著者
木戸 久美子 中村 仁志 藤田 久美 林 隆
出版者
山口県立大学
雑誌
山口県立大学社会福祉学部紀要 (ISSN:1341044X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.135-139, 2005-03-20

本研究は発達障害と性非行および性犯罪との関連を文献的に考察することを目的とした。本邦における医学文献の検索には医学中央雑誌を、外国文献の検常には医学文献データベースMEDLINEを用いた。発達障害と性非行および性犯罪との関連の医学論文は国内で3件、国外で6件とともに少なかった。性非行や性犯罪と関連する発達障害としては、本邦では広汎性発達障害、なかでもAsperger症候群があげられていた。外国では注意欠陥/多動性障害(以下AD/HD)との関連も指摘されていた。どのような発達障害特性が性非行や性犯罪に関連するかは、エビデンスが十分ではないために断定的なことは言えない。発達障害と性非行および性犯罪を短絡的に結びつけることは大変危険であるが、文献的研究からは、発達障害児者の持つ発達特性と彼らを取り巻く否定的な環境要因が、結果的に発達障害児者を反社会的行為に追い込んでしまう可能性が示唆された。
著者
中村 仁志
出版者
山口県立大学
雑誌
山口県立大学看護学部紀要 (ISSN:13430904)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.77-83, 1999-03

注意欠陥/多動性障害(ADHD)は, これまで微細脳機能障害, 多動性障害, 学習障害などとも呼ばれてきた障害であり, DSM-III-Rにおいて, 行動面に注目し定義された診断カテゴリーである。行動の特徴には不注意, 多動, 衝動的行動がある。注意欠陥/多動性障害の子どもたちと接していると自己評価の低さを随所に認める。こうした問題行動に起因すると思われる自己評価を回復するために, 彼らは遊戯療法場面であたかも自分の多動性や衝動性をコントロールしようとすることをテーマとした遊び(以下コントロール遊び)を展開することがある。Aくんは学校の規則や社会の決まりが守れない, 衝動的な行動が目立つことで相談に訪れた子どもである。我々は彼との遊びを通して, 彼の自己評価の低い一面を見た。彼は遊びの中で, 彼が投影されてるのであろう"パジェロちゃん"というキャラクターを用い, 自己評価を回復するために"コントロール遊び"を展開した。"コントロール遊び"を繰り返すことは, 衝動コントロールの感覚をつかみ自分の機能を高める訓練であり, 自己評価を回復するためのロールプレイであると考えられた。
著者
中村 仁志 林 隆 木戸 久美子 澄川 桂子
出版者
山口県立大学看護学部
雑誌
山口県立大学看護学部紀要 (ISSN:13430904)
巻号頁・発行日
no.8, pp.13-18, 2004

AD/HDの発症比率には性差があり男子に多いとされている。今回、健常幼稚園児を対象として、その行動をADHD-RS-IV-Jの項目を用いて性差について検討した。さらに保護者の捉える子どもの特徴とADHD RS-IV-Jのどの項目の行動と関係しているのか比較検討した。 平成14年11月、Y県H幼稚園の保護者にアンケートを行い、ポジティブな特徴評価として"活発である"、"リーダータイプ"を、ネガティブな特徴評価として"拗ねやすい"、"育てにくい"を聞いた上でADHD-RS-IV-Jの回答を求めた。
著者
大平 昌彦 青山 英康 吉岡 信一 加藤 尚司 太田 武夫 吉田 健男 長谷井 祥男 大原 啓志 上畑 鉄之丞 中村 仁志 和気 健三 柳楽 翼 五島 正規 合田 節子 深見 郁子 板野 猛虎
出版者
The Japanese Society for Hygiene
雑誌
日本衛生学雑誌 (ISSN:00215082)
巻号頁・発行日
vol.24, no.5-6, pp.502-509, 1970-02-28 (Released:2009-08-24)
参考文献数
18

In a restricted area of the northern part of Okayama Prefecture, Yubara Town, an outbreak of SMON (subacute myelo-optico-neuropathy) was observed from the beginning of 1967. An epidemiological investigation has been made on this outbreak and the results are as follows:(1) Concentration of cases occurred in the summer of 1968, though cases have been reported sporadically in the area from the beginning of 1967. The incidence ratio against the population was 659/100, 000 during 22 months.(2) The incidence was the highest in summer and the ratio in females was 3 times higher than in males. Concerning age group, males showed a peak in the thirties, whereas in females many cases were evident between the twenties and sixties.(3) Relatively enclosed districts are apt to expand over a period of time. Cases which occurred in neighboring families as well as those within the same families tend to give the impression that the disease coule be infectious.(4) Among the cases, a close contact relation was observed.(5) Physical exhaustion before the onset of the disease was observed to be 43.2% among the total cases.(6) In occupational analysis, a higher rate was revealed among workers who had close human relations such as hospital workers and public service personnel.(7) The tendency to other diseases of the nervous system as well as those of the digestive organs was checked by inspecting receipts of the National Health Insurance from the beginning of 1965. Nothing related to SMON was recognized before the outbreak.(8) Diseases of the intestinal tract and tonsillitis were observed in higher rates in the history of the patients.(9) The investigation of environmental conditions has revealed the fact that there is a higher rate of incidence in families who do not use service water compared to those who do.
著者
中村 仁志
出版者
關西大學文學會
雑誌
關西大學文學論集 (ISSN:04214706)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.1-16, 2016-09-30
著者
中村 仁志 中野 真志
出版者
愛知教育大学
雑誌
愛知教育大学教職キャリアセンター紀要 (ISSN:24240605)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-8, 2017-03-31

本稿では、教科横断的なカリキュラムに関する議論の源流について論じるにあたり、ジョン・デューイ(Johon Dewey)を取り上げ、彼の学際的カリキュラムの思想形成に影響を与えたシカゴ大学付属小学校、通称「デューイ実験学校」での教育実践に着目する。デューイの学際的教育学の検討から導出される、断片化された知識の再接続と諸学問分野間の接続という二つの主題を分析視角とし、先行研究では十分に焦点が当てられていなかった「総合的な歴史」の具体的な学習および活動に検討を加え、その実態を明らかにする。その際、1900~1901年度のグループ8とグループ9の「実験学校ワークリポート」を分析対象とする。本稿の結論は次の2点である。第一に、デューイ実験学校における総合的な歴史の実践は、知識の起源の諸発見の再創造および諸学問分野とそれらが対象とする歴史的・社会的事象との関係から「相関」を問い直すことによる各教科内容の選択・組織化という点で意義をもっていることである。第二に、デューイ実験学校における総合的な歴史の実践は知識の起源の諸発見の再創造が強調された結果として自民族中心主義的な側面をかかえてしまっているという課題を指摘できることである。これらの結論が持つ含意は、知識の起源の諸発見の再創造と自民族中心主義的な側面の克服の両立を図りつつ、教科横断的なカリキュラム全体の知識の構造化の基盤となる歴史学習のカリキュラムをいかに創造するかを問うことである。