零れ落ちた砂粒⌛ (@sandglass2rosa)

投稿一覧(最新100件)

国会図書館デジタルコレクションより 『義士伝実記 』 https://t.co/82apWvUxUC

9 0 0 0 OA 守貞謾稿

『守貞謾稿』は、江戸時代後期の江戸や京坂の文化について細かく書かれているのでとても便利なのですが、作者の喜田川守貞(喜田川季荘)さんはなぜ長い年月をかけてまでこれを書こうと思ったんだろうか? 大坂から江戸に移った人みたいなので文化の違いが面白かったのかな? https://t.co/Ajo405kKFo
国会図書館デジタルコレクションより 『三国妖狐殺生石』 五柳亭徳升 作 文政13年 (1830年) 殺生石に纏わる伝説はこちらで

418 0 0 0 OA 百猫画譜

国会図書館デジタルコレクションのスポットライトのコーナーにあった『百猫画譜』 猫

4 0 0 0 OA 横浜文庫 6編

国会図書館デジタルコレクションから、江戸時代の横浜の絵図を探していた時に見つけた『横浜文庫』です。 文久二年([1862年)~慶応元年(1865年)に当時の横浜について記した本のようですが、これを読んでいると当時の横浜ってちょっとした異世界だったのかなって思います。 https://t.co/B7NE28k5M3

2 0 0 0 OA 嚴島圖會 10巻

@show_giku まだパラ見程度ですが、天保13年の『嚴島圖會』だと千畳敷になってますね。 木戸さんはわざとの場合も含めて、結構書き間違えしてますが、今回はそこまで間違いじゃないかも? お茶屋さんの場所気になりますね~
『諸向地面取調書』という、安政三年(1856年)の江戸幕府の屋敷改による、大名や幕臣の武家屋敷の一覧表があるのですが、その人名索引が国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能で、こちらを参考に数えたところ、 「松平」さんは約161名みたいですね。 https://t.co/OTGSEtwNCX
RT @kokeshinookimon: たとえば、岩倉は慶應3年(孝明天皇崩御の翌年)においても幕府否定を明言してはおらず、幕府の存続を前提とした意見書を書いている(155コマ目冒頭)。 https://t.co/1cFbvW5aCI

43 0 0 0 OA 猪飼勝三郎届書

RT @kokeshinookimon: 国会図書館憲政資料室所蔵「川村正平(恵十郎)関係文書」の「猪飼勝三郎届書」。 平岡円四郎が刺客に襲われたことを知らせる史料。 渡辺甲斐守の旅籠よりの帰路に襲われ、深手を負ったとある。 https://t.co/jPxUBSIutI #青…

10 0 0 0 OA 中外医事新報

RT @yaduki_bm: 私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P

16 0 0 0 OA 江戸城本丸絵図

RT @kokeshinookimon: 江戸城の図面もあるので、青天を見る楽しみとして参考にすると良いかも。 https://t.co/dNed5lwKB8

9 0 0 0 OA 伊京集

RT @kokeshinookimon: 「薩州」「対州」という呼び方は、江戸以前よりあります。 室町後期に編まれた「伊京集」という現代でいう所の辞典のようなものでも呼び名の確認が可能です。 https://t.co/uLKZIeAr59 https://t.co/8JMZ2W…

5 0 0 0 OA 英雄の片影

国会図書館デジタルコレクションより 『英雄の片影』 著者:大月ひさ https://t.co/qLqWwteNWy 明治35年に出版された、歴史上の人物の逸話集です。 有名な逸話からマニアックなものまで 今とはまた違った語り口で面白いです。
RT @tanakaru99: あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️
RT @tanakaru99: あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️

89 0 0 0 OA 豆腐百珍

『豆腐百珍』 署:醒狂道人何必醇 輯   出版年月日:天明2 年(1782) 江戸時代に出版された豆腐料理のレシピ本です。 当時大人気だったらしく、続編や余録がでています。 国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。 https://t.co/eHeErXiERm

8 0 0 0 OA 万買物調方記

RT @mosek90810599: 『万買物調方記』https://t.co/2IbrX1s7rW コマ番号 74 及び 75 / 168 「かざり細工師」 https://t.co/whCO6fPMsO https://t.co/wLhnw8o0zJ

8 0 0 0 OA 万買物調方記

RT @mosek90810599: 『江戸買物独案内』https://t.co/CUjf4kR8mh の菓子屋の項で、「元禄五年旧本ニアリ」というのを見つけたのだけれど、「旧本」とは『万買物調方記』https://t.co/2IbrX1s7rW のことらしい。(別項で既ツイー…

6 0 0 0 OA 官職要解

RT @kishimoto_yoshi: 幕府は武家の官位執奏権を手に入れ、大名や幕臣に官位を与えた。遠山左衛門尉、大岡越前守など。このような官位の歴史的変遷と職掌を知るには『官職要解』が役立つ。新訂版は講談社学術文庫に収められているが、明治43年の旧版は国会図書館デジタルコレ…

10 0 0 0 OA 維新回顧巨人伝

RT @wadakogorou: 伊藤痴遊「木戸孝允の任侠」(『維新回顧巨人伝』登美屋書店 大正15年) https://t.co/82ZVPQbzbw https://t.co/Rk9qUNULy6 https://t.co/TRgLuj9CeC
RT @medieval_oota: なんと、原田信男 先生の『中世村落の景観と生活』が、国立国会図書館デジタルコレクションで読めます! 書籍化前の”博士論文”が公開されているのです(筆者承諾済)。 ひとまず、ばーっと読んでみました。 高島緑雄先生の『関東中世水田の研究』と…

216 0 0 0 OA 守貞謾稿

RT @katukawa: 江戸時代の鰻飯 当時の価格が200文だから、現在の価値にして6400円ぐらいか。 https://t.co/klvTZ1Iqwc https://t.co/emH4ZNy23o

お気に入り一覧(最新100件)

明治40年、「人頭の黒焼きは梅毒に効く」という迷信から墓暴きをして人頭を刈取り、黒焼きを売ってかなり儲けていた老婆(54)が福島県で逮捕されるというリアル羅生門みたいな話 https://t.co/D9rCi2jobd

8 0 0 0 OA 紅毛雑話 5巻

(1787年『紅毛雑話』では、Montgolfier(モンゴルフィエ)は「モントゴルヒイル」https://t.co/XmsH2KnZ9l 、Filippijnse Eilanden(フィリピン諸島)は「ヒリヘインセエイランド」と表記されており、「フィ」では表されていない。画像は国立国会図書館デジタルコレクションより。) https://t.co/JEbRdo3foN

1 0 0 0 OA 表控

#松浦検校 の謎 1 国立国会図書館デジタルコレクション 表控 https://t.co/ApNjnV0Y5u コマ番号 84/90 #松浦久保一 は、寛政10年(1798)正月元日の権成(検校任官)。坊主(ぼうしゅ=師匠)は三宅検校、祖父坊主(師匠の師匠)は井上検校。 https://t.co/vBQK0XBdgF
「金烏玉兎集」は 「簠簋(ほき)」とも略される。 簠簋とは中国の祭祀用器。 竹製で神前に供える黍や米などを盛るのに用いる。四角のものを簠、丸いものを簋という 「月」「兎」「三本足」「天文」 晴明は 本当に仲麻呂の子孫かもしれませんね https://t.co/3NMn4z0KLP
『新語園』を読みたいとは思ったのは、先日、ある事を調べている中で、花田富二夫『『新語園』と類書ー了意読了漢籍への示唆ー」という論文を知り、それを読んで、興味を持ったため。この論文では、『新語園』収録の説話ごとに、精密な出典調査が行われている。 https://t.co/ic0s7ItmRp
"院殿上人にまでなった忠綱は、蔵人時代には「頗被召仕之者」であったといい、その父資綱が高倉天皇の蔵人にすぎなかったことを考えれば、父祖の地位はそれほど重要ではなく、累代の蔵人の家系の出であったという点に上北面選抜の契機があったといえよう" https://t.co/Kdew5klnlb https://t.co/XPtiWXI5PP

2 0 0 0 OA 職原抄

北畠親房『職原抄』によると、近衛将監は諸大夫層から六位の者が任官し、五位に昇っても叙留(位階が上がって官位不相当になっても辞任せずにもとの官に留任)するのが通例か。左近大夫とか右近大夫というのがそれですよね。 https://t.co/4LZRHnvtdt https://t.co/AahTZEileG https://t.co/OaBTZVeSO5

13 0 0 0 OA 新撰組十勇士伝

続いて明治31年【新撰組十勇士】タイトルからお分かりの通り、完全な講談。人気。 https://t.co/wIDZEzRFXt この辺で完全に【物語】として定着しています。はやいですね。幕末当時から評判の団体で人気だったので、それが壊滅となれば題材にはとられますよ。

17 0 0 0 OA 活文字

まず戊辰当時から全国ニュースというものが存在していて、庶民でも情報は掴める。 明治16年の、徳川軍全体の小話講談をまとめた【徳川義臣伝】がたぶん走り https://t.co/FWHy9fYBmS 続いて明治26年【活文字】この中で既に新選組というか近藤土方単体で物語化されてる https://t.co/26lczqUVzL https://t.co/anrfD8u1xU
まず戊辰当時から全国ニュースというものが存在していて、庶民でも情報は掴める。 明治16年の、徳川軍全体の小話講談をまとめた【徳川義臣伝】がたぶん走り https://t.co/FWHy9fYBmS 続いて明治26年【活文字】この中で既に新選組というか近藤土方単体で物語化されてる https://t.co/26lczqUVzL https://t.co/anrfD8u1xU

3 0 0 0 OA 官職秘抄

→旧例では定員四人だが、近年は凡卑の輩が成功(売官)によって任官し十数人にも及んでいるとの事。 『官職秘抄』は鎌倉初期に従三位兵部卿平基親によって書かれた官職の解説書です。 https://t.co/w5LYKlh82x https://t.co/0iZltmNJHK
小口にカバーのついたイスラーム圏特有の装丁。画像は1859年にカイロで出版されたシャアラーニーのكتاب الميزان(天秤)です。 #アジア情報室 が所蔵する #アラビア語 資料を、横内吾郎先生に分析、評価していただきました。アジア情報室通報でご覧ください。 https://t.co/BHRnw9HzG8 https://t.co/l0OLlNjwQK

2 0 0 0 OA 年録

@sandglass2rosa ただ、その際に問題が1点 年録で確認すると名前が長谷川祐之助となっています まあ、この時代なので名前が変わることはあると思うのでそこまで問題ではないかもしれませんが確認できる別史料があるといいのですけど・・・ 国会図書館DCより https://t.co/qfk8zbTymT

33 0 0 0 OA 翻車考

Ocean #sunfish attracted a lot of interest because of their unique looks. This book was created by KURIMOTO Tanshu, a Shogunate doctor and naturalist in the Edo period. https://t.co/5HgHPuz35v https://t.co/MuBECNGyeg

20 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

「静岡猫ハン」の写真、茨城県立歴史館蔵になる前は、新村出の所蔵だったのかー。 #青天を衝け ―『徳川慶喜公伝 四』渋沢栄一 著・竜門社・1918年(国立国会図書館デジタルコレクション) https://t.co/lCXtV3jlik
ガタの唱えた地方自治制度って木戸さんに源流があったんじゃないの論。とても面白く読んだのだけど、注釈の「同日木戸は大久保を訪ね会談したが、その内容は不明である。しかし、少なくとも大久保と和解した様子は窺えない。」でどうしても笑いをこらえきれない…  https://t.co/ILnr6UJ296

9 0 0 0 OA 満蒙風物即興

版画家、前川千帆による旅行記。満州の産業、農村部、風俗、原住民、開拓民の暮らしが味のある絵で活写されている。 (まあどれも時代が時代なだけに結構差別的な表現も出てきてそれはいただけませんが、記録に残してくれたことに感謝です). https://t.co/kVivsXhI7C

1 0 0 0 OA 欧米旅日記

南満洲鉄道株式会社総裁を務めた林博太郎の妻の手による旅行日記。これも入り口だけ。日記帳のキビキビした文体。 https://t.co/u27OfxxUi4

2 0 0 0 OA 欧洲快遊記

満鉄関係者?の欧州外遊記。最初の方に出てくるだけですが、砕けた親しみやすい文体。面白いかどうか微妙だけどやたら上機嫌な内輪ネタ、そしてフランスとフランスの女性に対するボヘミアン的な憧れが感じられる。 https://t.co/11CclJzPIZ

2 0 0 0 OA 観て来た満鮮

どこかの学校の先生が書いた本。非売品。朝鮮/満州の風光・文化・産業を割と詳細に描いた旅行記。 https://t.co/TSDKiR0nuo
渡辺和子訳『ギルガメシュ叙事詩』の新文書【フンババの森と人間】『死生学年報2016 生と死に寄り添う』リトン、東洋英和女学院大学リポジトリより https://t.co/UNzqBPdnwm
『大日本帝国優良青年男女銘鑑』という文献がある。皇訓協会という団体が全国の市町村長に依頼して優良な青年(女性を含む)約10万人を推薦してもらい編集したものだが、要は全国の青年団や女子青年会で活動していた人々の名簿である。一道三府四十三県、朝鮮、台湾に及ぶ。 https://t.co/s6c2Ha0yl9
伊故海貴則「明治維新期地域社会における「多数決」導入」(『立命館大学人文科学研究所紀要』124、2020年)は、静岡県駿河国地域では、地租改正によって「総員の納得できる合意は事実上、不可能」と認識され、「合意形成の一手段として「多数決」が選択された」と言う。 https://t.co/rI0Xr5OiJE
→『明月記』での登場回数も非常に多い人です。そして清房と同様に後鳥羽院の隠岐配流にお供をした数少ない近臣のひとりでもあり、隠岐と京を往復し後鳥羽院の赦免の噂を探ったりもしていました。 https://t.co/QXTqCgPsMA https://t.co/8eHyu1SzrO
福沢諭吉が天然痘接種後、時間の経過と共に効力が無くなる事について明治初年に書いている。重症化はかなりの確率で防げるが死亡例もあり、再接種が必要であろう、とも。政府は不良品の種痘、当人の不感性の場合がありそのような場合再接種するように注意を喚起している。 https://t.co/8FcwIAohjM https://t.co/IxItxCS9tj
明治17年9月15日、安達清風が死去。幕末の鳥取藩出身で、磯田道史「幕末維新期の藩校教育と人材登用」(『史学』71-2・3)によれば、「藩内きっての俊英」であり、藤田東湖の影響を受けて能力主義による人材登用の必要性を主張した。徳川慶喜の側近・原市之進とも交流。 https://t.co/peOSHPCOtg
後年編集のもののようですが、大沼枕山の門人帳がネットで見れまして、小島守政はあるものの、近藤の名前は見えない。 https://t.co/KJDeVs38dz
シュメルの楯はかなり大型で、左手で軽々扱えるようなものではなく両手で扱っていたと思われる 楯の形容に「大地に(しっかりと)据える」という表現もあり、王や指揮官を守る守備専門の楯兵もいたとされるhttps://t.co/LzOrDu3t5h

22 0 0 0 OA 斃休録

彰義隊は成一郎と天野八郎のあいだで内部対立があって、成一郎たちは彰義隊と袂を分かつ。天野の史料については以下のものがある。 https://t.co/fhAd4Sc4RQ
985年成立の「往生要集(おうじょうようしゅう)」に強姦・姦通・男色を行うことによる地獄が描かれていると知って、見たい!みたい!と、ふがふがしてたらこんな論文見つけました。気になる方はぜひ続き読んでみてください。 https://t.co/29QcZWy2F3 https://t.co/NjxrkigRCD

2 0 0 0 OA 御赦例書

#路女 の母方の祖父は、土岐村梅一 という #検校 であった。 土岐村検校は、師匠の三沢検校の遺言の偽造に関与したとして、寛政4年(1792)に座を追放されている。 https://t.co/nj8fG4xUsR 国立国会図書館デジタルコレクション 向方御赦例書 盲人非人之部 コマ番号 8~11/60
瀧澤七郎(衆院議員) 著 皇軍を慰問して 1942 検閲図書、確信犯的なものより「うっかり軍機やタブーに触れちゃった」的な方が好きなのだが、これは悪気なく朝鮮で建設予定の発電所の情報を載せてしまい、軍機に触れてしまったので発禁になってしまった可哀想な書 https://t.co/ZttOXdOKoM https://t.co/xXNBp6RT5C
かなり胸糞が悪い話なので、猫好きの方は見ないことをおすすめします。が、こういうものが堂々と幼年雑誌に投稿されて掲載されていた時代ではあった(1927,大正2年)。露悪的な人が露悪的な投稿をするのとは全く次元が違う、生命感が違うのだろうなとしか思えない https://t.co/2CpvxhhrFu
「佐佐木信綱 女子消息文のしをり」で一番好きなのはこの大学生の兄が出場するボートレースに誘う例文です。例題の選び方のニッチさもさることながら、照れ屋の兄が妹の友達に気があって、皆を誘っているという体で手紙出してもらったのでは・・・と邪推してしまう https://t.co/208bmN87hA https://t.co/6iUvRR7UJ4
例文集だけど例として掲げられている用件や双方のシュチュエーションが割と凝っていて、実用を離れて本としても面白い。 https://t.co/OMNehVbrWR
市中の人がいわゆる「明治維新」をどのような目で眺めていたか。梅原北明著「近世社会大驚異全史」が非常に面白い。稀代の奇人たる編者が官製史観に嫌気が差し大枚をはたいてかわら版やら新聞を買い込んで資料を蒐集。 https://t.co/WJHxfxGzYY
『江戸時代の料理名にみる“なんばん”,“おらんだ”について』(橋爪伸子 江後迪子)を読んでいただくと、 https://t.co/pt8HckeSTO 南蛮、オランダといった明確に西洋を指し示す名をもつ料理ですら、その中身はでたらめでいい加減なことがわかります。
https://t.co/yq1rm3qetg 今日ずっと食べ物の論文を読んでまして、そのなかでも一番食欲をそそった論文。

4 0 0 0 OA 座下控

文政4年(1821)にも藤植植一という名が見られる。 寛政12年の藤植植一とは別人と思われる。どちらも藤植親矇一の弟子なので、文政4年の藤植植一は寛政12年の同名の検校のオトウト弟子か。 国立国会図書館デジタルコレクション 座下控 https://t.co/8SiExscxsG https://t.co/ebahPwtA9T

1 0 0 0 OA 表控

藤植親矇一の弟子に藤植植一という人物がいる。 寛政12年(1800)4月17日の権成で、文政4年(1821)に江戸惣録を務めている。 国立国会図書館デジタルコレクション 表控 https://t.co/dGiHmwozPg https://t.co/raTGS1Snih
文久期に横浜鎖港交渉のため渡仏した使節団とパリ万博視察の使節団の随員写真。なかには羽織にワイシャツを合わせるような格好の者もいる。 https://t.co/2zCfd1HKSm
今から800年前の承久3年(1221)7月13日(旧暦)、後鳥羽院が配流地の隠岐へ向けて鳥羽殿を立ちました。 院に供奉したわずかな人数の内に、出羽前司藤原清房(清寂入道)の名が見えます。清房は上杉家の祖重房の父です。 https://t.co/SYtJvCdONg https://t.co/6N0fc9finn https://t.co/IYsVS678z2

6 0 0 0 OA 三代関 2巻

植崎検校の任官記録。 宝暦4年(1754)正月元日権成。 国立国会図書館デジタルコレクション 『三代関』2巻 https://t.co/cya8ITH1qC https://t.co/2JBMhyezMz
https://t.co/C5FyTCtFWx 明治15年滋賀県神崎郡伊庭村誌。 伊庭が安土山の北の琵琶湖に突き出た半島だったことが分かります。要地です☺️ https://t.co/tAIV8t6Q3N

3 0 0 0 OA 諸系譜

@uesugi_dewa 「守部」+「藤原」で「守藤(→首藤)」になったという説もありますね。なお、信憑性は不明ですが、守部助清の出自については、奈良時代の守部大隅(もと鍛冶氏)に始まる次のような系譜が残されており、熱田社社家大喜氏もこの一族から分岐したことが見えています。ご参考までに https://t.co/rZTrBCtZKv

4 0 0 0 OA 座下控

江戸時代の検校の名前には変なのが多いです。 いちばん変だと思うのは、保原喜恵有之一という人。 「きえうのいち」と読むのか? 国立国会図書館デジタルコレクション 『座下控』 https://t.co/LcNLhuTP9a https://t.co/qWuXM7wMgv

6 0 0 0 OA 三代関 2巻

初代フジウエ検校の任官記録。 1 元文元年(1736) 2 宝暦2年(1752) 国立国会図書館デジタルコレクション 『三代関』2巻 https://t.co/ajPZ6GQ4cK コマ番号は 15 と 27 元文元年のほうは「さこ一」と読めるが、「きこ一」が正しいようだ。 https://t.co/RCaECqX9sE

24 0 0 0 OA 日本系譜綜覧

『日本系譜総覧』は独学で歴史の勉強をした日置昌一氏(1904‐60)の労作。皇室、諸家系図だけではなく芸道などの系統系図を豊富に収録しているのが特徴。ほかに国史重要事項一覧、公家官制一覧、武家職制一覧、公家一覧、大名一覧、政党一覧なども収められている。 https://t.co/k75AIvn8Gg
たとえば、岩倉は慶應3年(孝明天皇崩御の翌年)においても幕府否定を明言してはおらず、幕府の存続を前提とした意見書を書いている(155コマ目冒頭)。 https://t.co/1cFbvW5aCI

43 0 0 0 OA 猪飼勝三郎届書

国会図書館憲政資料室所蔵「川村正平(恵十郎)関係文書」の「猪飼勝三郎届書」。 平岡円四郎が刺客に襲われたことを知らせる史料。 渡辺甲斐守の旅籠よりの帰路に襲われ、深手を負ったとある。 https://t.co/jPxUBSIutI #青天を衝け
シュメルの楯はかなり大型で、左手で軽々扱えるようなものではなく両手で扱っていたと思われる 楯の形容に「大地に(しっかりと)据える」という表現もあり、王や指揮官を守る守備専門の楯兵もいたとされるhttps://t.co/LzOrDu3t5h

2 0 0 0 OA 落葉集

「落葉集」 明治31.10 佐佐木信綱主催心の花同人、関井林子の唯一の歌集。旧派の伝統を踏まえた、かそけき歌を歌った。28歳にて悲劇的な生涯を閉じる。 ・ふみわけて我かくれがをとふ人の跡だに見えず積もる雪かな ・ゆめさむる夜半の枕にきけば猶さびしさまさる軒のはる雨 https://t.co/8yPYPjq5mh
みなせさんと千代田城の厠を探しまくって、一応それらしきものは見つけたのですが、どうも確信が持てないので、まだネットの海をウロウロしてる。これは大奥の御用場についての論文。 https://t.co/M2FpkdCtR1
メモ。ndlで聞ける戦前の有名歌人の自作朗読をツリーにして貼っていく。与謝野晶子と折口信夫の朗読があったとは。 窪田空穂 https://t.co/PGImH5Erra

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

容堂公が老中部屋に出入りしていたならそこで会うことはありそう。春嶽公は政事総裁職のとき別に控え室貰ってたみたいなので、そこで面会していたのか、又は城内に大名同士向けの面会スペースがあった?例えば梅屋敷事件の後周布さんの赦免を説得した場所はどこだったのかな。 https://t.co/jBt1lTBhUz https://t.co/Z6gBT8t93d https://t.co/vAgBuctbdQ
最近の趣味は戦前の童話雑誌「金の星」の投稿欄を眺めることだが、これが一番好き。1923年7月、父の後をついで小卒後百姓になる少年が、中学に進学した親友を羨み、寂しがる内容。最後父親に言われて山に登るときの情景描写、山頂についた時に心が開放される描写が最高 https://t.co/9zUnhilOWk https://t.co/olr1VKwV8B
慶応3年5月24日(1867年6月26日)、兵庫開港が勅許。青山忠正「通商条約の勅許と天皇」(『佛教大学歴史学部論集』5)曰く、2年前の条約勅許で「現実に行われている外交・貿易と、その事実を国家のトップが認めていないというねじれ構造は解消」したが、兵庫のみ例外だった。 https://t.co/lV0aK3S2pd

10 0 0 0 OA 中外医事新報

私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P
かわいい https://t.co/C3kulpiKFx https://t.co/Y3JANfDVbN

1 0 0 0 OA 歌学論叢

佐佐木信綱 歌学論叢(1908)。 萬葉集の研究史を概観し、江戸時代初期まで訓みや注釈が主で、内容に触れる研究が皆無であったこと、賀茂真淵ら国学の一環としての研究、長歌の歌格の研究など部分的にはあったがまだ不十分であることを指摘している。 https://t.co/0RI3XIvHva
↓の話が収録された金の船・金の星という童話雑誌。執筆陣が豪華で、島崎藤村、志賀直哉、若山牧水、野口雨情、窪田軽穂、西條八十などが筆をふるっている。内容も童謡、外国童話、日本の歴史、詩など様々。また挿絵がため息が出るくらい超美麗。 https://t.co/QyUmj2g4Dr https://t.co/A4slyfPcuO
川村正平関係文書の中に半井澄の名前を発見。明治8年だと澄さんは療病院にいる頃だと思うけど、二條斎敬を診たのは高階経支の関係かな。高階経支はおそらく典医高階経徳の父、経由の兄弟。 二條斎敬殿容體書 https://t.co/I5R0wvpPeh
天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
江戸市中の盲人が当道に加入せず武家に奉公して、非公式に帯刀する例もあったようだ。 国立国会図書館デジタルコレクション「藤植塙両検校一件 天」 https://t.co/6YoSY9ujbI 「盲人の身分にて刃物を帯び候儀第一にあぶなき事と存じ奉り候」

4 0 0 0 OA 座下控

芦原検校英俊一 文政4年9月23日 権 天保3年 奥医師並 同8年 奥医師 同11年 200俵高 同12年 座中を離脱 国立国会図書館デジタルコレクション「座下控」 https://t.co/oHtz5reNmC 「座下控」中、これほど朱字の書き込みの多い人はない。 https://t.co/XfAEEr00h1

38 0 0 0 OA 西洋時計便覧

This manual was published in the late 19th century, explaining to Japanese people how to read a Western clock. #ndldigital https://t.co/IOiWALH2kP https://t.co/VwscXKLzUy

8 0 0 0 OA 百竜図式

「百龍圖式」(嘉永三年/1850) https://t.co/bQqc22gW4o 建物のいろんな場所に絡む色んな龍が見れておすすめ https://t.co/Njcsnltz6f
このあたりに住んでいた関川検校。 国立国会図書館デジタルコレクション『江戸鹿子』 https://t.co/uzqmG8kpQ8 https://t.co/xjrsaEfbNP

8 0 0 0 OA 東湖全集

平岡円四郎のことを調べるのであれば、実父岡本忠次郎(豊洲)のことから調べなければならない。藤田東湖の『見聞偶筆』に忠次郎のことが書いてある。 https://t.co/U0mQOxfuSf
今日は来島又兵衛も登場。来島を狙撃したのは川路利良と聞いたことがあります。個人的な話ながら私は来島の生誕地近くで育ちまして、現在生誕地には石碑があります。長州の馬屋原二郎が大正になり語った『元治甲子禁門事変実歴談』 はなかなか面白いです。 #青天を衝け https://t.co/lQdVowdduY
週明けの図書館で複写する文献(メモ) https://t.co/fOp1nn0cLM

5 0 0 0 OA 駿国雑志

国立国会図書館デジタルコレクション 駿国雑志 https://t.co/ZderXVKB7Y 当道六派の説明のあと、「此外関、佐倉〔時代実名官途知れず。〕の二派有り、今は絶たり」とある。 「関派」は、「当道」とは一線を画していた蝉丸系の集団であったかもしれない。 https://t.co/2PjwnPztdn

2 0 0 0 OA 柏原学介届書

先程リツイートした、鳴海さんが仰っていた、柏原学而が見立てをした川村さんの傷についての報告書。 柏原学介届書 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/uljbPme6QH

11 0 0 0 OA 御届

平岡さん暗殺の件を記した川村さんの報告書。ここにも柏原学而の名前が出てくる。川村さんの字はあまり崩れてなくて私でもそこそこ読めるので、書かれている内容が分かってしまって尚更ツラい…
イギリスの表記の多さ(エグさ加減)については下記の論文で確認できる。 https://t.co/LZz7X4Bceg

2 0 0 0 OA 何鹿郡誌

そもそも丹波国何鹿(いかるが)郡八田(やた)郷とは「倭名抄」に見える古い郷。 中世の八田郷の郷域は旧東八田村・西八田村に相当し、現在の綾部市の中北部を占める。 山内上杉氏に宛行われた八田郷の「本郷」がどのあたりなのか、今ひとつ判然としないのが問題なのね
@draco_equus33 5月18日、新田義貞軍、鎌倉稲村ヶ崎に至る
昭和54年(1979年)5月17日、平尾道雄が死去。幕末維新の土佐藩や坂本龍馬などの研究で知られ、その一連の研究は良くも悪くも、「今日まで土佐藩研究の礎と評される」(笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)。 https://t.co/WvTSa3GYHr
明治44年5月13日、谷干城が死去。幕末の土佐藩出身で、坂本龍馬とも交流があった。中野目徹氏は、小林和幸『谷干城』(中公新書、2011年)の書評(『史学雑誌』122-8に掲載)で、西南戦争での活躍や貴族院の重鎮としての立場など重要人物でありながら、研究が少ないと指摘。 https://t.co/VRwmDsOHrf
安政6年4月10日(1859年5月12日)、新発田収蔵(柴田収蔵)が死去。佐渡出身の地理学者で、幕末の蕃書調所に出仕。世界地図『新訂坤輿略全図』などを作成。森山武「島から世界へ」(『南太平洋から見る日本研究』国際日本文化研究センター)が古賀謹一郎との接触などを紹介。 https://t.co/N9QZ2OblXf
アメリカの捕鯨船と遭遇する絵、カヌーとカヌーに乗っているものが付けている?お面が描かれているが、南方系の先住民がいたのだろうか?そして魚など。とても良いので全部見てみてください https://t.co/HJkJztiBs9 https://t.co/qPoDCiE5wv
『続日本紀』の倭建命墓 - 稲生 知子 によると、地震ではなく落雷の可能性があるということ https://t.co/umRgCkvA5O

4 0 0 0 OA 扶桑國之圖

全図 https://t.co/hs5rqRFUb1 https://t.co/MNToC5rARp

2 0 0 0 OA 大坂五戦之圖

大坂五戦之圖。大坂の陣の布陣図。 正直この時代はさっぱりだが、藤堂高虎とか伊達政宗とか真田丸とか書いてあるのはちょっとテンション上がる。知識があれば見ながらニヤニヤ出来るんだろうな https://t.co/AKqNfyKeZG https://t.co/3DBWJp8Uoc

14 0 0 0 OA 尼崎圖上

徳川吉宗の命で全国から提出させた産物絵図帳の中の一つ、尼崎産魚。画風がほのぼのしていて良い。恥ずかしながら瀬戸内の尼崎でシマアジが上がるとは知らなかった・・・ https://t.co/CIfVrmuya5 https://t.co/b8Uv76atw3

22 0 0 0 OA 東錦絵

見開きの言葉に吉原、とあるので、人気の花魁でしょうね。この本、どれもびっくりするくらい発色が良い状態で保存されている… ソース:https://t.co/ZvzbieOdiq https://t.co/KMQkYxXHjS https://t.co/1iVtwk6rcM
『腹内養生主論』 十返舎 一九 #翻刻資料紹介 #みんなで翻刻 出典:国会図書館デジタルコレクション https://t.co/JkrBklR5X1 ▼翻刻をみる https://t.co/4CmVR6dbxo https://t.co/cYgfv7LXqy

2 0 0 0 OA 相撲起顕

文久元年10月場所の番付。西前頭8枚目に待乳山楯之丞。力士としては3代目のようだ。 画像は 国立国会図書館デジタルコレクション「相撲起顯」より。 https://t.co/1hQnZNAeBG https://t.co/32ZNlWExne
安政5年3月24日(1858年5月7日)、幕臣の岩瀬忠震と福井藩の橋本左内が、初めて会った。その後、交流は活発になり、「外交問題や一橋派の運動を通じて、両者は信頼できる同志」になった(別所興一「幕末・維新期の対外観の転回」『愛知大学綜合郷土研究所紀要』62、2017年)。 https://t.co/4Oi2rr1nFQ
平川新さんは出羽国(現・山形県高畠町)の道場主、武田軍太の自伝をもとに「出羽国の庶民剣士―武田軍太「武元流剣術実録」の世界―」を発表した。まさに出羽の近藤勇という感じです。PDFで読めます。 https://t.co/fWOIK9lXqn
「泣不動説話の研究動向を捉えつつ三井寺〈内〉〈外〉 のテキストに目を向けるとともに、三井寺周辺における在地信仰の発 展の可能性を指摘した」 CiNii 論文 -  三井寺周辺における在地信仰と霊験譚の伝播 https://t.co/5rtk5q4mTy #CiNii
国立国会図書館月報. 2020年 (1月)   万葉集の本いろいろ https://t.co/hn7oMU7elG https://t.co/kj9sFpSHTC

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