著者
池田 和臣 中村 健太郎 丸島 和洋 ストーンマン ジャック 西村 慎太郎 小山 順子 大友 一雄
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.44, pp.1-16, 2016-08-01

●メッセージ断簡零墨の価値と異分野融合研究●研究ノート中世の短冊資料の諸問題――新収の短冊手鑑「筆陳」を中心として――●大坂夏の陣と「乱取り」――真田信繁娘阿梅の行方――●ブリガム・ヤング大学所蔵のブルーニング・コレクションとその調査●トピックス「平成27年9月関東・東北豪雨」における常磐市役所被災公文書の保全●UCBにて初めて「古典籍ワークショップ」を開催――三井写本コレクション調査とともに――●連続講座「くずし字で読む『百人一首』」●『近世大名のアーカイブズ資源研究』とアーカイブズ活動●<国文学研究資料館展示室より>特設コーナーにご注目を!●平成28年度国文学研究資料館「古典の日」講演会●第40回国際日本文学研究集会●総合研究大学院大学の近況
著者
丸島 和洋
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.221-246, 2008-12

論文はじめに一 取次の検出二 取次の構成とその意義 1 当主側近 2 一門・宿老三 取次になることの意味おわりに
著者
丸島 和洋
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.181-209, 2007-01

論文はじめに一 天文~弘治期の諏方郡支配 1 武田氏の諏方侵攻と「諏方郡司」 2 「高島城代」の設置二 奉書式朱印状の創出と「諏方郡司」 1 「諏方郡司」の不正 2 永禄~天正期の「諏方郡司」 3 当該期「諏方郡司」の権限三 武田領国における「郡司」 1 「郡司」の検出 2 「郡司」が奉じる龍朱印状おわりに
著者
木村 茂光 小山 順子 野網 摩利子 丸島 和洋 青山 英正 寺島 恒世 恋田 知子 畑中 千晶 山下 則子
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.39, pp.1-16, 2015-05-08

●メッセージ「唐物」研究の豊かな進展のために●研究ノート後土御門天皇禁裏文芸と女性日中の古文辞学と漱石高野山子院の東国への教線拡大と檀那場争い「リンボウ先生の書誌学講座」受業記●トピックス平成26年度日本古典籍講習会平成27年度アーカイブズカレッジ(史料管理学研修会通算第61回)の開催「山鹿文庫」受贈に関わる表彰式について通常展示「書物で見る日本古典文学史」国際連携研究「日本文学のフォルム」第2回国際シンポジウム「男たちの性愛―春本と春画と―」総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況
著者
丸島 和洋
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = National Institure of Japanese Literature (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.11, pp.33-52, 2015-03-13

本稿では、甲斐武田氏を素材に検討した大名間外交の取次構成(一門・宿老と当主側近)という形が、相模北条氏においても確認できることを明らかにする。その際、一門・宿老を「取次」、側近を「小取次」と新たに把握し直し、北条氏外交の特徴を論じた。特に着目したのは、①遠国大名と近国大名との交渉における取次のあり方の違いとその理由、②取次の立場からうかがえる権力構造の相違と変化、という点である。そこで明らかにした北条氏外交の具体的事例として、徳川氏との同盟を検討した。同盟交渉には3 段階の時期があり、北条氏規が取次をつとめた相三同盟段階(永禄12年~元亀2 年)、織田信長との外交を視野に入れ、北条氏照が氏規に取って代わった第一次相遠同盟段階(天正7 年~10年)、氏規が取次に復帰した第二次相遠同盟段階(天正10年~)の順に検討した。氏照が徳川氏担当取次になったのは彼の独断行動の可能性があるが、最終的に氏規がその地位を取り戻し、「取次・小取次」の態勢を調えた。徳川氏との外交は、近国大名との交渉である。このため、きめ細かい交渉が必要となり、早くに「取次・小取次」の形が整えられたといえる。外交面での「取次・小取次」の構成は、従属国衆への取次役「指南・小指南」と同一の構成であり、これが戦国大名北条・武田両氏の特徴である。最後に、「取次・小取次」が受け取った書状はどこに「集積」されるかを検討し、大名に進上されるわけではなく、書状を受け取った取次の家に伝来されるものであるという見通しを述べた。In this article, I investigates a negotiator who are responsible for “diplomacy" in the Hojo clan. I named “Toritsugi" the negotiators of a chief vassal and sept. I was designated as “Kotoritsugi" the negotiators of entourage. I discuss the characteristics of the “diplomacy" of the Hojo clan. Viewpoints is a difference between responsible for the Daimyo of the distant of “Toritsugi" and responsible for the Daimyo of the neighborhood of “Toritsugi". Then, being appointed a “Toritsugi" I consider someone. Based on the results, to analyze the power structure of the Hojo clan.As a concrete example, I pick up the alliance with the Tokugawa clan. For the Hojo clan,“diplomacy” and the Tokugawa clan can be classified into negotiations with the neighboring Daimyo. Therefore, it becomes necessary detailed negotiations, a combination of “Toritsugi" and “Kotoritsugi" is satisfied.Finally, I investigates the storage location of the letter that was sent to the “Toritsugi". Not be passed to the Daimyo letter. I describe the outlook letter that is stored at the home of “Toritsugi".
著者
丸島 和洋
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = National Institure of Japanese Literature (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.11, pp.33-52, 2015-03-13

本稿では、甲斐武田氏を素材に検討した大名間外交の取次構成(一門・宿老と当主側近)という形が、相模北条氏においても確認できることを明らかにする。その際、一門・宿老を「取次」、側近を「小取次」と新たに把握し直し、北条氏外交の特徴を論じた。特に着目したのは、①遠国大名と近国大名との交渉における取次のあり方の違いとその理由、②取次の立場からうかがえる権力構造の相違と変化、という点である。そこで明らかにした北条氏外交の具体的事例として、徳川氏との同盟を検討した。同盟交渉には3 段階の時期があり、北条氏規が取次をつとめた相三同盟段階(永禄12年~元亀2 年)、織田信長との外交を視野に入れ、北条氏照が氏規に取って代わった第一次相遠同盟段階(天正7 年~10年)、氏規が取次に復帰した第二次相遠同盟段階(天正10年~)の順に検討した。氏照が徳川氏担当取次になったのは彼の独断行動の可能性があるが、最終的に氏規がその地位を取り戻し、「取次・小取次」の態勢を調えた。徳川氏との外交は、近国大名との交渉である。このため、きめ細かい交渉が必要となり、早くに「取次・小取次」の形が整えられたといえる。外交面での「取次・小取次」の構成は、従属国衆への取次役「指南・小指南」と同一の構成であり、これが戦国大名北条・武田両氏の特徴である。最後に、「取次・小取次」が受け取った書状はどこに「集積」されるかを検討し、大名に進上されるわけではなく、書状を受け取った取次の家に伝来されるものであるという見通しを述べた。In this article, I investigates a negotiator who are responsible for "diplomacy" in the Hojo clan. I named "Toritsugi" the negotiators of a chief vassal and sept. I was designated as "Kotoritsugi" the negotiators of entourage. I discuss the characteristics of the "diplomacy" of the Hojo clan. Viewpoints is a difference between responsible for the Daimyo of the distant of "Toritsugi" and responsible for the Daimyo of the neighborhood of "Toritsugi". Then, being appointed a "Toritsugi" I consider someone. Based on the results, to analyze the power structure of the Hojo clan.As a concrete example, I pick up the alliance with the Tokugawa clan. For the Hojo clan,"diplomacy" and the Tokugawa clan can be classified into negotiations with the neighboring Daimyo. Therefore, it becomes necessary detailed negotiations, a combination of "Toritsugi" and "Kotoritsugi" is satisfied.Finally, I investigates the storage location of the letter that was sent to the "Toritsugi". Not be passed to the Daimyo letter. I describe the outlook letter that is stored at the home of "Toritsugi".
著者
佐々木 倫朗 山本 隆志 坂本 正仁 山田 雄司 山澤 学 古川 元也 三浦 龍昭 丸島 和洋
出版者
大正大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本研究は、金剛三昧院・桜池院等の史料を調査することにより、高野山の宿坊史料の全体像を提示し、地方大名家の供養帳の史料的性格を明らかにし、大名家供養帳の成立と大名権力の確立との密接な関連性を考察することを目的とした。上記の研究のため、金剛三昧院については、平成23年度より経蔵内及び本堂に所在する史・資料の調査を行い、519点の供養帳を確認し、今まで存在が知られていなかった中・近世の多数の史料を確認した。桜池院については、諏訪・武田氏との関わりを中心としながら、調査を行い、中・近世の供養帳・新出文書を確認し、貴重な戦国期の供養帳に関しては、翻刻を行い、その史料的性格を明らかにした。