著者
清水 芳見
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.166-185, 1989-09-30 (Released:2018-03-27)

本稿では, ヨルダンの北部のクフル・ユーバーという村の邪視信仰について, 記述, 考察する。この村では, 邪視は妬みと不可分に結びついており, 妬みが生じるような状況下では, どんな人間でも邪視を放つ可能性があるとされている。邪視除けの方法として, この村でもっともよく行なわれるのは, 邪視にやられると思われたときに特定の文句を唱えることであり, 邪視にやられて病気になったときの治療法としては, sha' ir al-mawlidと呼ばれる植物などを焚きながら特別な祈念をしたり, クルアーンの章句を唱えたりすることがよく行なわれる。この村では, 邪視を放った者を公に告発するようなことは行なわれないが, この告発ということに関連して, 邪視を放ったという疑いをかけられないようにするための方策がよく巡らされる。最後に, この村では, 邪視がつねにイスラームというコンテクストのなかで理解されているということが, 本稿全体を通して明らかになった。
著者
杉本 直治郎 御手洗 勝
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.15, no.3-4, pp.304-327, 1951-03-15 (Released:2018-03-27)

Over 2, 000 years ago the Fu-sang legend appeared in Chinese literature in the form of a treelegend, also having some connection with the sun. The authors, tracing the legend back to its original form, make it clear that its original form must have been a pure sun-legend. The Jo-mu (若木) which was identified with the Fu-sang means a sun-tree, the sound of 若 (^*njiak) being that of 日 (^*njiet), "sun", and both Jo-mu and Fu-sang are associated with the legend of "Ten Suns." As the character of "sang" (桑)="mulberry" in Fu-sang resembles that of "jo" (若=〓) in Jo-mu, there has been a misreading since the Chou period. But 扶桑=扶〓=扶若=扶日 seems to have been the proper series, and the last of the series 扶日 (Fu-jih) is identical with the Fu-jih (拂日 "striking the sun") which is seen in old Chinese documents combined with the Jo-mu (若木). Furthermore, as we have the legend of the Pi-jih (〓日 "shooting the sun") in which the archer I (〓) shot nine suns down out of the ten, the Pih-jih ("shooting the sun") must have been the original meaning of the word Fu-sang (扶桑) which can be identified with the Fu-jih (拂日 "striking the sun"). We find examples of such a rite of invigoration as "helping the sun" in the eclipse or shooting for the same purpose wang shih (枉矢)=huang shih (黄矢), fire-arrow, at the sun not only in the old Chinese documents, but also in modern ethnological literature. The Shantung peninsula was the principal field of activities of I, the hero of the legend of "Ten Suns." The legend itself seems to have derived from the institution of "Ten Days" which was prevalent among the Tung-i (東夷) in Shantung. The authors assume that the Fu-sang legend was first formed among this people and then transmitted southward by the migration of the Ch'u (楚) tribe belonging to the Tung-i. According to Chinese legends, there is the Hsiliu (細柳 "slender willow") in the west where the sun sets, in contrast to the Fu-sang in the east where the sun rises. The epithet hsi ("slender") being added only from the association with the meaning "willow" which the character liu has, the real meaning of the Hsi-liu must lie in the sound liu. While the place where the sun rises in the east is called T'ang-ku (湯谷), the place where the sun sets in the west is called Liu-ku (柳谷). Liu-ku is called also Mei-ku (昧谷), Meng-ku (蒙谷), Meng-ssu (蒙〓), etc. As the liu here is demonstrated to be mei (昧)=meng (蒙)=an (暗)=yin (陰), meaning "dark, " the Liu-ku must be Mei-ku=Meng-ku=Meng-ssu=An-ssu (暗〓)=Yin-ssu (陰〓), "the valley wherein the sun sets, " opposite to the T'ang-ku (湯谷)=Yang-ku (陽谷), "the valley from where the sun rises." Therefore, the proper meaning of such a name as Yen-tsu (〓〓) where the sun sets, which has been a riddle to sinologists, is Yin-ssu (陰〓), the valley wherein the sun sets. The Hsien-ch'ih (咸池) and Kan-yuan (甘淵), in which the sun is said to bathe, are also respectively nothing else than the An-ch'ih (暗池)=Yin-ch'ih (陰池), "the pond in which the sun sets, " and An-yuan (暗淵), "the deep in which the sun sets."
著者
小林 高四郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1-2, pp.36-46, 1956-08-10 (Released:2018-03-27)

As formerly Prof. Egami published an article titled "On the beverages and foods of the Hsiungnu (匈奴), Mr. Hotta recently dealt with the same problem in detail also (vide "The Shigaku", Vol.27, No.4, a journal of the Keio University). But owing to the anbiguousness of the Mongolian language and the inaccuracy of the Chinese documents, we are not yet able to understand exactly the substances and their Mongolian names. So some questions remain uncertain still. Accordingly the present author aimed to explain the real meanings of such Mongolian words as "airan", airaq, araxi, esug, cigen, kumys etc., and the identity with the Chinese characters denoting the above mentioned beverages, 酪 lo, 馬酪 ma-lo, 賣 su, 阿児赤 arci, 哈刺赤 haraci, 馬〓子 ma-nai-tzu, 醍醐 ti-hu etc., principally from the philological points of view. The results led us to the correction of the opinions of Mr. Hotta, late Prof. Ramstedt, and Prof. Karlgren. Moreover the author explained the Mongolian words, 'sarχud', 'bisilarγ' and 'bor'.
著者
梅屋 潔
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.342-365, 1995 (Released:2018-03-27)

新潟県佐渡島の人々の間では,ムジナ(貉(ムジナ))ないしトンチボ(頓智坊)と呼ばれる動物がしばしば話題に上る。この動物は動物でありながら神であり,ときに人間にも変身する存在として知られている。ところが,注意深くこの概念を巡る語りをみてみると,その意味が極めて同定し難いことがわかる。われわれからみると明らかに異質な存在が,同じものであるかのように「あたりまえ」のものとして語られるのである。本稿の目的は,そのムジナについての語りの分析を通じて,従来人類学者が「象徴」という概念を用いる衝動に駆られるとき,いったいなにが起きているのか,また,語りの中でそのような概念の果たしている役割は何か,という問いに答えようとするものである。「あたりまえ」と考えられていることを相対化し,考察するために,従来の中間的話体に加えて,テキストの微視的な分析を行うことにより,われわれ,そしてかれらの中で起こっているコンテキストのくむかえや矛盾の無視などが明らかにされる。
著者
堀内 正樹
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.25-41, 2000 (Released:2018-05-29)

クリフォード・ギアツの著書に有名な 『Islam Observed』がある。視覚を通してイスラームを理解するということだろうか。しかし本稿では、見たり見られたりするイスラームではなく、聞いたり話したり呼びかけたりするイスラームがあって、その方が現実感があると考える。モロッコにおいてイスラームが提供する音には,コーランの詠唱に始まり,祈りの呼びかけ,預言者賛歌,神学のテクストの詠唱,神秘主義教団の祈祷句,憑依儀礼の音楽など様々なものがある 。一方 「音楽」の諸ジャンル,たとえば古典音楽,民俗歌舞,商業音楽などにも宗教的な要素が深く浸透している 。宗教音はこうした個々の音のジャンルを乗り超えて柔軟に結び合わされ,全体として人々に感覚としてのイスラームを提供しているように思う 。その感覚の統合化に機能する音の特徴として,本稿では「脱分節性」という概念を提起する 。この特徴は意味の分節化を抑制する機能を持ち,結果として特定の意味ジャンルを越え出て,それらを相互に結び付けることを可能にする。従来のイスラーム社会の分類方法の主流を占めてきた「正統イスラーム」対「スーフイズム」, あるいは「学究的イスラーム」対「土着信仰」といった視覚的な分類枠もこうした音文化分析によって組み替えることが出来るのではないか,という可能性を示してみたい 。
著者
星野 晋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.460-481, 2002-03-30 (Released:2018-03-27)

本研究は、エホバの証人の輸血拒否を、新しい医療技術の開発によって医療現場で生じた文化摩擦であると位置づけ、この問題をめぐる日本の医療環境の変化の過程を見ていくことにより、医療と技術と文化の関係を検討することを目的とする。エホバの証人(法人名、ものみの塔聖書冊子協会)は、19世紀末にアメリカで誕生したキリスト教系の宗教団体であり、血を食べてはならないという聖書の記述を根拠に医療現場で輸血を拒否することが、さまざまな国で社会問題になった。日本では、1985年交通事故に遭った小学生の輸血を両親が拒否し死に至ったことがマスコミで報道され、エホバの証人、信者である両親、輸血を強行しなかった医師等が非難の的となった。1990年前後から、輸血拒否問題をめぐる状況は大きく変わり始める。患者の自己決定権、インフォームド・コンセントといった概念が社会的に認知されるようになってきたが、これらの考え方はエホバの証人の輸血を拒否し「無輸血治療」を選択するという主張と合致するものであった。一方、薬害エイズ問題等で輸血や血液製剤の危険性が改めて注目されるところとなり、その回避にもつながる新しい薬剤や技術が開発されはじめる。その結果、輸血は人の生死を分ける唯一の選択肢ではなくなった。また協会はそのころ、新しい技術や無輸血治療に理解を示す医師等についての情報を信者に提供するなどして信者と医療の架け橋の役割を果たす、医療機関連絡委員会等の部門を設置する。結局、医療側とエホバの証人は、それぞれがいだく信念の直接衝突を避け、インフォームド・コンセントの枠組みを最大限に利用し、その場面でなされる利用可能な技術の選択という一般的なテーマに輸血拒否の問題を解消させる。その結果この文化摩擦は解決する方向に向かっているといえる。
著者
江上 波夫
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.13, no.3, pp.278-284, 1949 (Released:2018-03-27)

Many prehistoric forts (the so-called gorodishches) have been found in Russia, particularly in the Volga-Kama area and in Western Siberia, which some date as far back as 800 B. C., most are from the turn of the Christian era, that is, Bronze and Iron Age. They are believed to have been built by ancient Finno-Ugric peoples. These forts resemble the Aino chash or chashkot very closely, both in ground plan and construction of the forts, and in the abundant bone implements which they contain. The author is therefore inclined to conclude that ancient Finno-Ugric culture elements may have been transmitted to the Aino, or conserved by them with other Continental culture elements from the West.