、『枠組み外しの旅』に部分的に入れております。
僕がソーシャルワーカーについて初めて論文を書いたのが、この「ボランティアとは言わないボランティア : 福祉資源としてのPSW」。気付けばPDFで読めるのですね。この論文や博論で扱った裁量論はいつかまとめたいのだけれど・・・。 https://t.co/oYlkAI25Rw
RT @naruhisa007: 看護師の待遇が、90年代と比較して上昇しているというエビデンスは会った。ただ、その理由は介護保険ではなく、看護人材確保促進法と、医療法改正が、理由とされている。RT CiNii 論文 -  看護師の賃金と労働条件 https://t.co/F0…
立岩さんの『精神病院体制の終わり 認知症の時代に』を読んでいて、15年前に自分が書いた論文タイトルを思い出す。「日本の精神病院への行政監査の現状と課題」https://t.co/WJAljPhhXb ざっと眺めたが、この時指摘した問題点は、相も変わらず残っている実感・・・
備忘録 モランとベイドソンを交錯させる論考。「G.ベイトソンとE.モランの 〈自己〉概念をめぐる考察」 https://t.co/sD74zVOQ96
備忘録 モランとベイドソンを交錯させる論考。「G.ベイトソンとE.モランの 〈自己〉概念をめぐる考察」 https://t.co/sD74zVOQ96
RT @tsuruyan: 「CiNii Dissertations - 日本の博士論文をさがす - 国立情報学研究所」。http://t.co/jLx8AKPqbR こんなのが出来てるんだ。自分のを検索で入れてみると、全文が読めるようになっている。http://t.co/Ta…
システム思考に関するダイアローグに参加して、「評価・判断の声」「皮肉・諦めの声」「恐れの声」、この三つの「内なる声」をどう乗り越えるか、が課題だと改めて思い出す。そういえば、そのことに触れた文章も書いていました。 http://t.co/Nu2ZjCJFyi
RT @nakaharajun: これが元ネタか>「大学等教員の職務活動の変化-「大学等におけるフルタイム換算データに関する調査」による2002年、2008年、2013年調査の3時点比較-」[ 調査資料-236 ]の公表について: http://t.co/2ye07Invbd
続9 ちなみに、ベンクト・ニィリエがノーマライゼーション原理を創り入所施設をなくしたプロセスをU理論に絡めて書いた拙稿はこちらに。→『ボランタリー・アクションの未来 : 障害者福祉政策における社会起業家の視点から』  http://t.co/4rJuQ2AG9z 了
フレイレとホートンの対話を読んでいて、ホートンに興味を持つ。http://t.co/eK3SIYHWWs 実はデンマークのフォルケとも密接につながっているのですね。フレイレの自己覚知の議論ともつながっていて、面白い。http://t.co/s1NLM5vPcR
RT @f_nisihara: 博士号を持ちながら、50歳になっても週15コマの非常勤講師をしながら無給の研究員として研究を続けている人の話。オープンアクセスになっているので、誰でも本文が読めます。 - 「ある非常勤講師の場合」 http://t.co/Xq4nVuHh
精神病棟転換型施設構想の問題点 http://t.co/hL6BCfBRbf は、精神医療のパラダイムシフトに関する課題でもある。→「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」 http://t.co/RtEkhq0dvi
かつて「ボランタリー・アクションの未来」という論考を書いた。http://t.co/OgaIDcKfZd その中で、シュンペーターの議論に遡ると、起業家精神とは「生産様式の革新・革命化」と書かれていた。社会起業家精神とは、社会問題を革新的に解決する方法論の模索と提示である。
以前「福祉現場の構造に関する現象学的考察」でU理論を扱う。http://t.co/Nu2ZjD1OMq 次の地域福祉学会発表はこの延長線上で、「現象-パターンー構造」問題に取り組むので、連休後半は『学習する組織』と向き合います。 http://t.co/Lj49yAEzcH
続4 僕は「対話する文化」とバザリアの対話的言説が重なる。『病気ではなく、苦悩が存在するのです。彼と私が病気ではなく、彼の苦悩に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます』   http://t.co/9mn2rvoHEC
続4 僕は「対話する文化」とバザリアの対話的言説が重なる。『病気ではなく、苦悩が存在するのです。彼と私が病気ではなく、彼の苦悩に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます』   http://t.co/9mn2rvoHEC
6年前の三重県での実践をまとめた論文「福祉行政職員のエンパワメント研修 : 障害福祉計画作成に向けた交渉調整型研修の試みより」http://t.co/9A7IqjHe9d。この続きを、そろそろ書かねば、とも思い始めている。
石井綾華さんの記事を読み、「病気ではなく生きる苦悩が存在する」http://t.co/RtEkhpI4haを思い出す。→『心の病は、医師のみが治療対象とするような「病気」ではない。医師を含め社会全体で解決していく「社会問題」』 http://t.co/vNsnLwV4dK
ちなみに、先のシュミットさんの本に出てくるバザーリアの考え方と対話した拙稿、『「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」』も、次のサイトで全文を読めます。  http://t.co/iFPHmrJkc9
ちなみに、先のシュミットさんの本に出てくるバザーリアの考え方と対話した拙稿、『「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」』も、次のサイトで全文を読めます。  http://t.co/iFPHmrJkc9
以前書いた、NPO大阪精神医療人権センターのソーシャルアクションに関する論文が、ネットに上がってました。「NPO のアドボカシー機能の『小さな制度』化とその課題」。今度の権利擁護本にも入っていますが、PDFは無料で読めます。  https://t.co/5RCwtq1eho
something newはUの底からしか生まれない。このことは、以前僕も書いたことがあります。http://t.co/us7spXMTGj  RT @nakaharajun 【ブログ更新】博士論文とは「U字谷の旅」である: http://t.co/yneVxajQFx
師匠におずおずと拙稿を送る。「全然わかってないね!」なんて言われないかとびびっていたが、先ほど「面白かった。これはいいね」というタイトルのメールを頂き、飛び上がる程、嬉しい。少しは、弟子としての力がついたのかもしれない。 http://t.co/RtEkhpI4ha
昨年、イタリア精神医療を取材した後に考えた事を紀要にまとめました。PDFになっていますので、よろしければご笑覧ください。『「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」』 http://t.co/MFL45Bs4Kl
昨年、イタリア精神医療を取材した後に考えた事を紀要にまとめました。PDFになっていますので、よろしければご笑覧ください。『「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」』 http://t.co/MFL45Bs4Kl
土曜の午後、家族会で講演予定。医療保護入院の改正案の問題点を述べるに当たり、カリフォルニアの強制入院について調べた原稿を引っ張り出す。代弁者はあくまで患者側に立つ代弁者でなくては、と。この原稿も権利擁護本に盛り込まねば。  http://t.co/5zyADznncY
以前、福祉労働に「米国の学校における隔離・拘束--教育と支援の"文化"間対立を超えるために」という原稿を書いた事がある。カリフォルニア州の公的権利擁護機関を取材すると、支援学校での虐待事例が結構ある、という内容だった。 http://t.co/xAMcynNw
続6 長々書いたが、自治体現場を全面的に変えなくても、何人か専門職を中途採用するだけで、福祉の窓口対応など、随分と変わる事もある。そういうノウハウが、自治体の最前線で不足している。そういえば、以前そんなことを論文に書いた事もあります。 http://t.co/7JavC2tZ
先ほどの、アメリカ・カリフォルニア州の虐待対応機関については、随分前の福祉労働に原稿を書かせてもらっています。  http://t.co/weZAr1NF あと、特別支援学校での虐待問題についても調べて原稿にした事があります。  http://t.co/xAMcynNw
先ほどの、アメリカ・カリフォルニア州の虐待対応機関については、随分前の福祉労働に原稿を書かせてもらっています。  http://t.co/weZAr1NF あと、特別支援学校での虐待問題についても調べて原稿にした事があります。  http://t.co/xAMcynNw
「あなたは現実を知らない」。現場の人にこう言われることに、なぜムッとくるのか。それは、事実確認的言説と行為遂行的言説の取り違えに関連している。その事を以前、論文に書いていた。違和感を創作の原動力にしてしまう、因果な商売です♪  http://t.co/R098AQiu
「あなたは現実を知らない」。現場の人にこう言われることに、なぜムッとくるのか。それは、事実確認的言説と行為遂行的言説の取り違えに関連している。その事を以前、論文に書いていた。違和感を創作の原動力にしてしまう、因果な商売です♪  http://t.co/R098AQiu
今朝の連続ツイートでオースティンの行為遂行的発言について触れましたが、そう言えば1年まえ、それを素材にした論文を書いていました。今度の本の中にもかなり手を入れて盛り込みますが、元の論文はフリーで読めますので、お暇な方はどうぞ。  http://t.co/RMrhm15k
今朝の連続ツイートでオースティンの行為遂行的発言について触れましたが、そう言えば1年まえ、それを素材にした論文を書いていました。今度の本の中にもかなり手を入れて盛り込みますが、元の論文はフリーで読めますので、お暇な方はどうぞ。  http://t.co/RMrhm15k
@izugawakz ご指摘の点、よくわかります。ただ教科書を「書く」側に廻ると、理論・制度の裏側にある、それを構築するまでの運動性や当時の熱気が捨象されていることに唖然とします。そこで教科書的視点を超えた文章を、最近書き始めています。 http://t.co/KhtP7OgV
昨日は博論のリハビリテイト、今日は『ボランタリーアクションの未来』という2年まえの論文をリバイズしている。これまで書き続けて来た内容を、時期を超えて、今の視点から一冊の本として編み直す作業。久しぶりに『U理論』も読み直していた。   http://t.co/KhtTFoq5
続5 日本社会の閉塞性とは、関係性の固定化でもある。だがその固定化の逆機能が閾値を超えた時、窓が開く。キングタンは政策・問題・政治の窓が開くかどうか、が政策変更に大きな影響を与える、と指摘し、僕もそのことを論文でまとめたことがある。  http://t.co/1HYRHEvR
国際ボランティア学会の論文がPDFでフリーアクセス化された事を知る。思い入れのある論文なので、よければご笑覧ください。「ボランタリー・アクションの未来 : 障害者福祉政策における社会起業家の視点から」  http://t.co/sHRvmNwr
国際ボランティア学会の論文がPDFでフリーアクセス化された事を知る。思い入れのある論文なので、よければご笑覧ください。「ボランタリー・アクションの未来 : 障害者福祉政策における社会起業家の視点から」  http://t.co/sHRvmNwr
@naruhisa007 (続3) 前回の研修については、大学の紀要に備忘録的に書いております。 http://t.co/7JaA9CD9 やってみて、この給付率分析はまじめにやると色んな事が見えてくる、とわかりました。

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