著者
菅谷 成子
出版者
京都大学東南アジア地域研究研究所
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.374-396, 2006-03-31 (Released:2017-10-31)

About forty years ago, Edgar Wickberg, in his pioneering and seminal work on the nineteenth-century Philippines, established how the Chinese had emerged as a commercially powerful foreign group in a Spanish colonial setting, while the Chinese mestizos had risen as a “special kind of Filipino” to support Philippine national awakening toward the turn of the century. Recently, scholars such as Richard T. Chu have questioned the identity of the Chinese mestizo as a “special kind of Filipino.” Chu argues that Chinese mestizos at the turn of the century had multiple, fluid, and ambiguous identities and cannot be said to have had a simple Filipino identity. He concludes that the Filipino identity as a nation was only established definitely after 1910. This paper identifies some of the particular historical factors that brought about the social rise of the Chinese mestizo as an uniquely Spanish colonial being distinct from the “chhut-sì-á” or “tsut-sia” of later years. This paper also shows that the “Chinese mestizos” Wickberg had in mind were not the same “Chinese mestizos” that Chu deals in his recent works, and suggests that the study of overseas Chinese or Chinese overseas can be relevant to Southeast Asian Studies only when it is placed in a historical context and perspective.
著者
三尾 裕子 末成 道男 中西 裕二 宮原 暁 菅谷 成子 赤嶺 淳 芹澤 知広
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2004

本研究では、主に東南アジアの現地化の進んだ中国系住民の研究を中心に据えて、これまで等閑視されてきた周縁に位置する中国系住民の事例研究から、従来の「華僑・華人」概念を脱構築することを企図した。特に、彼らの社会・文化そしてエスニック・カテゴリーの変容のプロセスを分析することを通して、中国系住民の文化が、移住先でのホスト社会やその他の移民との相互作用によって形成されることで、もはやその文化起源を分節化して語りえないほど混淆するあり様を明らかにし、これを「クレオール化」と概念化した。主な成果は、2007年8月にクアラ・ルンプールで行われたInternational Conference of Asia Scholarsで2つのパネルを組織、また、11月にも日本華僑華人学会の年次大会において、パネルを組織した。それぞれの学会では、中国系住民が中国的な習慣や中国系としての意識を失って土着化していく過程、再移住の中でのサブエスニシティの生成過程、宗教的な信仰や実践と民族カテゴリーの変容、国家の移民政策と移民の文化変容などについて、現地調査に基づく成果を発表した。また、現地の研究協力者を3回ほどに分けて招聘し、メンバーとの共同研究の成果を発表するワークショップを行った。そのうち、2006年度に実施したワークショップについては、Cultural Encounters between People of Chinese Origin and Local People (2007)という論文集を出版した。そのほか、国際学会の発表をもとに、英語による論文集の出版を予定している。
著者
菅谷 成子
出版者
愛媛大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

本研究の目的は、スペイン支配の中枢がおかれたマニラを外世界(文明)、と内世界が出会う場所として設定し、そこに生きた人々と植民地都市マニラの発展との関わりを解明することであった。具体的には、中国人移民およびその社会が、(1)故郷福建といかなる関係を構築していたのか。(2)マニラの都市的発展に具体的にどのように関わったのか。(3)都市住民として、スペイン人あるいは原住民を中心とする植民地社会といかなる社会・経済関係を構築していたのかという観点から、スペイン植民地都市マニラの歴史を解明することを主な課題とした。まず、先行研究の蓄積を批判的に継承しつつ、スペイン語手稿文書による新知見をもとに、スペイン植民地都市マニラの発展過程をイントラムーロスとアラバーレスとの関係を軸に跡づけた。その過程で、マニラの発展を特徴づけるキーワードは、マニラ・ガレオン貿易、中国人の流入、地震、および周辺海上勢力の動向であるとの認識をえた。次に、マニラの都市住民としての中国人の生活実態を、カトリシズムを基底にすえた植民地社会の文脈に位置づけ明らかにするために、「結婚調査文書」「マニラ司教区裁判所文書」「マニラ公正証書原簿」「マニラ税関文書」等の分析を行った。その結果、植民地社会の人間関係をめぐる個々の具体的な諸相の抽出をえて、その成果の一部を公刊した。さらに18世紀は東南アジア史において「華僑・華人の世紀」と言われるが、マニラの中国人移民社会を、同時代の東南アジア島嶼部各地における中国人移民社会成立の文脈に位置づけ、その特徴を明らかにした。また、過去3年間の研究成果の一部を2001年9月に中国厦門大学で開催された「21世紀初的東南亜経済与政治」国際学術研討会において報告する機会をえた。しかし残された課題も多い。とくに、量的分析によるデータの蓄積や中国人を受入れた現地の人々の視点からの分析はこれからの課題である。
著者
内田 九州男 竹川 郁雄 寺内 浩 山川 広司 加藤 好文 川岡 勉 加藤 国安 小嶋 博巳 河合 真澄 関 哲行 弘末 雅士 稲田 道彦 大稔 哲也 野崎 賢也 伊地知 紀子 松原 弘宣 西 耕生 田村 憲治 神楽岡 幼子 黒木 幹夫 菅谷 成子 若江 賢三 藤田 勝久 高橋 弘臣 吉田 正広 木下 卓 矢澤 知行 岡村 茂 石川 重雄
出版者
愛媛大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

シンポジウム・研究集会を3年開き31本の報告を実現、各発表は報告書に掲載した。巡礼の諸相の解明では、日本の四国遍路、熊野参詣、西国巡礼、海外では10巡礼地を調査し、キリスト教世界(古代東部地中海、中世ヨーロッパ、スペイン中近世、イギリス中世・現代)、古代ギリシア、アジア(中国中世、韓国現代、モンゴル中世、エジプト中世、ジャワ中世)の巡礼で実施。国際比較では、日本の巡礼とキリスト教巡礼での共通性は中近世では来世での霊的救済と現世利益の実現を願うことであることを示した。