浦 隆美 (@uratakami1)

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ヘーゲル『差異』第1章第3節の冒頭を引く論文が二つありました。 「前期オイゲン・フィンクにおける超越論的現象学の構想の体系的再構築」(池田裕輔、2014) https://t.co/WkLeSETwSm 「フィヒテのへーゲル批判」(山内廣隆、2003) https://t.co/FV4tbSREwv ↓
@blochbenjamin 東京市の初代社会教育課長だった大迫元繁の生涯等については下記の「大迫元繁の社会教育論の研究」にありました。朝鮮人研究者 琴秉洞は「朝鮮人問題については、実に出色の見である。東京 市の幹部職員がこれ程までのことを書いたということに深い感銘を覚える。」と評価。 https://t.co/e2y61HtkFy
鷲見洋一「ディドロとドイツ――ゲーテのディドロ読解を中心に」(2003)を閲覧。 面白かった。 https://t.co/vuANAl0Svz 『ラモーの甥』について ①シラーの強い勧めでゲーテが写原を口述で独訳。1804年11月上旬から1805年1月下旬の3か月弱(ソレの日記によれば4週間)の短期間で仕上げられた。↓
牧野広義「ヘーゲルにおける意志の自由と社会的自由」 一方で、「王政復古への反動」に対する「政治的配慮」 他方で、「近代という時代が成熟しつつあると考え」る。 この二つは矛盾しないのかな。 矛盾するからこそ両義にも見える「序言」となったということなのかな。 https://t.co/WAOfD3ec2t https://t.co/7lgBvn5o60
円周率の日を記念して、「円周率3.14の動揺と3.16の復活の謎」(中村 邦光, 板倉 聖宣)を読んだ。 生の「理」と死の「形」の対立。あるべきものを生、あるものを死とする。 ヘーゲルの「哲学がその理論の灰色に灰色をかさねてえがく」と対照的に見える。 面白かった。 https://t.co/qL4bVY7h25 https://t.co/JPDGNZpXCA
@MNeeton @tagamimp ネットで読めるものに下記がありました。 柴田隆行「哲学史区分再考」 https://t.co/5k7em4a7KD
加藤氏の文章は下記リンクを参照しました。 https://t.co/DNpouiJgax
(長島隆「環境との媒介における生命 -ヘーゲル自然哲学に即して」) https://t.co/BMf28Kr9Q6
@blochbenjamin 下記、山本務「ドイツ語における「テーマ・レーマ関係」の析出」にこの引用がありました。 曰く、「認容文先行の場合は、力強い先置の言葉がふさわしい」 https://t.co/2fR4hbvSUk
佐山圭司「イェーナ期ヘーゲルのスミス受容」を見る。 https://t.co/EUyDWletg3 『一八〇三/〇四年の精神哲学草稿』に『精神現象学』の「単純なエーテル的実体」と似た記述があることを知った。 (以下、やや長文引用) https://t.co/TwD761iflp
大正13年頃のプラトーン全集の『テアイテートス』の目次。 プロータゴラス全敗 吾等只トロヤの木馬ならず 困惑生ず 等々、講談調だかユーチューバー調だかみたいで、面白いですね。 一文字目は、けっこう凝った飾り文字の「テ」になっていて、楽しそう。 https://t.co/X6VMip4ndm https://t.co/MXeV3t3ETw
⑤逆に言えば、階級闘争を「悲劇」として捉えることができるのではないか。山口祐弘は英雄が没落することによって理性が貫徹されるヘーゲルの歴史哲学に悲劇の論理を見出していた(「ヘーゲルにおける哲学的歴史の誕生―歴史の理性的認識について―」)。 https://t.co/aIIyeOZesx
山口祐弘「ヘーゲルにおける哲学的歴史の誕生―歴史の理性的認識について―」 抜書き 「闘争の挙句、世界史的個人=英雄は没落する…それは、ギリシア悲劇の登場者たちが、抗争の末に没落することによって自らの定め、「運命」(Schicksal)を知るという道行きに似ている。… https://t.co/aIIyeOZesx
@hegelschen すでにご覧になっているかもしれませんが、概要はこちらにありました。 https://t.co/2UjSnR9Gm9
岡崎 佑香「ヘーゲルの自立性再考―ケア論の新展開に向けて」 >ヘーゲルの功績は、主人が奴隷に依存していることを示しながら、「自立性を基礎づけているのが「非自立性」であることを論じた点にあるのではなく、[…]「非自立性」こそが「自立性」であると立証した点… https://t.co/pXJjFQ5QQL
竹内真澄「ヘーゲルにおける<私人>論の転換 : 『精神現象学』における個体Individuumと個別者Einzelne」が最近、アップされていました。 参考になりました。感想を書く時間がなかなか取れないので、備忘のため、リンク先を投稿しておきます。 https://t.co/Kk8gaimXFs
この引用元は『永田広志選集』となっているが、その元は、『唯物論研究』第六号(1933)の君島慎一「模寫論の論理學としての唯物辯證法」のようだ。 https://t.co/F3ClsFLE83 https://t.co/ApYzr1EtiY
(メモ)『精神現象学』のGehalt und Gediegenheit。 「いずれも鉱物用語であって、ヘーゲルが鉱物学会員であることに留意する必要がある。」 Gehaltは「純度」、Gediegenheitは純度の高い「至純なもの」。 神山伸弘「学問的認識論としての『精神の現象学』「序文」」 https://t.co/6Ehdyl5Sib
「〔紀平正美は〕1905–1906(明治 38–39)年には『哲学雑誌』で同期の小田切良太郎とともに、ヘーゲル『小論理学』の一部(第 1節~第 126 節の途中)をドイツ語原文から訳している。」 笠松和也「中島力造と読書会 明治後期の西洋哲学受容の一断面」より https://t.co/7o31G1b2E2
「彼〔ヘーゲル〕のファウスト的なる欲望、百科全書的なる知識は、世界の全体に於て絶対的なるものは自己を顕現してゐるといふ汎神論的経験のうちにおのづから意味付けられてゐたのである。」(三木清「ヘーゲルとマルクス」1928) https://t.co/QlBc21CZ1M https://t.co/ElZxfPoEgY

5 0 0 0 OA スピノザ研究

「わが幼稚なる学会にはこの幼稚なる研究も幾分の貢献をなし得むとのかすかなる望みに励まされて、余は本書の出版を決意せり。」 (波多野精一『スピノザ研究』の「序」より) https://t.co/ddhnkjKtwy https://t.co/W0XjLrCDgt
嶺岸佑亮「自我と認識 イエーナ期ヘーゲルにおける哲学的思索の原理の問題」がJ-STAGEにアップされていました。 「『大論理学』でも、認識のはたらきの担い手としての自我に対して、きわめて重要な位置付け」 「自我が概念の現実存在であるとされ、自我に対して積極…」 https://t.co/cI3MUvZQWN
(メモ)村松晋「波多野精一と敗戦」 https://t.co/bvSLUbnKxP
「第三萬國動物學會概况」で「実存」を使用している箇所の原文。 国立国会図書館デジタルコレクションより。 https://t.co/SU6gqDRpwS https://t.co/deOerBQqwx
ヘーゲル『歴史哲学』の「情熱」(Leidenschaft)の検討のため、池松辰男「市民社会における欲求と世界史における情熱 ―ヘーゲル「客観的精神の哲学」の動態をめぐって―」を読みました。 https://t.co/5SYM40bsH8 以下、メモと感想です。
@unam__sanctam 詳しくはありませんが、内田義彦は今でも古典だと思います。 『資本論の世界』(1966)の約20年後には、椎名重明『マルクスの自然と宗教』(1984)や、いいだもも『エコロジーとマルクス主義』(1985)がありました。 参考↓ https://t.co/AuMNhNii2o
@ox11_m この独訳を評価した論文。 >オットー・プッツによる独訳本だけが辛うじて題名でIch der Kater(イッヒ・デァカーテァ。我こそ件〔くだん〕の雄猫)と、定冠詞を用いることで原文のも つ独特の自意識を幾分かは再現している。(原田俊明「翻訳つれづれ考」) https://t.co/095JWYvMAE
キーツは結核が悪化し、イギリスからイタリアに向かうこととなった。1820年9月17日、キーツは「友人セバンに伴われ、ロンドンからマライア・クロウザー号に乗船した。」(岡田章子『医師としてのキーツ』) https://t.co/vXjpS9s0Fm
1820年8月15日、50歳目前のヘーゲルはドレスデンなどへの旅行に旅立ち、ラファエロ「システィーナの聖母」などを初めて見た。9月2日、妻あて書簡「もちろん美術館にも行きました。―以前から知っている愛すべき人たちをじっくりと眺めています。」 https://t.co/smbedtktMR
「哀悼の誠」という言葉が気になり、使用例を調べていたら、鈴木三郎「故金子武蔵顧問(前理事長)追悼」という文章にぶつかりました。当初の目的から外れますが、金子武蔵のことはwikiにも詳しい記述がないので、メモとして抜粋します。 https://t.co/X9fKn5kdPz >先生は昭和四年東大哲学科卒業後、
1820年6月25日、ヘーゲルが『法の哲学』の「序文」を完成させたとされる。200周年。ヘーゲルは、プロイセンの反動に対応するため、すでに完成していた『法の哲学』の原稿を前年10月からこの6月までの間に改作したのではないかとも言われる。 https://t.co/7xhH5lv0bu
1820年5月30日。 >「租税制度の整備に関する法律」が認証され、税制改革が実施された。これに関連して、同日付で認証された「階級税の導入のための法律」および「穀粉・屠獣税の整備のための法律」が施行された。 (中田清『1891年プロイセン所得税法と基準性原則』) https://t.co/YThkDnCUct

2 0 0 0 OA 明治の美学

@ox188 気が付きませんでした。確かに「明後日は審美学協会の新年宴会…」などと。 《明治三十七年(一九〇四)十二月―東京市内の諸大学の出身者が、本郷中央教会…にあつまって、「審美学会」が誕生》 https://t.co/248JjdZzPY 『猫』の第2章は、この翌年早々の1905年2月号の『ホトトギス』に掲載。
1820年5月15日、まもなく14歳になるジョン・スチュアート・ミルが《ロンドンを出発し、18日にパリに到着。父ミルの紹介状を携え「セー法則」で有名なJ.B.セーを訪問・滞在。》 自由主義者セイは当時53歳。ヘーゲルは49歳で、ほぼ同年代。 https://t.co/JzZ9FpwgWh
Das Hofgericht Mannheim verurteilte Sand am 5. Mai 1820 zum Tode durch das Schwert. https://t.co/MDeuHfXcrK 福吉勝男『ヘーゲル「法・権利の哲学」第1回講義の国家・政治体制論』 https://t.co/7xhH5lv0bu https://t.co/Z6sQSOsyts
よって、公共の困窮を救済し、不満をとり除く計画についての一』 https://t.co/vaevLxsfve https://t.co/xqdmC1RTZ9
波多野精一『宗教哲学序論』のヘーゲルの項を読んでいます。ヘーゲルにおいては、人間も神も実在性を失い、「観られる」ものとなった、というところまで来ました。では、「観られる」ものを「観るもの」は誰なのか。波多野は結論へと論を進めていきます。(続く) https://t.co/CGZXQYlwDr
ヘーゲル『小論理学』§147付録の「ここでふれた点の詳細は宗教哲学に譲らなければならない」(松村訳)のところから寄り道して、波多野精一『宗教哲学序論』のヘーゲルの項を読んでいます。国立国会図書館が公開している1949年の『波多野精一全集』第3巻を底本にしています。 https://t.co/CGZXQYlwDr
『小論理学』第147節(必然性論)の注釈。本多修郎は、『ヘーゲルの偶然論』で、《ヘーゲルは「必然性は、実に正しくも可能性と現実性との統一と定義されている」という。 https://t.co/0RoveFgBmw
#漱石 #猫 批評一斑 「『日の出島』の『報知新聞』への連載は、日清戦争終結の翌年にはじまり、足かけ六年、約千二百回にお よんだ。」(関肇「ジャーナリズムのなかの文学 : 村井弦斎『日の出島』とその読者」) https://t.co/M8qUg5Dkar
#漱石 #猫 批評一斑 「『日の出島』の『報知新聞』への連載は、日清戦争終結の翌年にはじまり、足かけ六年、約千二百回にお よんだ。」(関肇「ジャーナリズムのなかの文学 : 村井弦斎『日の出島』とその読者」) https://t.co/M8qUg5Dkar
#漱石 #猫 批評一斑 上司小剣「夏目漱石氏の「吾輩は猫である」」 ちなみに、小剣はこのころ、読売新聞の社会部の編集主任で論説記者を兼ねていたたようです。 (荒井 真理亜「上司小剣 作家以前の小品「その日ゝ」」) https://t.co/NbGqfpIOC6
#漱石 #猫 批評一斑 上司小剣 大町桂月は「小品にすぐれたるは、緑雨と小剣也」と、「太陽」明治38年6月1日号で、小説家としては無名だった小剣をとても高く評価していた。(荒井 真理亜「上司小剣 作家以前の小品「その日ゝ」」) https://t.co/NbGqfpIOC6
#漱石 #猫 批評一斑 上司小剣「夏目漱石氏の「吾輩は猫である」」 「批評一斑」の冒頭を飾る上司小剣の猫評。ほめているのだか、けなしているのだか、分からない批評。どちらかといえば、けなしているのでは? https://t.co/k1k1kdoivs
@salli_neko なんと、漱石がこだわった1907年の大倉書店版「吾輩ハ猫デアル」下の巻末の末尾を飾って、大町桂月の批評が転載されていました。 国会図書館ライブラリー https://t.co/k1k1kdoivs
RT @salli_neko: 国立情報学研究所 公開論文CiNii https://t.co/v7xBjsRkPl 上田正行氏の論文 「『哲学雑誌』と漱石」 を読ませていただきました。 天然居士米山保三郎と漱石について、「哲学雑誌」掲載の論文と漱石の著作との関わり、など参考…
#漱石 #猫 153 「縫田針作」については、合山林太郎「縫田針作の材源」に詳しい。 https://t.co/s0SBImcGUd https://t.co/s4x7ulUTWM
#漱石 #猫 153 「縫田針作」については、合山林太郎「縫田針作の材源」に詳しい。 https://t.co/s0SBImcGUd https://t.co/s4x7ulUTWM
#漱石 #猫 133 イスキラス(1) イスキラスと鷲については、五之治昌比呂さん「『吾輩は猫である』の二つの逸話の材源について」 https://t.co/TSY08RJF4R によると、スミス「古代辞典」の参照が有力とのこと。 https://t.co/viRlvW5BUf
「1907年…3月に漱石が大学を去り、上田敏も 11月の私費留学のため大学を離れ、…ロレンスとロイドの西洋人教師しかいなかった。…三四郎が将来目指す「有名な学者」が〈英文学者〉であったとするならば、…ロレンスに付くしかない」http://t.co/dvHwT5Qqif #三四郎
漱石は日本人初の英文科講師になったが、「激石自身の希望は一高教授のみであったがポストが空いておらず、大塚〔保治〕の周旋で大学講師にもなったといわれる」(http://t.co/dvHwT5Qqif)。広田先生と対照的。 #三四郎(77)
「騎士象と胸像」解釈。http://t.co/SEU5lBQhkQ「あなた方自身がもしこの様な問題に直面した時、見事な解決が出来ますか。これは人事ではありません。…此の二人の恋人たちのように、無為なるが故に、罪〔姦通罪〕を犯さずにすんだ…ようでは、結局善をも行えない」 #三四郎
渡邊清子さんの「騎士象と胸像」解釈。http://t.co/SEU5lBQhkQ 「点されるべきご筈の灯火を、点すこともせず、締めるべき筈の帯も、締め得なかった煮え切れぬ態度の罪の深さが、彼らの不幸の原因となったのだ」たしかに「三四郎」のテーマと重なる。 #三四郎
RT @salli_momox: #三四郎の「ダーター・ファブラ」はブラウニングの詩「騎馬像と胸像」の最終行から(ホラティウスを下敷きにして)という説も納得。http://t.co/4cBEesRYUb 結ばれなかった男女が最後に像(画)として想いを託す…古い訳ですが→http…
貴いもの② 現物が国立国会図書館デジタルコレクションにあった。 文部省のポスターだ。 http://t.co/28gFLDCssU 原典は続きがある。 北海道新聞社説「揺れる民主主義」http://t.co/c2LmOa7dC1 http://t.co/9G1Eog8iTv
@asahi_soseki http://t.co/r7h84CmOre に解説。この本の「肉体的な所有のない愛からは慰めを得ることができない」「男性は愛を得た瞬間から愛情が減退し気が変わりやすい…女性の愛情は思いを遂げた瞬間から逆に高まる」などに、漱石は線やメモ。 #三四郎
RT @JuuichiJigen: この異常な博士論文を通した早稲田大学も異常ですね。 審査員は、 常田聡 早稲田大学教授   武岡真司 早稲田大学教授   大和雅之 東京女子医科大学教授   Charles A. Vacanti ハーバード大学教授 の4人です。 http…

1 0 0 0 OA 新撰物理学

【三四郎】http://t.co/h4kO4QELIK によると、田中三四郎は物理学者で、本多光太郎と物理学の教科書の編集を行ったらしい。 http://t.co/atMJZehi5q

お気に入り一覧(最新100件)

PDFあり。 ⇒長谷川 貴彦 「貧困と福祉の歴史学 ――イングランドの歴史的経験から――」 『ジェンダー史学』18 (2022) https://t.co/37Xj4XZ7wH
「現象」においてカントを乗り超えるヘーゲルと、さらにヘーゲル自身の内に孕む崩壊点まで、読み物としてとてもスリリング。私が最近「幽霊」を巡って考えていたことのひとつの参照となったのもうれしい。 ヘーゲルにおける「第二次法則」と「物自体」 佐藤和夫 https://t.co/95Z0WUXvAp

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