著者
三尾 裕子 末成 道男 中西 裕二 宮原 暁 菅谷 成子 赤嶺 淳 芹澤 知広
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2004

本研究では、主に東南アジアの現地化の進んだ中国系住民の研究を中心に据えて、これまで等閑視されてきた周縁に位置する中国系住民の事例研究から、従来の「華僑・華人」概念を脱構築することを企図した。特に、彼らの社会・文化そしてエスニック・カテゴリーの変容のプロセスを分析することを通して、中国系住民の文化が、移住先でのホスト社会やその他の移民との相互作用によって形成されることで、もはやその文化起源を分節化して語りえないほど混淆するあり様を明らかにし、これを「クレオール化」と概念化した。主な成果は、2007年8月にクアラ・ルンプールで行われたInternational Conference of Asia Scholarsで2つのパネルを組織、また、11月にも日本華僑華人学会の年次大会において、パネルを組織した。それぞれの学会では、中国系住民が中国的な習慣や中国系としての意識を失って土着化していく過程、再移住の中でのサブエスニシティの生成過程、宗教的な信仰や実践と民族カテゴリーの変容、国家の移民政策と移民の文化変容などについて、現地調査に基づく成果を発表した。また、現地の研究協力者を3回ほどに分けて招聘し、メンバーとの共同研究の成果を発表するワークショップを行った。そのうち、2006年度に実施したワークショップについては、Cultural Encounters between People of Chinese Origin and Local People (2007)という論文集を出版した。そのほか、国際学会の発表をもとに、英語による論文集の出版を予定している。
著者
三尾 裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.243-268, 1990-12-30 (Released:2018-03-27)
被引用文献数
2

本論は, 台湾において最も人気の高い<神々>のうちの一つである王爺の分析を通して, 台湾の漢民族の霊魂観の構造的特徴及びそれらと台湾の歴史的社会的背景との関係を検証する。本論で王爺を取り上げたのは, 王爺の分析が, 台湾の漢民族の世界観の特色を理解するのに役立つと考えられるからである。王爺は, 従来台湾人の民俗分類概念といわれてきた3種の霊的存在-<神>, <鬼>, <祖先>-では捉えきれない。その問題点は, 従来の見方があまりに静態的であったために, 霊的存在の変化の可能性やその過程を説明しきれない点にあったといえる。本論では, このような視点の下に, まず従来の王爺研究をふり返る。そして, これらの文献資料及び筆者の調査した王爺信仰及び「迎王」儀礼を通して, 王爺にみられる霊魂の内的構造を分析する。更に, 「王爺」の<鬼>から<神>への変化が, 台湾の歴史的環境のなかで生み出されてきたことを明らかにする。
著者
三尾 裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.243-268, 1990-12-30

本論は, 台湾において最も人気の高い<神々>のうちの一つである王爺の分析を通して, 台湾の漢民族の霊魂観の構造的特徴及びそれらと台湾の歴史的社会的背景との関係を検証する。本論で王爺を取り上げたのは, 王爺の分析が, 台湾の漢民族の世界観の特色を理解するのに役立つと考えられるからである。王爺は, 従来台湾人の民俗分類概念といわれてきた3種の霊的存在-<神>, <鬼>, <祖先>-では捉えきれない。その問題点は, 従来の見方があまりに静態的であったために, 霊的存在の変化の可能性やその過程を説明しきれない点にあったといえる。本論では, このような視点の下に, まず従来の王爺研究をふり返る。そして, これらの文献資料及び筆者の調査した王爺信仰及び「迎王」儀礼を通して, 王爺にみられる霊魂の内的構造を分析する。更に, 「王爺」の<鬼>から<神>への変化が, 台湾の歴史的環境のなかで生み出されてきたことを明らかにする。
著者
三尾 裕子
巻号頁・発行日
2004-10-28

報告番号: 乙16113 ; 学位授与年月日: 2004-10-28 ; 学位の種別: 論文博士 ; 学位の種類: 博士(学術) ; 学位記番号: 第16113号 ; 研究科・専攻: 総合文化研究科
著者
三尾 裕子
出版者
東京大学
巻号頁・発行日
2004

本論は、1980年代半ばより筆者が行ってきた台湾・中国の漢人についての一連の宗教研究の中で、台湾中西部の沿海地域にある馬鳴山鎮安宮という"廟" −本論では、廟とは様々な霊的存在(spiritual beings)を祀る施設を指す−を社会的な場として展開される信仰観念や信仰実践を、歴史人類学的に考察したモノグラフである。// 本論では、個別具体的なケーススタディを民族誌として包括的に記述するということが目的であるが、そのために、時間軸(即ち歴史)と、空間軸(即ち研究対象の設定)という点で従来の人類学研究の問題点について、新しい試みを行った。// 第一の時間と言う点では、中国文化圏の特に民間信仰の分野において、従来歴史学あるいは宗教史学と人類学的な研究とが個別に行われ、相互の連関が不問に付されてきたことに鑑み、この欠を補うことを試みた。これまでの中国・台湾の宗教史研究を通観すると、現在見られるある事象に関わる民衆の多様な解釈の中から、過去の文献にも登場するある解釈を抽出し、その間の連続性を無条件に措定することで、それ以外の解釈を逸脱や捏造として排除する場合がしばしば見受けられた。更に民間信仰を人類学的に扱う上で、仏教や道教などの成立宗教と民間信仰とがそれぞれ別個に自律的に存在するのではなく、相互に影響を及ぼし合う点に注意を払う必要があると考えられるものの、この点についての考察はほとんどなされてこなかった。// 第二の空間と言う点では、本研究では従来人類学の研究手法では扱いにくかった、明確な外延を設定できない研究対象を包括的に捉える試みを行った。今日の経済活動などに代表されるグローバリゼーションによって、従来の人類学が当然視してきたところの、その中で社会関係が完結するコミュニティを研究対象として設定することは不可能になっている。そこで、本研究では、ある考察の対象となる事象が生起する"場"に注目し、その"場"を媒介として様々な活動や人々の関係を常に外に開かれたものとして考察するとともに、人々を引き寄せ、繋いていくそのような"場"に人々が付与する意味や価値を明らかにして行く方法を取った。つまり、研究対象の外延をあらかじめ設定するのではなく、"場"を媒介とすることで、そこに参加する人たちがその"場"や信仰対象に対して作り上げて行く意味や関係のプロセスを提示することを試みた。// 以上のような問題意識に基いて、具体的に考察を行ったのは、台湾中西部の馬鳴山鎮安宮と呼ばれる〈五年王爺〉を祀る廟である。本論では、フィールドワークによる資料収集だけではなく、文書史料を併用することによって、主に、〈五年王爺〉を含む〈王爺〉というカテゴリーの〈神〉が、従来道教の文脈で〈瘟神〉と意味付けられてきたことと、人類学的研究において「〓鬼」と意味付けられてきたこととの齟齬や断絶を接合した。特に本論では、〈五年王爺〉を信仰してきた人々によるそれに対する語りを分析することから、台湾漢人の霊的な存在の動態性とのかかわりに留意しつつ、〈五年王爺〉像の変遷を跡付けた。また、従来民間信仰は、地域社会を統合する際の宗教的なシンボルとして考えられてきたことについて、「祭祀圏」という概念を用いて廟を核とする地域的な社会結合を分析した。特に、本研究の対象のように、伝統的に既に複数の郷鎮、あるいは県にまたがって広範囲に信者が広がっている廟の場合、「祭祀圏」概念がどこまで適用できるのかを検証した。更に、1970年前後から急速に増加している地縁的な基盤を持たない信者については、従来の地縁的な基盤を前提とする民間信仰概念では捉えきれない。そこで、鎮安宮という"場"を焦点として、そこに出入りする新しいタイプの信者が、地縁に代わる如何なる紐帯を廟あるいは〈五年王爺〉と結ぶに到ったのかを考察した。// その結果、本論で明らかになったことは、以下の諸点である。// まず、伝統的にそして現在も鎮安宮の地縁的な基盤となっている〈五股〉の諸村落及び〈香庄〉と呼ばれる諸単位に所属する信者にとっては、〈五年王爺〉は〈瘟神〉と関係付けられるのではなく、科挙に合格した「進士」としてイメージされている。// 第二には、〈五年王爺〉が天の最高位の〈神〉である「玉皇上帝」から派遣された強大な権力と権威をもった〈神〉であるという側面と、横暴で理不尽で〈鬼〉(特定の祭祀者を持たない死者の霊魂)と共通する側面とを持つ両義的な存在として意識されていることが理解される。// 第三には、道教経典などにまで遡って歴史的な〈王爺〉像の変遷を追い、〈王爺〉の起源に関する先行研究を再考した結果、清代以降の台湾では、〈王爺〉という名のもとに、経典中の「瘟神」のみならず、様々な多様な霊魂が、いくつかの共通する要素とズレとを含みつつ収斂して行くことを跡付けた。// 第四に、台湾の民間信仰における霊的な存在は、〈神(gods)〉・〈祖先(ancestors)〉・〈鬼(ghosts)〉の三位の中に位置づけられるという研究が欧米の人類学者によって蓄積されてきたが、このような三位モデルは、漢人が霊魂に関して語る二種類の語りの間の弁証法的な関係と言う点から理解することが必要であることを指摘した。即ち、一つが、非常にシステマティックで階層的な諸霊魂の位置づけの語りであり、もう一つが前者のような体系的な語りでは収まりきらない曖昧な霊魂についての語りである。彼らの中で、これらの一見相反する語りが矛盾なく同居することにこそ、漢人の霊魂観のダイナミックスの源があると考えられる。// 第五には、以上の議論を受けて、筆者の主な居住地であったS村の人々が、三位モデルに関していかなる語りをしてきたのか、特に、〈神〉と〈鬼〉との中間領域への彼等の関わり方について、「大家楽」と呼ばれる民間の賭け事を例にとって分析した。「大家楽」は一種の宝くじであるが、1980年代後半から人々が当たり番号を予想する為に、霊的な存在に頼るという現象が広くみられるようになった。彼らは、〈鬼〉と〈神〉との境界領域にあった存在に頼るが、そのような存在が霊験を発揮して当たり番号を当てた場合に〈神〉と見なされるようになるケースが見られることを、具体的な事例を用いて明らかにした。〈王爺〉は今日の台湾では、既に最もポピュラーな〈神〉となっているが、〈王爺〉の出自由来と今日の信者の語りとの間の隔たりが存在することから、今日の台湾で見られる〈鬼〉の〈神〉化のプロセスに類似した移行が〈王爺〉においてもあったことが推測される。// 第六に、鎮安宮の信者の空間的な広がりに関わる諸問題のうち、まず、主に伝統的に鎮安宮の信者とされてきた地域社会を"祭祀圏"概念を用いて考察した。まず、"祭祀圏"に関する先行研究をレビューし、多くの論者に共通する"祭祀圏"を構成する条件について論じた。それらを鎮安宮に適用して見た場合、次の二点が明らかになった。まず〈五股〉の場合には、これが外延のはっきりした一つの祭祀圏を形成していると考えることが可能だが、その結合の原理を宗教以外のその他の社会組織に求めることについては、その証左を得る事は出来なかった。また、〈香庄〉の分布域は、今日では、250を超える諸単位を抱え込んでいるが、廟経営への参与の有無などの客観的条件によってプロットされる「範囲」と人々がイメージする単位分布の「領域」が一致するような固定的で明確な外延によって囲い込まれているわけではない。各単位の鎮安宮との関係は、慣習化されているとはいえ、一回一回の儀礼毎に鎮安宮に勧請に行くこと(あるいは行かないこと)を選択できる流動性を許容する関係である。また、〈香庄〉の場合も、その分布域が何らかの社会組織と対応関係にあるという証左は発見できなかった。// 最後に、従来"祭祀圏"概念によって分析されてきた民間信仰においてほとんど取り上げられることの無かった、遠隔地の個人ベースで信仰を求める信者層について考察した。その結果、信者の都市への移動や仕事や婚姻などによる台湾の人々の活動領域の拡大が、信者の分布域の拡大と関わっていることが明らかになった。また、このような遠隔地の信者たちと鎮安宮あるいは〈五年王爺〉との関わりについて、信者の語りを分析することによって、彼らの〈王爺〉像が今日の台湾社会の社会変化とどのように関わりをもち、またその中で彼らが〈王爺〉といかなる新しい関係を結ぼうとしているのかを明らかにした。従来、集落などの地域共同体内の安寧を保護してきた〈神〉は、戦後特に1970年以降の人口の流動化、都市化によって、個人とより直接的な関係を結びつつある。そして〈神〉と個人との関係の中で、個人が〈五年王爺〉との持続的なインターアクションを構築する事によって、信仰に至り、それを維持発展させていることが明らかになった。ただし、ここにおける"個人"とは、必ずしも他者と区別された自律的な"個人"といった近代的自我を具えた"個人"ではない。本論では、彼等が近代化、都市化による社会の再編過程にある社会において生み出された不安や不確定性に対して、伝統的な思考における共同性や「〈命運 mia7-un7(運命)〉観」を援用することによって対処していることを示した。つまり、信者と〈王爺〉との間に〈命運〉観に基づく結合の回路が創り出されている事が、今日の鎮安宮が、地縁社会との結びつきとは別に脱地縁化した信者を増やしている所以である、というのが筆者の見方である。