- 著者
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佐藤 彰宣
- 出版者
- 社会学研究会
- 雑誌
- ソシオロジ (ISSN:05841380)
- 巻号頁・発行日
- vol.61, no.1, pp.43-61, 2016-06-01 (Released:2020-06-27)
- 参考文献数
- 20
本稿は、戦後初期における野球雑誌の変容とその社会背景について検討するものである。具体的には『ベースボール・マガジン』での啓蒙志向と娯楽志向をめぐる議論に着目し、編集者や読者がどのような雑誌のあり方を求めたのかについて分析する。その分析を通して、当時の雑誌を取り巻くメディア環境(テレビの登場)や、野球というスポーツに対する社会的な認識を明らかにする。 一九四六年に創刊された『ベースボール・マガジン』は、一流の論者によって読者を教化するという啓蒙志向を打ち出した。「精神修養」や「民主主義」のような社会的な理念をスポーツ批評によって読者に指導しようとするこの規範は、戦時での雑誌のあり方と形式的には連続していた。戦後社会において、こうした啓蒙志向が読者に対して訴求力を持った背景には、大衆レベルでの教養への憧れが存在した。 だが、同誌は一九五三年に「見る雑誌」化を掲げ、啓蒙志向から娯楽志向への転換を図った。出版界では大衆娯楽誌『平凡』が大きな注目を集め、また同時にプロ野球人気が叫ばれる中で、堅苦しい学生野球論などを「読む」ことの魅力は失われ、映画俳優のように人気選手のプライベートを「見る」ことが次第に求められるようになっていった。こうした啓蒙志向から娯楽志向への転換は、「繰り返し読まれる書籍的な月刊誌」から「その日限りで読み捨てられるフローな週刊誌」へのメディアの形式的な変化とも対応するものであった。以上のような野球雑誌のあり方をめぐる議論の変化からは、戦後社会における人々のスポーツに対する意識の変容も透けて見える。