うじと@那古野今川家 (@ujito2020)

投稿一覧(最新100件)

今でも遊女歌舞伎や野郎歌舞伎の発祥としめ研究対象になっているとか。 こちらの丸茂美恵子氏の研究が読み応えがありました。 https://t.co/IiGNWKOZTy

2 0 0 0 OA 群書類従

@shinome_1 ついでにリンクを貼っておけば良かったですね。 リンク先の『群書類従』にある67コマ目の「文覚上人消息」が俗に『渋柿』と呼ばれているものと同じものにあたるようです

5 0 0 0 OA 日本仏教外史

2枚目は『日本仏教外史』(210コマ目) https://t.co/oXGw7AYbY1

5 0 0 0 OA 日本仏教外史

@shinome_1 2枚目は『日本仏教外史』(210コマ目)からになります。 https://t.co/oXGw7AYbY1

3 0 0 0 OA 禅林奇行

@shinome_1 こんばんは!私も少し気になっていたので良い機会を頂きました。 こちらの画像は『禅林奇行』からになります。 リンクも貼っておきますね。(151コマにまります。) https://t.co/qfU0rT90Th

お気に入り一覧(最新100件)

@Sweeney_KURANO 添付解説では「翻刻本」は「表現が「創作的」でないもの」として著作物ではないとしてますね(385頁)。 ただしネット情報ですが、『将門記』の訓読に著作権が認められた判例があるそうです。 自身の考察を主として翻刻文を「引用」するのが一番無難と思われます。 https://t.co/DNsf7FhAgg

9 0 0 0 OA 守貞謾稿

『守貞謾稿』は、江戸時代後期の江戸や京坂の文化について細かく書かれているのでとても便利なのですが、作者の喜田川守貞(喜田川季荘)さんはなぜ長い年月をかけてまでこれを書こうと思ったんだろうか? 大坂から江戸に移った人みたいなので文化の違いが面白かったのかな? https://t.co/Ajo405kKFo
メモ 山本啓介「蹴鞠伝授書から見た室町・戦国期における飛鳥井家とその周辺」(『国文学研究資料館紀要. 文学研究篇』40号 2014年) https://t.co/zORqEUm60Q

3 0 0 0 OA 康富記

『康富記』享徳4年正月6日条 或語云、昨日関東飛脚到来、鎌倉殿[持氏御子][成氏]去年十二月廿七日、管領上杉右京亮[房州入道子]被召出於鎌倉殿御所被誅伐云々、是併故鎌倉殿御生涯事、父房州申沙汰之御憤歟、依之御所方与上杉手有合戦云々 https://t.co/lfzccpAPgo https://t.co/LshWIOz4aY

4 0 0 0 OA 康富記

『康富記』享徳3年12月27日条 後聞是日鎌倉殿被誅管領上杉右京亮於御所、被出抜云々、故鎌倉殿之御敵之故者也 https://t.co/laAVWD9dhB https://t.co/mKYYBjQdE1

3 0 0 0 OA [師守記] 64巻

↑ 「師守記」康永3年8月2日条 https://t.co/CwTFXyULrv 国会図書館に「師守記」の自筆本があるんですねー
"院殿上人にまでなった忠綱は、蔵人時代には「頗被召仕之者」であったといい、その父資綱が高倉天皇の蔵人にすぎなかったことを考えれば、父祖の地位はそれほど重要ではなく、累代の蔵人の家系の出であったという点に上北面選抜の契機があったといえよう" https://t.co/Kdew5klnlb https://t.co/XPtiWXI5PP

2 0 0 0 OA 職原抄

北畠親房『職原抄』によると、近衛将監は諸大夫層から六位の者が任官し、五位に昇っても叙留(位階が上がって官位不相当になっても辞任せずにもとの官に留任)するのが通例か。左近大夫とか右近大夫というのがそれですよね。 https://t.co/4LZRHnvtdt https://t.co/AahTZEileG https://t.co/OaBTZVeSO5

3 0 0 0 OA 官職秘抄

→旧例では定員四人だが、近年は凡卑の輩が成功(売官)によって任官し十数人にも及んでいるとの事。 『官職秘抄』は鎌倉初期に従三位兵部卿平基親によって書かれた官職の解説書です。 https://t.co/w5LYKlh82x https://t.co/0iZltmNJHK
『源平盛衰記』には「武蔵国豊島ノ上滝野河松橋」とあるんですよね。この松橋は板橋区にある板橋とは別物と考えられています。 まあ『源平盛衰記』は14世紀後半の成立とされますから、延慶本平家物語より新しいわけですが。 https://t.co/LAlfr2o0g0 https://t.co/DIBPE0pg9D https://t.co/fWR66DcOGu

28 0 0 0 OA 明月記

ふたたび藤原清房(上杉重房の父)について。 『明月記』建永元年(1206)7月3日条に「左近清房」が見えます。 『明月記』の記主藤原定家は主君の九条兼実の命を受け、後鳥羽院へ扇を献上する使者に(嫌々ながら)立っているのですが、 https://t.co/EjKfW2vj7i https://t.co/lto2zBmaHx https://t.co/LtnahWyLoM

7 0 0 0 OA 肖像集 9

「めでたき物かな、えもいはぬ物かな、おもしろいものかな」 何も喉に通らないほど弱っていたはずの俊成は美味しい美味しいと喜んで何度も雪をお代わりをしたそうです。やはり甘葛煎をかけた雪だったのかな。 https://t.co/FGLbghaHQ5 https://t.co/XNRn8WNShX

28 0 0 0 OA 明月記

『明月記』にも「雪食」ありました⛄️ 定家の父俊成が臨終の間際にどうしても雪が食べたいとねだったので、定家は家人に北山の雪を取りに行かせて父のもとに送り食べさせたのだそうです。 https://t.co/ulIBgo3Sa3 https://t.co/Cvi1ZLzTyw https://t.co/e1SJcyAEt9
たまたま気になって見つけた馬部先生の「名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実」 三好宗三→武田信虎→今川義元→三英傑に渡ったとされてきた名刀の系譜を大幅に見直した論文 これ動画化したいけど見る人いるかな? https://t.co/ZtI7zZjNY9

9 0 0 0 OA 多聞院日記

・毛利家文書 https://t.co/H3mhaPMid3 ・兼見卿記 https://t.co/OtWEaimAxG ・多聞院日記(右ページ下段から左ページ上段) https://t.co/6gydFmAz5B
家康が直接織田家に人質に送られたかどうか、というのが話題になっているので、とりあえず出典論文置いておくなどします ネットで読めるものなので、とりあえず読んだ方が早い 村岡幹生「織田信秀岡崎攻落考証」(『中京大学文学会論叢』1号 2015年) https://t.co/fGkkftd1vV
将軍の笙始に着座公卿もない尊氏さんTT 尊氏さんの師範として笙を教えていた豊原龍秋さんも、公宴では地下楽人として堂上楽人を支える立場だったとか 足利将軍家の繁栄と共に公家との関係も変わりますが、尊氏さんが雅楽を始めた頃は認められるまで大変だったと思います… https://t.co/TcphsbMYPA https://t.co/XqcNTjnuOE https://t.co/iynWZ0L5rr
この仏像については、山岸公基氏の「暦応三年銘の赤岩寺位牌堂阿弥陀如来坐像をめぐって」(愛知県史研究2巻)という論文があるので読んでみたいです。 https://t.co/HLbHktX8t1

フォロー(314ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

フォロワー(1242ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)